ガエル記

散策

『漫画版 徳川家康』横山光輝/原作:山岡荘八 再読その4

さて一気に参ります。

 

 

 

ネタバレします。

 

勝頼の自死で武田家は滅ぶ。

明智光秀の謀叛で織田信長が死にその後を継ぐようにして天下人となった豊臣秀吉は秀頼を残して死亡。

徳川家康は江戸に町を作り住む。

 

晩年の家康はただひたすら平和を願って行動していく、と描かれている。

だが百年以上も戦乱を生きてきた武士たちは平和に生きる、ことができない。

それでも家康は自分の命ある間になんとか平安の時代を作ろうと足掻き続ける。

その結果徳川家は鎖国状態を作り出し「江戸時代」という奇妙な平和の国を作る。

 

果たしてこの平和の国が正解だったのかどうか、はその後に続く明治大正昭和期に起こした「大東亜戦争」「太平洋戦争」を思えば素直には頷けない。

「平和」というのはそれほどに「人類」という生物にとって困難なことなのだ。

そしてまた家族というものも家康にとって簡単な存在ではなかった。

 

今もなお国際交流は日本人にとって困難であり家族の在り方はますます扱い難いものとなっている。

 

歴史は移り変わるもので「たられば」を言ったらキリがないのだが「江戸時代」というものは日本人にとって良かったのか、もしくは改善する方法もあったのかどうか、と考えてしまう。

せめて百年くらいにしていたら・・・とかも考えてしまうのだが。

 

最後に。

以前も書いたかもだが、このめんどくさい物語を丹念に描き続けた横山光輝の持久力には感心するしかない。

 

 

 

 

『天幕のジャードゥーガル』第9話 アベル・ゴンゴラ/原作:トマトスープ

西暦1234年、金国が滅亡した年は覚えやすい。

 

ネタバレします。

 

 

金国について知っているのは完顔阿骨打(ワンヤンアクダ)という印象的な名の人物が作った、ということだけである。発音も面白いが漢字も凄い。

 

戦争中に突然起こる自然の脅威が勝敗を分ける。伝説の戦いによくある現象だ。

いわゆる神風だ。

 

そしてモンゴル族の中にも風が吹く。

その風はいったい誰が起こしたものなのだろうか。

 

強い絆で結ばれたと思ったドレゲネとファーティマだったが、突如ドレゲネはファーティマを遠ざける。

オゴデイがドレゲネの部屋に来た翌日、オゴデイは毒を飲まされて倒れる。

第一妃であるボラクチンはオゴデイを看病しファーティマに助けを求める。

 

大カアンへの祈祷が始まる。

祈りでオゴデイの体内の毒を移しとったという盃の水を身内の者が飲まなければならないと祈祷師は告げた。

弟トルイはその水を飲む。

 

ボラクチンは何を考えているのか。

そしてドレゲネは。

 

ファーティマは何を知ることになるのだろうか。

 

 

 

『漫画版 徳川家康』横山光輝/原作:山岡荘八 再読その3

 

ネタバレします。

 

永禄十年(1567年)の秋から元亀元年(1570年)の春に至る満三か年、尾張の鷹と三河の鷲は思うままに羽ばたいた。

信長は足利義輝の弟・義昭を助けいよいよ天下に手をかけた。

三河の鷲は名を松平から徳川と変え一歩一歩足許を固めていた。

 

と書いたが家康の気持ちとは裏腹に妻と子は家康の進行を阻むかのように身勝手な行動をする。

しかしこの物語はあくまでも徳川家康の物語である。

現在の眼で見ればまったく家族を顧みない夫であり父である。

そのために家康は妻殺し子殺しの汚名をかぶることになったのだ。

後で家康は「我が子は自分のもとで育てるべきだった」というが後で言っても仕方ないではないか。

自分自身が家族の愛情を受けないままに育ってしまったゆえなのだろう。

家族の愛こそが必要、というのが家康には理解できなかったのだ。

 

