ガエル記

散策

『夜光る犬』横山光輝/愛蔵版初期作品集『闇におどる猫』収録

以前表題作『闇におどる猫』についてのみの記事しか書かなかったけどやはりこちらも記事にしておくべきでしょう。

ということで。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

これに収録されてます。

 

横山光輝作品と言えばSF・ロボット・アクション・忍者などのイメージが強いだろうけどホラー的ミステリー的な要素も含まれている。初期作品にはこのようなミステリー作品も数々あってその要素が内包していることを示している。

横山氏をリスペクトしていると明言している荒木飛呂彦作品は全般にわたって(初期作品から『岸部露伴』などなど)ミステリー要素を強く出しているのもこれらの影響なのではないだろうか。

 

さて『夜光る犬』表紙には何も書かれてないけどオフィシャルにも『バスカヴィル家の犬』を参考と書かれている。

単行本化改題『地獄の犬』も気になるところだ。検索したら高額のマンガ本が現れてそっと退場した。

『バスカヴィル』を日本舞台に置き換えての漫画化というのもかつて多かったのだろうけど今読んでもわくわく楽しい。

こちらのホラーミステリーの道を歩むもうひとりの横山光輝氏が欲しかった。

こういう図を見ると涎が出そうになってしまう。

今現在ミステリーマンガと言えばどうしても『コナン君』の青山氏になるのだろうけど横山継承は荒木飛呂彦『岸部露伴』なのだ。

ちょっと怖い感じが必要なのだ。

 

ところで「バスカヴィル家の犬」といえば「凄い美女が登場」してこの荒々しい物語に一条の光を与えてくれるのだけど通常通り横山作品には現れないwww子供向け雑誌掲載だろうけど美女が登場するくらいはいいのではないかwww

最初にお姫様が出て来るんだからそれで充分、なのだろう。徹底してる。

 

代わりにワトソン役としてかわいい少年が登場するのもお約束。少年がピストルを撃つのもお約束だ。

 

残念なのは日本舞台にするために『バスカヴィル』という最高にステキな名前のタイトルをあきらめなくてはならないことだけどその代わりに『夜光る犬』という『バスカヴィル家の犬』に匹敵するほど印象的なタイトルをつけてしまったのも凄い。

単行本化した際に『地獄の犬』になってしまったようだけどこれはどう考えたって『夜光る犬』の方が断然良い。

検索すると『地獄の犬』だと別モノが出てきてしまうけど『夜光る犬』だと夜散歩用のライトをつけたワンちゃんたちに混ざって本作がひっかかる。

色々探すと通常どおりひらさんにぶつかる中でこの作品は赤塚不二夫氏が背景を担当してアシスタントされたと知る。

横山光輝氏と赤塚不二夫氏、という組み合わせは思いつきもしない。だけど確かに駅を描いた背景の中に「あかつか」と記されていてなるほどとなる。

トキワ荘石ノ森章太郎氏の相棒というイメージの赤塚氏が横山氏を手伝っていた、というのを目くじら立てる必要はないのだろうけどトキワ荘一派と一線を引いていた感のある横山氏だけど別にこだわりはなかったのかも・・・しれない。この辺の関係性の機微ってあるのかな。

 

漫画家物語にも興味はつきないのである。

『コマンドJ』横山光輝

ひらさんから教えていただいた「横山先生が単行本化を認めなかった」ものの1作品『コマンドJ』偶然購入していたので早速読んでみました。

選んだ理由は「聞いたことなかったけど凄くカッコいい表紙」です。

予告編付き。こんなにカッコいいのに単行本化認められずとは。

楽しい。残念ながら日本中でブームを巻き起こしたとは聞いていないですがそうだったのでしょうか。

 

ネタバレしますのでご注意を。

これもかっこいい。

しかしなかなか主人公の「J」が出てこない。

コマンド隊長、紳士でステキだ。しかもやさしい。

あれっ。あなたは・・・

も、もしかして・・・ひらさん?コマンドの一員でしたか。

(ま、今の私はヨミの一員ですが)

(すみません、秘密でしたら消します)

 

予告編華々しかったコマンドJ、2話目でちらりと見えてはいるけど活躍し始めるのは3話目いや4話目からかな。3話目の終りでやっと行動。

どうなんだろ。なかなか読者はじれったかったのでは。

しかもすぐに事故って死亡???

