2015年「講談社」
酒井順子氏で松本清張の小説の大枠を、この本で彼の生涯の細かなことを知ることができた。
これまでも清張氏の人生は自伝でも他の方の文からも聞いてはいたが本作はそれらになかった詳細なものが書かれていた。かなり調べられたのだろう。
ネタバレします。
考えてみれば多くの小説家は才能があるほど早くに小説家となってしまう。
逆にいえば社会での実体験がまったくないままに作家となってしまうのだ。
多くの場合は数編の小説を書いた時点でネタ切れになってしまうのではないのだろうか。
松本清張は82年の生涯のちょうど半分を小説書きではない人間として働いて生きてきた。しかも高等小学校卒業後両親の生活も背負って働かなくてはならず自由な時間はなかった。
高等小学校卒業(でしかない)という学歴は氏の職業選択にも響く。やがて国民的人気作家となった氏の前歴はやむを得ず担った印刷業であった。しかしデザインの才能もあったというのは驚きではあるが。
朝日新聞社でも正社員ではなくその度ごとの雇われ仕事を請け負う年月が長い。
その中で第二次世界大戦がはじまり当時すでに30代半ばとなっており妻子と両親を養いながら召集されることになる。
終戦後戻ってきた清張は藁帚売りをして糊口を凌ぐ。
小説を書いたのは「なにがしかの生活費になれば」という思いからだった、という。
この40年間を松本清張はそっくり作家としての材料にしていると作品を知れば知るほど感じてしまう。
無論すべての人がそうできるわけではない。しかし清張はその40年間を再構築して小説に書き続けて行ったような気がするのだ。
本作で最も心に沁みたのは「松本清張の親友・五郎くん」のエピソードだ。
清張氏は「自分は高等小学校しか出てないので他の人のような学友がいない」と嘆いていて事実私が今まで読んだ作品にも「親友」的な存在が出てこない。
「仲良しな関係」というのは『砂の器』の二人の刑事くらいだろうか。とはいえかなり年齢差のある先輩後輩という感じで「親友」というには遠い。
「そんな関係の友人がいなかったのか」と思っていたらこの本にはその一例が書かれていてほっとした。
それがあの(特に九州では有名な)湖月堂の五男である小野五郎という青年であった。
どういう経緯で親友になったのかは書かれていないが「ごろうちゃん」「せいちゃん」と呼び合う仲で清張氏は五郎が作った草野球チームに入っていたという。
なんと!
他では「スポーツは金持ちがする遊び。私には縁がない」と書かれていたのだがそんなこともあったのか、と微笑ましくなった。
この時の清張は何歳くらいか。結婚する二、三年前と記されているので24・5歳の頃か。
印刷画工として修行していた清張氏を湖月堂の息子であった五郎氏はこれまたなんと!兄のハーレーを借り出して清張氏はサイドカーに乗ってでかけたのだという。
なんという爽やかな青春の一幕か。
清張氏は弾むような気分で出かけたと書いているのだ。しかも五郎ちゃんは女学生に「親友の松本清張だよ」と紹介したのだという。
また草野球の時は倉庫からカルピスや氷のかち割やケーキやパンも持ち出して「セイちゃん、ついてきて」と一緒に運んだのだ。この時のカルピスの味が忘れられなかったのだと書かれている。
清張氏にこんなほんわかエピソードがあったのかと泣きそうだ。
ところが清張はこの話を『半生記』には書いていない。
五郎くんは1940年中国で戦死したのだ。筆者酒井氏は「遺族のことを配慮して多くのことを語らなかったのだと思う」と記す。
だが清張氏は彼の兄の妻(つまり五郎くんの義姉)である小野悦子氏と最晩年まで家族ぐるみで付き合っている。
松本清張は後に湖月堂の栗まんじゅうのTVCMにも出ている。当時まだ作品を読んでなかった私でさえ覚えている。
また酒井氏は清張氏が作家になってからユニフォームを着てバットを握るというパフォーマンスをしているがこの時親友・五郎氏を弔う気持ちがあったのではないか、とも書く。
私はそこまではと思ってしまうが、清張氏がスポーツ嫌いだというイメージがあったため「なるほどな」と納得する。
また五郎氏が戦死した二日後に生まれた小野昭治氏を清張は「五郎さんの生まれ変わりだ」と言って我が子のようにかわいがったという。
やがて昭治氏が上京していくと若者がとても行けないような上等なレストランに連れて行ってご馳走してくれたらしい。
ここでも筆者酒井氏が「親友五郎と一緒に遊べたらどんなに幸福だっただろう」と書くのでまた泣いてしまった。
これら、清張氏と小野五郎氏とのエピソードはこれまでの松本清張のイメージに新たな層を加えてくれた。
こうして松本清張は半生を家族を養う労働のために使い半生をひたすら小説を書くことに使った。
酒が飲めない清張氏は夜遊びをすることがない。
女性関係はあったようだがそのことすら「悪女を描けるようになった」という肥料にしてしまう。
清張氏自身はどう思っていたのかわからないが40年の年月をたっぷり執筆に注いでもらえたことに読者としては感謝するしかない。
まだまだ読み始めたばかりなのでたっぷり読むことができる。
喜びは尽きない。