1959~60年「週刊コウロン」連載/1961年「中央公論社」
1959年3月実際に起きたBOACスチュワーデス殺人事件を元にフィクションの形で推理した著作である。
ネタバレします。
先日読んだ酒井順子著『松本清張と女たち』の中でも特に気になった本作。
早速読んでみた。
かなりの長編でありどこまでが事実でどこからがフィクションなのかわからないのだが松本清張だからほぼ事実なのではと思いながら読み進めた。
とはいえ冒頭はスチュワーデス殺人事件のかなり以前の時点から始まる。
この作品ではなぜか神父が信父と表記されている。
これは当時そのような表現があったのか、松本清張氏がこのような人物を「神父」などと書きたくなかったからなのか、また別の意図があるのかわからないのだがこの記事では書きやすいように「神父」にしてしまう。ご容赦を。
登場するのも殺人事件の犯人となる神父ではなくいわばその手引きをした一人となる年かさの神父である。
さらに江原ヤス子という37・8歳の小太りの女というのが出てくるのでこれがスチュワーデス?と不安になったが無論そんなことはなかった。
が、物語はじっくりと江原ヤス子とルネ・ビリエ神父の交流を描いていく。
場所は東京北郊武蔵野。雑木林があり都会と田野が錯綜する地帯であった。
尖塔を持つグリエルモ教会に所属するビリエ神父が毎日のように通うのが江原ヤス子の屋敷であった。
江原は閑静な住宅街に立つ大きな屋敷に数匹の大きなシェパードと共に一人きりで住んでいるのだ。
そんな彼女の家にカトリック神父が日参しているのは聖書類の翻訳をするためであった。
なんとも意味ありげな光景ではないか。
この時に周囲の住民が「カトリック神父が独身女性の家に足しげく通うのは怪しい」などと言おうものなら信者たちは眉をあげて怒るか憐れむように諭すかであった。
「ビリエ様の穢れのない澄み切った美しい目をごらんなさい」と。
これは実際の事件でカトリック信者である田中氏が神父を庇う時に行った台詞をそのまま使っている。清張氏あの言葉がかなりおかしかったのだろう。
驚いたのは江原ヤス子とビリエ神父の出会いはさらに以前であり、太平洋戦争中に迫害を受け監禁されたカトリック神父たちを江原ヤス子は単身命懸けで食料を集め野尻湖を泳いで届けるという行為を続けたというエピソードであった。
この話は何らかの事実からなのかすべて清張の想像なのか。
とにかく戦争は終わり神父たちは江原ヤス子の献身で命永らえ東京の教会に戻る。
ここからはカトリック教会の巻き返しが始まるのだ。
敗戦によって日本社会は立ち行かなくなる。
人びとは常に乏しい食糧を得ようとしても飢えていた。
そんな中でカトリック教会は海外の支援物資(ララ物資)を得てそれを横流しすることで金もうけをしていたのだがそれは「主のみ恵みを広めるために行っている」ことであり他の商売とは違う正当なものであると考えていた。
特に砂糖は当時の日本人がもっとも欲しいものであり収益は莫大なものとなっていった。
江原ヤス子の屋敷はその物資の隠し場所ともなっていたのだ。
ここにひとりの若い、22・3歳の青年神父が登場する。亜麻色の髪と碧い目を持つ長身、整った顔つきの宗学生シャルル・トルベックである。
これが事件の主犯と見られるベルメルシュ・ルイズ神父がモデルとなる人物だ。
松本清張はここから殺人事件にいたるまでの物語を小説として丹念に描いていく。
犠牲者となる生田世津子(小説内の名)もモデルとなった女性の記録と重なる。
幾人もの男性と交際のあった彼女は「尻軽」「多情」と呼ばれていたようだが清張氏はそのままに記した上でなお彼女が「神父が犯罪を勧めることを拒絶した」と書く。
その時の教会なんと「麻薬密売」を生田世津子に担わせようとしいていたのだ。
一方の青年神父もまた生田世津子を本気で愛しながら教会上部からの圧力を受け本人は貧困を背負う家族へのしがらみから逃れることができずついに愛する世津子を扼殺してしまうのだ。
つまり犯人となった神父もまた上層部の権力による犠牲者だった、と清張は描く。
さらに日本の中のカトリック信者は政府内にも及び政治高官からの圧政によって警察とマスメディアは抑え込まれてしまうのだ。
単なる「痴情のもつれ」で処理されようとしていた事件は宗教と政治の世界の権力闘争に及んでいく。
そして「たかだか一人の女の命」は無惨に見捨てられもしかしたらこれも犠牲者なのかもしれない青年神父は遠ざけられることで事件は終了する。
事件当時まだ何もわかっていなかった時に松本清張は若いスチュワーデス殺人を「外国人が犯人ではないか」と推理して発表したという。
これに異論を唱えた者もいたようだが松本清張の推理力に唖然とする。
自分で作り上げた創作のミステリー上ではなく実際の殺人事件の推理しさらに公に発表するのは大変なことである。
しかし清張の推理は当たっていたのだろうと思われるが無になってしまった。
その悔しさは如何ほどであったか。
後にこの小説は映画化されるがカトリック教会からの批判を受け短期間で公開が中止となったという。
さらにドラマ化もされたが私はどれも未鑑賞未視聴。
現在はネット配信もなく映像を観ることは難しいのは何らかの圧力か、と陰暴論をぶちあげたくなる。
いや、それこそ海外ではカトリック批判映画ドラマは幾つもあるのだが。
日本人は許可されないのかな。