で活躍するのはコマンドA

ひらさん・・・

 

(ところでとにかく横山光輝氏は少女マンガ家にも大きな影響を与えているのですが読み始めて青池保子氏は特に顕著と感じました。『エロイカより愛をこめて』のエーベルバッハ少佐の部下たちがABC呼びなのはここからきてるのではないかと勘繰りました)

エロイカより愛をこめて』向かって右からABCDE。Gが欲しかったが。心の声は少佐だろう。

しかも内容的に『エロイカ』((というか『エーベルバッハ』だけど)はずっとこの『コマンドJ』をやっとる。ということは『コマンドJ』は『エロイカ』となって継承され大ヒットしたといえよう。

いやマジでそう思う。『エロイカ』を読んでみるとわかる。

 

しかしここで衝撃の場面が・・・

うわあAがあああ(´;ω;`)

 

しかしここからついにJの活躍が始まる。

留まることなく大活躍なのだ。

すまん、頭の中で『エロイカ』と一緒になって映像化されてしまううう。この場合Jはエロイカなのかな。それともツェットなのかな。そのままエーベルバッハなのかな。

とにかく他の方より倍増されて楽しめる。

まずいのか、喜ばしいことなのか。

未体験の方は是非お試しを。

 

というわけでとにかく(私にとってはよりいっそう)楽しめる『コマンドJ』である。

いったいなぜ横山氏はこの作品を単行本化認めずだったのか。

憶測の一番は横山氏としては『伊賀の影丸』や『鉄人28号』の同列として少年の活劇を描きたかったのだけど時代物やSFとは違い現代もの的な設定で少年が殺人など犯罪を犯すのはいけないとされ主人公を成人に設定させられてしまったのが無念だった、ということなのか。(青池氏はむしろそっちが好きだったかも)

ということで

おとなになったJ。

やっぱりかっこいいんだけど。

大人になったJがドンパチやってるのは確かにちょっとおかしくも見えるのだけど(しつこいが)そのおかしさがそのまま『エロイカ』に継承されていると思うのだ。

エロイカ』のあの生真面目過ぎるゆえの笑いは絶対ここから生まれたと私は信じる。

もちろん『エロイカ』だけじゃなく他のマンガなどにも影響与えているのかもしれないが私はそれほどマンガを知らないのでここまでで。

 

横山先生、自分がどれほど影響力があったのかご存じだったのだろうか。もちろん巨匠とうたわれ多くの人から賛辞を受けておられたとは思うのだけど。

他の作家にイマジネーションを与える魅力がどれほどあるのか、というのを自覚しておられたのかなあと思ったりする。あまりそういうことを考えたりしないさっぱりした人柄だったようだけど。

『コマンドJ』予想もしない大きな発見がある作品だった。(いろいろと)

まったくこれだから横山作品あなどれない。

ああ『エロイカ』読みなおしたくなった。

 

『竜神伝説』横山光輝

(1976年週刊少年アクション掲載/休刊により未完)

かっこいい少年が描かれた表紙をめくるんじゃなくて滑らせると

またもや表紙!巨匠登場!!昔のはやたら巨匠であることが強調されている。大型新連載第二弾!!大型ってなに?第二弾とは?

カラーページが続く。

これからどんな『竜神伝説』になっていくのか楽しみだな。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

 

主人公は血気溢れる少年。

 

戦国時代。敗者は落ち武者狩りに会う運命である。

が食べ物は必要だ。村落で食糧を探そうとした主人公を含む人群れはやはりそこで落ち武者狩りに襲われる。

それを高みから見ているふたりがいた。

孫策と于吉老人(チガウ)

と思ったらほんとに于吉老人だった。顔は随分違うけど。

 

(于吉)老人は妖しげな術を使い落ち武者狩り連を幻惑しいつの間にか少年を奪い取ったのだった。

横山先生はいちいち言葉選びが意味深でわくわくするのだよな。

 

気になる気になる。竜神とは。

 

いつも思うのだけど横山先生描く人物はお布団が綺麗に掛けられて寝てる。先生自身がそうだったのかな。

 

主人公は奇妙な集落に運ばれ傷の手当てをされていた。

ここで主人公の名は一郎太。戦火で家族を失ったという。落ち武者で行くところもなく「飯にありつけるのならどこでも」ということで連れてこられた場所にいつくことになった。

老人はこの集落の頭でありもう一人の(孫策似の)男は彦三といった。

 

