ガエル記

散策

『人びとの社会戦争』益田肇 その7

ネタバレします。

 

第Ⅳ部 なぜ日本は対米戦争を選んだのか

 

第Ⅴ部 引き続く社会戦争

 

と、端折ることとなった。

非常に貴重な一冊だと思う、が自分としてはそこまで書くことがない。

 

第二次世界大戦という地球規模の大戦を経てそれぞれの国が様々な体験を得たはずだ。

その中で日本という国は確かに他とは違う何かがあったのではないか、とは思う。

なぜならその半世紀前まで「鎖国」と呼ばれる引きこもり生活を260年間近くしていたからだ。

260年間の引きこもりをしていた人間は2チャンネルにもいなかったはずだ。

コミュ障というが260年間のコミュ障なのだ。さらに江戸時代は厳格な身分制度があった。それが突如明治維新で開国し身分制度を廃止し、尻に火がついたかの如く世界に躍り出た。

それまでの厳格な身分制度・男女の在り方も変革したがほんの半世紀あまりでどれほど変容できるものか。

その中で世界大戦にも参加する。

「大戦」はそうした日本人の変革にも大きな影響を及ぼしたはずだ。

本著ではかなりの割合で「女性がどのように社会に関わっていったか」と記されるが結局2026年現在、明治初年から158年経過した現在でも日本人の人格・男女感覚は行ったり来たりを繰り返し女性が男性と同等に社会活動するには程遠い状態である。

 

戦後は民主主義が唱えられさらにはウーマンリブが発生し「女性が強くなった」と言われていた記憶があるが結局はいつの間にかうやむやになって収まっていく。

結局は「少子化」という女性だけしかできない「子どもを産む」という事象が減少していくことでしか「女性の活動の証」をできなかった気がしてしまう。

日本女性にとっては「社会に参加する戦争」ではなく「社会に参加しない戦争」しかなかったのではないか。

今吹き荒れている「フェミニズム嫌悪」を見ているとこの現象はもうどうしようもない気がする。

日本人は男女とも「戦う女」が大嫌いなのだ。

なので本著『人びとの社会戦争』はあったと思うがその中にいた女性たちを賛美する人は男女とも少ない。ほぼいない、と言ってよい。

ではこれから出てくるだろうか。

いやそれはないのではないか。

むしろ「戦わずに変化する」方法しかないのだろう。

表紙の思いつめたたすき掛けの女性の写真から見てもこうした女性への苦手意識が感じられる。

 

今現在もなお地球上に「戦争」がある。

本著はそうした「戦争」とは違った角度で見る社会の中の戦争ではあるが現状「社会戦争」も決して生易しいものではない。

直近の「小学館事件」はその凝縮でもあると思える。

子どもを大切にしない社会ほどおぞましいものはない。

「こどもを大切にしよう」という声が多かったことが救いだった。

そう思いながらこの本を閉じる。