ガエル記

散策

『月に咲く花の如く』その11

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52話まで鑑賞しました。

ここにきて初めて物語と脚本に疑問を感じてしまいました。ドラマにはありがちなことではありますが。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

問題は51話です。

ここで周老四が呉家東院から出て旅立ちたいと言い出します。周老四は自由な人なのでこれはまったく問題はありません。またふらっと戻ってきてももしくは旅立ったと見せかけて遊び歩いていたとしてもいいのですから。

周老四を見送った周瑩は帰り道で呉聘の墓に寄りそこで胡咏梅を見かけます。

 

周瑩は気がかりがありました。

以前毎日のように呉聘から棗餅を買ってきてもらい食べるのを楽しみにしていました。ある日周瑩は思い出の棗餅を食べようと店を探すのですが主人はずっと前に店を人に売り渡したというのです。しかもその相手が胡咏梅だったのでした。

呉聘が死んでしまったあの日、つわりの為に周瑩は大好物の棗餅が食べられず甘いものが苦手だった呉聘は周瑩にすすめられて食べていたという事実がありました。

これはいったいどういうつながりになるのか、ということです。

 

呉聘の墓の前で周瑩は胡咏梅を問いただしついに胡咏梅は真実「あの日呉聘が食べた棗餅に入っていた毒物は胡咏梅が周瑩を殺すためにしかけたものだった」と白状します。

しかし胡咏梅はなおも「悪いのは私ではなく周瑩よ」と言って棒で殴りかかります。そこへ助けに入ったのが周老四でした。

彼はため込んでいた盗品を取りに戻ってきたのです。

しかしその盗品の中に短刀があり胡咏梅はその短刀でさらに周瑩を切りつけます。周老四は周瑩をかばって刺され死んでしまいます。

そして胡咏梅も自らを刺して死んだのでした。

 

ううむ。

これは因果応報、ということを表しているのでしょう。

胡咏梅は婚約者を奪われたと妬みその女を殺そうとしたために逆に愛する人を殺してしまった。

周老四は盗んだ短刀で殺されてしまった。

その理屈はわかりますが観ている間は何ともやりきれない気持ちになりました。

最初に初めて疑問を抱いた、と書いたのはそういうわけです。

きっちり話をつけたい、という意識も強いのでしょう。そこが面白いところではあるのですが大好きな周老四がこんな結末になってしまうのは残念でした。しかしやはり盗みはいけない、ということですね。

胡咏梅ももっと違う形で終わると思っていました。

しかしやはりこれは因果応報として決着されてしまうのが妥当なのかもしれません。書いている間になんとなく自分で気持ちを解決してしまいましたw

疑問を持ったのは確かなのでそのままにしておきます。この終結こそがこのドラマの持ち味なのでしょう。

 

 

さて一区切りがついてしまった周瑩は周老四の最後に言っていた「沈星移と結婚しろ」という言葉にも後押しされついに沈星移がいる上海へ向かいます。

西洋化し賑わう上海でふたりは再会し西洋文化を楽しみます。

ところがそこにまたもや暗雲が近づいてくるのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『月に咲く花の如く』その10

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正直言ってレビュー書いてる時間がもったいない。つか途中で切れない。

 

前回レビューで「胡咏梅が出てこないねー」と思っていたら今回はヒロイン並みに活躍です。

 

ネタバレしますのでご注意を。

しかも悲劇のヒロインです。

洋布織物工場を再建した周瑩を再び突き落とさんとする胡咏梅。そそのかすのは勿論杜明礼です。

杜明礼は趙白石&周瑩の洋布工場を抑えきれなかったという罪で貝勒の怒りを買い壮絶な棒叩きの刑を受け車椅子で移動しなければならないほど痛めつけられてしまいます。

なんとか汚名を挽回するためにすぐに利用できるのは復讐に燃えている胡咏梅しかありません。

杜明礼は心では胡咏梅に惹かれているのですが洋布店を経営している彼女を焚きつけて安売りをさせ結果周瑩の洋布を売れなくし追い詰めて工場を諦めさせるという手を打ちます。