場所は琵琶湖。集落には一郎太と同じように頭に目を付けられて参加してきた連中がいた。

男たちは皆癖の強い連中ばかりだという。

そこでは男たちは琵琶湖で使う船を作っている。

しかしそれは本来の目的を隠すための船づくりであり彦三は一郎太を山奥に連れていく。

そこにあったのが

竜の姿をした船だったのだ。

彦三はこれを「天下を乗っ取る船」と説明した。

後のふたりが目つきが悪くてステキ。

 

こうして一郎太は琵琶湖で暴れまわる湖賊を制していく「竜神組」の一員となる。

別の湖賊の頭で巨体を持つ権左を倒した一郎太は一躍竜神組頭角を現していく。

 

竜神組の頭・幻也斉は一郎太と権左を連れ琵琶湖の周囲を歩き応仁の乱という戦で人々がどんなに苦しめられたかを説く。

足利幕府の腐敗政治からこの乱は始まった。幻也斉は世の中はもっとひどくなっていく。誰かがこの戦火を消さねばならない。それをやりたいというのだ。

そのためにあの「亀甲船」を完成させる。そして一郎太と権左に力を貸してくれ、と頼むのだった。

さらに亀甲船は琵琶湖南の大名六角高頼の知るところとなる。

六角は恐れるよりもむしろその亀甲船を分捕って琵琶湖沿岸の大名を滅ぼせと意気込む。

六角はすぐさま竜神組を襲う。

幻也斉はやむを得ず亀甲船を琵琶湖へと移動させた。その時間を稼ぐため一郎太・権左と他の仲間は命懸けで六角軍と戦う。

亀甲船・竜神丸はみごとに湖に浮かぶ。水車を取り付け、石を積み込む。

多くの仲間を失いながらも一郎太たちは亀甲船の移動を防御した。

合図を見て一郎太たちも琵琶湖へと向かい竜神丸に乗り込んだ。

そして今竜神丸は琵琶湖の水中にその姿を消した。

 

ううむ。ほんの冒頭で終わってしまった。

横山氏はどんな構想を持っていたのか。

なんとなく、だけどこの続きを描くのは困難だったような気もする。

横山氏が描くとそれなりに面白い作品にはなったのだろうけど・・・。

年表を見直すとこの後横山作品は幾つかの作品(と言うにはかなりあるけども)を経て『徳川家康』などの歴史もの漫画化作品へと移行していく。

つまり自由奔放な空想戦記もの的な時代ではなくなっていったのではないだろうか。

例えば『兵馬地獄旅』などは横山氏としては驚くほどハッピーでウエディングなエンディングとなっていたし。タイトルとの違いが甚だしい。

 

休刊による打ち切りではあったのだろうけどその後を描ける機会はなかったのかもしれない。

それを思うと琵琶湖に沈んでいく竜神丸、という最期はまるで横山氏の自由な空想漫画の終りのようでもある。

 

 

 

『少年忍者 風よ』横山光輝/原作:葉山伸

amazon検索してたら出てきた。が、すでに古本のみ、での購入となる。とはいえ見つけられて嬉しい。

うーむやはりなんとなく出会うのを待つだけでなく自力で探す努力も必要なのだと改めて思う。

デジタルになってはいないようだ。

しかもこの作品本2006年発行の裏表紙に

週刊少年マガジン1000号記念」新連載作品。1978年1月1日号~8月27日号を忠実に復刻した初めての単行本、完成!!

と書かれている。

つまりお蔵入りとなっていたわけだな。ファンの方々、さぞや待ち長かったであろう。私なんかファンになってすぐに手に入ってしまい申し訳ない。

(まあその逆は数えきれないほどあるだろうけど)

とはいえこんな長編マンガなのに何故単行本化されていなかったのだろうか。講談社という大きな出版社でもあるのに。横山氏らしい忍者ものでもあるのに不思議だ。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

というわけで大きな期待を持って読んだ本作だ。隠されていた宝物を見つけた気分だった。

横山氏らしい忍者もの、と書いたが舞台は幕末で主人公が早い段階で「新選組」と出会い深く関わっていく。

この設定に驚いた。私は「横山光輝新選組は描かないだろうな」と思っていたからだ。

とはいえ本作は原作付きマンガである。原作がある面白さは作家が考えつかない設定を与えられるところにあるだろう。

横山光輝氏の原作付きと言えば辻真先氏原作『戦国獅子伝』が思い浮かぶが横山氏だけでは描かないような女性描写が多数あった。特に主人公文竜が玉燕を深く愛していく様は他では見られない濃厚な男女愛(といちいち書かなければならないのが)である。

