ガエル記

散策

『断碑』松本清張/『或る「小倉日記」伝』より

本著最後の作品です。

 

 

ネタバレします。

 

 

『断碑』1954年12月号「別冊文藝春秋」

なんとロマンチックな物語だろう。

松本清張は古代史研究に没頭する男たちを描く時にどうしてもロマンチストになってしまうのだ。

 

本作の主人公・木村卓治のモデルは森本六爾である。

清張は北九州の新聞社に勤務していた時期に同じく考古学を嗜む同僚から「とうとう森本六爾もなくなりましたね。夫婦で考古学と討ち死にしたようなものです」と告げられこの言葉が忘れられなかったという。

「夫婦で考古学と討ち死に」した物語を清張は妄想し続けたのだろう。

敵は無論学界と世間であろう。

昨日の作品『石の骨』もそうだが本作も田舎者であり学歴に非情な劣等感がある主人公だ。

旧制中学校卒で代用教員として働いていた彼は同じような学歴でありながら京都大学の助教授で考古学の雑誌に先鋭な論考を載せていた杉山道雄を慕って考古学の教えを受けていた。

最初は自分を慕ってくる卓治を杉山は可愛がっていたが、卓治が次第に横柄になってくると杉山はこれを嫌って居留守を使うようになる。

卓治は次に東京の高崎健二に手紙を出して認められたことで古墳関係の研究に奔り出す。

さらに「東京博物館の考古室の助手にならないか」と問われた卓治はあっという間に代用教員を辞職して上京する。

ところが助手の話は立ち消えになっていて卓治は別の職に就くことになってしまう。

博物館に憧れていた卓治にとってこれは辛い傷となり彼は高崎健二を恨みだす。

そのうえ博物館に入り浸る卓治を皆が嫌いだしたため卓治は「誰がここに来るものか」と踵を返した。

卓治は高崎健二の発表に対して厳しく批判しそれが耳に入った高崎は卓治を罵った。

この諍いのために卓治は発表機関を失ってしまう。

こんな風に卓治は自ら次々と敵を作り居場所を失くしていった。

しかも卓治は恩師たちの研究にも手を出してはケンカを売っていく。

恩師たちは怖れななしたかのように卓治に近づかないようにしたのである。

 

『石の骨』では夫が収入の大半を学問研究に使ってしまうために妻はほぼ栄養失調で亡くなったようなものだったが本作『断碑』では妻が優秀な教師で高収入であり彼女が夫と子供を養っていくのだがこれが夫にとっては卑屈感となり夫婦げんかで殴り合うのだが『石の骨』のように妻だけが死んでいくのではないからまだ読後感が良い。

『断碑』では夫が肺病となって妻にも感染しふたりともども病死してしまうのだ。

昔の人はよく肺病になって死んでしまう。

しかも卓治の場合はここでも劣等感ゆえに「箔をつけるためにパリへ行く」と妻に金を用意させ無理強いでパリへ行って肺病を悪化させただけで何も得られず帰国するのだ。

人びとは卓治を嘲り笑った。

妻シズエは卓治に病をうつされ耳がよく聞こえなくなり卓治の両親に残酷に引き離されてしまうが卓治はシズエが横たわる家を訪れてふたりで抱き合って眠るのだ。

卓治、享年三十四歳。

遺品は埃をかぶったマジョリカ焼きの茶碗と菊版四冊分の切り抜きがあるだけだった。

低い学歴と自意識過剰が彼を死へと追い詰めた。

 

松本清張は自著『断碑』に強い愛着があったようだ。

この物語もまた清張自身の作品である。

四方にケンカを売りながら身を削って己の仕事に没頭した。

清張氏がせめて八十の齢まで生きられたことに感謝したい。

本作の卓治も「長生きがしたいな」とつぶやく。

長生きと健康こそが大事であると教訓を得る。

 

 

 

 

『石の骨』松本清張/『或る「小倉日記」伝』より

昨日の『菊枕』の次作品は『笛壺』なのですが先日記事にしたばかりなので割愛します。

 

gaerial.hatenablog.com

 