そのためには胡咏梅の店自体が利益なしの安売りという大きなリスクを負ってしまうのですが復讐心が強い彼女は躊躇いません。

心配する爺やを無視して決行し一時は周瑩を追い詰めるのですが、株式会社になって全社員が利益を追求し尚且つ様々な攻略を思いつく周瑩には勝てるはずもありませんでした。

私はまたもや別の場所例えば上海での販売をするのかと思ったのですが、同じ筋書きではなかったですね。様々な割引や客を引き寄せるアイディアを出していくというやり方で胡咏梅の売り上げを封じ込めてしまいます。

周瑩は最初に胡咏梅と手を組んで仲良く契約しようと持ち込んだのですが胡咏梅の復讐心はそれを退けてしまいました。

とはいえそれは胡咏梅が呉家を父を殺した敵だと信じ込んでいるためでその策略のすべては杜明礼が仕掛けたものだけに気の毒と言えば気の毒です。

ずっと書いていますが貝勒の支配下に置かれてしまうと人間性を失っていくことになってしまうのです。そこに気づけるかどうか。

 

沈家も同じ縛りを受けています。

沈星移は上海で着々と成長しているようで頼もしいのですが今後彼が貝勒とつながってしまった父親・沈四海を助けられるかが気になるところです。

 

そして一方、周瑩を心ひそかに愛している趙白石がなんと呉漪の策略にはまって彼女と結婚してしまうのです。その秘密を知っているのは千紅のみ。こ、これもなんか不安です。

 

周瑩は義母から「あなたはもう私の娘のような存在になってしまった。だから好きな人ができたら結婚してほしい」とまで言われてしまいます。義母さん、ほんとうにしとやかで優しくて良い人です。

周瑩は春杏やほかの部下たちからも慕われていてかっこいい。

そして最初の工場を打ち壊してしまった暴徒たちを説得して再建した工場の働き手にしてしまいます。卒がないですな。しかも西洋人を怖がる彼らとジョセフ牧師を一緒に働かせることで仲を取り持つ。ほんとにこうありたいものです。

 

すべてが出来すぎとも言えますが観ている間はハラハラドキドキで夢中で観てしまうのですよ。

 

胡咏梅がどうなるのかも気になってしかたありません。

 

『月に咲く花の如く』その9

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46話まで鑑賞。

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

このドラマの見ごたえの一つは彼、沈星移ですね。

始めは周瑩の夫・呉聘に比べなんとむかつく若旦那であるかと呆れましたが回を追うごとに成長していきます。

最初から凄い女性だった周瑩よりも成長度は大きいのではないでしょうか。

若旦那らしい無鉄砲で自由気ままな性格の魅力だけでなく真剣に周瑩を好きになり彼女に好かれようと懸命に努力していく様子は胸を打ちます。案外世の中にこういうキャラクター設定は少ないのではないでしょうか。

 

ところが周瑩は呉聘を思い続け呉家東院を盛り返したいみんなを守りたい意識が高いためもあってついに「寡婦の誓い」=もう誰とも結婚しないと公表してしまうのです。

沈星移はもちろん密かに周瑩を愛していた趙白石も衝撃を受けてしまいます。

 

その趙白石を好きになってしまった呉漪が得意料理で彼に告白をして趙白石が詩で返答していく下りは見ごたえありました。

 

さて物語はその趙白石と周瑩が念願の西洋式織物工場が開業日に暴徒たちに襲われすべてが破壊されてしまうというとんでもない局面を迎えます。

暴徒たちはこれまでの旧式の織物工場で働いてきた者たちでした。職を奪われ窮地に立たされた彼らは杜明礼が差し向けた手先のデマにそそのかされ周瑩たちの新工場を破壊すればもう西洋式はあきらめるだろうと暴れたのです。

 