そういう意味でも本作『少年忍者 風よ』は(私の勝手な憶測だったにすぎないが)横山氏のみでは描かなかったであろう幕末と新選組を題材にしただけでも大きな意義があるのだ。

 

しかしその内容となると今のところ良い作品といえるのかどうかわからない気がする。それが単行本化されなかった理由なのかもしれない。

 

本作は先に書いた「幕末と新選組」という設定を除けばほとんどこれまでの横山作品の焼き直しのように思える。

主人公風太は幼い時に父母と死に別れ修行をして強い忍者となっていく。この設定は父母が殺されたというのを除けば『闇の土鬼』と同じだ。しかも『闇の土鬼』では後に育ての父が殺される。

 

さらに新選組土方歳三風太に執拗なこだわりを見せていくのも横山作品でよくみられる設定だ。

成人男性がなぜか少年に粘着し付きまとうのは『バビル2世』のヨミとバビル2世、『鉄人28号』の村雨健次と金田正太郎、など多々ある。

本作は特に『伊賀の影丸』の天野邪鬼と影丸の関係に酷似していて土方は風太を守ろうとし続けその理由を「お前の身になにかあると俺の手で殺せぬからよ」と言うのだ。

横山作品ではそういう関係性もあっさりと描かれるが本作での土方の風太への執着は奇妙な異常性さえ感じる。

誰もが口に出してはっきりと「土方は風太のこととなるとおかしくなる」「土方さんは風太が好きなのかな」と土方の風太への思いを表現してしまう。

そして少年が大人男性をうとましく思い離れたがるのも横山氏の通常運転だ。友達になり違ったヨミ、追い掛け回し続ける天野邪鬼と同じように土方歳三(って本当の土方ではなく)も「おれと同等に成長した時お前を斬る」と言っていたが三年経って少し背が伸びた風太は明らかに土方を飛び越えてしまっており「あんたとたたかう気はないんだ」とあっさり土方の袖に斬り目を入れることのみでふたりの関係性は突如終わるのだ。

 

ある意味面白くもあるのだけど土方と風太の関係を観ていたかった勢としては肩透かしだろうしいつも通りといえばいつも通りなのだ。

 

そして辻真崎原作『戦国獅子伝』で見られたような恋愛ものはない。

これも横山作品としていつも通りだ。

本作には「知恵」という名の美少女が登場する。知恵の師匠の名は牙波羅(ゲバラ)である。どう考えたって「チェ・ゲバラ」からの連想だ。

ということは知恵は独立した女性ではなくゲバラの分身として女体化してるにすぎないのだろう。

そもそも男言葉しか使わず男同等の忍術使いでもあり男装して裸を見せることもないから女性の役割はなにもない人物でもある。

そしてチエとゲバラが率いる「鈴鹿衆」は新選組ではなく敵対する勤皇派・桂小五郎と組んでいる。

したがって風太土方歳三新選組」と敵対することになるのだ。

 

明らかにこの構図は土方歳三新選組」=右派、桂小五郎鈴鹿衆=左派となっている。

鈴鹿衆は「武士も町民もない世界」を理想としたという。いわば差別のない平等な社会を作りたかった集団であったために迫害され続けてきたのだった。

優秀な能力を持って生まれた風太ゲバラに両親を殺されその復讐を望む強い意志が彼を成長させるだろうという両親の願いで作り上げられたのだ。

 

ということは私が「横山光輝新選組を描かないだろう」と思ったのはまんざら間違いではなかったのだ。

風太の存在を明確にするために新選組が登場したといえる。

 

だけど、この物語は果たしてうまくいったのか。

お蔵入りになっていた、と言う事実が証明しているように思えてならない。

とはいえ世界を描くことは並大抵の技ではできない。

 

本作では土方歳三より山南敬助が良い感じに描かれている。

どう考えても土方は悪役だ。顔が孫策だしなあ。

 

 

 

『片目猿』横山光輝

タイトル『片目猿』でこの表紙は謎すぎる。のでもうひとつのカットを置いておこう。

ちょっと小首傾げて可愛いが凄腕の忍者猿彦。

人呼んで片目猿である。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

紹介文を読まずに読み始めたのでいったい何が始まったのかと思った。

片目の忍者(これはタイトルでわかるが)が傷を負い逃げ込んだ家にいたのが庄五郎だった。庄五郎は昔覚えた塗り薬を作り重傷の忍者の手当てをする。しかしその忍者が持っていた文書を見て驚く。そこには各地の大名の兵力食糧などが詳しく記されていたのだ。庄五郎は忍者が眠り込んでいる間にその文書を写し取り「長井の殿様」に渡して自らが武士になりたいと願い出たのだった。

