ガエル記

散策

『清張が聞く!』1968年の松本清張対談

1968年1月号~12月号「文藝春秋」

1968年(明治100年)1月号から12月号まで、月刊『文藝春秋』で1年間連載された「松本清張対談」。これまで一冊にまとまっていなかった伝説の連載が、2025年(昭和100年)に、新たな脚注を加えて初の書籍化。

1968年=明治百年という対談企画が2025年=昭和百年に蘇る!という企画である。

ふうん?という気もするがなにしろ松本清張なので期待して読んでみた。

 

 

ネタバレします。

 

 

他の方のレビューを見ると大絶賛なのだけど私的にはそれほど・・・であった。

ただ単に読解力理解力がないだけかもしれないがあまり心躍らない。

「日本近代史」にぞっこんの今「まさにぴったり」の企画なのだが人選感覚が異なっているようにも思える。

女性が一人もいない、というのは「まさに昭和らしい」が私としてはあまりにも残念だ。

一番面白かったのは最初の対談「東久邇稔彦」だった。それこそ「昭和天皇と戦争」の話題であったので私には興味深いものだった。

 

東久邇氏は幼少期乳母の家である農家で育てられたというのだがどれほどの農家だったのかがさっぱりわからず。後に何か調べたい。

 

東久邇氏は昭和十年、永田鉄山を殺害した相沢三郎の挨拶を受けている。

また真崎甚三郎から天皇に関東軍出兵の説明をしてほしいと頼まれ断ったら仙台の軍隊に飛ばされたという。皇族に対してこの傲慢さよ。

この頃の薩長土肥の権力の凄まじさを感じる。

 

再読していると日米開戦を誰もが恐れていたのにいつの間にか始まってしまった、という表現になっていて気持ちが悪い。

近衛文麿が東久邇稔彦に「総理大臣になれ」と言いに来て「嫌だ」と答えている間に東条内閣が決まってしまったというのだ。

しかもそれは阿部信行という木戸幸一の親類が東条を推薦したからだ、というのだがその理由が「阿部と東条が親友だったから」という。それで戦争が決まってしまったのか。

 

東久邇氏は「石原莞爾をやめさせないほうがいい」と東条に進言したがかなわず、日本がインドシナへ南進している時に蒋介石と和平交渉してもらおうと頭山満を呼んだが当時の外務大臣重光葵が反対してダメになり、久原房之助に頼んで日ソ親善条約を結ぼうとしたがこれも重光葵が反対してできなかったという。

叶ったとして現実にどうなったかはわからないがこうして日本は追い詰められていくことになったのは後で知ることだ。

 

なお二・二・六事件における秩父宮と青年将校らの関係も「デリケートな話題になる」として明言をさけられてしまった。

全体的にぼんやりとした対談になってしまうのはいかにも日本的である。

 

他の対談ではまったく知らなかったのだが「江上波夫」(考古学者・東洋史学者)の「騎馬民族が日本を征服した」に興味を持った。

今のところ何もわからないが松本清張氏が対談をしているのだから興味を持つ意味はありそうだ。