ガエル記

散策

『アドルフに告ぐ』手塚治虫 その1

1983年1月6日号 - 1985年5月30日号「文春コミックス 他」

 

何度も読んだ本作ですが、昨日までの読書で『細雪』と本作『アドルフに告ぐ』が同時期に神戸を舞台にしていると気づきまた読み返したくなりました。

本作は手塚作品の中でも複雑で難しく読み落としている部分もあるでしょうから今回気をつけて読んでいきたいと思っています。

 

 

ネタバレします。

 

第1章

 

「これはアドルフと呼ばれた三人の男たちの物語である」

というモノローグから始まる。

ユダヤ人の墓地に一人の男が近寄る。

「アドルフ・カミル」という名が読み取れる。

男は花を捧げる。

「最後のアドルフがこうして死んだ今その物語を子孫たちに伝えようと思う」

 

物凄い期待感の高まる導入部である。

西洋映画のスタイルに則した演出だと思える。

「私の名は峠草平・・・いわばこの物語の狂言廻しだ」

 

昭和11年(1936年)8月

奇しくも『細雪』のはじまりとほぼ同じ時期から始まる。(『細雪』は秋からとなっていいる)

狂言廻しだと自己紹介した峠草平はオリンピックの報道者としてベルリンに滞在していた。

折しもベルリンの大学で勉強していた弟・勲から電話連絡があり「あさっての夕方8時に下宿に来てほしい。あるものを渡したい」という。

「その品物が公開されたらたぶんヒットラーは失脚する。ナチスはひっくり返る」と彼は告げたがオリンピック試合の歓声でその言葉は峠の耳に入り難かった。

約束の日、競技が長引き峠は時間に遅れてしまう。

二時間後駆け付けた時、弟の勲は惨殺されその遺体は街路樹にひっかかっていたのである。

峠は悲痛な叫びをあげるが周囲の住人は窓を閉めた。

峠は弟の手指の爪の間に白い粉、石膏の粉かと思われるものを見つける。

他に見つけたのは弟が書き残した「R・W」という走り書きのメモだけだった。

すぐに警察が勲の遺体を運び去った。

峠草平はタクシーでその後を追いながら半年前の記憶を呼び戻していた。

 

それは兵庫県川辺郡小浜村の、俗に御殿山と呼ばれている山林で死後三日経った女の絞殺死体が発見されたという事件だった。

峠草平は臨時雇いでその報道記者となる。

若い芸者が痴情のもつれで殺されたのなら犯人検挙は早いだろうと軽視したのだが事件は迷宮入りとなってしまう。

峠草平はそのままオリンピック報道のためベルリンへ赴いたのだった。

と、峠は思い出しながら弟の遺体の後を追ったが何故か弟・勲の遺体はどの警察署にも届いておらずしかも弟の下宿には別の人物が住んでいた。

峠は必死で弟の情報をかき集めようとし手がかりの「R・W」を使って広告記事を出すと「オットーという百姓だ」と名乗る人物から連絡がはいったのだ。

喜んだ峠の前に突然リンダ・ウェーバーという若い女性があらわれる。

彼女は勲の恋人だった、というのだ。

そしてリンダ・ウェーバーも「R・W」である。

彼女は「イサオはどこ?」と聞く。彼の死を告げると一旦驚いたものの「やっぱりね」とつぶやき「またお伺いするわ」と去って行った。

 

峠は気を取り直し「R・W」に反応をくれた人物の家、辺鄙な村へと急ぐ。

ところがその百姓一家は皆殺しにされていたのだ。

峠はその家の側にある樹木の根っこに異変を感じて掘り起こす。

そこに勲の遺体を見つけた峠は不気味な男たち数人に追いかけられる。

元・陸上選手だった峠は逃げおおせたが乗り合わせたバスの運転士に撲られ気絶してしまう。

暗闇。

峠は後ろ手に縛られている。

 

冒頭でも書いたが西洋映画的スタイルで読みやすくわかりやすくスリリングで面白い。

私が最も気に入っているのは峠草平のキャラクターである。

坊主頭でもっさりとした眉毛、顔面に沿ってくっきりと線が浮かび上がるのは筋張っているからか。目の下の点々、これもくっきりと描かれる鼻梁の線。要するに線が多い珍しい造形だ。