 

傷を負った忍者の文書で油売りから武士になろうとする庄五郎。横山主人公としてはちょっと悪そうな顔立ちである。イケメンではあるがイケメンで狡賢いときては横山主人公らしくない。どんなダークヒーローかな、と思っていたのだが、そう美濃の油売りは斉藤道三であった。しかしよく考えたら場所が美濃で油売りをしている男ならすぐわかって良さそうなものだった。

悪そうなイケメンでしょ。すでに妻帯者。可愛いのにほとんど活躍せず。ま、いつものことだけどお。

どうしても横山主人公は玄徳的な善人顔だというイメージでこの顔だと悪だくみしてる気がするんだよな。

 

とはいえタイトルが『片目猿』なんだから本作の主人公は猿彦なんだろう。

うむ。確かに猿彦の方が正統的な主人公顔だ。

猿彦はいったん自分の手柄を横取りした庄五郎を殺そうとするが庄五郎から「わしはお前の命の恩人だぞ」と言われさらに庄五郎から「あの文書はおれが買う」と続けた。「わしは武士になって手柄を立て出世してみせる。その手柄をおまえにも分ける」というのである。

 

おもしろい。夢中で読み通してしまった。

斉藤道三の出世物語に片目猿がいたとは。

しかも斉藤道三というとおっかないおっさんのイメージしかなかったがこうして油売りから武士へとなっていったのか。

いやまさかこの物語が真実ではなかろうが戦国時代にはこんなとんでもないことを起こす人間がいたのだろうう。

 

「この男なら」と目をつけてその人物を出世させていく、というと呂不韋を思い出すが本作は呂不韋とは違い武力で庄五郎を押し上げていく。

 

庄五郎は西村勘九郎と名乗り長井越中守の家老となる。

勘九郎は常に猿彦と共に動きついに斉藤利政を名乗るまでになっていく。

だが大軍の織田と戦う際に猿彦は自分の御館様の力を借りる。その時に猿彦は里の掟を守り利政と離れ里の後継者となる決意をする。

 

猿彦の策略が功を成し織田家と斉藤家は和睦し織田信秀の息子信長と利政の娘濃姫との結婚が行われる。斉藤利政の地位は確実なものとなった。

 

片目猿は利政に別れを告げる。

 

「ボーイズライフ」にて1963年から64年にかけて連載。横山光輝初の歴史ものとされている。

斉藤道三の出世物語だが何とも言えない哀愁のある終わりだ。

ひたすら猿彦がかっこいい。

 

 

 

短編集『影の世界』横山光輝 「黒い沼地」「時間警備隊」「13番惑星」「タイムマシン」

短編集『影の世界』の続きです。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

第四話「黒い沼地」(別冊少年サンデー1960年秋季号) 

これ言っちゃいけないのかもしれないが横山先生、昔の色塗りは凄く上手くて良いのに後に行くほど変な感じになっておられる。

なにか理由があるのかしらん。なのでこの時代の色塗りは最高です。

 

さて内容は。

設定はアメリカ西部劇。

偏見かもしれませんが少女マンガに比べると少年マンガは異国設定というのがかつては極端に少なかったと思う。

特に日本人はまったく出てこないというものは。

そんな中で横山光輝作品は中国も含め異国ものは男性マンガの平均よりも多いのではなかろうか。

 

主人公の名はケリー(この名がお気にいり?)

BB牧場にギム・ギャレットと言う男が訪ねてくる。有名な拳銃使い(?)で拳銃の台尻が黄金で作られている。

ギャレットは牧場主のボッブスに「牧場を倍の値段で売ってくれ」と言うのだ。

しかしボッブスは「開拓時代から住んでいるこの牧場は売れない」と断ったのだった。

がギャレットは執拗に「では西側の半分でいいから売ってくれ」と言い出す。西側は草木が枯れはじめ荒地になっているのだ。しかしボッブスは無理だと断る。

 