驚いた周瑩は工場を守りたい一心で暴徒を止めようとして襲われてしまいますが彼女に覆いかぶさったのが沈星移でした。

暴徒に叩きのめされた沈星移はあばら骨を折る重傷を負ってしまいます。

 

その知らせを聞いた沈星移の祖母は怒り呉家に乗り込んで周瑩をみだらな寡婦と罵ります。

以前ふたりの叔父たち(西院・中院)に「寡婦の誓いを立てよ」と命じられ断った周瑩でしたがこの事件で決意をするのでした。

寡婦の誓い」でもう誰とも再婚しないと発表した周瑩に沈星移と趙白石は驚き悲嘆します。

しかも沈星移は父親から「杜明礼の命令から逃れたくば名家の令嬢と結婚せよ」と告げられ強く拒絶します。

沈星移は強くなりたいという決意を持って上海へと旅立つのでした。

 

「一生再婚はしない」と誓いを立てる周瑩に「一生かかってもお前と結婚する」という誓いを立てた沈星移が感動でした。

どちらにしてもこのままでいれば杜明礼とその主人・載漪貝勒の支配下にいるしかありません。人の支配下にいるのが耐えられない沈星移はそれを乗り越える力を持つしかないのです。ぜひ頑張って欲しい!杜明礼に負けるなー。(とは言え杜明礼も泣けるんだけども)

 

そして資金繰りに困った周瑩は株を呉家の使用人たちに売ることにします。

つまり株式会社になるわけですね。

これは面白い展開になってきましたよー。ずーっと面白いばかりですが!

 

『一度きりの大泉の話』萩尾望都 その6

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さて、その後途中まで作業を続けたのですがあまりにも空虚を感じて挫折してしまいました。

前半と同じように一文ずつ批判するのは精神的ダメージが大きすぎます。なので大雑把にやろうと思います。

 

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後半は、補記2「汝、頑ななる者よ」と題されています。

ここからレビューはさらにヒートアップしていきます。

 

レビュー氏はもう自分の感情を抑えることができなくなっていくのです。萩尾望都の『一度きりの大泉の話』はこの方の尊厳を打ち砕いたかのように思えます。

まるでかつて萩尾氏が竹宮氏の尊厳を打ち砕いてしまったかのように。そのために竹宮氏は我を忘れ萩尾氏に平常ならば言いはしないだろう言葉をぶつけてしまいました。ここでは何の関係もないはずのレビュー氏が遠い存在の萩尾氏に冷静な人間ではありえない罵詈雑言を叩きつけ続けます。なぜここまで常軌を逸した罵倒をせねばならないのか、やはり萩尾氏には一部の人々を打ちのめしてしまう特別な神秘性があるのかもしれません。

私は単純に「面白いマンガを描いてくれるありがたい人だなあ」と楽しみにしその人がかつて辛い思いをしたと聞いて「いろんな人がいるものです。長い時間を経ても謝罪がなかったのですからもうあきらめて棲み分けるに限りますよ」と思うだけです。

もちろん今後おふたりが再会できるような奇跡があるのならいいのだがなあ、という希望は持ちますよ。しかしそれはおふたりだけが考えることで運命にまかせるしかありません。私は萩尾さんのマンガが好きで楽しみで彼女もそれがお好きなようなので良い環境でおられたら、と願うのみです。竹宮さんに対しては萩尾さんの邪魔をされないようにと願うしかありません。

 

さてレビュー氏は「汝、頑ななる者よ」と題されましたがこれはご自身を言っておられるようにしか思えません。

アマゾンのレビューにこれほどの長文を書く、というのはやや異様にも思えるのですがもしかしたら氏はプロの文筆家を目指しておられるのかもしれません。

が、アマゾンのレビューでなら反応があってもプロとして活動されるにはあまりにも攻撃的であり愛情の欠落を感じさせます。

 

