ガエル記

散策

『豊臣秀吉』横山光輝/原作:山岡荘八 その2

読了しました。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

ふむふむ。横山光輝という方はほんと「かっこいい男」が大好きでかっこよければ物凄い力量で丹念に描いていくがかっこ悪いと思うと一ページも描く気がないのだろう。

その潔さに感心する。

秀吉というか藤吉郎の名前で織田信長に仕えている頃の藤吉郎はおおいに魅力があるけど(将来天下を取るという予感を含めて)後になっていくほどその爆発的な魅力が薄れてしまう。

本作は信長とのつながりが感じられるまでを描かれているように思える。

 

心に残ったエピソードとしては最初の頃の荒んだ社会。百年にわたって続く戦国の世において人々の心も荒み切っている。

馬を縛り付け生きたまま焼き殺してそれを食う流民たちの話にそれが凝縮されているように思える。そんな中でも日吉(秀吉)は焼かれた馬に憐みを感じ家族にその肉を持って行ってあげたいと思うのだ。この優しさは晩年の秀吉には失われてしまう。

 

日吉は冴えた頭脳を持つがその頭の良さを両親は怖れる。それを感じた日吉が自ら家を飛び出しその知恵だけで生きぬいていく様子はやはり目が離せない。

蜂須賀小六に出会いその蜂須賀小六も手玉にとっていくのも愉快である。

ここで武芸を身に着けた日吉はここで16歳となり元服して木下藤吉郎と名乗りを上げる。

小六の仲間にすっかり馴染んだ藤吉郎は次のステップへとばかり飛び出して針売りとなって諸国を歩き始める。

ここで6年の歳月が過ぎる。

そして『徳川家康』でも読んだ藤吉郎と信長の出会いとなる。

その後寧々に出会い徹底的にやりこめられる。この時寧々13歳という22歳の藤吉郎を論破してしまう寧々。なかなか愉快だ。

 

たしかに藤吉郎と言えば信長がはくわらじを温めたことが有名なのはこの頃の藤吉郎に面白みが詰まっているからかもしれない。

信長に仕えて出世していく藤吉郎の話はとんでもなく面白い。

信長の死後の秀吉、この作品に描かれたまでの秀吉、柴田勝家を滅ぼしたまでで秀吉の面白さは終わったのだろう。

横山光輝氏の選択に賛成である。

 

 

 

 

『豊臣秀吉』横山光輝/原作:山岡荘八

秀吉の話はさすがにもうよく知ってるだろうと思っていたのですが本作の中身はまったく知らない話ばかりでした。

いや歴史もの知らないのでアタリマエなんですが。

信長様はいつ見てもかっこいいです。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

読み始めて半分ほどなのですが面白くて止まらなくなってしまいます。

中で寧々が「まるで禅問答を聞いてるみたい」という場面がありますがほんとうにその通りです。

藤吉郎・蜂須賀小六・信長・竹中半兵衛・大沢治郎左衛門、交わる台詞が丁々発止と研ぎ澄まされた小刀のようで読む者までが緊張を強いられます。

 

以前は秀吉が人気だったと思うのですが今の時代は秀吉の時代ではないと感じるのは何故なのでしょうか。

秀吉の目まぐるしい智謀よりおっとりとした優しさを皆が欲しているようです。

 

とはいえ秀吉物語はおもしろい。いや秀吉というか藤吉郎は。

『元禄御畳奉行の日記』上その2&下 横山光輝/原作:神坂次郎

上の途中から続きます。下まで行けるか。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

タイトルのとおりこの日記が書かれたのは元禄時代元禄時代と言えば江戸時代でも最も文化華やかなりし頃というイメージと同時に綱吉の「生類憐みの令」という行き過ぎた悪法が人々を苦しめた、という評価もされますね。

本作でもこの法令の愚かさが描かれその法令にもかかわらず文左衛門は仲間を引き連れ川で網打ちによる魚取りを76回もやったというのです。これは文左衛門が江戸ではなく尾張に住んでいるからこそできたのかもしれません。

