ガエル記

散策

『マーズ』横山光輝 ②

①の表紙は衝撃ですが②のマーズはなんかセクシーで素敵です。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

横山光輝マンガをずっと読み続けてきた方にはあまり感じられないものかもしれませんが長い時を経て読み始めた者にとっては(年齢は若くなくても)今の感覚ではちょっと(・・?的になる場合がちょこちょこあります。

(いやそれが楽しいのでしょうが)

例えば『三国志』だとそれは殆ど感じないのですが『マーズ』は特にそれが多くて読みづらかったのです。

再読して少しずつその(・・?感が薄れより深い所へ入りこめていく気がしています。

 

その一つが六神体メンバー。無性生殖人間というにはあまりにおじさんキャラなので奇妙にも思える。マーズはきれいな少年という見た目で髪も長いので無性というのが納得だけど彼らは髭まであるしかなりごつい感じなのは(・・?なのだ。

今なら全員男女ともつかない美形キャラでそろえてしまいそうな気がする。

しかしこれも横山デザインということで読み進めていこう。

とはいえ2巻の冒頭、六人が集って最後の乾杯をする場面は印象的だ。

彼ら自身も死んでしまうのに祝杯をあげるのが不思議でもあり、いやこのために存在していたのだからほんとうの祝杯なのだと感動もする(まあかなり長い時を生きていたのだからいいのか)

この飲み方も横山流だけどグラスに口をつけないのだ。潔癖症かな。

特に真ん中の方に心惹かれる。

 

しかし時刻が来ても何も起こらず彼らはマーズが任務を果たさなかったことを知りグラスを握りつぶすのだ。この演出がかっこいい。

 

 

『マーズ』連載この時点でまだ1976年だと思われますがここでマーズが「地球人三十九億の命を奪ってよいという権利があるんでしょうか」と問う。それくらいだっけと調べたらまったく違っていた。

2024年現在80億人をゆうに超えている。50年で二倍以上、というと大したことないみたいな言い方になってしまうが39億が80億になったのだ。これは凄い。

なんと感想を言えばいいのか。

 

ここでマーズは岩倉記者にガイアーに命令しないでくれた礼を言われる。

マーズは地球人が「確かに残忍な行為は数多く見られるがそれを勇気をもって発表し二度と起こらぬよう警鐘しています」と評価したのだ。

しかしそうではないことをこちらは知っているだけに恥ずかしい思いにさせられる。

すでに六神体メンバーのほうに心が傾いている。(いや滅びたいわけじゃないけど)

 

心配ご無用、六神体メンバーは行動を起こしていた。

春になったにもかかわらず日本列島は吹雪に見舞われすべての交通が止まり運送が不可能になっていた。

食糧がなくなり暖房が滞り餓死凍死の恐れが近づいてきた。

マーズは疑問を感じ動き始めた。

マーズの動きとともにガイアーも動き始める。

フジツボがびっちりついているというのが本格的。こういうイメージに感心してしまう。

 

そしてこういうイメージも。昔こういうのよくあったんだよな。

しかしこれはまだ仮の姿。

その正体はァ!

六神体の一つウラヌス。なんでこんなの思いつくのか。

まあザルドスだと思うけどここで使うってことにね。

しかもザルドスより可愛いウラヌス。

金属光沢もgoodおじさんをもとにデザインしました

実際はおじさんがピュウピュウ動かしてる。

メカがかわいい。1976年ってこれくらいだったのか。横山氏の好みか。

おじさん徹底的にマーズをいたぶる。へんたいめえ。


ウラヌスで押しつぶされそうになるマーズ。

だがそこへガイアーが登場。

もう一歩というところでウラヌスとおじさんは消滅した。

 

そしてマーズは深い亀裂に身をひそめ事なきを得たのだ。


しかしマーズは深い傷を負い医師に家へと戻る。手当てを受けウラヌスと戦ったことを話す。

これまでもいくつか誤字発見はあったのですが私は探しているわけではないのでまあまあスルーしていましたが面白いのはやはり気になります。

左側「どう出てくるかい!?」はw「い」は余分でした。

場面的に医師が言ってる気もしますがどちらの発言でもおかしいwww医師とマーズの意識が混ざってるw

更に同じページの

左台詞の一番左「相談しましょう」は「相談しょう」でいいはずwこれも春美と医師が混ざっちゃった。

忙しかったのかなあ。

 

