
ネタバレします。
『日光中宮祠事件』1958年4月『週刊朝日』別冊新緑特別読物号
なんか表紙が良い感じだけどこれは良い感じだと思わせてはいけない気がするが。
1946年(昭和21年)に実際に起きた事件をもとに書かれた小説である。
タイトルにある「中宮祠」からまったく違ったイメージを持って読んでしまった。なにか宗教関係の話だと思ったのだ。
とはいえ「中宮祠」の意味を知っている人ならそんな間違いは犯さないだろうけど。
1946年栃木県上都賀郡日光町(現在の日光市)の旅館で起きた火事から発見された一家全員の焼死体が発見される。
数々の疑問点があったにもかかわらず警察はこれを「一家無理心中」として片付けてしまった。
姻戚関係であるひとりの住職がこれを不満に思い自分から情報を集め署長に再捜査をやってくれと度々申し出たが取り上げられなかった。
この住職は十年間憤懣を持ち続けた。
そして十年後に起きた「新井志郎事件」の犯人が「一家心中事件」の手口を思い起こさせるとして住職は改めて久喜警察署にかつての事件の捜査を願い出たのである。
この事件の実の犯人が「怪しげな朝鮮人の一組」であることから今現在はやや扱い難い題材かもしれない。
だがこの作品の面白さは他にあると思う。
まずはこの小説の冒頭に「岡本綺堂の『半七捕物帳』の愛読者である」という一文が出てくる。
ここで書かれる半七老人の前書きが絶妙なのだという。
私は『半七捕物帳』は読んでいないがここで描かれる語り口の妙は理解できる。
イギリスの小説アガサ・クリスティやブロンテの『嵐が丘』などにも使われる語り口を想像する。
ある人物の「語り」によって物語の世界に誘われてしまうのだ。
十年前に起きてすでに「心中事件」として片付けられてしまったものを住職が申告しそれを当時は担当していなかった警官たちが捜査していくという流れである。
松本清張は古代史に興味を持つ性格もあるためかこうした「過去の事件」に興味を持つ話が多い。
その操作は困難を極めるが独特の風味があるのだ。
つまり実際の犯人が誰かということより「すでに消えゆく時間を追い求める捜査」の妙味である。
そこに「当時の怪しげな朝鮮人たち」というこれもまた独特のスパイスが加味されるのも事実だ。
犯人の名前を「カネシロ」と聞いて「金白」だとおもったのだが実際は「金城」だったという清張お得意の「耳で聞いた言葉」による錯覚も取り入れられる。
そして偶然見つけた一枚の写真から真相がつきとめられる、という運びも『砂の器』を彷彿とさせる。
そして真犯人を捕まえた警官たちは自分たちの努力を労いながら住職の頑張りこそが最大の功労だと口にするのであった。
『情死傍観』1954年10月号「小説公園」
出た!清張定番「クズ男と冷めた女」
この作品は言ってしまえばそれだけなのだがそこは清張マジックで思いきりおもしろい小説にしてしまうのである。
そのままであればそこまでおもしろい題材でもないのだろうけど巧みな構成力ゆえに読ませられていく。
阿蘇山の噴火口に投身する自殺志願者たちを何百人と救ってきた老人をもとにして小説家「私」はフィクションとして加工し発表する。
『傍観』と題した二十枚にも満たないその作品に対してある女性から手紙が届く。
「私」はその手紙を読み彼女が私の小説の「虚構」の部分にひっかかってこの手紙を書いたのだ、と冒頭で説明する。
つまり『傍観』の話は虚構なのだ。
その上で話は進んでいく。
まずは『傍観』の内容が公開される。
阿蘇山噴火口の近くで茶店を経営している老人の「わし」一人称で語られる。
長年そこにいると自殺志願で訪れた者はすぐに見分けがつくのだという。
そして彼は何百回と自殺寸前の人を助けてきた。
ある時も若いカップルの心中を助けたが「死なせてくれ」と嘆き喚く男と対称的に女は冷ややかでその男を憎悪に満ちた目で見つめていたのを忘れることができなかった。
数年後、忘れもしないその女が別の年配の男と夫婦連れのていでやってきたのだ。
それを見た老人はなんという嫌な女だろうとあきれ返った。
直後、老人は別の若い男女の心中を見かけるが心が冷めきっていたためそのまま見殺しにしてしまう・・・。
というのが小説の内容だ。
これを読んだある女性が仮名と称したうえで手紙を送ってきたのだ。
彼女は助けられた男女カップルの女の方だという。
そして「私のために他の心中男女が見殺しにされたのだと思い、幾晩も眠れなかったのだが私があの時どう思っていたのかを伝えたいのだ」と手紙に書いてきたのである。
男は自分から「心中しよう」と持ち掛けて阿蘇山まで出かけたがいざ火口に降りたところで怯えだしたのを女は「早く」とせかしたのだという。
ところが老人に呼び止められて救われたのだがその途端、男は「ふたりで死ぬんだ、死なせてくれ」と芝居がかって嘆き叫びはじめた。
それを横目でみながら女の心は冷え切っていき、ふたりの心中に驚いた親は結婚を許したが女はもう男への気持ちは失っていた。
数年後女は別の男性と結婚し過去の自分と決別するために阿蘇山に行ったのである。
清張の描く「女のしたたかさ」は初期からすでに描かれていた。
心中相手の男がいざとなったら心中に怯えたのは仕方ない。
だが助けられた途端「死なせてくれ」と騒ぎ出したことに女は醒めていったのだろう。
男はこうした「男の弱さ」を女は包み込んでくれるはず、それが女の優しさだろうと望むのだろうがそうはならない。
許したとしても失望はするのである。