レビュー氏は萩尾氏に「なぜ竹宮氏を許さないのか」と激しく怒っていますが私が読んだ限り竹宮氏は萩尾氏に謝罪してはいません。

ただ「昨日のことは忘れてほしい。そしてもう二度と会わないでほしい」と言っただけではないのでしょうか。だから萩尾氏は「会わないように」しているだけですよ。

そして竹宮氏の打ち明け話『少年の名はジルベール』にはその顛末は書かれておらず書かれていたのは「萩尾さんの才能に嫉妬した」という言葉だけでした。

竹宮氏としては「だから私が言ったあの言葉は罪にはならない」「そして私は次の日にちゃんと謝ったのだからもう謝らなくてもいいはずだ」という自己弁護なのでしょうがその一番核になる部分を書かなかったのはやはり竹宮氏は「その場面」を書くことが恐ろしくてどうしてもできなかった、それは人間として簡単に許されることではないと解っていた、ということなのです。

 

そのために萩尾氏は自身の打ち明け話で事の顛末を書く羽目になってしまいました。もう二度と体験住まいと封じ込めた責め苦をもう一度自ら味わわなければならなかったのです。

レビュー氏はまたもや激高し「なぜ小娘の過ちを許せないのか」と唾を飛ばす勢いですがあなたはなぜ萩尾氏を許さないのですか?

あなたはどうやらキリスト教を学んでおられるようですがあなたの思考と分析と文章にはまったく慈愛がないのです。

どうやらあなたは「なぜ私が萩尾氏を許すのか?」とぽかんとなさっているのでしょうが、萩尾さんの罪はあなたを嫉妬の地獄に落とした、という罪なのでしょう。

萩尾氏の才能はあなたを打ちのめした。

萩尾氏には大勢のファンがいて彼女が尊敬され愛されているのがあなたは許せないのです。あなたは書いています。

 

萩尾が「特別な人間」だとも、ましてや「神様」だなどとも思わない。

 

と。私は萩尾氏は「マンガを描くのが上手い人」とだけ思っていたので「特別な人間」「神様」とまで考えていたあなたに驚きました。

それを思いついて否定しているのはあなたが萩尾氏が「特別な人間」「神様」だと感じて羨ましくなりそうではない自分が虚しくなったからではないのでしょうか。

人間はだれも「特別な人間」ではなく、また人間なのですから「神様」ではないですよ?その発想がどうして生まれたのか、よく考えてみましょう。多分その出口はあなたの「人への羨望」ではないですか。

私はよくは知りませんがキリスト教の中でも「人を妬むべからず」という項目はないのでしょうか。

もう一度書きますが「頑ななる者」というのはレビュー氏ご自身のことですよね?

あなたのその高い知性をもってご自身の心理を分析しそれから柔らかな情感を持って他の方の作品を読み考えられることをお勧めします。

現在のその頑なな精神では人を傷つけるばかりです。

そして


私は、いろんなジャンルにおいて「一流」だと評され、多くのファンや支持者を持ち、そのジャンルにおいて「神様」と呼ばれる人たちについても、「同じ人間」として、「人間としての評価」を与えてきた。

 

「与えてきた」ことでなんとか自身の尊厳を保ってこられたことが伺えます。

なぜそんなに高圧的なのでしょうか。

そしてなぜ「一流」「多くの支持者を持」つ「神様」(またこのことば、かなり重症ですね)を自分と同じ人間だと思い込もうと努力してきたあなたの苦悩は切実ですが根本的に間違っています。

人間は人間であって神ではない、というのは基本条項であなた以外の普通の人々は普通にそう考えていますよ?なぜそこまである人たちを神様と思われている!と考えて苦しむのですか?みんな人間なので安心してください!大丈夫!人間ですよ!目を覚まして!!!