さてマーズの怪我を見て岩倉記者は本格的にマーズのために動き始める。

新聞社のデスク及び科学者たちと共にガイアーを見せてマーズの言葉が真実だと認めさせ本当に地球の滅亡が迫っているのだと知らせる。

そこへまたもや大異変がエジプトで起きたというニュースが入った。

金属製のスフィンクスが四体現れ六千度という高温で近づくものを溶かしてしまうのだ。

マーズの存在は日本の官房長官が知るところまでになった。

マーズはエジプトの事件を知りエジプトへ飛ぶ。(飛行機で)

スフィンクスの男はマーズを見てほくそ笑む。

 

ここまで。孤独なマーズとは書きましたが医師と春美と岩倉記者がマーズを信じて心を寄せてくれるんですよね。

本作は永井豪デビルマン』も思わせます。

デビルマン』では人類に失望したデビルマンが美樹ちゃんという愛する女性のためだけに戦うと誓うもののその愛する人を殺されたことでもうどうでもよくなってしまう。(言い方)

『マーズ』においてその美樹ちゃんの役を春美が担うはずだったのではとも思うのですがそれでは『デビルマン』になってしまうという判断か、そもそもそんな甘いものじゃないという横山思考かそれともいやいや岩倉記者が美樹ちゃん役なのか。

春美はマーズの覚醒を導きはしたもののそれ以後あまり深入りしてこないのはやっぱり横山展開なのだなあ。

そこへ行くと岩倉記者はマーズの役に立ちたいと身を挺しそのまま死んでしまう。

横山氏はその死をマーズの言葉にはしなかったもののマーズの最期の行動を誰も止めきれなかったのは岩倉記者がいなくなってしまったからだと思えてならない。

 

 

『マーズ』横山光輝 ①

『マーズ』再読します。再読の再読です。

この作品も私には凄く難しくてすぐにピンとこなかったのですが気になってしょうがないので再挑戦します。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

『マーズ』をとりあえず完読すればやはり『バビル2世』との類似点と相違点を考えてしまう。

似ているのは主人公が特別な能力を持った少年であること、その能力が宇宙由来のものであること、特殊能力を持つグループではなく個体の戦いだが補佐役がいること、戦う相手が同等の特殊能力者だということ、などだろうか。

違いは『バビル2世』がほぼバビル2世の視点であるが『マーズ』はむしろ社会に視点が置かれている。バビル2世も孤独感があったがマーズは心を感じさせないのでより一層孤立感が強い。

私は「現在の感覚では『バビル2世』は孤立しすぎて悲しく思える。伊賀野氏が登場してからのわちゃわちゃ感が現在人の好みなのではないか」と書いたがそれは少なくとも当時の横山氏が求めていたモノではなかっただろう。

たぶん横山氏はより孤立した主人公を描きたかったのではないかと思う。カムイ外伝におけるカムイのような。

その志向は時代から少しずつズレていったのではないか、とも思えるのだが。時代は少しずつ「仲間」を求めはじめていくのではないだろうか。

 

『バビル2世』ではヨミ側に強い結束力と情が描かれたが『マーズ』においての敵である「六神体」とその操縦者たちにはただ使命があるだけだ。

 

始まりにもその違いがはっきりと表れている。

普通の中学生だった浩一が自分の中の異変を感じることからバビル2世への覚醒に導かれたのに対して『マーズ』では日本のある新聞社の取材飛行機に乗った記者が海底火山の噴火で出現した隆起島に立つ少年マーズを見つけるところから始まる。

全裸の少年が長い髪をなびかせて立っている姿が美しく描かれている。

 

一方で、と迅速に状況が説明される。

アメリカニューヨークのある高層ビルの一室に6人の男が集まる。

そこで男たちは「マーズが予定より百年早く目覚めた」ことについて論議を始めるのだ。

 

そしてまたマーズは診察をした医師の家で暮らすことになる。マーズは健康体だがなぜかレントゲンに頭だけ写らずしゃべることができないのだ。

だが医師が帰宅し娘の春美に会わせると途端に「よろしく」と話したのだ。

医師はあっけにとられるのだがそれまでマーズの周辺の人間は彼に対し好奇心を持ってなにかを聞き出そうとするばかりだったのが邪念のない少女に会ってその優しさに反応した、と思える。

