
ネタバレします。
七 モダンガールの四女、妙子
ここで筆者の川本三郎氏は蒔岡家の四姉妹で誰が好きかという問いかけをする。
年配の人は「雪子」次いで「幸子」なのに対し若い人は「妙子」をあげる人が多い、と書く。
私としては『細雪』感想のなかでたぶんこう書いたような気がする。
「以前の若い人なら妙子をあげただろうが今の人は雪子なのではないか」
書いてなかったかもしれないけど私はそう思っている。
川本氏は家の中にいるか、自立して外で働くか、で新旧女性の形を見ているのだが男女関係そして結婚観という意味で今の女性は「雪子」なのではないかと思う。
いや内にこもるか外で働くかという意味でも「雪子」のように思う。
いわば「妙子」はもう古いタイプの女性なのだ。
妙子は自身の思想に振り回され過激に生き身も心も傷ついてなお歯を食いしばって働き続け恋愛も過激である。今の女性が求めていないスタイルなのだ。
ひきかえ、働かなくてすむなら引きこもりこれという相手が見つからないなら結婚したくない、という雪子こそ「今の女性」に思えてならない。
私自身も今は雪子のような生活が心乱れることなく安寧であることが望まれる。
妙子のやり方はあまりにも痛々しい。
激動の昭和初期(1940年前後)は妙子のような女性がモダンガールであったろうが今(2026年)は雪子がモダンガールなのだ。
とはいえこの本は2020年初版のもの。川本氏はやや昔の感覚で書かれたのではなかろうか。
八 妙子の挫折と受難
雪子はほぼ和装だが妙子は洋装を好む。
かつては欧米のスタイルを理想として崇めていた日本女性も今ではすっかりそういう憧れがなくなってしまった。
今現在の女性はかつての”和服”ではないが現在の”和服”あまり西洋のイメージを気にしていないという意味での”和服”を着ているのだ。日本人的服というのだろうか。
妙子的な女性なら今でも西洋のファッションを取り入れ続けているのかもしれない。
つまり現在の雪子はかなりだらしない服装をしているのではないだろうか。
川本氏はこの三女・雪子と四女・妙子の対象的な物語を須賀敦子氏の論考を引いて語る。物語としてもなだらかな和風の雪子と劇的な西洋型の妙子という対比を並列で示している、という。
私としてはこれも『細雪』感想の方に書いたが「これまでの日本的な美が戦争によって破壊され新しい生き方として再生する」という直線の物語として構築されていると思っている。
和の心も持っていた妙子であったがそれは彼女が身ごもったものの死産してしまう赤子、これ以上ないほど美しい女児として葬られ彼女は泣くものの立ちなおり恋する男性と共に自立する。
しかしこの点においても日本女性は再び「雪子」となったのではないか。
過激な西洋物語ではなくあくまでも日本的な物語を2026年今の女性は好むのではないか。
誰も妙子にはなりたくないのだ。
九 「芸術写真」を志した板倉
『細雪』を読んでいて今の私達が最も首をかしげてしまう登場人物が「板倉」なのではないだろうか。
彼はいったいなんなんだろう。
彼は貧しい出自ながら船場の貴金属商店の丁稚となり自力で米国へ渡航し5年間写真の勉強をしてきたという強い男である。
しかも物語だけでなく実際にもあった台風の中で妙子を救い出した英雄でもある。
それまで単なる写真師として使っていた彼に妙子は恋をし結婚を考える。
いわば富裕層の美女のハートを射止めた風雲児なのだが突如謎の病気になって猛烈に痛がりながら死んでしまうのだ。
「痛い痛い」と叫び続けながら死んでしまう、というなんとも悲しい最期を迎えてしまうのだがその死の報を聞いた姉たちはほっとする。
姉たちにとっては「いくら甲斐性無しとはいえ奥畑の啓ぼんは同じ階層の人間で安心できるが板倉はよくわからない下層の男でありそんな男と可愛い妙子が結婚するのは気持ち悪い」のである。
私のような平民にとってこの蒔岡家の考えはあまりにも酷いが多くの物語で描かれている「階級の違う男女の恋」に対する思いはこれなのだろう。
私たち(平民)はほとんど板倉側からの物語を読み見ているのだが「上層部」から見た物語はこのようなものなのだ。
そしてその場合のヒーローはあっけなく死にお姫様は次の恋の相手を探すのである。
あまりにも悲しいではないか。
板倉ってなに?
『細雪』を読んで彼に共感し好意を示す人はほぼいないのではないか。
というかそもそも作者谷崎には彼へのリスペクトは皆無なのだ。
美女のために男は死ねということかな。
という『細雪』の感想は置くとしてここでは当時「家が買える」ほどの値段であった「ライカ」について語られる。
「写真」というものが貴重であった時代だ。
ニューヨークとパリで学び自分の作品を「純芸術写真」と呼んだ中山岩太という人物を川本氏は紹介する。
初めて知った。
藤田嗣治やマン・レイとも親交があったという。
ともあれ『細雪』の中でも美しい姉妹たちをライカで写し撮るエピソードがあり、それは作者谷崎そのものだったようだ。
今ではほぼすべての人が手持ちのスマホでなんでも撮れる時代である。