しかしこの「生類憐みの令」で日本人の動物への愛情が生まれたのではなかろうかと私は思ってもいます。現代においては犬猫をはじめ動物たちの動画を観るのが何よりも心の癒しになっていることを想えば今の私たちは綱吉より犬好き猫好きなのではないでしょうか。

 

さて朝日文左衛門の日常を読むことで当時の「武士」というものがいかに「退屈を紛らわすために過ごしていたか」がわかります。

しかし武士でも貧しくて身を持ち崩し士籍を剥奪される者もある中で文左衛門は何もしないにもかかわらずゆとりある生活を続けていけるのです。だからこそこのような何もない日記を書き続けられたと言えるでしょう。

文左衛門の楽しみは酒宴と芝居と心中などのスキャンダルを追いかけ日記をつけること。そして魚釣りも武芸もあれこれと続けているのもすべて暇を持て余しているから、というなかなか羨ましい身分であります。しかしこれくらいの楽しみならば今の日本人も普通にやっていることでほぼ同じ生活をしているといってもいいでしょう。

私自身毎日このブログを書き書くためにマンガや映画(配信)を楽しみXで世間で何が起きたのかを知り許せんとか偉いとか評価しているわけです。

文左衛門の良い所はさすが漢詩を作っただけあって文人との交流も続けているというところです。やはり日記とはいえ文章を書き続けた人物です。いやもしかしたら日記以外にも作品がなにかしらあったのかもしれません。

 

ところで横山光輝マンガの楽しみに「かっこいい男性」「かわいい男子」が出てくること、というのがあると思います。

とはいえ本作主人公たる筆者があれですし内容もだるく腑抜けたものが多いのでかっこいい男性が出てくる希望はほぼなく実際出てきませんw

しかし上巻の最後のエピソードで出雲様御家中の稲葉弥右衛門が草履取りの少年を手打ちにした、というものがあります。すでに「手打ちにした」と書かれているので悲劇なのですがこの少年がすごく可愛い。(悲劇なのでかわいそうなのですが)

稲葉の妻たる奥方が少年をたぶらかし色欲の相手にしてしまう、という話なのですが気のせいか他の色事より丁寧に描かれている気がしますw

奥方の胸に埋もれている構図などすごく愛らしく描かれています。(少年がね)

 

朝日文左衛門は二十一歳で家督を継ぎ朝日家の当主として認められます。時に元禄七年(1694)

 

楽しかった上巻を終え下巻になり文左衛門が年齢を重ねるごとに人生は辛くなっていきます。

あれほど惚気て結婚した〝けい”も一女をもうけたその後よくある話どおりに険悪になっていきます。

このあたりほんとうに「凡庸な男の人生」というべきなのでしょうか。

その理由もまた文左衛門の酒飲みと女関係からでているのですが常軌を逸したような話ではなくいかにもよくある話なのが文左衛門の凡庸さを引き立てます。

それに反して文左衛門自身は出世し27歳にして「御畳奉行」という役職に任じられます。あんなに遊んでばかりなのに、というべきかやはり遊んでいるからこそ出世できるというべきなのでしょうか。

世の中は質素倹約で減給されている折に文左衛門は1.4倍の増給となり奉行という管理職に就いたことでより豪華な家に引っ越しを決める。

「御畳奉行」ってと思ったけどたしか『忠臣蔵』でも浅野内匠頭も畳替えがどうこう(史実は別として)いう話だったし畳奉行というのは重要なのかもしれません。

 

とにかく下巻に入ってから文左衛門は出世したにもかかわらず女遊びと嫉妬でいたぶられる日々が綴られます。それこそこんな中で赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件が起きるのですが文左衛門はじめ当時はほとんどだれも興味を示さなかったらしい。

確かに文左衛門は男女の心中事件は大好きですが忠義心には興味が微塵もなかったのでしょう。とほほ。『三国志』くらい読んで欲しいね。

 

こうして文左衛門は妻の嫉妬に怯えながら色欲と酒の毎日を過ごします。けいとは離縁するのですが再婚相手の女性もまた同じようなというより輪をかけて気の強い女性であったというのがおかしい。

 