 

またすぐにニューヨークにいた男のひとりがマーズに会い彼が持つ超能力を引き出し教える。

さらにマーズが登場した島に渡り海中に潜って彼の仲間である「タイタン」に会わせる。

男は「お前が目覚めればタイタンも目覚め偵察をしてデータをガイアーに送る。そのデータが安全と出ればガイアーは海底に眠り続け危険と出れば動き始める。呼応して世界に散らばる六体の神像が動き出し地球は滅ぶ」と告げるのだ。

 

つまり『マーズ』では主人公自身が時限爆弾になっている。

今マーズは目覚めているが目覚めていない状態だ。彼が目覚めた時世界は滅ぶことになる。

 

ここでタイタンが動き始める。

するとそれを「怪ロボット」と判断した武装艦が攻撃を始める。

六神体の男はこれを見て嘲笑する。そしてマーズに自分たちの使命を伝えるのだ。

 

「地球人類の歴史は戦争の歴史だ。彼らは残忍で好戦的だ。たちが悪いことに殺傷兵器を次々と進歩させていく。同じ地球の人間を皆殺しにしても何とも思わぬ感覚。恐ろしいと思わんか。この感覚で宇宙を飛び回り始めたら。我々はそれを監視するために遠い昔からこの地球にいる。六神体と我々は世界中に散らされ最終的におまえがセットされた。我々は一国だが、ガイアーは地球全体を吹っ飛ばせる。我々はそれは百年後と計算していたが火山の噴火のせいかお前が目覚めたのだ」

 

「しかし早く目覚めてよかったかもしれん。百年後では遅すぎたかもしれん。人間こそ恐ろしい怪物だ」

 

タイタンは武装艦を破壊しさらに陸へと進んだ。

自衛隊がタイタンを攻撃するがびくともしない。

嘲笑し続ける六神体の男から離れマーズはタイタンに「引き返せ」と命じた。

男は驚きマーズを連れ去り「なぜタイタンの邪魔をした」と問う。

マーズは「あんたが恐れるほど地球人は残忍で好戦的とは思えないんだ」と答える。

男は「「マーズおまえは一体どこが狂っちまったんだ」と地球人の怖ろしい惨殺の歴史を伝える。

 

そして引き返していくタイタンに更なる攻撃が加えられタイタンは破壊された。そのためついに「ガイアー」が登場するのだ。

 

それでもまだ迷うマーズに男は業を煮やし告げる。

「マーズ、お前が迷うなんてことは許されないのだ。言っておく。お前が死ねばガイアーは自動的に爆発するってことをな」

それでもマーズは迷い続け男に「せめて十日だけ待ってくれ」と頼み承知させた。

 

マーズは医師の家に戻り地球の歴史書を読み始めた。

そして岩倉記者と春美に自分の秘密を伝える。

そして約束の日にあと二時間となった。

 

 

『闇におどる猫』横山光輝

「冒険王」(秋田書店昭和32年5月号付録

 

先日、ひらさんのⅩポストで知った『闇におどる猫』横山先生ご自身が登場するというのと猫が出てくるというので読みたさを抑えられず古本購入しました。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

36ページの短い作品ですが横山氏独特の不思議な味わいがあります。

ひらさん(と別の方のやり取り)ポストで横山先生が自殺する話だけどそれは最初からなのでネタバレではないと知っていたのですが確かに冒頭も冒頭に「ある漫画家の死」と書かれていてその下で横山先生が「ね、猫め!き、きえろ」と苦し気につぶやいている場面から始まります。

いつもながら読む者を引き込む力がすごいです。

気になるではありませんか。

そこへ友人らしき男性がふたり訪れ血の付いたナイフをもったままの横山先生がドアを開けて出てきて倒れるのでした。

ふたりが「人殺し」と叫んだことで警察がすぐやってくるのですが死体を見るなり「これは自殺だ」と判定します。山口刑事と呼ばれたその男性はふたりの名を訊ねると「友人のオオトモヨシヤスです」「同じく岸本です」と名乗ります。このおふたりもまた実在の人物であり横山先生の友人の方なのでしょう。オオトモヨシヤス氏は横山氏が「このごろ変でしきりに猫と言っていた」と証言します。そして横山氏の部屋からは猫を扱った漫画と氏が書き残した日記が見つかります。