家族内の腐った当てつけのやり合いにはうんざりするがだからこそ織田信長が登場しての知恵比べの話が小気味よい。

信長の人気が高まるわけである。

しかも信長は子作りのために側室は設けてもお濃の方と仲良く過ごしている、と描かれてしまっては男としても信長に共感してしまう。

家康の人気がないのは当然だと思える。

 

ここで登場する大賀弥四郎。

家康がすっかり信頼しきっているというのがちょっとおもしろい。

家族愛には薄いが家来からは慕われているからこそ家康は救われた。

 

家康の情けない話とはうって変わって信長のかっこよさ。

家康の一の姫・亀姫が輿入れした奥平九八郎貞昌(信昌)の活躍の後に信長が繰り出した鉄砲隊の数は三千。当時この数の鉄砲足軽はいない。

信長は岐阜を進発した。

 

鳥居強右衛門の活躍もあり有名な長篠の合戦へと続く。

天正三年(1575年)5月21日未明。竹田勢は長篠城の包囲陣を解き設楽ヶ原に進んだ。

武田勢の一番手が攻撃を開始する。

それに向かって千挺の鉄砲が火を吐く。

続いて二番隊が出た。これも千挺の鉄砲の餌食であった。

 

通常であれば弾ごめに時間がかかるが織田軍の鉄砲隊は三千。

三つに分けて千挺ずつ次々に弾ごめさせてつるべ打ちできるよう備えていたのだ。

これまでの戦は一騎打ちだったのを信長は近代戦の戦いに変えてしまったのである。

強力な武田の騎馬隊も近代兵器の前になすすべがなかった。

さらに追い打ちをかけるように織田・徳川連合軍は打って出た。

戦いは数時間で終わった。

長篠の合戦で武田勢の死者は一万二千。

勝頼は完膚なきまでに叩き伏せられた。

 

信長の華やかな上昇とは対称的に家康の家族内紛はますます惨たらしいものとなっていく。

信康と築山の描写をどうとらえたらいいのだろう。

 

家康は信長ではなく自分自身の判断と処置であるとして信康に謹慎を命じる。

そして誰かが信康をさらって逃げてくれないかと願うのだが誰もそうしてくれなかった。

 

 

『漫画版 徳川家康』横山光輝/原作:山岡荘八 再読その2


ネタバレします。

 

 

三巻は永禄二年(1559年)から始まる。

元康(家康)16歳。今川義元に人質となって8年、元服し元康となって2年。

義元から出陣を命じられる。

大高城に食糧を運び込めという命令である。

12歳となった鍋之助は元服をし本多平八郎忠勝と名乗り元康のくつわをとった。

 

元康は出陣を果たした。

この時にも熊の若宮・竹之内浪太郎が活躍する。意味ありげに登場する不思議な人物である。

今川義元は元康の働きぶりを喜んだ。上洛のため織田軍にあたる第一陣に役立つ確信を得た。

だが元康は織田信長と対抗して松平勢を全滅させるつもりはなかった。

 

そして織田信長もまた藤吉郎を呼び義元を討つ覚悟を見せる。

藤吉郎が動き出す。

織田軍は義元軍が昼飯を食っているという田楽狭間へと駆け抜けた。

折しも激しい雨が降り出し地面は泥田となった。

雨宿りをしていた義元の側にはわずかの従者がいるばかり。

今川義元の首は討ちとられた。

 

元康は母・於大の方と会う。

その後、元康は家来を従えて岡崎城へと向かった。

駿府の代官らは荷物を抱えて逃げた後だった。

ついに松平家は自分の城を取り戻したのだ。

 

竹千代・元康の長い長い人質生活が終わった。

だが彼の人生が安泰になったわけではない。

ここから彼らは自分らのために戦っていかねばならないのだ。

 