萩尾望都氏もまた普通に人間であって誰も本気で神様とは思っていません。ジョークで「女神様」と呼んで楽しんでいるだけですから安心してください。

 

そして萩尾さんをそっとしてあげてください。彼女を追いかけて大声で

 

何も怖れることはない。
なぜなら、あなたはすでに許されているからだ。

 

と叫ぶことは私はあなたに許したくない。あなたそのものが怖ろしいです。

 

ちょっと落ち着いてご自身の分析と文章をよくよく読み考えてみましょう。

あなたご自身が書かれています。

 

汝、頑ななる者よ、
弱き者を許しなさい。あなたは、罪人を裁いてはならない。
あなたは、裁き主ではないからである。

もしもあなたが、人を裁けるなどと高ぶるなら、
その時あなたは、「残酷な神」という悪鬼にとらわれて、それに変貌していると考えるべきである。

だが、その時、不幸なのは、あなた自身である。
あなたは、他者を許せず、そのことによって自身を許せない。
そして、自虐的にもあなたは、自身を狭い檻の中に閉じ込めて、「これで安心だ」とつぶやきながら、孤独に呪われた生を生き続けることになる。

 

これは全部あなたご自身への言葉ですね。

あなたは裁き主ではないし「人を裁ける」と高ぶるならあなたが悪鬼なのです。そして自虐的にも「これで安心だ」とつぶやきながら孤独な生活をするのですね。

やめましょう。大丈夫、今からでも人間に戻れますよ。

 

 

さてさて、私自身も学びました。

素人批評家は感情的になりがちですが戒めなければならないですね。

「評価を与えてやった」的になってはいけないのです。

隣人に愛を!よろしく!

『一度きりの大泉の話』萩尾望都 その5

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『一度きりの大泉の話』感想はもう終わり、と思っていたのですがもう一度書くことになりました。

というかむしろ『一度きりの大泉の話』感想の感想です。

 

アマゾンレビューに書かれたレビューです。レビュー者の思いがかなりの長文に込められていて、私が読んだ時点で500に近い「役に立った」がついていました。

私も迫力におののきながらも読んだのですが疑問に感じる点もあったのでそれをここに書いてみようと思います。

 

補論追加までされている長文になるのですが筆者が後に行くにしたがってかなり感情的になっているのが気になります。「話が合わないのだから棲み分けよう」とした萩尾望都氏の判断に対して抑えようとしても激高していく様子なのです。

筆者自身

 

本書を読むと、増山法恵竹宮惠子に同情してしまう。というのも、彼女たちはたぶん、私と同様に、親の愛を普通に受けて育ってきた「当たり前の人間」であり、当たり前の「欲望」を持っていたに過ぎない。

 

と書かれていますが、ここにヒントがあるように思えます。

文章からしても知的なレビュー筆者は増山・竹宮側の住人であり萩尾望都の国の住人ではないのでしょう。

自らも

 

私は萩尾望都のファンではない

 

と書かれているのですから。さらに

 

つまり、本書について、萩尾望都竹宮惠子のファンに「ウケのいい(ロマンティックでナルシスティックな)評価」を語る気はなく、あくまでも本書を、1冊の「手記」として分析することになるだろう。

 

と前置きがあるのですがこれは蛇足に思えます。私もつい書いてしまうので気持ちはわかりますが。

しかしここでレビュー筆者は自分の分析はナルシスティックな評価ではない客観的見識に基づくものと書かれていると思われますが、先に書いたようにその分析は自分の立場から見た感情が作用しているものであり書き進めるにつれて加速しついには怒りが爆発していく極めて「自分に向けてのナルシスティックな評価」になっていると思えてしまうのです。

 

続いての

 

本書の狙いはいたってシンプルである。
要は、生きている関係者として、「大泉神話」なんてものは「御免こうむりたい」ということであり、中心的な当事者と目されていた者の立場から、それに対し、ガツンと太い釘を刺したということだ。

 

という分析も筆者の「自己の鋭い分析」への心酔を感じますがあまりに冷酷な叩きつける文章に身がすくむようです。

萩尾望都さんはもうこの件には関わりたくないと思われているはずなのでこの方の文章を読むこともないだろうということだけが頼みです。

 