 

ネタバレします。

 

 

『石の骨』1955年10月号「別冊文藝春秋」

こうして読み続けていると松本清張作品はずっと関連のある要素でつながり続けていると感じる。

自分を認めてくれない他者への怨念がその接着剤となっているのがわかる。

 

省略した『笛壺』も関連がないわけではないが『菊枕』に続けて『石の骨』を読むとちょうど主人公が男女に入れ替わったような様相である。

ただし主人公が憧れる相手はどちらも男性である。

当時は上層に居るのが男性でしかなかったのだから当然この構図になる。

 

『菊枕』のぬいが俳句に魂と命をかけたように本作『石の骨』では黒津が一生をかける。

同じように妻子を犠牲にしていく。(ぬいはむろん夫子を犠牲に)

どちらも実在の人物がモデルである。『菊枕』では主人公のそして本作では悪人に描かれた人物の子孫たちが「事実と違う」と怒り出す。

本作『石の骨』では主人公・黒津の発見を握りつぶし「田舎の中学教師風情が」と罵る高名な学者竹中雄一郎博士はなんとあのSFの大家・星新一氏の祖父であったということで「松本清張だけは許せない」と罵ったとか。だから星氏はああいう現実離れした話ばかり書いていたのか。リアルな小説を書けばどうしてもそういうところにはひっかかるはずでそうした困難もあると思うのだが。しかし誰でも己の親族に関わると冷静ではいられないだろうから仕方無いとは思う。

 

『菊枕』のぬいもまた松本清張の化身であると感じたが本作の主人公黒津は同性でもあるため清張の同化がより激しい。

黒津が体験した学界への怒りと苦悩を清張は我がこととして書き表す。

 

学界には嫉妬と嘲笑が渦巻いている。この描写が事実なのか誇張なのかまったくの虚偽なのかは私にはわからない。

が、そのようなものだろうなあ、という薄ぺらな感想をもちながら読む。

『菊枕』と比較すれば仕事に打ち込む夫を持った妻子がどんな苦渋を舐めねばならないかということだけは知れた。

忍従する妻の話は読みたくない。

 

清張の小説では反抗する妻が多く登場する。

やはりフィクションは良い。

 

ふと思ったが黒津が最初から学界など無視して自分だけで発見を楽しんでいたらな。

 

 

『菊枕』松本清張/『或る「小倉日記」伝』より

ネタバレします。

 

 

『菊枕 ──ぬい女略歴──』1953年8月「文藝春秋」

主人公の「ぬい」は実在の俳人・杉田久女(よくわからないでいるけど当時は本名の下に女という字を付けているようだ)をモデルとしているらしい。

検索すると「杉田久女を元にしているようだが実際は全然違う」とお怒りの方が散見されるので心して記述せねばならないようだ。

なのでこの記事では杉田久女という女性俳人を描いたということではなくあくまで松本清張のキャラクター「ぬい」として書いていく。

 

この小説の「ぬい」は当時の女性としてはとんでもない生き方をしているのだろうし初めてこの小説のみ読んだ方にはいかにもミソジニー男が描いた話のように読めるかもしれないけれど松本清張読者としては本作でも清張は「ぬい」の中に同化して書いているのだと思う。

「ぬい」の苛立ちは「自分が認めてもらえないのは九州という田舎者であり田舎の中学教師の妻という貧しさ」ゆえに誰からも馬鹿にされているに違いないというものからきている。

彼女は士族の出で美しい母を持ち大男で軍人の父の血を受け継いで男以上の長身であり美貌の持ち主であった。

熊本の生まれながら東京お茶の水高等女学校を卒業しその美貌も相まって出会う男たちは眼のやり場に狼狽した。

 

美貌の長身というのは作者松本清張の逆張りのようだが当時において勝気なぬいの存在はむしろ女性としては煙たいものとして受け止められたに違いない。

「女は控えめに男に従うもの」という理想とは程遠いぬいの描写である。

大柄な美貌、癇癪もちで物を投げつける、趣味として俳句を始めると家事も忘れ子どもたちはお腹を空かせて泣いている、俳句に没頭し関係の客を呼んでは夫をないがしろにする。やがては夜遅く帰り酒気をにおわせる。

