
ネタバレします。
第33章
爆撃で鼓膜が破れ聞こえなくなった峠草平は妻・由季江と共に疎開せずドイツ料理店でもある西洋館に居続けた。
だがそこも激しい神戸爆撃に会い離れた時に由季江だけが壕の中で怪我をしてしまう。
由季江を抱え草平は逃げ出した。
由季江のお腹には草平との赤ちゃんがいた。
人混みのなかで草平はエリザと出会い炊き出しを分けてもらう。
だが由季江は気を失ってしまう。
再び草平は由季江を背負い仮救護所で医師の診断を受け彼女が脳障害で危険な状態だと知る。
「とはいえケガ人病人が溢れかえるこの状況ではとても受け入れてくれる病院はない、ただし軍人の幹部か政界の方でもおいでなら」と若い医師は忠告してくれた。
峠ははっと本多大佐を思い出す。
由季江を頼み峠は大阪帝塚山へと走り出した。
電車は止まっており峠は自転車を盗んで大阪へと向かう。
検問を誤魔化して突破しついに本多大佐邸へ到着する。
その門前にはアドルフ・カウフマンがいた。
彼は以前峠やカミルたちから聞き出した「本多大佐の息子に文書を預けた」という言葉に従ってドイツ大使館から外務省を通じ参謀本部へ依頼し憲兵隊と共に本多大佐邸の捜索に赴いていたのだ。
とうとうあの秘密文書、ヒットラーの出生の秘密を記した文書が見つかる。
カウフマンはランプから受けた指令を果たしたのだ。
喜ぶ彼に峠は朝刊を見せた。
そこにはヒットラーの死が報じられていた。
それはドイツの全面降伏を意味していた。
カウフマンの働きは無に帰した。
峠はアドルフに由季江の重態を知らせる。
本多大佐はこれを聞きすぐさま入院の手続きをとった。
峠はアドルフを車に同乗させ由季江のもとへ急ぐ。
アドルフは母に取りすがって泣いた。
峠たちは由季江を入院させることができた。
アドルフは自宅のあった場所で降り母を峠に頼んだ。
第34章
8月6日9日に原爆が投下される。
そして8月15日に日本も戦争の幕を閉じた。
由季江は昏睡状態にあったがお腹の赤ん坊は成長していた。
本多大佐は彼女を見舞い峠に「一分だけふたりきりにしてほしい」と頼む。
大佐は由季江に口づけし帰宅して切腹をした。
8月30日 マッカーサーが来日し、戦後処理が始まる。
開腹手術によって由季江は女児を出産して死を迎えた。
草平は娘に由と名づけ育てた。
ある日由を人に預け峠は小城先生を訪ねる。
彼女は今も小学校の教師をしていた。
そしてあの時家出した三重子の行方を教えてくれたのだ。
三重子は追ヶ浜の飲み屋の女将の店で働いていたのだ。
第35章
第二次世界大戦が終わりナチスが崩壊するとユダヤ人難民たちは自分たちの祖国をパレスチナに建設しようとした。
国連から認められ1948年5月14日、ユダヤ人のあらたなる国はその名をイスラエル共和国として第一歩を踏みだした。
しかしパレスチナには宗教・風俗がまったく異なるアラブ人が住んでいた。彼らがすんなりとユダヤ人の建国を認めるわけがなかった。
アラブ諸国の軍隊はたちまち三方からイスラエルに侵入した。こうして宿命の長い紛争の火ぶたが切られた。
果てしない攻防戦。数限りなく破壊される街と無差別テロ。
ユダヤ人はやっと手に入れた祖国を守るために、そしてアラブ人じゃ侵略者ユダヤ人を追い出すためにそれぞれの正義を振りかざしたのである。
アドルフ・カウフマンは今もナチの残党狩りに追われていた。
そのせいもあり彼はパレスチナ解放戦線の組織に入った。
1973年2月21日
紛争はいまだ続いていた。
イスラエル軍にはアドルフ・カミルの名があった。
そしてアドルフ・カウフマンにはアラブ人の妻との間に娘がいた。
しかし妻子は買い物の途中でカミルが指揮するイスラエル兵たちによって殺される。
カウフマンは復讐を誓う。
「やつの心臓をお前たちの墓に捧げてやる」
(『進撃の巨人』の元ネタだろうか)
アドルフ・カウフマンは組織の反対を押し切ってビラを貼って回った。