萩尾さんとしては「ガツンと太い釘をさしてやった」というようなことではなく単純に「もう私をそっとしておいて」=Leave me alone

というだけではないのでしょうか。多くの萩尾ファンはそう受け取ったのですが、萩尾ファンでないこの方は「ガツンと釘をさした」と判断したのでしょうし、それでもいいのです。

 

萩尾作品『銀の三角』の中にディディンというとても心に残る人物がいます。

この話はつい先日書いたばかりの記事にも出したのですが、彼はパヴァーという不思議な学者のような男と契約をしていて「子孫が作れたら、できなくてもあと二十年もたったらわたしは小さな惑星をひとつパヴァーからもらえる」「それは太陽からとても遠い星で地表の地下には暗い川が流れている」「はやくその惑星へ行って暮らしたい、静かに終わりの日まで」と願っているのです。

私もこの話をとても羨ましく思っていてよく思い出します。

萩尾さんにとってはこの「子孫」の部分を「マンガ」に置き換えて考えているようにも思えます。

物凄く寂しく悲しい願いにも思えるのですが同時にほっとする気もするのです。

この話は萩尾さんの心の現れとも考えられます。なのでこの本が「ガツンと釘を刺した」とはとても言えなく、彼女の悲しい願いだと私は思っています。

 

さらにレビュー者の知的な分析は続いていきこう書いています。


そう、萩尾望都は、意外にも「母親からの承認を求めて、自立しようともがいた」アスカに似ているのだ。

そうでしょうか。私は萩尾さんの心理は「承認」などではなく「愛されたい」という気持ちだと思うのです。
ここでも竹宮・増山側の住人らしい知的判断がなされていますが萩尾さんの作品は一見理数派のようでいて実はとても情愛の感覚で描かれていると思うのです。ご両親からも理屈ではなく愛されたい、と思われていたのではないのでしょうか。

なので駆け引きができず単純に好きと言われれば嬉しく会いに来ないでといわれれば悲しい、そういうストレートな感情を持っているように感じます。
(そういえば竹宮惠子氏はかつて「好きという言葉を使わず「もう、きらいっ」という言葉で好きを表す、と書かれていました。萩尾望都さんには理解できないのかもしれません)


萩尾が、本書で何度も繰り返しているとおり「ちゃんと説明すれば良かった。私にはそれができなかった。波風を立てたくはなかった」というのは、彼女も縛られていた「女性ゆえの束縛」であり、「有名人ゆえの見栄」だったとも言えるだろう。
彼女たちが「世間に認知された、優れた作家」でなかったなら、もっと容易に喧嘩もできたのだが、残念なことに、彼女たちは、そうした「世間のイメージ」をぶっ潰すことができなかったし、やはりしたくなかった。
誰も注目していない「ただのおばさん」ならできたことを、彼女たちにはできなかったから、お互いに「イメージを壊さないように」と「本音を語る」ことを自制せざるを得なかったのだ。
実際、彼女たちに起こったことは、彼女たちが「優れた作家」であるという要素を除けば、ごくありふれた「育ちの違いによる、誤解と葛藤」にすぎなかったのである。

ここに至ってはレビュー者の勝手な思い込みでしかないと言えます。「有名人ゆえの見栄」は若干レビュー者の奇妙な妬みがあっておかしくもあります。
彼女たちはマンガ作家ではあって同時に普通の人でありえます。外出しただけで盗撮されるわけでもないでしょうし本人たちに意志があれば再会して話し合うことはできたはずです。それがなかったために本でのやりとりになってしまった、というだけのことです。

本文の結末

畢竟「自立」とは、萩尾が実践して見せたように、「嫌なものを見て、嫌なものを見せる」覚悟なのではないだろうか。


いや、嫌なものを見せる覚悟、など要りませんよ。迷惑ですよ。嫌なものも無理して見なくていいのでは。少なくとも作品上でやったなら実生活でやる必要はありません。

それは自立ではなく「変態行為」というものではないでしょうか。

 

