ガエル記

散策

『人びとの社会戦争』益田肇 その3

 

ネタバレします。

 

【第二章 くすぶる苛立ち:草の根社会保守の台頭 1910ー20年代】

 

ここを読んでまたひっくり返った。

この読書で何回ひっくり返ったらすむんだろう。

で、何にひっくり返ったかというと

「日本男性は女性に恋してはいけなかった」

からだった。

それでこれまでの様々な「?」が解決した。

まあ、この言葉も平安時代の貴族はよかったのかもしれないが少なくとも武家社会になってからの男性=武士はそうあるべきなのだろう。

つまり

「女は恋するものである、そして男は恋せらるるものである」

という規範が武士たる男子には備わるべきであるというのだ。

その逆に女に恋するような男は軟弱であるらしいのだ。

 

私は西洋かぶれで本を読んできたので「なぜ日本男子は女子に恋しないのか」とずっと謎だった。

西洋の男性は女性に恋をする。女性もまた男性に恋をする。

のだが日本では恋するのは女性だけで男性はそれに応じるだけ(が理想)なのだ。

確かにこれまでそうした作品を多く観てきた。

もちろんこれ性交渉、レイプは除かれる。単なる性的接触は「恋」ではないからだ。

そしてこれも現在でも続いている、と言える。

「日本の男は女に恋をせず恋されるのを待ち続けているのみなのだ」

だから女が男に恋をしない現在に苛立ち「なぜ俺を好きにならない?」とネットで罵倒し続けているのだ。

意地でも自分からは恋しない。

恋をしてしまっては男でなくなってしまうからだ。

ただし二次元の女性になら許されるのかもしれない。

(確かに向こうから恋されるのは不可能だ)

これまでの謎が解けた。

226事件の首謀者のひとり西田税はこうした男性の心の持ち方の変化を嘆いているが大丈夫今もなお日本男子は同じである。そして同じであるがゆえに日本は崩壊するだろうがそれは理想に伴った結果なのである。

 

その情報からすれば次に書かれるその時代の「モダンガールへの批判・反発」は当然のことであるし今もなお続くことでもある。

ところでここで批判される「男性の職業を争うような様」という言葉は「女性でなくてもいい、男性でもいい」という意味のみで言われてしかるべきだろう。

例えばすぐに思いつくだけでも政治家・教師・医師・様々なクリエイターなどは女性が参加しなければならない、男性では代替できない職業であろう。女性客がいる限り女性の職業参加は必要となる。

男性では絶対に女性の需要が理解できないからだ。その逆も然りだろう。

それがどれほどあるのかとも思う。

 

「爆発する不安」と形容される関東大震災朝鮮人虐殺事件が語られる。

この話はもう何度となく聞いたものの何度聞いても恐怖を覚える。

まさしく永井豪『デビルマン』における「悪魔狩り」である。

むろん「悪魔」だとしたものは善良な人間なのだ。

現実では悪魔は人間の心の中にいる。

それをコントロールするのは人間なのだ。

 

しかし本著で語られるのはそうした鬱屈を持った人々自体である。

解放を求める人々、そしてそうした変化に憤る保守の人々なのだ。

 

 

【第三章】解放の行き詰まり 1927ー31年

1927年(昭和2年)の元旦は静かだったという。

一週間前の1926年12月25日大正天皇が崩御。すべての国民が一年の喪に服することが求められていた。

かといって人びとが心から「大正時代」を名残惜しんでいたのかというとそうではなかったという。

激動の明治時代の後に続く「大正時代」のイメージはここに書かれているように「過渡期」としてこれまで語られてきたように思う。

その後また激動の昭和期が現れるまでの「なにもない」時代だと。

が、そうして期待に満ちた昭和の幕開けの出来事は大正天皇葬儀からほぼ一か月後の金融恐慌であった。

片岡大蔵大臣がもらした失言「今日(東京)渡辺銀行が破綻しました」によって金融不安があっという間に広がっていく。

1929年から始まる世界恐慌とも相まって昭和恐慌(1930-31)を引き起こす。

ここで226事件の際にも持ち出される「東北では未曾有の大凶作となり娘たちは身売りをする羽目になる」のだが本著では「娘たちは案外ケロリとして都会へ向かっていった」と記すのだ。

「田舎の娘の窒息状態・奴隷生活」に比較すれば「単にかわいそうな犠牲者の物語」というだけにはすまされないという。

 

私自身「226事件が起きた理由」を信じ切っていただけにここでまたひっくりかえることとなる。

だが確かに「農村における奴隷生活」=娘は結局嫁ぎ先でも奴隷でなければならない、と考えればそれよりも都会に行って売春をし病死する未来しかないとしてもまだ希望があったのかもしれない。

「226」の将校たちは「女性は家族に仕えてこそ幸福」という女性の理想を掲げていたからこその憐れみだったということか。

 

ここで書かれていることをまとめたらなんというのだろう。

260年ほどの長きにわたった江戸時代の動くことのできない身分制度から解放された日本人(そして世界の人々もそれぞれの国でそうであったと思うが)は明治・大正とおよそ60年ほどの間どうすればもっと自由にもっと幸福になれるのかを模索し足掻き続けてきたようだ。

そしてそのまま昭和へとなだれ込む。

半世紀以上の苦悶苦闘はいまだ報われない。

男も女も何が正解なのかわからないままなのだ。

そしてそれは平成を過ぎ令和になってもまだ続いている。

とはいえ本著ではまだ昭和の冒頭だ。

解放運動は進まない。

世の中はどうあるべきなのか。幸せとは何なのか―――