2023年「彩プロ」
裁判ものを観たいと思って探し出てきたのが本作でした。
日本映画のようなのに監督も脚本も日本名ではない。
出演者は日本の俳優。
さらに裁判の映画である。
不思議と思いながら鑑賞しました。
ネタバレします。
監督はアンシュル・チョウハン。インドのかたであった。
私はインド映画をほとんど観ていないのできちんと観たインド人監督作品は初めてかもしれない。
脚本はランド・コルターとあるがこちらはプロフィール不明。外国の方ではあるようだ。
かなりの低予算で製作されたのであろうと思える品質であるが他の諸々映画作品がなかなか最後まで観通せないのについつい観続けてしまった、という感じだった。
しかも物語を引っ張っていくメインの俳優たち尚玄、MEGUMI、藤森慎吾の三人の演技がどうしようもないほどの”下手”で通常ならここで止めてしまうはずなのだが本作においてはむしろこの三人の素人臭い演技がまるで事件のなかの当人たちが演じているかのようにさえ思えて奇妙なリアルさを出してしまったのである。
確かに現実の人間はカッコいい決め台詞など思いつくはずもなくその上言わなくていい馬鹿な言葉を発してしまうものなのだ。
このトンチキな俳優三人の醸し出す泥臭さがこの映画を観る価値のあるものに変えてしまった気さえする。
その中で唯一松浦りょうだけがそういう人生を送ってきたかのような佇まいで観る者を圧倒しいていた。
変に力の入っている弁護人もおもしろかった。
この映画の面白さは日本人監督には作り出せないものなのかもしれない。
そう、本作は奇妙にリアリティがあるのだ。
事件は七年前、17歳の高校生女子が同級生の女子に殺されたというところから始まる。
犯人の女子は20年の刑を受け服役中だが弁護士は「未成年者に対して不当な刑罰だった」として七年後に再審を起こし釈放と共に賠償金も要求する心づもりであった。
再審には被害者の両親で今は離婚しているふたりが証言に立つことを求められた。
殺された娘のために「絶対に犯人を許さない」という父親は実は犯人の母親から多額の金をもらい受けこの七年間ほとんど働かずに酒浸りの日々を送っていた。
作家と名乗る彼はこの七年間仕事もせず、離婚し、部屋は荒れ果てほぼアル中になっていると見える。
被害者の母親だった女性は再婚しやっと幸福な時間を取り戻していたのにこの裁判に出たことで精神のバランスを崩し新しい夫にあたりちらす。元夫とセックスするが彼に対しても怒りをあらわにする。
その中で彼女は自分の娘を殺した犯人から会って話したいと希望され話をする。
この話自体もそれほど核心を突くような濃厚なものではない。
だが母だった女性は証言に立つことをやめるのだ。
その後の裁判で犯人は長い間沈黙してきたことを告白する。
犯人は被害者に長い間、酷い苛めを受け続けていたのだ。
父もいず、母親からは放任され彼女は逃げ場所がなかった、と。
が、その証言を聞いた被害者父は怒り立ち上がる。
今更自己弁護で誤魔化すなと。
父親だった男は酒浸りの日々の中、元妻から犯人と会った話を聞き思い立つ。
自分も会ってその女を殺そうと。
父親は袖にガラス片を隠し持ち犯人女性と会い思いきり罵る。
「お前が死ねばよかった」と。
だが犯人女性から感謝の言葉を聞きやり直したいという言葉を聞くうちに手の中のガラス片を握りしめ血が滴りだす。
父親は立ち上がってその手をポケットに入れる。
再審によって犯人は釈放、だが賠償金なし、となった。
登場人物の様々な思いが表現される。
縁起下手の三俳優たちの奮闘がしのばれる。
人生というのは人間というのはこの三人俳優たちのようになにもかもうまく表現できないものなのではないか。
そしてもっともうまく表現できなかったのは被害者と加害者の少女たちだったはずだ。
もしかしたら彼女たちも何かをできたかもしれなかった。
その可能性をつぶしてしまった、という意味において確かに犯人の罪は重いのだ。
なぜ彼女たちにもっと良い人生を選ぶ機会が与えられなかったんだろう。
そのことが悔やまれる。
だけども人生はそうなってしまった。
誰もが失敗し誰もが赦されて再び歩みだす機会を与えられるのが望ましい。
その機会を潰してはいけない。
彼女は一生罪を贖い続けるのだ。
そしてそれに関わることになった人々もまたそうだ。
『赦し』ということがどういうことなのか、自分で考えるしかない。