それは「アドルフに告ぐ!二人だけで話をつけたい。カウフマン」というものだった。
カウフマンは邪魔をする仲間たちを撃ち殺しカミルの出現を待った。
彼は何もかも失ってしまった。あちこちの国で正義というやつにつきあった自分の愚かさを問うた。
カミルが現れた。
カウフマンと彼は互いの怨みを伝え殺し合いを始める。
カミルの銃がカウフマンを撃ち殺した。
1983年イスラエル。
カミルはテロリストによる商店爆破で犠牲者となり死んでいた。
峠草平はカミルの妻・エリザとその息子の家に訪問した。
彼は”もの書き”となっていると名乗り「アドルフに告ぐ」という三人のアドルフの物語を記していると説明した。
そこには「正義ってものの正体を少しばかり考えてくれりゃいい」という願いがこめられていた。
「これはアドルフと呼ばれた三人の男たちの物語である。最後のアドルフが死んだ今、この物語を子孫たちへ贈る」
本作は手塚治虫によって1983年1月6日号から1985年5月30日号に渡って執筆掲載されたと記載されている。
むろん執筆は少し以前に終わっているだろうがその三年と半年ほど後の1989年2月、60歳で手塚治虫は亡くなっている。
つまり最晩年に描かれたマンガ作品と言えるのではないだろうか。
言い換えればそれまでの人生を振り返るような作品でもあったのではないだろうか。
昨日、私は本作が「歴史物語としてあまりにも類型的でありナチスドイツを悪とし描いているものの日本側の天皇はじめ大日本帝国の批判は何もしていないのは緩すぎるのではないか」という批評をした。
この一日でふと思いついたのは「そもそもこの企画は”手塚治虫自身を掘り出す”ことであって戦争の話は表面的なものであったのではないか」ということである。
そうであればこの作品への批評はまったく違うものになってくる。
「ナチスドイツ」及び「悪党ヒットラー」は手塚治虫自身をあぶりだす装飾であって実際に描きたかったのは彼自身の「正義」と「悪」だったのではないか。
つまりこの作品の本当のタイトルは『アドルフに告ぐ』ではなく『オサムに告ぐ』だったのではないか。
そして主人公である三人のアドルフはすべて手塚治虫自身だったのではないか。
アドルフ・カウフマンは裕福な家の少年で非常に厳格な父と優しく美しい母のもとで育つ。
手塚治虫氏の父親についてはほとんどなにもわからないが非常に母親への愛情が強く「マザコン」と思われている節はある。
アドルフ・カウフマンはまさにそのイメージ通りで「世界で一番美しいママ」と何度も繰り返す。
手塚治虫の内面にあるマザコン性、執着を現す人物と思える。裕福な育ちのお坊ちゃまであるという面もあるだろう。
ここに一人目のアドルフでありオサムがいる。
アドルフ・カミルについては印象でしかないが関西弁で明るく生き延びる力を持っているところが手塚氏と重なる。
さらに手塚氏の父親のwikiに
1941年(昭和16年)3月、ナチス・ドイツの迫害から逃れて神戸に滞在していたユダヤ難民を、安井仲治、川崎亀太郎、河野徹、椎原治、田淵銀芳ら丹平写真倶楽部のメンバーと共に撮影した[9][10][11]。この時、当時12歳の手塚治虫が同行していた写真が『大阪人』2002年10月号に掲載されている[12]。撮影された一連の写真は、同年5月に開催された第23回丹平展において、「流氓ユダヤ」シリーズとして発表された[9]。
と書かれているところからも手塚氏家族が神戸に逃れてきたユダヤ人との関わりがあったことがわかる。
カミルは手塚氏の明るい正義的な面を意味しているように思える。
第二のアドルフ=オサムである。
怖ろしいのは最後のアドルフ・ヒットラーである。類型的キャラクターにとしか見えないヒットラー造形であるが実はここにこそ手塚治虫が本作を描かずにおれなかった元凶なのではないか。
