1962年「京都新聞社」他(初出)
「マジで松本清張を読んでいこう!」と思い立たなけれ絶対読まなかった作品だろう。
先日の酒井順子著『松本清張と女たち』で酒井氏がなんとなく不満を持っているのが却って気になった。
ネタバレします。
ヒロインは井沢恵子、という。
物語は彼女が離婚して婚家から出たところから始まる。
離婚届に判を押して十五分後、恵子は米村から井沢に戻った。
恵子は冷静に挨拶をして出てきたのだが今になって腹が立ちなぜもっと汚いことを言ってやらなかったのだ、と身体を熱くしていた。
という描写を読むと判るが恵子はこの後、ずっと「ここは耐えて冷静に」と考えては「もっと怒るべきだった」と後悔する、の繰り返しをしていく。
ものすごくわかるのだが日本女性(とひとくくりにしてしまうが)のありがちな姿である。
発作的に爆発することができずおとなしく対応してしまい悔しい思いをした後で「なぜ私は叫ばなかったのか」と涙するのだ。
それが繰り返される小説を我慢して読んでいかねばならない。
それに比べると昨日読んだ『熱い空気』の家政婦・信子は雇われた家で不満を感じるとすぐに復讐していくスタイルであった。
本作は1962年著、『熱い空気』は1963年著である。
清張氏の思考が進んだのだろうか。
さて婚家を飛び出した恵子を夫の米村和夫は未練がましく追いかけてきて声をかける。
恵子は夫にうんざりしながら答える。
ここでふたりの一年間の夫婦生活が語られる。恵子は「一日も夫婦らしい思いをしたことがなかった」という。それは結婚初日目から姑のミネ子がふたりの間に布団を敷いて寝ることを強要したからだった。
最初は我慢していた恵子も次第に怒りがたまり最後には罵りあう大喧嘩となっていく。しかも恵子は姑に物を投げつけるという乱暴を働いてしまった。
こんなことをしてしまうくらいなら最初からきちんと言えばいいのに、とこちらは考えてしまうが当事者が追い詰められてそうなってしまうのだ、という状態を清張は丹念に描いていく。
その手腕の巧みさはとっくに知っているもののやはり感心してしまう。
恵子は警察に連行され、精神の異常まで疑われてしまう。
だがすべては夫の和夫が母に何も言えないことが原因なのだと恵子は思うがどうしようもない。
打開策は離婚しかなかった。
離婚した恵子は職を得ようとする。
実は結婚前の恵子は小説家になりたいとも思うほど文章が上手く一時、高齢女性作家高野秀子の秘書をしていたこともある。高齢の彼女がエッセイをうまく書けなかった時に代わりに書いたという秘密まであるほどだった。
最初は一年前つまり結婚前まで世話になっていた女流作家梶村久子を訪ねて職を紹介してもらおうと画策するが折あしく彼女の家にいた大村という胡散臭い男に良からぬことをされそれが梶村女史の不興を買って追い出されてしまう。
ところがその大村が親切に出版社を紹介し行った先で恵子は気に入られついに出版社で働くことになれたのだ。
ここから恵子の地獄の日々が始まる。
大村の紹介は下心からのものでそれ以降恵子は大村に付きまとわれる。入った出版社ではとにかく出会う男、出会う男、恵子に何かしら性的発散をしようとセクハラパワハラの連続なのだがこの時代にはその意識と言葉がない。
恵子は23・4歳ほどの年齢だ。男たちは彼女に対し「もう若い娘じゃあるまいし」と言い恵子自身も「大声を出して叫ぶような若い娘ではない」というのだが23・4歳は若い娘である。
この時代はとにかく女性が年をとるのが早い。だからといって知識や経験はまったくないのだ。
男たちはすぐに「きみが好きになってしまったんだ」と言うがそれはその時の性欲でしかない。
「結婚して男も知っているじゃないか」というのだがだからといってセックスを強要してもいい理由にならない。
いちいちあげつらっているときりがない。
私はいわゆる「ゲーム」というのをほとんどしていないのだが「セクハラパワハラゲーム」というのはあるんだろうか。
まさにそんな「ゲーム」世界に紛れ込んだと思しき恵子は数々のパワハラセクハラ体験をしていくことでみるみる消耗していくのである。
松本清張作品の面白いのは「カッコイイ男」がまったく出てこないところだ。
