ガエル記

散策

『遭難』松本清張/松本清張全集4「黒い画集」より

『遭難』1958年10月~12月「週刊朝日」

以前映画鑑賞した『黒い画集 ある遭難』の原作です。

 

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私はまったく登山などしないのですが何故か凄く山岳話に興味があります。楽しい方ではなく怖い話に惹かれるのです。登山遭難のyoutubeまで夢中で聞いてしまうほどです。

そんな私の心を見透かしたかのようなこの短編でした。

 

 

ネタバレします。

 

 

例によって松本清張はこの作品を反発から生み出している。

初出は1958年であるが当時登山ブームが起きていたという。

戦争も終わって10年以上が過ぎ日本国民にも少しゆとりが出てきたのだろうか。

が、ブームと同時に「遭難」の報道もしきりに新聞に現れてきたという。

清張氏はここで「その中で人間の作為的な遭難もあるのではないか」と疑う。

すぐに調査をする清張氏は実際に登山家に聞いてみたらしい。すると多くの登山家は

「岳人に悪人はいない」

と答えたのだ。

崇高な言葉である、としながらも清張氏は「しかし個々の人間の場合は必ずしもそうではあるまい」と意地悪く考えるのであった。

共感できる。

当の清張氏ご自身は登山の経験がないので登山家ベテランの話を聞き創作したのであるらしい。

そういうこともあってこの作品は登山経験のある人にはいろいろ不満と疑問が湧くものらしいが私にはとんでもなく面白い一作だったのだ。

 

松本清張が「犯罪小説で一番大切なのは動機である」と記していたのをつい先だって読んだばかりだが本作に関して動機はほんの付け足しのように書かれている。

「妻の浮気相手」というものである。

しかも今回は犯人には天罰が下らず犯人を追い詰めていった「被害者の復讐者である従兄弟」がまるで天罰のように滑落死してしまうのだ。

私がこれまで読んできた清張作品はすべて(と思うのだが)勧善懲悪でありいくら正当な理由があっても因果応報があてはめられていたと思うのであるが、いやこれも松本清張にとっての因果応報であるのか。

被害者は犯人の妻と浮気していたのにのうのうと犯人と登山しようなどとしていた。清張にとって「妻を寝取った男」を死へ追いやるのは当然の行動でさらにその男の庇護者もまた死へ追いやられるのは当然なのだ。

 

そして「岳人に悪人はいない」と言いつのる人々への復讐でもある。