こうしたことは男であれば当然としてあったことが女であれば俳句に没頭しても家事も夫への気遣いも忘れてはならないとされるのが女なのだと清張は書いているのだ。

そしてぬいは俳句の道を進み楓声さらに宮萩栴堂に対して嬌態を示していく。周囲の者は男も女もぬいの様子に眉を顰める。

 

ある時栴堂が以前脳溢血を起こして要心していると知ったぬいは「菊枕」を作ろうと思い立つ。

中国の詩文に歌われる菊枕で眠ると寿命が長くなるのだという。

菊の花を干して嚢に詰めて作り上げたそれをぬいは栴堂に会って手渡しした。

しかし栴堂はあまりよろこばずぬいは苦しんだ。

ぬいの煩悶を知った者から口添えがあり栴堂はやむなくお世辞の礼を伝えるとぬいはたちまち嬉しくなり栴堂に甘えるのであった。

 

ぬいの才能は次第に衰え焦りそれ故にまた衰えていく。

栴堂への敬慕とも執着ともわからない感情は狂気を見せていく。

 

なんとなくニジンスキーを思い出してしまう。

『父系の指』松本清張/『或る「小倉日記」伝』より

ネタバレします。

 

 

 

『父系の指』1955年9月号「新潮」

本作は松本清張の小説の中で最も自伝的要素の濃い作品であるという。

とはいえ、ここまで読んできた感じでは松本清張小説はかなりの部分で実体験が基になっているように思える。

「自分自身をなまなましく描く私小説は私にとって不適当である」と氏は語っているが松本清張の場合はさまざまなところに事実を落とし込むことでリアリティを感じさせる巧さになっているはずだ。

 

松本清張は母よりも父と深い関係性を持っている。

父親とはあまり話もせず母親と密接な関係になりがちな日本の小説家の中で稀有なのではなかろうか。

それはひとつに貧しさゆえに父親との生活が濃厚にならざるを得なかったのかもしれない。

そのつながりは映画(この場合は小説でなく)のほうの『砂の器』を思い出させる。

他人が介在する余地のない中で病んだ父と他に頼る者の無い子は互いだけに寄り添い旅をしたあの父子は清張の小説の中ではあまり描かれてはいなかったのだがそういう関係性だったのではないだろうか。

 

『父系の指』に登場する父親のイメージは松本清張の多くの小説の中にその影を見る。

頭が良くそれを自慢している。どこか放埓でいい加減でそれゆえに嘘をつき貧しさから逃れられないでいる。女好きで妻子を犠牲にする。

仕事がうまく行っている時は横柄で金を使い果たしツキが落ちるととことんまで落ちてしまう。どの仕事も長続きしない。

清張作品にはそういう男の姿が絶えず描かれる。

だが一人息子には優しく語りかける。

「今にのう、金を儲けたら矢戸に連れて行ってやるぞい」

矢戸は父の故郷でありそこへ帰る金もなくその人は一生を終えるのだ。

 

そこは良い場所で川が流れ高い山がぐるりにある。二千年からの古い樹が立ち冬は雪が深い。川上からは砂鉄が出る。

父は何度もその話を繰り返し息子に語り母はそれを冷笑した。

母は父が貧乏性であることを見抜き諦めていた。

この場合の貧乏性は決して豊かにはなれないという意味だ。

男振りはいいが耳が小さい、というのである。

そしてもうひとつの特徴がタイトルにある「父系の指」である。

美化して書かれていないのではあるがつまり松本清張は「指が長い」のである。

伸ばすと反るくらいに長い指なのだ。

これが父とそっくりだと嘲られたというのだ。

「指が長い」というのは羨ましい美的特徴だと思うのだがここでは「指もそっくりだからおまえはつまらん男になるぞ」という意味として使われる。

 

