ガエル記

散策

『「スチュワーデス殺し」論』松本清張

1959年(昭和34年)8月「婦人公論臨時増刊「美しき人生読本」」

自分が購入した『黒い福音』には”これ”が収録されていなかったのだがここにあったので小躍り。

さて読む。

 

 

ネタバレします。

 

 

昭和三十四年六月十一日午後七時半、スチュワーデス殺しの重要参考人ベルメルシュ神父は羽田空港を後にしてエア・フランスで帰国の途についた。

警視庁では翌朝これを知って愕然としたという。

 

小説では「信父」という表記になっていたがここでは「神父」となっている。

「信父」とはなんなのだろう。

とても「神」という文字を使えるものではないという清張氏の批判だったのか。

それにしても殺人事件の「重要参考人」がそのさなかに帰国してしまえるというのはどういうことなのだろう。

やはり松本清張が睨む通り「日本人の立場の弱さ」ゆえなのか。

 

ここでまず清張氏はインテリと思われている文化人(自らもカトリック信者である田中澄江氏だが明記されていない)が「神父様はシロである。なんとなれば目がきれいで澄んでいる」とか「お祈りする様子は人に裏切られたキリストのようであった」という一文を書いていることを挙げて「率直に言うならばそのあまりに客観性のなさに多少おどろきをおぼえた」と書いている。

清張氏が言葉を抑えて書いているのに感心してしまう。

 

ベルメルシュ神父は警視庁で五回の事情調書を取られた後三週間放置される。

ドン・ボスコ社(と清張氏は記している。出版事業のため設立されたとある。小説の内容──聖書の翻訳出版──とも合致する。ベルメルシュ神父が属していた修道会である)は「もはやなんら尋問されることはないだろうと考えて帰国させた」と釈明している。

 

清張は「警視庁はこの事件を捜査中、途中である壁にぶつかりどうにもならなくなっていずれ適当な時期に神父に帰国してもらおうと考えていたのではないか」と書く。

三週間放置した、のも本来ならもっと時間を置きたかったが日本の報道陣が非常な騒ぎかたをしたのでやむなく帰国を早めたにすぎない、のだ。

そして清張氏は上層部がそんな政治的了解をしているのにもかかわらず第一線で働いた刑事たちが相変わらず地道な捜査をしていたのならその苦労に対し同情すべきだとしている。

 

まず清張氏は「この問題について特別の資料を持っていない。ほとんどの資料は各週刊誌に書かれた記事を基礎とし若干の補足的な資料を加えたものだ」としている。

それをもとに清張氏は推理していく。

ベルメルシュ神父=1920年7月17日ベルギー生まれ。1948年5月8日、日本入国。同年7月18日出国。

1956年12月27日日本再入国。だがこれは入管記録であり実際の再入国は1951年「宗教家として特別の措置を取った」来日後、目黒区碑文谷サレジオ修道院に修道士として入り伝道に従事。

入国後、この事件以前にも自殺未遂の女性がベルメルシュ神父の名刺を所持していたことでかなりの憶測がされたという。

 

被害者は武川知子氏。

1953年東京聖母女子短大卒業後神戸市灘区篠原北町万国病院に看護婦として就職するが二年後退職。患者Yと特別な関係になったため。

同年眼科に就職。同院のMと親しくなり婚約するもののYに付きまとわれこちらとも仲良く歩いているのをMに目撃され翌日叔父を頼って上京する。

オデリア・ホームに勤務。1958年12月BOACスチュワーデス試験に合格。

 

ドン・ボスコ社=サレジオ会は日本布教の拠点を拡大するために動いていた。戦後、闇ブローカーと手を結び救援の佐藤を横流しするという事件を起こしている。

 

1958年3月10日、武川知子さんの死体が発見される。

杉並区、神社の下を西から東へ流れる善福寺川にかかる宮下橋を渡り右へ土手沿いにざっと15メートルほど川下に下った地点である。

昼も夜も寂寥とした場所で汚い川である。

川幅約11メートル、水深40センチ、北岸は水面から3メートル南岸は4メートル。いわば小さな堀川という感じの川である。

遺体の衣服は乱れておらず化粧も取れていず苦悶の表情があまりなく二千二百円がハンドバッグに残っていたため自殺とみなされた。

が、一刑事が不審を持ちこっそり調査して一応解剖をしたところ喉に微細な溢血点と軟骨の骨折が見られはじめて扼殺という線が出たのである。

 

ここで各新聞社は被害者が美貌でBOACのスチュワーデスという近代的職業の若い女性というのでいろめきたって取材競争に狂奔した。

ところが当初早期解決という捜査本部の思惑は外れ予想外に難航し迷宮入りの声が早くも出てきた。

毎日の新聞を賑わしたスチュワーデス殺し事件も二十日を過ぎるころから書くネタがなくなり「壁にぶつかった捜査」とか「私はこう推理する」といった企画ものが載り、それを最後にこの事件の報道は紙面から姿を消したのである。

 

しかし新聞社は知らないが捜査本部だけがこつこつと捜査を続けていた。

4月12日、日曜日の夜、NHKテレビでは「日本の素顔」という番組を放送。

これは横浜入国管理事務所に貼り出された不良外人の写真を見せたのであるがたまたまその中の一枚の若い外人の顔写真に「これがBOACスチュワーデス殺しの有力容疑者です」と解説がついた。

これを見ていた各社の記者はびっくりして警視庁に馳せ参じたのである。

(小説でもこの箇所は読みどころであった)

 

松本清張氏は事件の詳細を表にして解析していく。

以降の清張氏の推理はほぼ小説『黒い福音』にそのまま書かれているものと言っていいだろう。

つまり殺人の容疑者は神父だとしてもさらなる第三者が存在するということである。

BOACの試験に合格した武川さんはそれほど語学が堪能だったわけでないのに五十人もの志願者を退けたのだがその後自身の語学の才能の無さを気にしてノイローゼとなりそれが自殺説の原因となっている。

学力の低い彼女が何故合格したのか。そこにある人物の存在があったのではないか、と考えられるのだ。とてもベルメルシュ神父がそのような権力を持っているとは思えないからだ。

以上のことから松本清張はこの事件が単なる愛欲から起きたものではなくもっと冷酷で大きな力によるものであったと考えるのだ。

非常に空想的な想像だが、として「ベルメルシュ神父が犯人だと仮定すると神父は武川さんに殺意はなく別の第三者によって指示されたのだ」と書く。

 

松本清張の論は次の言葉でまとめられる。

「しかし何といっても、この事件で最も当惑したのは外務省ではなかろうか。外務省の当惑(昭和三十四年七月十一日に、岸首相は無事欧米親善の旅に上がった)は警視庁の困惑だ。

明確なのは、この事件の捜査が壁に付き合ったのも、ベルメルシュ神父の帰国を警視庁が「知らなかった」のも、要するに日本の国際的な立場が極めて弱いからである。そして日本の弱さが、スチュワーデスという一個人の死の上にも、濃い翳りを落としているのである」

 

『黒い福音』には是非同時収録してほしい論考である。