ガエル記

散策

『人びとの社会戦争』益田肇 その2

 

ネタバレします。

 

第Ⅰ部 解放の時代

 

【第一章 瓦解と解放 1910ー20年代】

 

1913年(大正2年)1月。

小学校代用教員・吉田得子(22歳)は岡山県の高等女学校を卒業した後地元小学校で働き始めすでに四年経った。

「職業婦人」「モダンガール」という言葉が一世風靡する20年代より10年前のこの頃はまだ働く女性への風当たりが強かった。

 

という書き出しである。『二十四の瞳』を思い出す。

といって読んでもいないし映画鑑賞もしていないのだが

 

「女学校の師範科」を卒業したばかりの正教員の大石久子(おなご先生)は、島の岬の分教場に赴任する。(wikiより)

 

「おなご先生」とあだ名されるのだから無論女性教師はいなかったのだろう。

この小説の舞台設定は1928年(昭和3年)と書かれている。

つまり益田氏が書くモダンガールが一世風靡した20年代の後半である。と言っても執筆されたのは戦後七年目の1952年であるからさらに「女性教師」への描写は緩くなっているだろう。

さらに映画化されたのは1954年なのでこの著書に登場した小学校代用教員の時代から40年後も後の時代である。

逆に言えば『二十四の瞳』で「おなご先生」と呼ばれるよりも40年前にどんな扱いだったか。

本著に登場する若き代用教員得子氏はそんな時代の仕打ちに耐えながら教員の仕事を続ける。

これに対称的に登場するのがあの夢野久作氏である。

当時はまだ「九州日報」(現・西日本新聞)の記者だった彼は「東京人の堕落時代」という記事を連載したという。

そこでは「女性の変化」が厳しく批判されていく。

また明治末期1908年から太平洋戦争さなかの1944年3月まで36年近く発行された岩手県の郷土通信『眞友』から当時の人々の思考を読み取っていく。

男らしさ、女らしさの理想が語られるのだが同時に当時の男女の交際がいわゆる「夜這い」であるとされていて気持ち悪いと思いそうになったがこの感情は「夜這い」という言葉に対するもので、実際は「夜の交際」といういうだけのものなのかもしれない。

「夜這い」というと忍び込んで襲うイメージがあったのだが「男が女の家に遊びに行ってお茶を出して世間話をする」ことらしい。そうだったのか。

 

1910年代から20年代にかけて女性の断髪というものが始まっていったようだ。

髪を短くするということ自体が世界への挑戦であった時代なのだ。

とはいえ今でも女性は「女性らしい格好すべき」という括りがあるのは変わってはいない。男性もまた然りだ。

この項に書かれている「結婚は女性にとって奴隷のような生活を送ることになる」という苦悩は今もなお続いていて「少子化」という結果になって表れている。

その苦悩が解決されない限り結婚や出産はもう増加することはないだろう。

 

1918年8月に富山県漁師町で起きた米騒動は女性たち「近隣の嬶連」だった。

フランス革命ではないか。

こういうのを読むとやはり「弱い者を怒らせると怖い」のだと思える。

この米騒動から様々な社会運動が起きていく。

そして部落解放運動などの活動へとつながっていく。

 

「解放の時代」は伝統の破壊であり価値体系の崩壊する時代だった。

そうした時代は解放の声を挙げ始めた人びとを勇気づけるであると同時に社会のより大多数の人びとを苛立たせるものでもあった。

これも今現在もまた同じである。

 

「社会戦争」が激化していく。