父は貧しさから抜け出せない男であったが本当の「家族」は裕福な家柄であった。

なにかの理由があって父は貧しい夫婦の養子として引き取られる。

後で生まれた弟は裕福な家で育ち学歴を持ちそのまま大きな屋敷に住む身分になる。

父親は自分の弟がたいそう出世していることを息子に自慢するが自身は人生で一度きり弟に会っただけで二度と出会うことはなかったのだ。

 

本作の中で「私」はそれなりに落ち着いた職を得る。

ある会社の主任という役職になり平凡な結婚をし二人の子に恵まれた。

母は死んだが父は七十を超して生きていた。

食欲は旺盛だが足元はおぼつかなかった。それでも耳は確かで新聞が何より好きだった。

「私」は大阪に出張し仕事を終えてふと「父の故郷に行ってみよう」と思い立つ。

鳥取県の矢戸へと向かうのだ。

ここで清張は中年の夫婦に出会い「出雲は東北弁のような訛りがある」と感じている。

『砂の器』の萌芽ではないか。

「私」は父の故郷をその目で見るがかつて子供の時に父が繰り返し話したイメージとはおよそかけ離れた貧相なものだったと描かれる。

父は十代でその土地を離れたのだ。

子供時代の思い出は偉大なものとして記憶されてしまうのだろう。

「私」は父の実家を訪ねるが当主は医者のため往診して留守で家内である女性に応対を受ける。

が、ついに当主には会えず虚しさだけを抱えて帰る。

父は意気込んで故郷の話を聞きたがったが「私」は残酷に「つまらんところだった」と答えるのだった。

この場面の父の様子はあまりにも憐れで読むのが辛い。

その生まれは決して悪いものではなかったのになぜか貧しい家に里子に出されてしまったのだ。

一族は皆それなりに良い暮らしをしているのに自分だけがその輪から外されてしまった。これまでの描写を思い返すとこの父親がそのまま育っていてもあまり良い方向へ行かなかったのではないか、という気もするがそれはそうであってみなければわかるものではない。

父親は実家に書留で手紙を出しその返事が来ることはなかった。

酷い。

 

 

二年後、「私」は東京へ出張することになりついに父の弟の豪邸へ行くことになる。

が、当人は一年前に死亡していた。

家族は温かく「私」を迎え入れ「私」は仏壇の上の写真を見て驚く。それは父の顔そのままだったのだ。

が、その容貌とは違い「父とはなにもかも異なっている」と「私」は考える。

いつも他人から甘く見られ貧乏で一生を過ごした父と同じ顔でありながらその弟は少しの手落ちもなく世の中を渡ってきたのだ。

裕福な家族は「私」に「これからは親戚同士のつきあいを復活したいものです」と告げる。

「私」はそう話す従弟の指を見た。自分にそっくりの長い指だった。

 

「私」は九州に帰ったらこの親切な叔父の家族にはがき一枚出すことはないだろうと考える。

 

最後の一文に笑ってしまった。

それで良いと思う。

 

 

 

 

 

 

『或る「小倉日記」伝』松本清張/『或る「小倉日記」伝』より

表題作『或る「小倉日記」伝』は松本清張が43歳の時に「三田文学」(1952年昭和27年9月号)に発表し一旦直木賞候補になりながら芥川賞受賞するというトリッキーな経緯を持つ。

この時、松本清張は「直木賞候補になったから直木賞発表を見たらなかったのでがっかりし、芥川賞受賞していたと気づかなかった」らしい。

これ自体がミステリーではないか。

 

 

ネタバレします。

 

 

『或る「小倉日記」伝』1952年9月号「三田文学」

松本清張43歳、まだ当時の小倉市在住で朝日新聞西部本社に勤務しながら執筆した作品である。

朝日新聞勤務とはいえ記者ではなく意匠係という「デザイン関係」部門であるのが驚きである。

松本清張は文章だけでなく絵画デザインの才能を持っていたのだ。自身も「小説がだめなら絵の道へ行くつもりだった」と言っている。

清張作品が映像化されやすいのはそのまま絵画として頭に浮かぶからなのだ。

抽象ではなく情景がそのまま表現されているからだろう。

 