三人のアドルフならぬ三人目のオサムである。
ヒットラーは第三帝国を作り上げようとして純粋アーリア人だけの千年王国を理想としまったくかなわずに滅んだ。
その姿に手塚治虫は自身の姿を見てしまった。
いや、気づかないままに創作したのかもしれないが手塚治虫はいつの間にか日本漫画界のアドルフ・ヒットラーになってしまったのかもしれない。
ただ、その力は果たして強大なものだったのか、どうか。
手塚治虫氏は日本漫画界を牽引するのは自分だという自負があったように思えるのだが事実はどうだったのか。そんなことはなかったのではなかろうか。
手塚治虫の伝説はいまもなおあちこちで語られる。
他の漫画家への執拗な批判、嫉妬など。時代から取り残されていく足掻き、執念など。
本作ではヒットラーの実際の戦闘場面はなく描かれるのは彼が周囲の人間を信じられなくなり罵り処刑していく姿である。その姿は狂気であるが手塚治虫はそれをどんな気持ちで描いていたのか。
これは自分でもある、という気持ちが働いていたのか、それともまったく共感しがたい人間として描いたのか。
手塚治虫は日本に「マンガ王国」を作り出そうとしたのではないか。
むろん自分自身が王でありたいと望んだだろうし皆が自分を王としてくれると信じていたはずだ。
それはヒットラーのような独裁政治でもなく戦争という暴力でもなくそうあるはずだと思ったのではないか。
だが手塚治虫が行ってきたものがほんとうに暴力ではなかったのかというと必ずしもそうは言えないように思える。
あの恐ろしいほどの仕事量は暴力でない、といえるのだろうか。
何度も描きなおすことは暴力ではないのだろうか。
手塚治虫は自分でも気づかないうちにヒットラーになってしまっていたのだと本作で描いたのではないか。
そう思えてならないのだ。
この文章は数々の証言を省略して書いている。
偉大な作家である手塚治虫とヒットラーを重ねて書くことは間違っているかもしれない。
が、私は手塚氏自身が自分をアドルフに重ねて描いたのではないか、と思っているのである。
自分の中に三人のアドルフ=オサムがいる。
甘えん坊のオサムと明るい正義のオサム、そして暴君のオサムである。
それを手塚氏は三人のアドルフ、エリートだが悩み続けるアドルフ、逆境にもめげず明るく家族愛を持つアドルフ、そして自分に逆らうものをすべて粛清していくアドルフだ。
その対比はあまりにも異質にも思えるが手塚氏自身がそう比喩したのではないか。
『アドルフに告ぐ』は『オサムに告ぐ』であり本作はナチスとヒットラーを悪とした戦争物語の表層を持った自己分析マンガ作品である、というのが私の今回の本作感想だ。
昨日は「ここには天皇と大日本帝国政府・軍部への批判がない」と疑問を呈したがそれは当然だった。
手塚治虫の自己分析はあくまでも自分をアドルフ・ヒットラーに見立てたものであってそこに日本天皇と軍部は関係していないからだ。
彼はこの世界に自分の理想とする「マンガ王国」を作りたいと願いかなわなかった。
マンガは個々人が勝手に描くものであり王国の住人として存在したくないのである。
手塚治虫は手塚治虫に告げたのだ。
何をだろう。
わからないがビラには「男なら卑怯な真似をするな」と書かれている。たぶん彼は男らしく自分自身に告げたのだ。自分自身が何者かを。
本作はどう読んでも峠草平が主人公のようだが彼があくまでも「狂言廻し」だと名乗るのは本作の主人公は三人のアドルフ=オサムなのであって峠草平ではないからだ。
では峠草平はなんなんだろう。
彼は手塚治虫が苦手としていた「スポーツマン」だった。(スポーツ漫画が苦手という意味)
頑健な肉体派で女にモテモテである。
知的でもなくオタクでもなさそうだ。
早く死んでいったアドルフたちと違い長生きする。
彼は手塚治虫ではないのだ。
だから狂言廻しとしての役割となる。
やはり『アドルフに告ぐ』はとんでもない作品だった。