ここで時間が来てしまったので後にさらに続けます。

『月に咲く花の如く』その8

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ネタバレしますのでご注意を。

 

 

ところでこのドラマに出てくる男性で私が一番好きなのは周老四です。

見かけもですが人格といい知識といい物凄く感心します。女性では周瑩ですから周親娘にぞっこんなわけですw

ふたりの明るいたくましさ軽やかな根性、というのは日本の物語ではあまり見られない気がします。こんなに飄々と人生を歩いていく姿を見ているだけで嬉しくなります。

 

一方貝勒の支配下に置かれる人々は鎖に繋がれた奴隷となってしまいます。

貝勒の手下・杜礼明の差し金で娘を嫁がせるのを躊躇うことになった胡志存。その杜明礼と忠実な子分(?)査坤は貝勒の下で働くために宦官となっています。

杜礼明は胡咏梅から好意を感じながらも結婚を言い出せないのです。

沈星移は周瑩と渡り合えるほど自由奔放な青年ですが父親である沈四海は杜礼明を通じて貝勒に忠誠を誓ってしまいました。このことはきっと後々禍根を残すのでしょう。

そして周瑩はまだ気づいていませんが貝勒は彼女にとって最愛の呉聘とその父の仇です。巨大な闇の権力が周瑩の大切な人たちを殺してしまったのです。

その巨大な闇の権力と戦っていくのが周瑩とその父・周老四なのです。

 

さて物語は続きます。

呉遇などは周瑩の敵ではありませんでしたね。赤子の手をひねるがごとく(この例えはかわいそうでいやだ)簡単に呉遇はひねられしかも周瑩に「一緒に帰って呉家を立て直しましょう」とまで慰められますが呉遇は同意しないまま去っていきます。

迪化の旅は大成功で周瑩も沈星移も余った綿布を売りさばくことができました。

 

涇陽に戻った周瑩は綿布から洋布への移行を改めて意識します。

ところが織布局の責任者となった趙白石が胡家と沈家から投資を確約してしまったため周瑩はつまはじきになったことに気づきます。(いくらなんでもこれはあり得ない気もしますが融通のきかない趙氏ならではなのでしょうか)

しかし西洋化に反対している貝勒の力がここで及び、杜明礼の働きかけでせっかくの投資確約を胡家と沈家は辞退することになるのでした。(これがあるからダメってことですよ)

再び可能性を感じた周瑩ですが20万両という大金の出資を西家・中家に反対されしかも呉家当主の座を追われてしまいます。

そこへ来たのが迪化のトゥー・アルダンでした。20万両を周瑩に贈る代わりに結婚してほしいというのです。

しかし周瑩は「私の心は呉聘と共に土の下で眠っているの」と言って断ります。

周瑩を奪われるかもという心配が功を奏したのか西院・中院は20万両の出資を決意するのでした。

 

いつも明朗な周瑩が呉聘への愛情を語るのがしんみりしてしまいます。

そしてOP/EPで流れる呉聘との仲睦まじい場面がより悲しく胸を打ちます。

始まった時はこの映像がこんなに悲しくなるとは思いもよりませんでした。

呉聘の笑顔がとても良いんですよね。

しかし気になる映像も一緒に流れる・・・。えええ、これっていったい、っていう。

歌でネタバレするのどうなんだろう。

 

とにかく周瑩の明るさも一途さも素晴らしい。最高のヒロインです。ここから先も楽しみですがとうとう中盤も終わりに近づいてしまうのがもったいない。

 

『月に咲く花の如く』その7

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この時の春杏ちゃん、すごい美人ですね。

 

エピソード36までやってきました。全話の半分ほどでしょうか。長すぎだわーと思っていたのが半分まで観てしまいました。なんだか逆に観るのが惜しいですw

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

とにかく波乱波乱の毎回です。

 