さて、私は「芥川賞」作品というのをほとんど読んでいないのでこの作品の「芥川賞作品群」での位置づけはさっぱりわからないのだがここまで読んできた松本清張作品としては松本清張の真髄と名称していいのではないかと思う。

 

本作の主人公田上耕作は重い障害を抱えて生まれ落ちた。

成長しても片足を引きずり肩をゆすって歩く。顔の半面が歪み口が絶えず半開きになり涎を流し続け言語も不明瞭で何を話しているのかが相手に伝わらないため「白痴」だと思われてしまう。

彼と出会う人々はその様子を見て嘲笑うのだが耕作は実は非常に高い知能を持っていた。

母親と幾人かの知人はそれを知って耕作の活動に力を貸す。

耕作が人生の拠り所としたその活動というのが「森鴎外の小倉時代の日記の失われた三年間の部分の資料を集めて文章にする」というものだった。

 

昭和13年ごろ岩波版「鴎外全集」が出版された。

が、第二十四巻後記には鴎外の小倉時代の日記の散逸した次第が載っていた。

鴎外は明治32年6月九州小倉に赴任。以来、35年3月に東京に帰るまで満三か年をこの地で送った。

この時代につけた日記は人に頼んで清書し保存していたが全集を出す時にどんなに捜しても所在が知れなかったのである。

鴎外が小倉に来た時は年齢四十前という男盛りである。

その独身生活は簡素を極めその後母のすすめる美人妻と再婚する。

そのような時期の失われた三年間の日記というのは惜しまれるものであった。

 

この事実とは別に耕作にとって森鴎外の短編『独身』に描かれた「伝便」という単語が彼を郷愁に誘うという魔法がかかっている。

耕作が幼い頃隣家に住む愛らしい少女とその父親が「でんびんや」という職業だったことが森鴎外の作品と密接に結びついたのだ。

これは『市民ケーン』の「バラのつぼみ」なのだろう。

自分にとって最も愛すべき存在が「でんびん」という不思議な響きに目覚めさせられたのである。

 

以降、耕作は不自由な体を酷使して「森鴎外の失われた三年間」の復元に奔走する。

それは戦前から始まるが戦中となって行き詰まり戦後の厳しい状況下ではほぼ困難となてしまう。

思うように動かない体での探求は苦しく、また人々からは「そんなことを今更調べて何になるのですか」と問われ自信を失い激しく落ち込む。

その苦しみを見ながら絶えず寄り添ってくれたのは美しい母親だった。

 

この物語はどう考えても松本清張自身を描いたものである。

彼はたぶん大きな劣等感を抱き続けていたのだ。「身体」というよりは「能力」という意味で。

それは耕作と同様に「あった」のだが人からは認めてもらえず常に嘲笑の的にされたのである。

松本清張は学者の称号どころか大学卒証書すらない。彼は小学校しか卒業していない。その後すぐ働かねば家族を食べさせられなかった。

やがて勤務する朝日新聞社では大学卒の記者たちから実際に馬鹿にされていたと記している。

(さらに小説家になってからも何の学歴もない彼があれほどの著述をこなしていることが疑問視されゴーストライターがいるに違いないとウワサされ「邪馬台国」の考察でもただの「司会者」としてテレビ番組に利用されてしまう、がこれはまた後の話だ)

 

松本清張は自分自身として耕作を描いたのだろう。

そして清張はこの主人公に恐ろしい結末を与える。

「おまえのしてきたことはすべて無駄だった」

田上耕作は実在の人物である。

最後に清張は「田上耕作がこの事実を知らずに死んだのは、不幸か幸福か分からない」とする。

自分自身にすら苦い思いをさせる。

いや、清張は好きなものをずっと追いかけることができるのはそれだけで幸福だった、と書いたのである。

 

 

 

