ガエル記

散策

『松本清張の女たち』酒井順子  その1

2025年「新潮社」

松本清張小説をほんの少ししか読んでいないのにこの本を読んでいいのか迷ったがやはり気になり手に取ってしまいました。

松本清張の小説の魅力と人気は女性たちの存在にあり、と思っているからです。

一時期にはベストセラーとなった本の多くは廃れていきますがその中で松本清張の小説は今もなお高い人気を保持しています。

それはむろん清張ミステリーの面白さであるのは確かですがもうひとつかつての他の小説にはなかった「女性の存在」が大きいのではないでしょうか。

そう考えていた私の目の前に出てきた本著『松本清張の女たち』さて読んでいきましょうか。

 

 

ネタバレします。

 

 

女性誌と松本清張

 

1初めての女性誌連載

───『神と野獣の日々』『大奥婦女記』

のっけから面白い。

明治42年(1909年)に生まれた松本清張は太宰治と同い年である、というのだ。引き合いに出す意味はある。まったく違う存在である印象で別時代の人物のように思えるからだ。

ただしその活動期は完全にすれ違っている。

同年に生まれながら太宰治は小説家として活動して後1948年に自殺にて死去する。

一方の松本清張は貧苦の中様々な仕事を経て賞金目当てに小説を書き1951年に処女作『西郷札』が入選したと記されている。

同年生まれのふたりは三年の時を隔てて小説家として存在するのだ。読者にとってまったく違う時代の作家だと認識しても当然である。

大地主の息子として生まれ東京帝国大学仏文学科に入ったものの仕送りをもらいながら女との浮名を流し情緒不安定で自殺ばかり考えていた太宰と出生地も定まらないような生い立ちで貧苦の中小学校卒業後は働きながら文学に浸る。貧しい中で結婚し子どもを授かるものの太平洋戦争では35歳で一家を養わなければならない状況でありながら召集される。戦後も仕事がない状態で藁帚を売り生計を立てながら懸賞小説を書き入選したのは四十歳をすぎてから、勤めを辞めて専業作家となったのは四十六歳の時だった。

その後の清張は怒涛の如く小説を書き続ける。

悔しかっただろう。清張の能力をもって四十六歳までの作家生活があれば、と考えたに違いないのだ。

ほぼ二十年以上四半世紀の時間を彼は作家として生かせなかった。

その後の活動の凄まじさはその時間を取り戻した一念だったはずだ。

 

そして松本清張は遅まきながら作家活動に没頭する。

酒井順子氏は語る。

清張の執筆が最も多かった頃、日本は高度経済成長期を迎えていた。ぐんぐんと発展を続ける日本が抱える成長痛や、貪欲に上を目指す人間が内に秘める暗部を捉えた清張の小説は大人気となり、1960~70年代は、いわゆる長者番付の作家部門でトップの常連となっている。

ちなみに太宰があれほど欲しがった「芥川賞」も松本清張は手にしている。後にミステリー界の大御所となる清張が「芥川賞」をとっているというのはいつも不思議で見直してしまうところだ。間違いなく松本清張は第28回芥川賞をとっている。作品は「或る『小倉日記』伝」である。

 

松本清張小説の人気は今現在もとどまらない。

映画やドラマの原作にもいまだに使われる。

しかも最近は海外でも松本清張作品が人気となっているという。

(これは今頃?という気もするが昨今日本の小説がやたら海外で人気があるという話にはなにか秘密があるのだろうか)

 

酒井順子氏はこの人気の理由を「清張人気の陰に女あり」と書く。

私がこの本を手にした理由でもある。

かつて小説の書き手は圧倒的に男性が多かった。

自然主人公は男性となり女性は主人公の恋愛の対象として描かれていく。

時代背景もあって社会には男性が大きく比重を占めている。どうしても小説の登場人物はリアルを求めるほど男性が多くなり女性は母・恋人・妻・娘・愛人・職場での部下となる。さすがに上司ということはなかっただろう。

小説作品で物語に集中するほど男性登場が多くなり、女性は息抜きという形で描かれることが多かった。

ミステリーであればこれに「被害者」という役割が加わる。

残虐に悲痛に傷つけられ殺される役にぴったりなのが女性なのだ。

若く美しく愛らしい女性が殺されるほど読者の興味を惹きつける材料となる。

それゆえにかつての作品は小説だけでなく映画やドラマやマンガなどでどれほどの美しい女性たちが殺されたかわからない。

清張作品でもこの表現が皆無なのではない。

先だって読んだ『砂の器』でも弱き女性が殺されていった。

だが同時に映画では表現されなかった「女性の活躍」が清張小説には存在する。

映画では丹波哲郎演じる刑事には妻の存在が見えないが小説ではかなりの割合で描かれ夫婦が出かける場面もあるし妹も登場する。その二人の女性の会話が謎解きの手掛かりになったりもする。

私が今では『砂の器』は映画よりも原作小説が良い、と思っているのはこの点もある。

詳しくは拙ブログの『砂の器』をご参照あれ。

 

読者にとって自分が共感できる存在は重要だ。

女性読者にとっては「魅力的な男性が登場するか」だけではなく「魅力的な女性が登場するか」によって読後感が大きく異なる。

「この魅力的な女性」というのはもちろん女性にとって魅力的な女性ということだ。

主人公であれば当然のことだが脇役であっても単なる恋人役だけではなく主人公を重要な意味で補佐する、助言する、など男性キャラクターと同じように描かれている作品には惹かれてしまうのだ。

 