時代は倹約将軍吉宗の世となっていきます。

文左衛門の体は酒の毒で弱りついに臨終をむかえます。その時にも文左衛門は最期の酒を求めます。

文左衛門が終生師事した国学者天野源蔵が文左衛門の日記に「終焉」の二文字を最後の頁に書き加えたのでした。

 

記すこと8863日。冊数にして37冊。

文左衛門の18歳から45歳までが書き綴られた。

『元禄御畳奉行の日記』上 横山光輝/原作:神坂次郎

電子書籍で見つからなかった横山作品のタイトルをamazonで見つけてしまうと注文するしかないではないですか。

しかも本書の紹介文の冒頭が

武芸も役目もそっちのけ、本当の元禄武士は酒と艶の浮世三昧だった…!? 

とは昨日「横山光輝は武将を選択し名もなき人を選ばない王道の作家」的なことを書いたのが翌日覆されでしまいます。

いやいやそれだけでなくはいいとしてもの方はそれこそ横山マンガではほぼ忌避されてきた事柄でそれを描いているとなれば気になってしまいます。

 

というわけでいってみましょうか。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

まずは本当にまじで

武芸も役目もそっちのけ、本当の元禄武士は酒と艶の浮世三昧だった

でした。

主人公であり本作・日記の筆者の朝日文左衛門重章は徳川御三家の一つ、尾張徳川家の家中で御畳奉行の家の跡取りとして生まれる。知行百石・薬量四十俵。

父・定右衛門は御城代組同心百石で現代で言えば主任か係長クラスと書かれていますからかなり裕福な家であったのでしょう。

なにしろ「元禄」と言えば江戸文化華やかなりし頃、とよく歴史を知らない者でも覚えている時代です。その頃にそんな裕福な家に生まれ育ったお坊ちゃま武士がどんな派手な生活を送っていたのか、と想像してしまいます。

しかしなんというのでありましょうか。これがしょぼい、というのか普通というのか現代のよくいるサラリーマンの悪事程度でなんだか近所の話を読んでいるようです。

 

文左衛門の日記は彼が十八歳の時から始まります。

武家の長男でありながら武芸も嗜まずゴロゴロしているのを父に咎められ「近いうち・・・明日から始めます」と約束し翌日から道場の門を叩くのですが「武芸は初めて」という文左衛門に師範もあきれ顔。(いやほんとにあきれるよ。今までなにしていたのだろうか)腕前を見たいと言われ稽古用の槍で突きを見せるがはらわれた衝撃で倒れてしまう。もう一度と試したら壁にあたってひっくり返る。

(ううう。これが激烈な関羽張飛の戦いを描いた横山光輝が描いたキャラとは)

しかし文左衛門の偉いところはこれですっかりやめるどころか弓矢も柔術もと頑張ることろです。そしてそれを日記に書いたのです。(もしや書くために頑張ったのでしょうか。それもまた良しですね)

その後文左衛門は漢詩を褒められ漢詩の勉強も始めます。このあたりは裕福だからこそできることですね。親としては今までゴロゴロしていた息子が文武両道学びだしたのですから嬉しい限りでしょう。

次は浄瑠璃。友人に誘われて浄瑠璃鑑賞に行った文左衛門はこれにも夢中になります。とにかく好奇心が旺盛なのですな。

さらに「果たし合い」や「心中」

心中に夢中になる、というのは変ですがこれも現代でも殺人事件や自殺の報道などを聞いてはあれこれと考察するのが皆の楽しみの一つではあるでしょう。

文左衛門はこれらの様子も詳細に日記に書き留めているのでした。

次は賭け事、と言っても仲間内でサイコロを振っての賭け事であのヤクザがやってる「チョウかハンか」という凄みのあるものではないのんびりした感じなのだが負けが込んでくさくさした文左衛門は母上相手に宝引という単純な当たり紐を引く賭け事を持ちかけ大勝ちして喜ぶという他愛ない遊びをしている。ほんとうにあまりにものんびりした文左衛門であります。

 

さておっとりした文左衛門ですがおっとりしすぎで芝居に夢中になっている間に腰に差していたはずの刀を盗まれるという武士にとってとんでもない事態になってしまいます。(いったいどんくらい夢中になってんだか)

