2004年「ニュー・ライン・シネマ」
また変な映画を観てしまいました。
ゴズリング探求はなかなか大変です。
ネタバレします。
アメリカ映画はどうしてこうも男性の純愛物語という話が好きなのか。
特にこの物語はどうしても有名作品『グレート・ギャッツビー』を思い出させる。
裕福な美女と恋に落ちた貧乏男が彼女を一生思い続けるという設定だ。
ギャツビーではその時間は短かった。いわば本作は『ギャッツビー』の再挑戦篇でもっと長生きしもっと長い時間を純愛し続ける、という作戦である。
純愛の物語が嫌なわけではなくむしろもちろん喜ばしく賛辞したいものではあるが、単純にそのことだけでひとつの作品にしてしまうのは逆に言えばそれほど「一生きみだけを愛し続ける」という思想は困難だということだろう。
加えて「ひとりの人だけを愛し続ける」という思いは周囲の人間を傷つけていく。
いわば「自分たちだけ気持ち良ければそれでいい」という話になってしまうからだ。
それはそれでエゴイズムを突き抜ける面白さがあるといえばそうだが。
そしてそんな自分勝手さを薄めるために本作映画(原作もだろうけど)は巧妙な構成で仕掛けてくる。
冒頭で老人ホームのふたりから始まるのもずるいではないか。
「これは軽薄な話などではない」というわけである。
自分的にはこの作品が「君を愛し続けていた」という話ではなく殺人だとか金のありかを見つけたいというような設定で作られていたら物凄く感心したかもしれない。
彼女だけがその秘密を知っていて聞き出そうとするノア。
もしくはノアを装っている別の男。
だがついに彼女は秘密をばらさずに死んでいく・・・・。
それが『きみの読む物語』であったらば。
とはいえ目的のライアン・ゴズリングは前回の『完全犯罪クラブ』の”偽金持ち坊っちゃん”に比較して見違えるように魅力的になった。
ほんの2年ほどでの変化である。
ところで私としては冒頭のアリー&ノアの恋愛場面は置いとくとしてもアリーのニューヨークでの大学生活にちょっと見入ってしまった。
ここは日本人にとってかなりショックな場面のはずだ。
「第二次世界大戦」時期なのにもかかわらずアリーはニューヨークで華やかな大学生活を過ごしている。
戦争へ行ってケガをして戻ってきた兵士たちをボランティアで看護しているのだがその次の場面では大笑いしながら友人たちと街を歩いている。
そこにかっこいい将校がいて自分が看護した兵士だと気づく。これが婚約者になるロンである。
日本では裕福な階級であっても太平洋戦争時はシビアな生活を迫られたがアメリカの富裕層はこのようなものであった。
と、パトリシア・ハイスミスの伝記的著書を読んで知った。
同じ時期に大学生だったハイスミスはモンペははいてないし自分にとって大切な女性たちとの恋愛に夢中だった。
そんな国と無謀に戦っていた日本人よ。
そして本作映画が日本に配給しやすかっただろうもうひとつの件はゴズリング演じるノアが太平洋方面ではなくロンメル将軍と戦っていたからだろうか。
ここで日本軍が出てきていたら若干日本観客が引いてしまっただろう予感はしてしまう。(夢から覚めてしまう)
あの『ジョーズ』では太平洋戦争が題材になっていたが会話だけで映像がなかったのが幸いしたと思う。
しかし原爆を運んでいたんだよ。その帰りに鮫に襲われたんだ。(ある意味罰が当たったとスピルバーグは言いたかったのでは、と思ってる)(まあ誰かが運んだろうけど)
というわけでこの映画、本筋は置いといて「第二次世界大戦」時期の描写があることで私にとっては重要な作品になってしまった。
富裕層にはほとんど影響がなく、貧乏人のノアは戦争に行かねばならなかった。大学に行っていないからだ。
ノアだって友人と共にもしくは彼だけ死んだ可能性だってある。
貧乏人は悲しいね。