元康は織田と手を結び今川家に背く。

このことは元康の行く先に大きな苦しみとなっていく。

人間の心は思うようにならないものだ。

「築山御前」はどんな人物だったのだろうか。

そして長子である信康は。

NHK大河ドラマ『どうする家康』ではこのふたりが「善人」として描かれたいたようだが先に本作を知っていた者としてはこのふたりが「善人」である意味がわからない。

このような人格だったからこそ信長も家康もふたりを処分せねばならなかった、とするほうが筋道が立つ。

 

今川の人質となってやむない結婚だったとはいえひとりの女性をないがしろにした罪は重い。

その報いを受けるしかないのだ。

 

4巻まで進もうと思ったのにちょっとしか進めなかった。

 

 

 

 

 

『漫画版 徳川家康』横山光輝/原作:山岡荘八 再読その1

昨日、松本清張『特技』で家康の話が登場したところで本作を読み返したくなり「ちょっとだけ」のつもりが止まらななくなる。

 

 

ネタバレします。

 

 

とはいえ重厚な物語なのでやっと二巻を終えたところである。

時期としては家康がまだ竹千代から14歳で元服し松平次郎三郎元信となったところだ。

そしてまだまだ忍従の時は続く。

 

むしろ家康よりも年上の織田信長の活躍描写が多い。イメージ通りの異才を発揮する信長の魅力に見惚れてしまう。

秀吉=藤吉郎も登場し家康よりも先にこのふたりの際立った切れ味を見せつけられる。

 

家康=元信=竹千代の物語は辛い。

本作はその竹千代が生まれる以前から始まる。

竹千代の父・弘忠は主君としての能力に乏しかった。

彼自身が何事も思うようにならない縛りの中での生活を強いられ於大を正室として迎えさせられ生まれたのが竹千代だが於大は出産後1年余りで離縁となる。

つまり竹千代は母に抱かれた記憶さえないままに育つのだ。

そして数え六歳で今川義元への人質となって駿府へ送られる途中織田信長のいる尾張にさらわれる。

事実かどうかはわからないらしいが、信長と家康は数年間兄弟のような関係を持つ。

だが織田信弘との人質交換のため結局今川義元へ送られ長く人質生活を送ることとなる。

この間、松平家に仕える者たちはひたすら忍従の時を過ごす。

戦にあっては必ず先陣となり討ち死にする者多数。

生活は困窮を極めたがただひたすら主君の帰りを持ち望むのだった。

 

この小説を山岡荘八が発表し始めたのは1950年3月からである。太平洋戦争が終わり4年半後の頃でまだ戦争の疲弊癒えぬ頃だろう。

私にはむろん想像でしかないが『徳川家康』の忍従の物語は当時の日本の人々に響いたのではないだろうか。

ところがその後、日本は物凄い高度経済成長期に入っていく。さらにはバブル期へと進む。

私が子供の頃には家康の人気はさっぱりだったように思う。

戦国時代の一番のヒーローはやはり豊臣秀吉だったのではなかろうか。

現在では織田信長の人気の方が上回っているように思えるが。

『徳川家康』の物語は苦い。

秀吉のような派手な出世物語でもなく信長のカッコよさもない。

家康は大人気となるようなヒーローではないのだ。

 

しかしここで唐突に今爆発的人気の『ちいかわ』を思い出してしまう。

『ちいかわ』は忍従の物語なのではなかろうか。

ついでに『みい山』も重ねてみる。

『みい山』もまた忍従の物語なのだ。

現在のアニメ作品は「忍従の物語」であふれている。

派手に出世することはかなわない。

王者でもない。

頼りになるのはこれも力なき弱者である友だちだけの世界なのだ。

 

人気作品というのは当然だが世の移り変わりによって変わっていく。

いつしか『ちいかわ』も『みい山』も「なぜあの時あのように騒いだのか」と首をかしげるようになるはずだ。

それと比べれば『徳川家康』の物語は史実のもとに描かれた作品であるため時代で生まれたエモさには欠けるが薄れるものではないように思う。

 