こんな情けない文左衛門も弓の道場でいつも応援してくれる〝けい”という女性と昵懇になり結婚の運びになります。文左衛門は連日の酒宴とあいさつに疲れ果ててしまいますがそんな時も日記は欠かさずつけているのですがなぜか嫁のけいについては一行も書かず延々とご馳走の品を記しているそうです。

 

そんな文左衛門、とにかく「心中事件」が大好きで新妻との床入り中であっても「心中事件だ」の声を聞くと飛び出していくのでした。

女性の方はまだ息があるのだがそれにはまったく介さずふたりの名前と年齢どういう経緯だったのかを周囲に集まった者たちに念入りに聞いていく。まさにルポライターというか三文記者といった類か。

しかし文左衛門はこの心中事件にいたく感動し息があった女性が医者の薬も拒否して死んでいった様子を「あわれ」と感じふたりの遺書辞世の句まであげて熱っぽく筆を走らせているのだそう。

 

まだまだ途中でもう少し書きたいエピソードもあるのですが今日はここまでにしておきます。

正直言ってしょうもない文左衛門ではありますが横山氏が描くとなかなか愛嬌のある憎めないお武家様といった風情になってしまうのです。

ここまで他人の情事はいろいろあれど本人の色事は結婚話だけなのでよけいにそう思えてしまいます。

これも横山氏の選択ゆえかそれとも原本もその位なのでしょうか。

現代ならばXやらフェイスブックやらであれこれ情報を飛ばしまくるインフルエンサーになっているかもしれません。

 

ともあれこの表紙絵の文左衛門の描写に読まずにはおれませんでしたし読み始めると止まらなくなってしまいました。

横山マンガとしても貴重な一作だと思います。

昨日までの『バビル2世』『101』との違いよ、ああ。

『その名は101』横山光輝

『バビル2世』のいわば続編ですね。

名作でありみんな大好き『バビル2世』と違い本作はその評価は低いようです。

私としても『バビル2世』の時のように一巻ずつ読んで感想というのではなく全体として感想を書いてみようと思っています。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

 

まずそのタイトルについて考えてみたいのですが「101」というコードネームの意味というのはどこかで説明もしくは分析されているのでしょうか。

「101」の意味を検索してみると入門編だとか素数だとか他にも様々な意味を含むようですがいまいちつながりを感じません。

そもそも『バビル2世』の時点で私はあの作品がSF忍者ものだと思いさらに白土三平の『カムイ外伝』を意識して作られたのではないかと感じました。

それで言えば忍者ものには「くノ一」という女忍者を示す言葉があります。もちろんみなさんご存じでしょう。「く」と「ノ」と「一」を組み合わせれば「女」という字になる、というヤツです。

ならば「101」も「くノ一」ではないのでしょうか。つまり「101」を分解すれば「10=十」と「1=一」になります。「101」=「十一」これを日本語として縦書きすれば「士」になります。

「士」の意味はと調べたら「りっぱな男子。独立した成年男子。」とありました。

「民の上に立つ者。」とも書かれています。まあふつうに「武士」や「兵士」を連想する字でありましょう。特別な力を持つ男子、とでもいうのでしょうか。

なので『その名は101』は『その名は特別男子』でもいいし『その名は士』だけでもいいかもです。

と考えたのですが執筆公開されてからかなりの時間(40年以上)が経っていますからこのような考察はとっくにされているのでしょうけど。

 

さてとはいえこの『101』不評のようなのですが私は上記に書いた理由からこの作品こそ横山光輝氏が描きたかったのではないか、と思ってもいます。

つまり「孤独な戦いを生きるカムイ」を自分でも描きたくて「101=士」を創造したのです。

『バビル2世』⑫の記事で「伊賀野氏とのわちゃわちゃが楽しい。もっとこれで描いてほしかった」と書いたのですが実は横山氏後悔したのではないでしょうか。

伊賀野氏が出てくるまでは『バビル2世』はかなりカムイを彷彿とする孤独の戦い(三つのしもべはいるとしても)を繰り広げていたのに伊賀野登場でついつい羽目を外してしまったのです。地が出てしまったというのでしょうか。