『天幕のジャードゥーガル』第4話 アベル・ゴンゴラ/原作:トマトスープ

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このアニメでほっとしているのは最近のアニメでうんざりしている「硬い作画」でなく「柔らかな作画」で描かれているところなのかなと思う。

人物も背景も描かなければ表現できない世界なのだから。

 

モンゴルのルールがさまざまに教えられる。

四男トルイは末子相続のオッチギンでありながら新皇帝となったのは三男のオゴタイである。

モンゴルでの屠殺方法もイスラムとは違う。

血抜きをせず血を含んだ肉を食す。

モンゴルで8年を過ごしたファーティマはすでにそれを食べきれるようになっている。

 

ファーティマの女主人がかつて所有していた「原論」を今はトルイの正妃ソルコクタニ・ベキが持っている。

ファーティマはその指南役としてソルコクタニに仕えていた。

偉大なる帝王チンギス・カンが崩御し新しい皇帝を選ぶクリルタイが開催され末子ではなくオゴタイが選ばれ「オゴタイ・カァン」となる。

 

ソルコクタニ・ベキはファーティマをスパイとして兄弟たちの行動を見張るよう命じた。

 

ソルコクタニ・ベキが気になって仕方ない。

クビライ登場。

 

『細雪』阿部豊/原作:谷崎潤一郎

少し前谷崎潤一郎と『細雪』にはまっていた時にどうしても観ることができなかった『細雪』映画第一弾がまさかのYouTube無料配信なのですが二週間の限定期間なのでなにもをとりあえず鑑賞してみました。


www.youtube.com



 

ネタバレします。

 

 

1959年版1983年版映画は鑑賞して比較にならないほど1959年版が良かったのだが本作を観たらやはりこちらの方が良い。

やはり『細雪』という作品は時代のものなのではないかと思う。

 

末妹の妙子のことが私は今まで好きでなかった。特に1983年版の古手川祐子が嫌でしょうがなかったけど高峰秀子の妙子がとても良くて考えがすっかり変わってしまった。

三女の雪子の性格もこの映画を観てよくわかったような気がする。

そして何といっても啓ボンのイヤな感じが凄く出ていて笑ってしまう。

 

この作品、今観る価値がある。

名家と言われた蒔岡家が没落していく様は現在の日本の様子を思わせる。

蒔岡家には四人の姉妹だけしかいない。

本来なら男子が後継者となるのは当然だがやむなく長女が養子婿を取ることで蒔岡家は継承されていく。

だが名家とはなんだろうか。

妙子が丁稚あがりの板倉と結婚したいと言い出した時、次女の幸子は板倉が死んでほしいと願い「人間というのはなんと浅ましいのだろう」と夫にいうのだがそう思うことができるだけでも幸子は正直な人だと思う。

 

結局人生も「家」もなるようにしかならないのだ。

様々なことがあった後でも妙子は自分で生きることを選び出ていく。

そして雪子は散々な目にあった後で自分にぴったりの結婚相手に巡り合うのだがなぜか腹痛が彼女を襲うのだ。

 

今現在日本でも皇統を継ぐのは男系男子に限るのか女系女子でも良いとするのかで迷い続けている。

どちらの道をとってもなるようにしかならない。

何が起きるのか誰にもわからないのだから。

 

蒔岡家本家はやむなく東京へ移り住むこととなる。

経済的に立ち行かなくなったが養子婿であり銀行家でもある夫は東京に行くことで出世し収入も増えるのである。

姉妹にとってかけがえのない蒔岡家本家は他人のものとなってしまうのだ。

物語は繰り返される結婚話にいつも煮え切れない三女雪子と四女妙子の破天荒なお嬢様ぶりで進行していく。

 

この映画での雪子の態度はほんとうにイライラさせられるし逆に妙子にはハラハラさせられる。

対称的な表現はわかりやすい。

本作での妙子を観たら確かに現代的な妙子に共感してしまった。これは高峰秀子の魅力も大きいのだと思う。

 

この映画を観ても原作を読んでもなにもかもよくわからないが日本の文学作品の良さというのはそういうところなのだろうとぼんやり考えている。