山口刑事はその日記を見て唸ります。

これ以後のマンガはその日記を再現したもの、という仕掛けになるのでしょう。

こう言う構成はイギリス小説映画などによくあるもので私は大好きなのですが横山氏の初期作品はわりに西洋的な設定や仕掛けが見られてとても楽しい。読書や映画鑑賞の影響なのだろうと思います。

 

とはいえこの少ないページ数を感じさせない濃厚な内容が詰められているのはやはり横山氏の優れた才能としか言えません。

ぽんぽんとリズムよく場面が展開し無駄なく物語が進んでいくのが心地よい。だけどその内容はありきたりではなくどこか奇妙なのでひっかかる、というのもおかしいけど変に心に残ってしまうのではないのでしょうか。

 

ひらさんのポストで読んで気になっていたのが「横山先生が(精神を病んで)須磨に旅行するけどその風景が『まんが浪人』の砂浜と同じ」というものでした。

須磨を知らないわたしにとって須磨は『源氏物語』で光源氏が罪を犯して都から移り住んだおそろしく寂しい場所なのですが横山先生にとっての須磨は故郷であり疲れた時に帰る場所であり旅立つ前にその景色を眺めた場所でもあるのですね。

この姿は『三国志』で劉備玄徳がまだ何者でもなかった青年の頃に黄河を眺めていたことや『バビル二世』でバビルが地球に不時着し途方に暮れている姿と重なってしまいます。

この作品でも須磨に旅行した横山先生は海を眺め「いいながめだ」とつぶやいてぐっすり寝込んでしまうのです。

 

映画的手法において水辺というのは死の世界を連想させるものになっていますが本作で海岸を訪れるのはそうした関連性を考えてのことだったのか、それとも横山氏の感覚がそれを偶然選んだのか、気になります。

 

横山光輝氏の現実の最期がタバコの火の不始末で火事になってしまったことが原因だったこと、この作品で何度もタバコの吸いすぎが描かれ煙草の火の不始末についても描かれているのがやはりとても胸騒ぎを起こさせる作品に思われます。

ふたりの友人が「かわいそうな男だよ」と言い残して去っていくのも何とも言えません。

でも描かれている猫はとても可愛いのです。

 

 

 

 

『豊臣秀吉』横山光輝/原作:山岡荘八 その2

読了しました。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

ふむふむ。横山光輝という方はほんと「かっこいい男」が大好きでかっこよければ物凄い力量で丹念に描いていくがかっこ悪いと思うと一ページも描く気がないのだろう。

その潔さに感心する。

秀吉というか藤吉郎の名前で織田信長に仕えている頃の藤吉郎はおおいに魅力があるけど(将来天下を取るという予感を含めて)後になっていくほどその爆発的な魅力が薄れてしまう。

本作は信長とのつながりが感じられるまでを描かれているように思える。

 

心に残ったエピソードとしては最初の頃の荒んだ社会。百年にわたって続く戦国の世において人々の心も荒み切っている。

馬を縛り付け生きたまま焼き殺してそれを食う流民たちの話にそれが凝縮されているように思える。そんな中でも日吉(秀吉)は焼かれた馬に憐みを感じ家族にその肉を持って行ってあげたいと思うのだ。この優しさは晩年の秀吉には失われてしまう。

 

日吉は冴えた頭脳を持つがその頭の良さを両親は怖れる。それを感じた日吉が自ら家を飛び出しその知恵だけで生きぬいていく様子はやはり目が離せない。

蜂須賀小六に出会いその蜂須賀小六も手玉にとっていくのも愉快である。

ここで武芸を身に着けた日吉はここで16歳となり元服して木下藤吉郎と名乗りを上げる。

小六の仲間にすっかり馴染んだ藤吉郎は次のステップへとばかり飛び出して針売りとなって諸国を歩き始める。

ここで6年の歳月が過ぎる。

そして『徳川家康』でも読んだ藤吉郎と信長の出会いとなる。

その後寧々に出会い徹底的にやりこめられる。この時寧々13歳という22歳の藤吉郎を論破してしまう寧々。なかなか愉快だ。

 