父からこの話を聞いたケリーは(なんと息子だった)あきれてその場所を見に行く。荒れ果てた場所なのだ。

その場所は草一本生えず池には毒物性のものが混じっていて牛が飲んで死んでしまったのだ。

すると高い崖の上からそのギャレットと隣の牧場主のキング氏がこの場所を覗きこんでいるのにケリーは気づく。

 

夜中牧場が襲われる。牛は一頭残らず崖に追い込まれ突き落とされて死んでしまったのだ。(こんな地形があるのだろうか。牧場の先に崖・・・『キャッチャーインザライ』って現実なのか)

ボッブスとケリーは無一文になってしまった。

しかしケリーは襲われた時に残っていた蹄鉄の跡ときらりと光った銃の台尻から犯人を割り出した。

ギム・ギャレットはキングと手を組みBB牧場を手に入れるため牛を全滅させてボッブスに牧場を売る羽目に追い込みたかったのだ。

なぜならBB牧場の西側から石油が湧き出しているからなのだった。

 

本作には横山氏得意の馬が多く登場する。

日本が舞台だとどうしても馬を描くことはあまりない。

時代ものでも馬はそんなに出てこないからなあ。

やはりアメリカと中国なら馬は欠かせない。

 

第五話「時間警備隊」(別冊少年サンデー1961年正月号)

かわいい!服も乗り物も。全体的に丸み。

 

ぎゃあかわいい。このデザイン、すばらしい。乗りたい。

しかし今更なんだけどどうして一コマ一コマ順番を打っていたんだろう。必要な人がいたんだろうか。

 

様々な時代の人間が一堂に集まり特別な教育を受けて「時間警備隊」となる。役目は時間密航者を捕えることだ。

主人公は二十世紀を受け持つ隊員で夏目完太という。

殺生石」というものについて興味を持つが江戸支部から調査を依頼されて赴くことになる。

 

ふむ。これは『時の行者』だな。夏目くんは江戸時代に行き調査を始めるがその恰好じゃいけないと言われる。

日本が舞台でも馬登場。さすが。

夏目君はまだ前髪がある年頃なのだ。初々しいね。こういうの可愛く描いてしまうからショタコンと呼ばれてしまうんだよなあ。

ガイガー計数機が鳴り始めたので放射能防御服を着用する。

髷の形になってる

三十世紀の原子燃料が見つかり夏目くんは時間密航者のしわざと見てさらに時代を遡る。そして時間密航者の犯罪をつきとめた。

ふむう。これを見るとやはり『時の行者』はさらに洗練されている。

しかしこれは今でも使いたい。

 

第六話「13番惑星」(別冊少年サンデー1962年1月号)

なんとなく松本零士みを感じる。

 

空気も水もあり美しい花が咲き乱れる13番惑星に行った者は何故か誰ひとり帰ってこない、という物語。

十度目の調査団が降り立った。

この惑星はいわゆるハビタブルゾーンにありその問題はない。ただ毎晩強風が吹くのだ。

隊長は隊員たちに役割を分担し二人一組で行動を開始した。

しかし主人公の星・コインズ以外のコンビはみなふたりのうち一人が死んでしまったと言って帰ってきた。

さらに夜の間にも見張りが殺されその加害者もまた殺されとうとう生き残った者は主人公・星と生物学者のジョッキーのふたりきりとなった。

 

そしてジョッキーは星に渡したお茶に毒を入れ飲ませてから理由を話す。

「この惑星に咲いている花の花粉には動物を狂暴にさせ目の前にいる生物を殺したくなるという毒性を持っているのだ。毎晩強風が吹き花は受粉して生存を続ける。

そして花粉を吸いこんだ動物は殺し合ってしまうのだ」

こうして最後に残ったふたりも殺し合い絶滅してしまった。

星は最期の力を振り絞り地球にこの惑星の危険性を伝えた。この星の探検は禁止された。

「殺し合ってしまう」という毒性というのは考えられるものだろうか。

他の作家であれば性的な効用を考えたかもしれない。「殺意を持つ」「人々は殺し合う」ということにやはり横山氏は最も興味を持っているのだと思う。

 

第七話「タイムマシン」(別冊少年サンデー1962年春季号)

またまたタイムマシン。こういう選択にも好みがわかる。



ふっふ。いきなりのキスシーン。

灰田は博士の実験台に自ら志願するがそれは目的があったためだ。

灰田は「四日後」にタイムワープし銀行強盗をして大金を手に入れ実際の四日後にはアリバイを作って逃げ切るつもりだった。

 

