2025年「笠間書院」
SNSで遭遇し気になってしかたなかった。ついにページを開きます。
ネタバレします。
「序にかえて」
作者氏は1990年代から2000年代「過疎化」「ひとがいない、ここにはなにもない」という北海道の地域社会で子供時代を過ごしたという。
いきなり私の話になるが、私自身は真逆の南方の地方生まれ育ちだ。都市部だったせいもあるがまさに高度経済成長期もあって人間が増えて増えてしょうがない時期が子供時代だった。
70年代などは「地球が人であふれる危険性があるために人口抑制をせねばならない」という国際会議があったような時期でもあるしマンガでも人口激増の恐怖が描かれていたような時代だった。
その時はその時で「大丈夫なのかな」と思いはしたものの子供がどうこうできるわけもなくそして世界は次第に少子化の傾向を走っていく。
国際的に危惧した人口激増は無事抑制され逆に本作作者氏のように「過疎化」の恐怖を味わわねばならなくなる。
極端だ。
相変わらず同じような地域に住んでいる私だがやはり少子化の波は確実に影響がある。
過疎化の心配はないがそれでも子供の数は少なく小中学校の合併などが行われていく。
自分の子供時代との大きな変化は否応でも感じられる。
さて本文に戻る。
作者(道民氏と書こう)道民氏の地域はそれでも小学校と地域の濃厚なつながりで
皆が一丸となって学校行事を行っていたという。ひなびた漁村で学校は活気ある唯一の場所だった、と記される。
だがその小学校の廃校が決まる。地域では学校を中心とした歴史や地域の話をまとめ閉校記念誌として地域の歴史を記した本が各戸に配られ、小学校の建物も解体せず利用していこうという活動が始まったという。
小学生たちも地域の歴史を演劇として上演し最後に学校への感謝を述べ校歌を唱和して感動のエンディングを迎えたという。
だが物語は美しく終わっても現実は続いていく、と道民氏は綴る。
劇的な死よりも緩やかに衰える死の方が残酷である、と。
あれほどみんなで行った地域活動は学校の終焉と共に急速にしぼんでいったのだ。
苦心して集めた資料は施設に死蔵され歴史的価値があり保存すべきと判断された校舎も半年もしないうちに解体されたのだ。
道民氏は子ども心に「どれほど嘆き憂いてもその時は来る」と悟ったのだった。
さらに故郷の集落は衰退していく。
道民氏がおとなになるにつれそして成人して以降故郷は確実に消えていったのである。
ここで氏は「だが誰でも一度は大切な思い出の場所、人がなくなってしまう悲しみを抱いた経験があるのではないだろうか」と書くのだがもしかしたら私はそれを抱いたことがないかもしれない。
卒業した学校はどれもいまだ存在しており子供時代に住んでいた団地まで(さすがにないだろうと検索したら)まだある。これは物凄い幸福なことなのだ。
反省せねばならない。
第1章 北の斜陽
───消える北海道の産業、そして街・・・
ではなぜそうのような「消滅体験」の無い私がこの本を読んでいるのかといえば道民氏にはほんと申し訳ないけど「衰退・消滅への憧れ」があるのだ。
いや失礼だ、無神経だとは思うがその感情が本作を求めた原動力なのである。
この章を読んでいても衰退していく人々への憧れが湧いてきてしょうがない。
消えゆくものへのゾクゾクする衝動があるのだ。
思えば私が最近になって「日本近代史」に猛烈な知りたい衝動を起こしているのも「高度成長する日本」「バブル期日本」にはなんの憧れももっていなかったのがここにきて「消えゆく日本」にワクワクしていると言って過言ではない、ということだ。
「消えゆく日本」なんという美しい言葉なのか。
日本が消えてしまっても「人」は生きて行く。それでいいと思っている。
この記事はインターネット上に出すのだから道民氏がこの文章を読むこともあるかもしれない。
また同じように過疎化に悩み悲しむ人々も読むかもしれない。
私自身、田舎町に住んでおり過疎化とまではいかなくとも日々周囲は寂れていくのは感じている。
たぶん日本中がもしかしたら世界中がそうなのかもしれない。
その中で「寂れていくことに美しさを見出している」「ゾクゾクする感情が沸き起こる」と書くのはおかしいのかもしれない。
だけどもそもそも「廃村」だとか「廃工場」などに萌えを感じている人々は同じ種族なのだ。日本人として「寂」を感じる機能は据え付けられているのではなかろうか。
この第1章はそんな「寂」の心を満たしてくれる。すばらしい「寂」である。
一時期隆盛した場所ほどその寂はよりいっそう心をかき乱す。
石炭産業は九州でも大きな産業であり莫大な富をもたらしたがそれと同時にそこに携わる労働者への過酷な生活も作ってしまう。
大きな事故や病気、人種差別などの問題も起きた。
そんな炭鉱も次第に下火となっていきそれに伴って人びとの数は減り町は衰退していく。
道民氏の文章は衰退消滅していく故郷への悲しみが純粋につづられているので私は後ろめたい。
所詮はそういう体験をしてこなかった者のたわごとにしかすぎない。
自分は関係ない場所で眺めているだけなのだから。
さてこうして消滅萌えの民の読書は続く。