たしかに藤吉郎と言えば信長がはくわらじを温めたことが有名なのはこの頃の藤吉郎に面白みが詰まっているからかもしれない。

信長に仕えて出世していく藤吉郎の話はとんでもなく面白い。

信長の死後の秀吉、この作品に描かれたまでの秀吉、柴田勝家を滅ぼしたまでで秀吉の面白さは終わったのだろう。

横山光輝氏の選択に賛成である。

 

 

 

 

『豊臣秀吉』横山光輝/原作:山岡荘八

秀吉の話はさすがにもうよく知ってるだろうと思っていたのですが本作の中身はまったく知らない話ばかりでした。

いや歴史もの知らないのでアタリマエなんですが。

信長様はいつ見てもかっこいいです。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

読み始めて半分ほどなのですが面白くて止まらなくなってしまいます。

中で寧々が「まるで禅問答を聞いてるみたい」という場面がありますがほんとうにその通りです。

藤吉郎・蜂須賀小六・信長・竹中半兵衛・大沢治郎左衛門、交わる台詞が丁々発止と研ぎ澄まされた小刀のようで読む者までが緊張を強いられます。

 

以前は秀吉が人気だったと思うのですが今の時代は秀吉の時代ではないと感じるのは何故なのでしょうか。

秀吉の目まぐるしい智謀よりおっとりとした優しさを皆が欲しているようです。

 

とはいえ秀吉物語はおもしろい。いや秀吉というか藤吉郎は。

『元禄御畳奉行の日記』上その2&下 横山光輝/原作:神坂次郎

上の途中から続きます。下まで行けるか。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

タイトルのとおりこの日記が書かれたのは元禄時代元禄時代と言えば江戸時代でも最も文化華やかなりし頃というイメージと同時に綱吉の「生類憐みの令」という行き過ぎた悪法が人々を苦しめた、という評価もされますね。

本作でもこの法令の愚かさが描かれその法令にもかかわらず文左衛門は仲間を引き連れ川で網打ちによる魚取りを76回もやったというのです。これは文左衛門が江戸ではなく尾張に住んでいるからこそできたのかもしれません。

しかしこの「生類憐みの令」で日本人の動物への愛情が生まれたのではなかろうかと私は思ってもいます。現代においては犬猫をはじめ動物たちの動画を観るのが何よりも心の癒しになっていることを想えば今の私たちは綱吉より犬好き猫好きなのではないでしょうか。

 

さて朝日文左衛門の日常を読むことで当時の「武士」というものがいかに「退屈を紛らわすために過ごしていたか」がわかります。

しかし武士でも貧しくて身を持ち崩し士籍を剥奪される者もある中で文左衛門は何もしないにもかかわらずゆとりある生活を続けていけるのです。だからこそこのような何もない日記を書き続けられたと言えるでしょう。

文左衛門の楽しみは酒宴と芝居と心中などのスキャンダルを追いかけ日記をつけること。そして魚釣りも武芸もあれこれと続けているのもすべて暇を持て余しているから、というなかなか羨ましい身分であります。しかしこれくらいの楽しみならば今の日本人も普通にやっていることでほぼ同じ生活をしているといってもいいでしょう。

私自身毎日このブログを書き書くためにマンガや映画(配信)を楽しみXで世間で何が起きたのかを知り許せんとか偉いとか評価しているわけです。

文左衛門の良い所はさすが漢詩を作っただけあって文人との交流も続けているというところです。やはり日記とはいえ文章を書き続けた人物です。いやもしかしたら日記以外にも作品がなにかしらあったのかもしれません。

 

ところで横山光輝マンガの楽しみに「かっこいい男性」「かわいい男子」が出てくること、というのがあると思います。

とはいえ本作主人公たる筆者があれですし内容もだるく腑抜けたものが多いのでかっこいい男性が出てくる希望はほぼなく実際出てきませんw

しかし上巻の最後のエピソードで出雲様御家中の稲葉弥右衛門が草履取りの少年を手打ちにした、というものがあります。すでに「手打ちにした」と書かれているので悲劇なのですがこの少年がすごく可愛い。(悲劇なのでかわいそうなのですが)

稲葉の妻たる奥方が少年をたぶらかし色欲の相手にしてしまう、という話なのですが気のせいか他の色事より丁寧に描かれている気がしますw

奥方の胸に埋もれている構図などすごく愛らしく描かれています。(少年がね)

