1958年12月「週刊朝日」(画像は別の表紙より)
これはほんとに短かった。なのに本作も六回も映像化されているのであった。
ネタバレします。
例によって、である。
主人公の男は四十八歳。会社では課長の座にありさらに出世を望んでいる。
妻がいるが男にはもうすでに愛情がない。妻の存在を醜悪と感じている。
男には若い愛人がいて小さな家をあてがっていた。
が、男にとってそれは絶対に守らなければならない秘密であった。
それが突然思いもよらぬことで破綻してしまうのだ。
それは夜遅く愛人の家から自宅に帰る途中だった。
愛人は男がタクシーに乗るまで見送るのが常だったがそれさえ男は用心深く離れて歩くことにしていたのだ。
その時思いもよらず顔見知りの男から挨拶され、うっかり挨拶を返してしまったのだ。
無視すればよかったのだが咄嗟の行動だった。
その男は近所に住んでいて顔見知りというだけの間柄だった。
数日後、男は仰天する。
会社に警察が訪ねてきたのだ。
「ある殺人事件の容疑者がその事件があった同時刻に出会ったのがあなただというのです」
それがあの時道ですれ違った近所の「顔見知りの男」であった。
男はひとりの「顔見知りの男」の命を握ることになってしまった。
この物語の主人公石野は保身のために一切「証言はしない」と決めた。容疑者が死刑判決を受けても否定し続ける。
彼の容疑を晴らせるのは自分だけだと判っても気持ちを変えることはなかった。
妻との会話で「そういう男は自分を守るために嘘をつき続けるのだ」と言いそれは自分のことだと苦々しく思うが意志は変えない。
結局、この事実は愛人の女からもれる。
実は愛人には別の若い恋人がいてつい「この犯人はシロなのよ」と言ってしまったのだ。
若い恋人は驚いて友人に話しそれがやがて弁護士の耳に入った。
弁護士は石野を偽証罪として告訴したのである。
松本清張による「あとがき」に「この作品の映像化で短編ほど映画化に向いていると判った」とある。
それは短編の方がより自由に脚色できるからだと。
現在は「原作通りの映画化」が必須になっているがこの頃はより自由な考え方だったのだな。
しかも「映画のラストの方が良かった」と清張氏は悔しがっている。
と書いたが、現在の映像化の仕上がりが悪いからそのような現象になっていて映像化の際の改編でよくなっているのなら今の人も文句は言わないだろうとは思う。
現在の映像界隈の出来が悪すぎるのだ。