横山光輝の魅力は組織を描くところにあると思っています。それも悪ではなく正しい組織です。

鉄人28号』も『伊賀の影丸』もそうした正しい組織の物語であり『三国志』もまたそうでしょう。

横山氏はアウトサイダーより本道を描いてヒットする作者なのだと思います。戦国ものでも有名な武将を主人公にした作品を選んでいます。底辺の人間や名前も知らないという人物を選択しない人なのです。

その反面白土三平が描いた底辺の忍者カムイという世界に憧れていた人でもあったのではないでしょうか。その好みは『狼の星座』や『長征』のような作品に現れていますがやはりどうしても大ヒットした作品ではないようです。

その横山氏が『バビル2世』でそのアウトサイダーの片鱗が現れたのかもしれない。ただ『バビル2世』では国家保安庁と手を組んでしまったのです。最初はそれも細いつながりだったのが伊賀野氏とバディになってしまったことで本来の狙いからずれてしまったと思われたのではないでしょうか。

 

その無念さが作用して『その名は101』で浩一は完全にカムイ的な「抜け忍」としての活躍を始めていきます。

冒頭に女性が悲惨な目に合うのも白土的な影響に感じられますが白土氏のそれと違って横山氏が描く女性の悲運はあまりいただけない気がしてしまいます。

それがためかそれ以降は相変わらず女性が活躍しない男だけの世界になっていくのはまあ横山光輝らしい流れということです。

 

ただ『バビル2世』ではヨミの組織が生き生きと描かれそれが魅力となっていたのが『101』では横山氏の得意な「組織わちゃわちゃ」がまったく無くなってしまったことが大きな損失だったのだと思います。

残念なことなのか、喜ばしいことなのか、横山光輝氏には「抜け忍カムイ」は描けなかった。少なくともそれでは多くの人を惹きつけられなかったのでした。

そのせいなのか作品は5巻で再び蘇ったヨミと101を再会させてしまいます。ここにどうしても氏の迷いが現れてしまった気がします。

 

そう思えば『バビル2世』は奇跡のような作品にも思えます。

悪側のヨミ組織で得意なわちゃわちゃを描きつつ、正義側のバビル2世で憧れの孤独な戦士を表現できた。

それはバビル2世が「少年」だったからこそできた瞬間的な奇跡なのかもしれません。

少年だからこそ一人で爆走できたけどそれは長く続きはしないのです。

 

横山光輝氏の作品年表を見ると『バビル2世』以後も様々なヒーローを生み出そうと苦悩しやがて歴史ものに移行されていく様子がわかります。

歴史ものは集団を表現していくことになるので横山氏の得意技、と私は思うのです。

 

 

 

 

 

『バビル2世』横山光輝 ⑫

最終巻です。

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

理由は不明だが続けて男たちが「おねがいだ。助けてくれ。俺の言うことを聞いてくれ」と訴えながら自分で自分を撃ち抜く、市街で高速で車を走らせぶつかって死んでしまう、という出来事が描かれる。

 

バビル2世は保安庁の局長からの新聞広告(暗号)を見て訪れる。

数か月にわたって異様な自殺者が増えているというのだ。

調査によると自殺者の共通点は皆同じ日に事故などで片足や片腕をなくして同じ病院で手足の移植手術を受けたという。その日自分の体を切り刻んで不幸な人たちのために使ってくれという死体の提供者があったのだ。

その死体提供者の写真を見るとその顔はヨミの死体だったのだ。

 

まだひとりだけ左足を移植してもらった男だけは生きているという。しかしその男の状態も以前とはすっかり変わってしまったらしいのだ。

 

ここで局長は伊賀野を呼ぶ。

こんな嬉しそうな伊賀野さんを見るとこちらも嬉しくなるね。

 

しかししょっぱなから乗り込もうとした車にダイナマイトが仕掛けられておりバビル2世の能力がなければ死んでいた。

 