そういえば横山氏は銀行に勤めていたのだった。こういうことを考えていたのだろうか。

灰田は銀行で金を奪い警察に追われて五分後に元の世界に戻る。

これで大金持ちだと喜んだ。四日後にはアリバイを作ろうと「人のいる前でドンチャン騒ぎをするんだ」と出かけたが店で突然胸から血が溢れて苦しむ。そこへ警官が現れたが灰田はそこで死んでしまった。

 

灰田は間違いを犯していた。タイムマシンで行った「四日後の強盗」の後彼は警察に撃たれこの店に逃げ込んで死んだのだった。

それを確かめないままにいたのが灰田の失敗だった。

 

最初の「未来をのぞいた男」の焼き直しのようだが、前作が納得しやすかったのに本作はよくわからない。これであっているのかなあ。

 

というなかなか楽しいSF短編集だった。

 

短編集『影の世界』横山光輝 「未来をのぞいた男」「午後3時の対決」「影の世界」

ちょっと切りの良い所(だったかな)で『三国志』中断し横山光輝の他作品を投入します。

まずは短編集『影の世界』1960~1962年作品ということです。

表紙スタイルが良くてカッコいい男性たちによるスタイリッシュなデザインになっていますね。

 

 

ネタバレしますのでご注意を

 

第一話「未来をのぞいた男」(週刊少年サンデー1960年1月10日号)


いろいろおもしろい。タイトルの「のぞいた」がひらがなになっているのは「覗いた」と「除いた」をかけているのかなと考えたり。

 

「私の命は、あと一週間しかない」

『百日後に死ぬワニ』の先取り、ではないけどね。

 

表紙、ふたりの村雨竜作が描かれ怪しい白髪科学者が間にいるという謎めいた演出だ。

夜の街、どうやら村雨は警察に追われているらしい。逃げ込んだ家でいきなり見知らぬ白髪老人から「ようこそ村雨くん」と話しかけられる。

彼はメフィスト博士。ひとよんで「うらまちの科学者」らしい。ちょっと笑う。村雨は三十六歳だった。少年マンガ掲載なのになかなか渋い。

メフィスト博士は村雨のプロフィールを述べ煙草を欲しがっていることまでわかってしまう。そして一週間後に死んでしまうと予言するのだ。

 

横山光輝氏のマンガはテンポよく引き込ませると手塚治虫氏も感嘆したというがほんとこの短編もまさにそのとおり。

 

「インチキ占い師か」という村雨メフィスト博士は「人の未来がわかる機械がある。その名は時航機(タイムマシン)」と言う。

読んで字の如く時間を航行する機械だ、というのだが「時航機」というのは知らなかった。横山氏の造語なのかなあ。

博士はそれに乗って一週間後の村雨の死を知ったということだ。

表紙にすでに描かれていたがこれがタイムマシンだった。

タイムマシンのデザインというのもいろいろあるが(『ドラえもん』とか『バックトゥザフューチャー』とか『ドクター・フー』とか)横山氏のはなかなか大がかりだ。

しかもすこし気分が悪くなる。

博士と共にマシンに乗り一週間後に丸目刑事に撃たれて死んでしまう。(丸目刑事、というか弟の健次みたいに見えるが)

死にたくない村雨は一週間後を待たず丸目刑事を撃ち殺してしまう。

これで自分の命は助かったのだ。

安心した村雨は一週間後の日に外出し警察に追われて病院に逃げ込んでしまう。

そこには怪我で入院していた丸目刑事がいた。

あのタイムマシンに乗って見た通りに村雨は丸目刑事に撃たれて死んでしまうのだ。

丸目刑事は撃たれた時に死なず入院していたのだった。

村雨がもっとくわしく覗いていたら・・・という話。

短いページ内で凝っている優れたSF短編であった。

 

第二話「午後3時の対決」(別冊少年サンデー1960年4月1日創刊号)

こちらの主人公は愛らしい少年である。

 