杜明礼に騙されて呉家を窮地に追い込んだ胡志存は自らも投獄されぼろぼろになりやっとの思いで家に戻ります。恩義を受けていた呉蔚文を死なせてしまったのは自分の過ちだったという呵責にさいなまれるものの娘の胡咏梅にはとうとう打ち明けることができないまま謎の死を遂げてしまうのです。

 

周瑩を父の敵と思いこんで憎む胡咏梅はなんと洋布店の女主人となり店は繁盛します。気は強くとも箱入り娘然としていた胡咏梅の物凄い変身ぶりです。

これによって今まで上り調子だった周瑩の商売は途端に行き詰ります。

呉家東院を立て直そうといったんは分かれていた西院中院のふたりを説得して共同経営に引き入れてしまったこともあり周瑩はまたもや窮地に追い込まれます。

大量生産していた綿布を売りさばくため周瑩ははるか遠い迪化(現・ウルムチ。今問題になっているウイグル自治区の主都)まで商談に赴く決意をします。

 

旅の仲間は周瑩・周老四と侍女の春杏と男たち数名。さらにこれを知った沈星移が馬を駆って追いかけてくるのでした。

しかし出立して間もなく盗賊集団三寿幇に全員捕らえられ人質となってしまうのです。

三寿幇の成敗を目指していた趙白石は身代金の支払いを押しとどめ自ら兵を率いて盗賊に戦いを挑みます。

盗賊首領を改心させ周瑩たちは助かります。この戦いの中で沈星移は真剣に周瑩を愛してしまったことに気づき告白をするのです。

ところが逆に周瑩は従僕から「沈星移の声は呉聘を襲った声とそっくりだ」と打ち明けられ今まで潜めていた沈星移への疑念が高まってしまいます。

迪化への旅を再開したものの周瑩と沈星移の関係は奇妙にねじれたものになってしまいました。

 

ついに迪化にある呉家の支店である盛隆全に到着した周瑩一行でしたが店主に会った早々当地の大商人という図爾丹(トゥーアルダン)から詐欺被害のいいがかりをつけられてしまうのでした。

 

まだ旅を始める前にずっと周瑩の味方をしてくれていた呉漪(可愛い女性です)が周瑩に間違えられて盗賊集団三寿幇に誘拐されてしまうという事件が起きます。

この時勇敢に彼女を救い出したのが趙白石だったのですが呉漪はその時から趙白石に恋してしまうのでした。

趙白石も?と思っていたらなんと彼は周瑩を好きになってしまったようです。ずっと「女性として恥ずかしくないのか」と怒ってばかりだったのになあ。

盗賊集団三寿幇にかつて周瑩が助けた二虎くんがいて恩を返す、というエピソードがはいります。彼はもう一度くらい出てきそう?

 

そして相変わらず杜礼明と査坤のBL疑惑が?

これはやはり明確に意識してやってるんでしょうか?査坤くんが切なくてかわいそうに見えてしょうがない。くくく。(☜笑いか泣きか)

 

そしてまた趙白石の正義の味方ぶりがすごい。

沈星移疑惑、すっかりもう忘れてしまっていたので「ええっ」となってしまいました。確かに呉聘を忘れてしまうのは早すぎだという製作側のブレーキがかかったのでしょうか。

恋愛話に落ちそうになるとぶっとばされてしまうのがこのドラマですね。

 

迪化への旅は日本ドラマでは考えられない異国情緒です。当たり前といえばそれまでですが異国へとつながる大陸だからこそできるドラマ展開ですね。中国はやはり広大です。

 

それにしても迪化での話は胸が痛みます。迪化という名前だから見ていられますが。不思議な気持でもあります。

 

そして36回の最後、な、なんと呉家東院を陥れた南院の長子で姿を消してしまった呉遇が登場します。図爾丹(トゥーアルダン)が受けた詐欺の犯人は呉遇だったのです。

そしてここでも周瑩は恨みをぶつけられ殺されそうになるのです。

あわや周瑩、どうなるのか。