そしてさらに後ろからつけてきているダンプの運転手の考えを読もうとしてもなにも考えていない、と感じたバビル2世は踏切で停止した際、伊賀野氏を車から突き飛ばして追い出し自分も飛び出した。

その直後ダンプはふたりが乗っていた車を直撃し運転手は死んだ。

 

その頃たったひとりの生存者もまた何かに怯えながら飛び降り自殺をしてしまった。ふたりは間に合わなかったのだ。

ふたりは最後の自殺者の家族から彼の日記を預かりバビル2世はホテルに宿泊してそれを読むことにした。

保安庁へ報告に行こうとした伊賀野氏は途中で自殺者の手術をしたという医師に出会う。彼は伊賀野氏に自分の研究所で見せたいものがあると言って同行させた。

彼の研究所に着いた伊賀野は奇妙な光を見せられ暗示をかけられてしまう。

バビル2世に会ったら拳銃を抜いて一発を残して全部撃ち抜き最後の一発で自殺しろと命じられる。

 

最後の自殺者の日記を読んでいたバビル2世のホテルの部屋へ伊賀野は行きその顔を見ると拳銃を抜いて指示通りに撃った。

が、バビル2世はとっさに天井へ張り付き事なきを得たが最後の弾で伊賀野氏が自殺しようとするのを見てその手を蹴り飛ばした。

床に倒れたショックで伊賀野氏は正気を取り戻したが何も覚えていない。

 

次の日バビル2世はもう一度自殺者の妹さんに会って詳しく話を聞く。その話によると火葬している遺体から手術を受けた足がなくなっているのが見えた、というのだった。

 

その後伊賀野の調査で他の自殺者も死後移植した部分がなくなっていたというのだ。

 

これはいったいどういうことなのか。

移植を受けた人々が全員自殺してその後その部分が消えたというのである。

 

バビル2世と伊賀野氏は移植手術をした病院へ急いだ。そしてその移植手術の補佐をした医師を見つけ彼がその後再び別の体に移植手術をしたと認めた。その移植患者は地下の部屋にいるという。

ふたりが駆け付けるとそこには前進を包帯で巻いた人間がいたのだ。

 

バビル2世がその包帯を解いて素顔を見ようとした時、ある男たちが伊賀野氏に拳銃を突き付けてその行為をやめさせ包帯の男を救急車で連れ出してしまった。伊賀野氏は人質として連れ去られてしまう。

 

が男たちは伊賀野氏を放免し救急車ごとヘリコプターで吊り上げ運ぼうとした。その矢先、追いかけてきたバビル2世はそのヘリコプターにぶら下がり共に海上へと飛んで行ったのだ。

 

救急車の中の包帯男はテレパシーでバビル2世の居場所を感知し銃を撃って彼を海に落とした。

バビル2世はポセイドンを呼びさらに追跡する。

 

包帯男を運んだヘリコプターは船に降りて進んでいた。

バビル2世はその船を見つけ近づく。船員たちもそれに気づき騒ぎとなった。

包帯男はテレパシーでバビル2世とポセイドンだと気づく。

 

包帯男は影武者を使いバビル2世を騙し自分はヘリコプターで逃げ出し船を爆破した。

 

バビル2世は日本に戻り伊賀野氏と会う。

なんだかほっこりする穏やかな光景だ。

 

バベルの塔へ帰ったバビル2世はコンピューターからアメリ原子力潜水艦ネバダ号が北極海で行方不明となっていると伝えられる。その艦には水爆ミサイルが積載されていた。

 

バビル2世はロプロスに乗って北極へと向かう。

そこではアメリカ軍の船が行方不明の潜水艦を探していた。一隊が上陸し不思議な要塞を見つけそこから発せられた怪しい光で催眠術をかけられ互いを撃って死んでしまう。

待っていた船もまた氷山に押しつぶされてしまったのだった。

 

果たして。

包帯男はヨミであり北極に作られた要塞はヨミが作り上げたものだった。

要塞はまるでバベルの塔のように吹雪に守られ近づく者を催眠術の光で惑わせるのだ。バビル2世は写真を撮りバベルの塔に持ち帰って調べることにした。それに気づいたヨミは水爆ミサイルの発射を命じる。