小さな炭坑村の話だがとてもお洒落な感覚である。

炭坑村には村の端に炭鉱員のお金を預かる銀行支店があるが小学校はなく村に暮らす六人の子どもは少し離れた町まで大型の自動車で送り迎えがされている。

その時間はまったく正確で七時半に学校へ向かい、二時半に学校を出てガソリンスタンドの前を通るのが三時、食堂の前を通るのが三時二十分なのだ。

だがその日はその時間をとっくにすぎても食堂の前を車は通らなかった。

心配した食堂の主人はガソリンスタンドに問い合わせる。するとそこはいつも通りの三時に通ったというのだ。

かわいい。

しかし食堂の主人は子供たちが心配で(やさしい)駆けずりまわって消えた自動車の行方を探す。

警察も捜索を始めた。

そして通学用車の運転をしている杉村博に疑惑がかかる。

子どもたちを誘拐して身代金をとろうとしたのではないかと。

これを聞いた弟の三郎は「兄さんはそんなことをする人じゃない」と庇う。「この事件にはなにかトリックがある。そのトリックをあばいてお兄さんの潔白を証明してやる」という物語である。

 

三郎と兄の博は手品が好きで三郎はよく兄から手品のコツを教わっていた。

「注意をそらす」それがキーワードである。

しかし警察と村人の疑惑は完全に杉村兄弟にかかっていた。

銃を持つ少年三郎。びっくりしたよ。かれはいったい何者なんだ。

違う話になるかと思った。

 

村人たちは兄弟を人さらい犯人と決めつけ三郎の家に石を投げ込む罵る。

そこへ「廃坑の入り口で子どもたちの服が見つかった」と言う知らせが入り村人は皆そちらへと走っていく。

三郎は「手品の種はこういう時にやりやすいんだ」と言って銀行へと向かった。

わざと銃を差し向け(いやいかんだろ)非常ベルをな鳴らさせるがベルは鳴らない。

そこへ本当の銀行強盗団が現れ三郎と銃撃戦となる。(おいおい)

三郎は強盗団をやっつけ警察へと連行した。

 

兄をはじめ子どもたちは無事。兄が運転していた車は強盗団によって襲われトレーラーで運ばれ人さらい騒ぎの中で銀行強盗を計画していたという次第だった。

 

「おにいさんにならった手品がとんだところで役にたっちゃった」と言う三郎くんだがその銃の腕前と度胸のほうにたまげたよ。

 

第三話「影の世界」(別冊少年サンデー1960年夏休み号)

なんか下の方『バックトゥザフューチャー』みたいになってる。(違うか)

主人公は少年探偵草原大助。

横山先生の少年は自由だなあ。

 

物語は空港で報道記者たちがひとりの少年探偵の帰国を待ち受けているところから始まる。

彼は一時間半でアフリカの砂漠の中に行ってしまったというのだ。

記者たちは謎を解くべく飛行機からおりてきた少年探偵を迎え矢継ぎ早に質問した。

 

少年探偵草原大助はゆっくりと説明を始めた。

彼は脱獄した殺人犯ふたりを車で追いかけているうち酷い濃霧に包まれてしまったらしい。

霧が晴れてきたと思ったらそこは見知らぬ荒涼とした平原だった。草原大助は東京を走っていたのにこんな場所があるのかと怪訝に思う。

しばらく行くと殺人犯たちが乗り捨てた車があった。どうやらガス欠らしい。

なおも進むと犯人たちは大助に銃を向けてきた。応戦する大助。

大助の銃弾が黒木にあたりふたりは森の中へ逃げ込む。

そこにはこの世のものとは思われぬ奇妙な形の樹木があった。

山彦はあまりの気味悪さに黒木に「逃げよう」と叫ぶが黒木は何故かすでに死んでいた。

と見る間に山彦は樹木の枝に縛られてしまい思わず発砲した。

その銃声に気づいた大助が駆け寄ってきた時にはすでにふたりとも樹木に捕まれ死んでいた。

そして今度は大助も樹木の枝に捕らわれそうになる。

大助はそれらを撃ち必死で逃げた。

停めていた車がすでに不気味な植物に飲み込まれそうになっていた。大助は急ぎ車に乗って発進した。

が行く手になかったはずの大きな地割れがあり彼はそこに落ちてしまった。

 

気が付いた時、大助はアフリカの砂漠の中におり自動車は地面から突き出したように空を向いていた。

 

崖から落ちたことで彼はもとの世界に帰れたのだ。果たしてその世界がほんとうにあったのか、証明するものはない。

「脱獄囚のふたりが戻ってこなければその時に僕の話を信じてください」

草原大助を見送った記者たちには何も言えなかった。

 

前のふたつと違い種明かし的なものはない奇妙なストーリー。

しかしこれが表題作でもある。

さすがにアフリカの砂漠まではいかなくとも変な場所にでてしまったという不思議体験は多くの人にあるのではないか。