ここで酒井氏が取り上げるのが『神と野獣の日々』である。

なんとこの作品は松本清張唯一のSFであるという。

私は未読だ。

この作品では核ミサイルが東京に向けて発射され壊滅まで残り四十数分という中で男性たちが女性たちをレイプしていく様が描かれるという。

そこで女性たちは特に人妻たちは世間的な呪縛が解き放たれ身体が燃え立った、というのである。

小説発表時期は昭和38年(1963年)まだまだ一般的な人妻は結婚制度に縛られた存在であった。

そんな時期に清張は女性、特に人妻の「男性に従属せねばならない」という意識に隠された欲望を感じ取っていたのだろう。

そしてこの小説の初出が「女性自身」だったと知って酒井氏は合点がいったという。

つまり男性誌向けのエロ演出ではなく女性に向けて「レイプされる人妻の欲望」を描いた、ということが重要な鍵である。

 

2 お嬢さん探偵の誕生

お嬢さん探偵とは、と思っていたらそれは『ゼロの焦点』のことだった。

『ゼロの焦点』の謎解きはうら若き女性がしていくのだがその女性は若いとはいすでに結婚しているのだからお嬢さんとは表現されないのかもしれない。

とはいえ小説冒頭でヒロインはほとんど何も知らない初心な女性であったのが見合いしてすぐに結婚後あっという間に夫が失踪しやがて殺されたと知らされる。

この事件は新妻であるヒロインがまだほとんど何も知らない状態だった亡き夫の足取りを追っていくという形式になっている。

そして世間知らずの若い女性が社会を勉強して成長していくのである。

酒井氏はそうした女性誌長編に登場する女性探偵役のことを「お嬢さん探偵」と呼んでいる、と書いている。結婚していようといまいと精神がお嬢さんだからだという。

しかも『ゼロの焦点』には名探偵は登場しない。

ヒロインの追跡がすべてなのだ。

『ゼロの焦点』は「断崖絶壁での告白」というドラマ演出を生み出したがこの「お嬢さん探偵」も生み出していたのだ。

 

もう一つ酒井氏はこの章で松本清張がかつてのミステリーの定番だった江戸川乱歩的な探偵小説の『お化け屋敷』からリアリズムへと移したと書く。

江戸川乱歩は好きなので否定する気はないが確かに「お化け屋敷」の掛小屋ではある。

松本清張は「生活に密着した、われわれ自身がいつ巻き込まれるかわからない現実的な恐怖を淡々と描くことで大きな戦慄を感じさせる」ことを目指した。

ここで酒井氏が「江戸川乱歩の読者はほとんど男性だった」と記述していることには長年の乱歩ファンを自称する女性である私は否定するが松本清張の考え方には賛同である。

しかし乱歩ファン女性は多いのではないか。初めて聞いたよ。乱歩の女性ファンがいないなんて。(コナンくんファンも女性が多いだろうし?江戸川コナンだもんね?)これはちょっと異議あり。

 

 

3 お嬢さん探偵の限界

───『青い描点』『黒い樹海』『紅い白猫』

この章はある意味、私にとって大きな収穫だった。

酒井氏がいう『ゼロの焦点』で清張が生み出した「お嬢さん探偵」(人妻)のシリーズはその後も二作書かれているのだという。

ここに見られる特徴は女子大出の編集者という設定である。

酒井氏は記述していないが清張氏が何故この設定を決めたのかというのは自分自身に女性編集者が担当に付いたからというわけではないのだろうか。

清張は自分担当の若い女性編集者に話を聞いて物語を編み出したのではないか。

酒井氏は松本清張が描くお嬢さん探偵は人妻たちと違いツルッとして記憶に残りづらく清張作品の中でも名作としてカウントされていない、と記す。

が、知らなかっただけに私としては大いに興味をそそられる。お嬢さん探偵の手助けをする青年というのも気になるところ。

松本清張のお嬢さん探偵、読まなきゃ。

 

4 初めての恋愛小説

───『波の塔』

一躍人気作家となった松本清張だったが自身の生きざまのせいもあり浮かれた話は苦手であった。

私の印象もそうである。

そんな清張氏は自分より二十歳以上も若い男性編集者に「早く女を描けるようになってくださいよ」と言われ応えて生まれのが『波の塔』だったという。

清張初の恋愛小説なのだ。

ところがこれが屈指の名作となり連載した「女性自身」の部数がそれだけで十万部も伸びた、というのだ。

とんでもない話である。

さらに一年間の連載後、昭和35年(1960年)映画化され有馬稲子(昨日観たばっかり)と津川雅彦というキャスティングで大ヒット。ふたりの逢引の場である深大寺も大ブレイクしてカップルが激増したという。凄いなあ。

しかもこの作品で富士の樹海が死に場所として登場したことで有名になったらしいのだ。知らなかった。

松本清張、あらゆる大ブレイクを引き起こしているのではないか。

しかも清張氏の「私はヒロインを自殺させてもその死体を他人の目に触れさせたくありません」という言葉が響く。なんという優しさだろう。

ヒロインの死を娯楽にしている多くの者たちに聞かせたいものだ。

とはいえこの「富士の樹海」は人びとに大きな印象となり「自殺する女性が増えていった」のはなんとも言い難い。

 

それにしても松本清張の魅力を私はまだほんの少ししか知っていないのだと改めて気づかされた。

「富士の樹海」には参った。

そうだったのか。

自殺を覚悟した女性が「富士の樹海」に入っていく、という構図は本当に意味が深い、と思わせるではないか。

どうしてこんなことが思いつくのだろう。