「ただひたすら待つ」

とはいえ生きぬかねばなにもならない。

 

 

 

 

 

『特技』松本清張/「日光中宮祠事件」より

 

ネタバレします。

 

 

 

『特技』1955年5月号「新潮」

1953年日本に鉄砲が伝来してより三十数年を経て、射撃の名手が現れた。

名を稲富伊賀直家という。

その天才については諸書が伝えている。

例えば家の上に鳥の声がするのを聞いて家の内からその姿も見ずに撃つとたちまち鳥は地に落ちたという。

針の先に虱を突き通し遠くから虱を狙い撃ちにした、と伝えられる。

 

「天才の孤高」という話はよくあるが本作はそうしたカッコいい話ではなく天才がいかに忌み嫌われるかという物語になったいる。

直家はその技量ゆえに細川藤孝に厚遇されたが、子の忠興からはその技量を疎まれるようになる。

名人であるはずの直家がいつも忠興よりも狩りの獲物の数が少ないのを咎めると直家は静かに答えた。

直家の銃弾は獲った鳥の咽喉に必ず当たっていたのだ。その位置はまるで設計したかのように正確だった。

忠興は「さすがにそちは名人じゃ」と言い捨てた。

 

人は「可愛げ」というものを欲する。

いわば直家にはその「可愛げ」がなかったのだろう。

主君の自尊心をくすぐるような「抜けた部分」が皆無だったのではないか。

 

細川忠興の夫人が自害する羽目となり家来である直家は共に切腹するはずだったのだが敵にその天才を惜しまれ奔走することとなった。

 

その後、直家は徳川家康に銃の手ほどきをするように請われる。家康は直家を師として敬った。

だがある時、直家は家康の視線に自分への強い侮蔑と憎悪を見つける。

それは主君の夫人と同僚を見捨てて脱走した直家に対する家康の本心だったのだ。

 

直家は天才ゆえに人に敬われたが同時に人が敬っていたのはその才能だけであった。

しかしその才能がゆえに直家は人間として生きることができなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

『日光中宮祠事件』『情死傍観』松本清張/「日光中宮祠事件」より

 

ネタバレします。

 

『日光中宮祠事件』1958年4月『週刊朝日』別冊新緑特別読物号

 

なんか表紙が良い感じだけどこれは良い感じだと思わせてはいけない気がするが。

 

1946年(昭和21年)に実際に起きた事件をもとに書かれた小説である。

タイトルにある「中宮祠」からまったく違ったイメージを持って読んでしまった。なにか宗教関係の話だと思ったのだ。

とはいえ「中宮祠」の意味を知っている人ならそんな間違いは犯さないだろうけど。

 

1946年栃木県上都賀郡日光町(現在の日光市)の旅館で起きた火事から発見された一家全員の焼死体が発見される。

数々の疑問点があったにもかかわらず警察はこれを「一家無理心中」として片付けてしまった。

姻戚関係であるひとりの住職がこれを不満に思い自分から情報を集め署長に再捜査をやってくれと度々申し出たが取り上げられなかった。

この住職は十年間憤懣を持ち続けた。

そして十年後に起きた「新井志郎事件」の犯人が「一家心中事件」の手口を思い起こさせるとして住職は改めて久喜警察署にかつての事件の捜査を願い出たのである。

 

この事件の実の犯人が「怪しげな朝鮮人の一組」であることから今現在はやや扱い難い題材かもしれない。

だがこの作品の面白さは他にあると思う。

まずはこの小説の冒頭に「岡本綺堂の『半七捕物帳』の愛読者である」という一文が出てくる。

ここで書かれる半七老人の前書きが絶妙なのだという。

私は『半七捕物帳』は読んでいないがここで描かれる語り口の妙は理解できる。

イギリスの小説アガサ・クリスティやブロンテの『嵐が丘』などにも使われる語り口を想像する。

ある人物の「語り」によって物語の世界に誘われてしまうのだ。

 