元陸上部の記者である彼は高身長で頑健だが現在人気の美形キャラには程遠い。

細身でもなく膨らんだ筋肉的でもない。体格だけでなく顔もがっしりとした固そうな質感であり無骨で愛嬌に乏しい。

日本マンガキャラには珍しいタイプだろう。

今アニメ化されたら峠草平の容姿がどうなってしまうのか、心配でもある。

(たとえばブラックジャックのアニメ造形がとても苦手だ)

できるならそのままの味をだしてもらいたい。と、アニメ化の噂もないが不安である。

 

さて峠草平は弟との約束を破ってしまったことで事態は恐ろしい方向へと動き出す。

弟は殺されその遺体は行方不明、そして誰も峠勲の存在を知らないと言い張るのである。

ウィリアム・アイリッシュ『幻の女』のようだ。

峠はそれでも負けん気を出しひとりで勲を探そうとする。

彼は不気味な男たちに追いかけられても元陸上部の足で逃げおおせるが結局殴られ両手を後ろ手にされ暗闇の中に座らされているところで第一章が終わる。

さすがにここで読むのをやめきれる者はいないだろう。

 

 

第2章

さてここで手塚治虫は一つ問題を投げかけている。

峠を捕まえたリーダーがあのアセチレン・ランプなのだ。

長年のファンなら絶対知っている人物である。

そこまでは別にいいのだがこの後、ちょいとしたネタバレにも触れてしまう。

まあいいか、ということだったのだろうか。

 

さて峠草平はランプ一味に捕獲され体に電気を流されるという拷問を受け再び気を失う。

峠は弟から何も聞いてはいないためやむなく彼は解放され、目が覚めた時見えたのはリンダ・ウェーバーだった。

 

拷問のせいか峠は勲の遺体が埋められていた村の名前が思い出せなくなっていた。

 

下水に捨てられていた峠は助けられリンダは介抱をしてくれたらしい。

彼女との会話で少しずつ状況がつかめてきた。

彼女はBDM(ドイツ女子青年団)だという。そして勲はコミュニストだったと彼女は話す。

リンダは峠に協力すると告げた。

だが峠が思い出せたのは彼を捕まえた男の顔だけだった。

 

峠はあの男はナチス党員に違いないと踏み九月初めにあるナチス党大会に向かうと言い出す。

そこにあの男は必ずいると。

汽車で向かう途中、リンダは化粧室に行く。

そこで彼女に問いかけたのはアセチレン・ランプであった。

 

九月四日ニュールンベルグのツェッペリン広場に十五万人のナチス党員が集合した。

ここでヒットラーは演説し人々の心をつかむ。

峠草平はナチス党員そしてヒットラーを批判しいちいちつっこみを入れていく。

特に「ユダヤ人が劣等民族だ」という考えはおかしいと否定する。

それに反論するリンダに対し「それがきみたちの教義なのか。おれたちとは常識がちがうんだな、ナチスは」と思いつぶやくのだがこれは峠のキャラのためのセリフなのか。

当時の日本人は特に「自分たち以外を劣等民族だ」と決めつけているのがむしろ常識だった、のではないか。(今もその傾向があるが)

ここはちょっと気になる峠の思考である。覚えておこう。

 

ところがこの直後、とある女性がリンダ・ウェーバーに対し「まあ、ローザじゃない、しばらく」と声をかけるのだ。

「どうしたの、ローザ・ランプ。あたしよ。中学同級のマルテよ」と。

ここで先に話したちょっとしたネタバレになる。

リンダはランプの手下、だけではなく家族(たぶん娘)なのだ。

手下、だけならまだ救いはあるが娘となってはかなりやばい。

だがこれを聞いた峠は「偽名だったのか?」となるだけだ。(彼は手塚マンガのファンじゃないからランプの名前がヤバいのは知らない)

峠は「タンホイザー」のマーチを聞きその作曲者がリヒャルト・ワーグナーと知る。

彼の名前も「R・W」である。

 

マルテはリンダもといローザと峠を夫のクルト・シュメルツ男爵に引き合わせる。

男爵は彼女より二十歳も年上だという。

親日派だという男爵は峠も歓迎した。

男爵の豪邸に招かれたふたりはそこでワーグナーを聞く羽目になる。

逃げ出した峠は弟の部屋にワーグナーの胸像がかつてあったことを思い出す。

しかしあの日は見当たらなかった。

 

ここで続く。