『坂道の家』1959年1月~4月
六回もTVドラマ化されているというのはやはり本作の題材が「若い女にいれあげる中年男」というものだからでしょう。
松本清張小説は生々しい描写が凄まじく、だからこそ私は以前はまったく読むことができなかったのですがやっと読める体質となりました。
ネタバレします。
「若い女に入れあげる中年男」の行く末を生々しく描く本作である。
その経緯は想像通りそのままであってどんでん返しにはならないのも凄い。
いや、この頃はこの経緯がどんでんだったのか?
主人公の中年男・寺島吉太郎は四十六歳。小間物店を経営している。小さな店だが主人がコツコツと真面目に働いているせいもあってなかなかの繁盛をしている。
その店に二十二・三歳の化粧をしていない女が入ってきてルージュを欲しがるところから物語が始まる。すでにこの女の名が杉田りえ子であると書かれている。杉田りえ子からすべてが動き出すのだ。
単刀直入の素晴らしい導入部である。
ここではまだ女が美人であるとかは書かれていない。つまりひと目で男がぞっこんになってしまうのではないのだ。むしろ化粧をせず普段着の格好でルージュを散々いじってみては「気に入ったのがない」と言って出て行ったのだ。
接客をしたのは女店員で吉太郎は彼女を「気が利かない女店員だ」と見下げているところがある。
吉太郎はここではまだ何も思っていないのだがちょうど話相手になっていた外交員の男が「「バーかキャバレーの女の子ってとこでしょうな」と値踏みする。
この男がぺちゃくちゃとしゃべることで寺島吉太郎が「まったく夜遊びをしない堅物である」ことを紹介してくれるのだ。ここでこの男が「たまにはキャバレーくらい行った方が体の薬ですよ」と言い出すのがいわゆる布石にもなっている。
吉太郎は遊んだことがない。しまり屋で自分にも女房にも倹約を強いている。朝早くから遅くまで休むことなく働いてきた。近くに大きな小間物屋ができたのだがそれでも彼の店の方が人気があるのは何よりもそんな勤勉さ故だったのだ。
吉太郎の妻は痩せており年齢的にもすでに女性としての魅力は失われている。
それでも芳太郎は今の今まで仕事一筋であり小金をためることだけが楽しみだったのだ。
杉田りえ子が小間物店の扉を開けるまでは。
杉田りえ子が再び小間物店を訪れる。
今度は紙入れを見せて、という。紙入れとは財布のことであろう。またもしげしげと見て気に入ったのを見つけ「少し負からない?」と言い出す。吉太郎は「負かりませんがよかったら持ってらっしゃいよ」と答えたのだ。
ここで完全に吉太郎はりえ子の罠にはまったのだ。
つまり若い女に対して「支払いは後でいいよ」と言ったことで上に立つことになった。
この快感を覚えたことで吉太郎はりえ子にこれ以降ずっと「上に立つ快感」を覚えることになる。
男にとって「上に立つ快感」ほど気持ちいいものはないのだ。
たぶんこれまで一度もこの快感を感じたことのなかった吉太郎はこの時初めて「若い女に気前の良さを示す快感」を知ってしまったのである。
吉太郎はそこからもう坂道を転がり落ちるように(タイトルはこの意味なのか)りえ子から快感を感じるためにのみ生きていく。
次にはりえ子に「もう支払いはしなくていいよ」と言ってルージュをプレゼントしたいと考え始め一向に店に来ないりえ子に直接渡そうとアパートを探し出す。
彼女がやはりキャバレーに勤めていると知りとうとう初めてキャバレーなる店に行くこととなる。
そこで昼間とはまったく違うきらびやかな彼女を見て吉太郎はますますのぼせ彼女を指名するために大金を支払っていくのだ。
ここらまではまだ女房には見つかっていないようだ。
だが吉太郎の行動は止まらない。
キャバレーに行けば彼女は仕事上他の男とも付き合わねばならない。
吉太郎の嫉妬は燃え上がりりえ子を独り占めするために次々と何かと金を使う羽目になる。
それでも我慢ならない吉太郎はついにりえ子を少しばかり格上のアパートに引っ越させてテレビなどを与えて機嫌を取る。
1959年はテレビが特別なプレゼントであった時代なのだ。
りえ子には病弱な弟がいて彼のためにも吉太郎は金を惜しみなく使い彼女に感謝される。
とにかく吉太郎はりえ子の上に立ちりえ子を喜ばせ感謝されることに喜びを見出していたのだがそれは支配欲へと変わっていく。
吉太郎は坂の上の小綺麗な一軒家をりえ子に与える。
タイル張りの風呂付という当時としては珍しい上等な作りであるという。その頃はほとんどの人が風呂屋に通っていたのだ。
だがその家は高台にあるため買い物をするには坂の下にある商店街にまで上り下りする必要があった。これも個々に自動車を持つことなどない時代の描写だ。
りえ子は風呂には喜んだが坂の上り下りをしなければならないことには不満があった。
なんだかんだ言ってもやはり家事は女がするものという時代なのだ。吉太郎のためにりえ子は坂道を往復して酒や食事の支度をしなければならない。
状況は悪化していく。
結局、吉太郎が金を少し持っていると言ってもたかが知れているのだ。所詮小さな小間物店でコツコツ貯めた程度の金だ。若い女の身体に入れあげた吉太郎は仕事と金への執着はとうになくなっていた。
あっという間に預金高は減りついに吉太郎は残った四十万円(今の金としてはいかほどなのか)(検索してみたら160~200万ほどであった)を引き出してりえ子の家に転がり込んだ吉太郎に以前の勤勉さは微塵もない。ただただりえ子にしがみつき逃げようとするなら「硫酸でお前の顔をただれさせてやる」と脅す化け物になっていた。
この後にくる犯罪部分はむしろこの作品のオマケではないか。
りえ子はこのおぞましい中年男から逃れるために当時珍しかった「家にある風呂」を使い吉太郎を殺害するのだがそのトリックはもうどうでもいいのかもしれない。
さらにその頃は氷が売られていてそれを買ったことからもトリックが見破られてしまう。氷はオガ屑にまみれて売られているらしい。
これは現在の人間にはわからない事実だ。
吉太郎を睡眠薬入りの酒で酔わせて氷水の入った風呂に入れて心臓麻痺を起こさせ後で沸かして誤魔化す、というトリックである。
最後のりえ子の供述もカタカナ表記で読みにくい。
それほどここを読ませようと思っていなかったような気もする。
最初にも書いたがこの作品は6回もTVドラマ化されているという。
実際の事件も幾つも思い起こさせる。
最たるものは「いただきリリちゃん」だろうか。
この物語に人々がまったく興味を失う時はくるんだろうか。