十年前に起きてすでに「心中事件」として片付けられてしまったものを住職が申告しそれを当時は担当していなかった警官たちが捜査していくという流れである。

松本清張は古代史に興味を持つ性格もあるためかこうした「過去の事件」に興味を持つ話が多い。

その操作は困難を極めるが独特の風味があるのだ。

つまり実際の犯人が誰かということより「すでに消えゆく時間を追い求める捜査」の妙味である。

そこに「当時の怪しげな朝鮮人たち」というこれもまた独特のスパイスが加味されるのも事実だ。

犯人の名前を「カネシロ」と聞いて「金白」だとおもったのだが実際は「金城」だったという清張お得意の「耳で聞いた言葉」による錯覚も取り入れられる。

そして偶然見つけた一枚の写真から真相がつきとめられる、という運びも『砂の器』を彷彿とさせる。

そして真犯人を捕まえた警官たちは自分たちの努力を労いながら住職の頑張りこそが最大の功労だと口にするのであった。

 

 

 

 

『情死傍観』1954年10月号「小説公園」

 

出た!清張定番「クズ男と冷めた女」

この作品は言ってしまえばそれだけなのだがそこは清張マジックで思いきりおもしろい小説にしてしまうのである。

 

そのままであればそこまでおもしろい題材でもないのだろうけど巧みな構成力ゆえに読ませられていく。

 

阿蘇山の噴火口に投身する自殺志願者たちを何百人と救ってきた老人をもとにして小説家「私」はフィクションとして加工し発表する。

『傍観』と題した二十枚にも満たないその作品に対してある女性から手紙が届く。

「私」はその手紙を読み彼女が私の小説の「虚構」の部分にひっかかってこの手紙を書いたのだ、と冒頭で説明する。

つまり『傍観』の話は虚構なのだ。

その上で話は進んでいく。

 

まずは『傍観』の内容が公開される。

阿蘇山噴火口の近くで茶店を経営している老人の「わし」一人称で語られる。

長年そこにいると自殺志願で訪れた者はすぐに見分けがつくのだという。

そして彼は何百回と自殺寸前の人を助けてきた。

ある時も若いカップルの心中を助けたが「死なせてくれ」と嘆き喚く男と対称的に女は冷ややかでその男を憎悪に満ちた目で見つめていたのを忘れることができなかった。

数年後、忘れもしないその女が別の年配の男と夫婦連れのていでやってきたのだ。

それを見た老人はなんという嫌な女だろうとあきれ返った。

直後、老人は別の若い男女の心中を見かけるが心が冷めきっていたためそのまま見殺しにしてしまう・・・。

 

というのが小説の内容だ。

これを読んだある女性が仮名と称したうえで手紙を送ってきたのだ。

彼女は助けられた男女カップルの女の方だという。

そして「私のために他の心中男女が見殺しにされたのだと思い、幾晩も眠れなかったのだが私があの時どう思っていたのかを伝えたいのだ」と手紙に書いてきたのである。

 

男は自分から「心中しよう」と持ち掛けて阿蘇山まで出かけたがいざ火口に降りたところで怯えだしたのを女は「早く」とせかしたのだという。

ところが老人に呼び止められて救われたのだがその途端、男は「ふたりで死ぬんだ、死なせてくれ」と芝居がかって嘆き叫びはじめた。

それを横目でみながら女の心は冷え切っていき、ふたりの心中に驚いた親は結婚を許したが女はもう男への気持ちは失っていた。

数年後女は別の男性と結婚し過去の自分と決別するために阿蘇山に行ったのである。

 

清張の描く「女のしたたかさ」は初期からすでに描かれていた。

心中相手の男がいざとなったら心中に怯えたのは仕方ない。

だが助けられた途端「死なせてくれ」と騒ぎ出したことに女は醒めていったのだろう。

 

男はこうした「男の弱さ」を女は包み込んでくれるはず、それが女の優しさだろうと望むのだろうがそうはならない。

許したとしても失望はするのである。