するとロプロスはバビル2世を振り落として逃げ去る。

自分だけが水爆ミサイルで爆破されバビル2世を救ったのだ。

 

バビル2世はポセイドンと共に再び北極へ向かった。ポセイドンは要塞を見つけバビル2世に知らせる。

ヨミを倒すため侵入を試みるバビル2世。

だが手術後まもないヨミは体力が続かず部下の勧めで休息を取った。

しかしその間にバビル2世はポセイドンを使って攻撃し部下たちは確認しようと1分ほどだけ扉を開ける。

 

その報告をうけたヨミは怒り部下を処罰する。

バビル2世なら1分あれば中に入ることができる。ヨミは恐れおののいた。

 

バビル2世は要塞のエアコンを破壊した。室内温度は下がりヨミ以外の部下たちは寒さで身動きができなくなる。

バビル2世はポセイドンを使い要塞を破壊していく。

それをヨミが止めた。

バビル2世が決着をつけようとしたがヨミは「今は年老いて昔の力も出ぬ。今更戦ったところで結果はわかっている」と告げた。

そしてこれ以上の破壊をすれば原子炉が爆発し北極の氷が解け地球が大洪水となる。しかしわしは地球を支配しようと思ったが地球を滅ぼそうとは思っていない。

「だからこれ以上破壊せずおとなしくひきあげてくれ」と頼むのだった。

「こうなればこの北極で誰にも邪魔されず永遠に眠りたい」

バビル2世はポセイドンと共に引き揚げた。

 

完結。

 

包帯男となってもまた蘇る。曹操もそういう男でありましたがヨミは本当にずたずたになった体で動き続けた。

北極で死んでいく移植された男、という設定はフランケンシュタインの怪物を倣ったものでしょう。

そうした設定をきっちり作画できるというのは凄い才能ではないでしょうか。

かつては部下を慈しんでいたヨミもそれは自分の能力が高かったからなのでしょう。

能力の落ちたヨミは部下の失態が許せなくなった器量の小さな男になってしまった。自分の力でそれがカバーできないのだ。

やはりここでもバビル2世よりもヨミの悲壮感が心に迫る。

 

 

 

 

『バビル2世』横山光輝 ⑪ 外伝

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

バビル2世は登場しない外伝です。

9巻の冒頭、バビル2世がヨミからの攻撃の防御に疲弊し深い傷を負って意識を失い治療中となりバベルの塔のコンピューターも激しい損傷を受けて修理を急ぐもその力は半減していた時期偶然ひとりの男がバベルの塔にたどり着いた。

その男は飛行機に乗る前に占いで「乗客全員死亡」と出てその占い師に止められたのを振り切って事故にあったのだった。

ただ一人生き延びたものの砂漠を彷徨いバベルの塔へたどり着く。その塔の中では巨大なコンピューターが自分自身を修理していた。

そのために男は内部に入り込んでも何の攻撃を加えられることもなく再び外へ出られたのだ。

渇きと飢えで飛び込んだ酒場で身の上話をするとそれを聞いた男たちが彼を捕まえ車で運び去ってしまう。

行先はヨミの組織がいる建物だった。

彼はそこでヨミからの問いに答えたのだ。

ヨミがバビル2世の秘められた超能力を怖れ逃げてしまったあのわずかの間にその男はバベルの塔に入り込めたのだ。

 

その男の話を聞いてヨミは大きなチャンスを逃したことを知る。

ヨミが余裕でバビル2世に勝てる唯一の時間だった。悔やんでも悔やみきれないものがあった。

しかしヨミはあきらめず、その男に案内をさせる。

だが男の案内に付き従った部下たちは復活してしまっていたバベルの塔に攻撃されて死亡する。一人逃げ出した男はヨミ組織に助けを求め走った。ヨミは男を引き連れヘリコプターで立ち去った。

が、その男はヨミの部下たちによって砂漠に放り落とされる。

予言通りあの飛行機に乗った者たちは全員死ぬこととなったのだ。

 

なぜこの話の詳細を描くことになったのだろう。

確かにあの箇所は急ぎすぎた感はあったのだけど。