ガエル記

散策

『廃用身』久坂部羊(小説)

2005年「幻冬舎」(小説)

先日ネットで映画情報で知って原作小説をaudibleにて聴く。

おもしろく聴いていったがその後に疑問が浮上する。

この作品は明確に優生学小説として面白がるものであってそれ以上ではない。

 

 

ネタバレします。(『わたしを離さないで』のネタバレもします)

 

 

「介護が必要な老人の廃用身となった手足を切り落とす、というショッキングな内容。これは是か非か」

という訴えの小説なのである。

映画も予告や主演俳優の説明を聞いている分にほぼ同じもののようだ。

しかし自分としては「この内容は作品としてはそれほどショッキングなのかなあ」という感じであった。

奇しくも同じ年2005年に『わたしを離さないで』の原著が出版されている。

こちらは(以下この作品のネタバレです)自分を救うために自分の手足を切断するのではなく他人を救うために自らの臓器提供を強いられる孤児たちの物語である。

本作を何も知らずに読んだ私はそれこそ大きなショックを覚えた。だがこちらの作品の価値はそういったショッキングな内容にあるのではないだろう。

なぜならそうした考察はすでに多くのSFで繰り返しなされてきたわけで(例えば諸星大二郎作品でも何十年も前に描かれている)『わたしを離さないで』の価値はそれを通した世界観の美しさを文学で表現したところにあるからだ。

 

翻って本作品を評価してみる。

とてもわかりやすい平易な文体で内容を伝えているのは好感が持てるし構成や取り上げられていくエピソードもいかにも馴れた知性を感じられて楽しくはある。

情感豊かな『わたしを』と違いドライな筆致もSF読みとしてはむしろ読みやすい。

その後に何も知らなければ「なかなか良くできた思考作品」として終わったのだが「あれ?これはもしかしたら作者本気でAケアを推進したいと思っているのか?」となったところからちょっと気持ちが変わってきた。

2005年に書かれた思考作品としてなら別に良いが本気で「身体切断療法」をやろうと思っての小説ならそして映画ならあまりにも時期が遅すぎる。

この考えはショッキングでもないし賛否を問うような発想でもないはずだ

 

これが18世紀、いや19世紀くらいの小説ならば「よく考えたね」で済むが2005年に執筆し2026年の現在でまだこの考えを持っているのなら医療素人の私でも首をひねる。

先日ネット報道で「目に歯を移植する」というのがあった。

20年間見えなかった目が歯を移植することで視力を取り戻した、というものだ。

歯を目にする、という素人には思いもつかない医療があるのだ。身体は貴重な資源なのである。どの部位がどのように必要になるのかわからない。

 

さらにただ単に切断するというのではなく高性能の義手義足を装着することで介護の必要もなくなる未来はそう遠くないはずだ。

2005年時点での小説のみならばともかく2026年の今も同じ観点でやたら切り落としたらお得ですよと言う話を交わしているのも奇妙である。

それこそ小説内に出てきた蝶やカブトムシをちぎっている子どものようにしか思えない。

別の視点で言えば重いものを運ぶためのロボットや介護士が装着するアシストスーツも改良されていくだろう。

身体切断の議論をしている間にその手間を上回る技術改良がされていく。

 

問題は小説でも書かれている老人の精神面(介護士の精神面も含めてだが)つまりセクハラや悪態をつくなどの改良のほうなのだろうが本作では「Aケアを施すことで人格も良くなった」などと書かれてしまうのだが(小説としてはその書き方でいいんだが)そもそも健康体の人間自体がセクハラモラハラばかりなので身体が良くなったから精神も良くなるとは思えないではないか。

 

この作品を世に問うて「ほら、このように廃用身を切断すればいい方向に向かいますよ」と議論するには遅すぎたし肝心の人間の精神向上については何も書かれていない。

ホラー作品として楽しむにはまずまずだけどSFとしては古臭い。

文学としては深みがない。

知識だけは豊富だが発想として幼いとしか言いようがない。

 

たぶん、本作主人公は作者久坂部羊氏自身なのだろうと思う。

自分の思いを主人公に語らせ、その結果世間に否定され主人公は自殺する。

だが作者氏は生きていて「この考え方は悪くないんじゃないですかねえ」と言っているのは蛇足を感じた。