いや本当に清張は「カッコイイ男」を一人でも描いているんだろうか。
たぶん清張さんは「カッコイイ男」が嫌いなんだと思う。
世の中に「カッコイイ男」なんていないぞ、と思っているようだ。
なのに多くの作品で「カッコイイ男」が描かれ私たちは彼に憧れる。
でもほんとうは「カッコイイ男」なんていないのだ。
この作品は女性のハードボイルドなのだ。
男のハードボイルド、男が好むハードボイルドは彼を助ける友人がいたりするが恵子には誰もいない。異性も同性も誰も恵子の友人ではない。
「女三界に家無し」という言葉は現在では女性差別用語として嫌悪されているが私は「なんとハードボイルドな言葉だろう」と思った。
真にハードボイルドの世界を生きているのは女性なのだ。
女性はどこにも安住の場所はない。
自分で見つけるしかないのだ。
後半物語は意外な方向へと展開していく。
冒頭すぐに恵子に意味不な疑惑をかけて冷たい態度を取った女性作家梶村久子が男遍歴の末旅先で倒れ脳障害を引き起こして相手の男(出版社の上役たち)によって過酷な施設に放り込まれてしまうのだ。
これを知った恵子はかつての仕打ちをもってしても彼女に同情し助けようとする。彼女が書き残していた小説を売り歩いてなにがしかの金にして少しでも良い境遇にしてあげようとするのだ。
ところがこれさえも関わった男たちが邪魔をしあげくの果てには恵子が勝手に梶村久子の小説を売り飛ばして着服したと通報し恵子はここでも警察に逮捕されてしまう。
いったい何を書いているのかよくわからないだろう。
その当時、売れない女性作家は「出版社の男たちと寝ることで仕事を得ていた」と描かれているのだ。
これがどのくらい信憑性がある事なのかわからないがとりあえず梶村久子はそのような作家だったらしい。もともと美人作家で人気を得たというのである。
それが才能が尽きた時、肉体関係を持つことになったというのだ。だがその途中で倒れた久子を疎んじた社長が彼女を宿に置き去りにしてきた。恵子がそこへ向かったために今度は慌てて久子を最悪な施設にぶち込んだのだ。
当時このような低額入院できる施設というのがあったのか。
あまりにも悲しいその姿をみた恵子は久子を憐れみ彼女の小説でわずかの金を得る。
小説自体はもうかつての魅力を失っていたのだ。
ここでふたりの男が恵子からその金を分けてほしいと言い出す。一人は金に困った元夫、もう一人は重病の妻を持つ小心者の男だった。
恵子を貶めようとする社長たちはこの行為を「不正だ」として警察に訴えたという次第なのだ。
とんでもなく恵子をトラップにかけようとする社会なのだ。
ふたりの男たちが聞き及び慌てて金を払うことで恵子は釈放される。
世間の荒波(いわゆる男性社会というやつだ)に挑んだ恵子であったがあまりにも酷い社会のハラスメントに疲れ切ってしまい彼女は元夫和夫とよりを戻す。
恵子が去ってから彼は彼女の存在を再確認し姑ミネ子もそうだったという。そして最後に借金の用立てをしてくれたことで姑の気持ちはすっかり変わったというのであった。
再婚したふたりは今度は本当にアパートでふたり暮らしを始めた。
まるで初婚の続きをしているかのようであった。
酒井順子氏をはじめこの小説のラストは不満が多いようである。「清張は結局戦えない女は社会に出るべきではない、と言っているように思える」といった主旨だったと思う。
私も彼女たちの不満を知ってから読んでいたらそう思ったかもしれないが後で読んだ者としてはそういう意味ではないと思っている。
この作品を描くことで清張が訴えたい「社会のイヤラシイ男たち」の生態は思いきり暴かれた。恵子はこの時点でまだ25歳ほどだ。たぶんこの後出産育児もあるだろうし、そうした方がいい。その後で、もしかしたらその中で文筆活動もできるのだ。
25歳の時に思ったことですべてが終わるわけではない。
恵子はもちろん働いただろう。彼女の人生はむしろここからだろう。
酒井氏は『美しき闘争』というタイトルとはまったく違う「醜い社会」と言ったがこれも違うのではないか。戦おうと思った恵子こそが美しい闘争心を持っていたのだ。
とはいえ読みたいと思わせてもらえてよかった。