
ネタバレします。
十 外国人との交流と別れ
末妹・妙子と親しくなる白系ロシア人カタリナ・キリレンコ。
亡命のロシア一家に夕食に呼ばれてやや頓珍漢な体験をすることになる。
港町神戸に亡命ロシア人は多かったという。
カタリナは自分の美貌を武器にして単身ヨーロッパへ渡り富裕な三十代の社長と結婚しお城のような立派な邸宅に住むようになる。
蒔岡家姉妹はカタリナの根性に舌を巻く、というエピソードが語られる。
亡命ロシア貴族女性の話はあちこちにある。
多くがその北方の美貌で男性を魅了する話になる。
悲しくもあるが雪と氷の国の美女の話はロマンチックに思えてしまう。
もう一つの外国人一家が幸子・貞之助の隣家に住むシュトルツ家である。
これは谷崎潤一郎宅「倚松庵」の隣に実際住んでいたドイツ人一家シュルンボム一家がモデルであるらしい。
一つの小説に二組の外国人家族が登場するとはさすが開かれた港町の話である。
こちらでは幸子の娘悦子がすっかり隣の兄妹と仲良くなり毎日のように遊んでいる。
実際には谷崎夫人である松子の元夫との娘恵美子がそうであったろう、と書かれる。
阪神電車ごっこをするという微笑ましい風景である。
だが戦争の影が近づくにつれシュトルツ家の仕事は滞りやむなく一家はドイツに帰ることとなる。
川本氏が記しているが『細雪』には描かれない歴史、この後日本とドイツが敗戦することとこの仲良くなったふたつの家族の別れが心に響く。
十一 東京での鶴子一家の暮らし
ここもまたおもしろい。
四姉妹の長女・鶴子は早く母を亡くした姉妹たちのいわば母親役をつとめた苦労をしているが一方華やかだった蒔岡家の栄華を一番知っている存在でもある。蒔岡家の跡取り娘として夫を養子婿にしてはいるものの夫に忠実な良妻でもある。
銀行家の夫が東京丸の内に栄転となり決心して蒔岡家邸宅をたたみ東京へと移り住む。
この時、まだ嫁に行かない三女・雪子を本家として引き取り東京へ伴うのだが根っからの大阪女である雪子はひとりだけ東京に馴染めず幸子もまた雪子に共感する。
作者・谷崎潤一郎の気持ちが反映されているという。
関東大震災後、関西へ移り住んだ谷崎はその後東京へ戻ろうとしてももう自分が住んでいた町はそこにないと感じたのである。
明るい芦屋の町と比べ東京は潤いを欠いているという。
姉・鶴子一家は「見るからに粗末な借家普請」の新宅に収まり東京を満喫している。
雪子の目は冷ややかである。
十二 芦屋と東京を行き来する雪子
ふむふむ。
芦屋と東京を行き来することで雪子の揺れ動く心を表現できる。
うまい。
芦屋と東京を比較し続けることでそれらの印象を強くできる。
その間に繰り返されるお見合いもまた雪子の心を重くしていく。
雪子の面倒を見る長姉・鶴子と次姉・幸子との対比もされる。
読んでいる時は雪子の行き来(まさか名前ここから来てるのか)があまり気にならなかったのだが川本氏は雪子の芦屋東京行き来を丹念に書き出していく。
そして昭和十六年四月雪子は挙式のために七度目の(『細雪』の中では最後の)東京行きをする。
そしてそこで雪子は止まらない「下痢」に苦しめられながら物語は幕を閉じる。
美しい四姉妹の中でも最も美しい雪子が止まらぬ「下痢」の中で東京行きをするという衝撃的なラストシーンである。
さすがに映画では「下痢が止まらないわ」というラストにはしづらいであろう。
原作原理主義の現在でも映画化するのなら眉をひそめた雪子の表情で察するくらいにしてほしい。
(数ある映画ドラマの中で明確にした演出はあるのだろうか)
世にあまたある作品の中でも特別に悲しいラストでもある。
もちろん東京嫌いの雪子の激しいストレスがもたらした現象であろう。
そしてすぐに来る太平洋戦争を暗喩している。
戦争は止まらぬ下痢のようなものだった、と。
十三 縁結びの美容師、井谷
当時非常に高価だったパーマネントを施す美容院の女主人である井谷は蒔岡家の姉妹が「大好き」であると告げる。
そして彼女は渡米する前に長い間未婚だった雪子に「結婚相手」をプレゼントすることとなる。
鷹揚で世話好きな職業婦人である井谷は戦争間際にアメリカへ行きその後どうなったのかはわからない。
当時の日本女性が和洋折衷のお洒落をしていたことが描写される。
何度も書くが以前とは違い今現在の日本女性はあまりこうした「洋風に憧れる」感覚をそれほど意識していないような気がする。
むしろ「和」を取り入れるほうに特別な意識が働いてしまうのではないだろうか。
もちろん未来にいわゆる和装が流行することだってあるかもしれない。
とはいえ「和装」はなかなかに不便なのだ。
すっかり年取った私にとっては着馴れたカジュアルパンツスタイルから離れることはできなさそうだ。
自転車に乗らなくなったら考えるかもしれない。
さらにパーマネントをかけることはないのではないか、と考える。
しかしお洒落をすることはとても良いことだとは思っている。
お洒落をしなくなったら随分寂しいものに思われる。