 

朝日文左衛門は二十一歳で家督を継ぎ朝日家の当主として認められます。時に元禄七年(1694)

 

楽しかった上巻を終え下巻になり文左衛門が年齢を重ねるごとに人生は辛くなっていきます。

あれほど惚気て結婚した〝けい”も一女をもうけたその後よくある話どおりに険悪になっていきます。

このあたりほんとうに「凡庸な男の人生」というべきなのでしょうか。

その理由もまた文左衛門の酒飲みと女関係からでているのですが常軌を逸したような話ではなくいかにもよくある話なのが文左衛門の凡庸さを引き立てます。

それに反して文左衛門自身は出世し27歳にして「御畳奉行」という役職に任じられます。あんなに遊んでばかりなのに、というべきかやはり遊んでいるからこそ出世できるというべきなのでしょうか。

世の中は質素倹約で減給されている折に文左衛門は1.4倍の増給となり奉行という管理職に就いたことでより豪華な家に引っ越しを決める。

「御畳奉行」ってと思ったけどたしか『忠臣蔵』でも浅野内匠頭も畳替えがどうこう(史実は別として)いう話だったし畳奉行というのは重要なのかもしれません。

 

とにかく下巻に入ってから文左衛門は出世したにもかかわらず女遊びと嫉妬でいたぶられる日々が綴られます。それこそこんな中で赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件が起きるのですが文左衛門はじめ当時はほとんどだれも興味を示さなかったらしい。

確かに文左衛門は男女の心中事件は大好きですが忠義心には興味が微塵もなかったのでしょう。とほほ。『三国志』くらい読んで欲しいね。

 

こうして文左衛門は妻の嫉妬に怯えながら色欲と酒の毎日を過ごします。けいとは離縁するのですが再婚相手の女性もまた同じようなというより輪をかけて気の強い女性であったというのがおかしい。

 

時代は倹約将軍吉宗の世となっていきます。

文左衛門の体は酒の毒で弱りついに臨終をむかえます。その時にも文左衛門は最期の酒を求めます。

文左衛門が終生師事した国学者天野源蔵が文左衛門の日記に「終焉」の二文字を最後の頁に書き加えたのでした。

 

記すこと8863日。冊数にして37冊。

文左衛門の18歳から45歳までが書き綴られた。

『元禄御畳奉行の日記』上 横山光輝/原作:神坂次郎

電子書籍で見つからなかった横山作品のタイトルをamazonで見つけてしまうと注文するしかないではないですか。

しかも本書の紹介文の冒頭が

武芸も役目もそっちのけ、本当の元禄武士は酒と艶の浮世三昧だった…!? 

とは昨日「横山光輝は武将を選択し名もなき人を選ばない王道の作家」的なことを書いたのが翌日覆されでしまいます。

いやいやそれだけでなくはいいとしてもの方はそれこそ横山マンガではほぼ忌避されてきた事柄でそれを描いているとなれば気になってしまいます。

 

というわけでいってみましょうか。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

まずは本当にまじで

武芸も役目もそっちのけ、本当の元禄武士は酒と艶の浮世三昧だった

でした。

主人公であり本作・日記の筆者の朝日文左衛門重章は徳川御三家の一つ、尾張徳川家の家中で御畳奉行の家の跡取りとして生まれる。知行百石・薬量四十俵。

父・定右衛門は御城代組同心百石で現代で言えば主任か係長クラスと書かれていますからかなり裕福な家であったのでしょう。

なにしろ「元禄」と言えば江戸文化華やかなりし頃、とよく歴史を知らない者でも覚えている時代です。その頃にそんな裕福な家に生まれ育ったお坊ちゃま武士がどんな派手な生活を送っていたのか、と想像してしまいます。

しかしなんというのでありましょうか。これがしょぼい、というのか普通というのか現代のよくいるサラリーマンの悪事程度でなんだか近所の話を読んでいるようです。

 

文左衛門の日記は彼が十八歳の時から始まります。

武家の長男でありながら武芸も嗜まずゴロゴロしているのを父に咎められ「近いうち・・・明日から始めます」と約束し翌日から道場の門を叩くのですが「武芸は初めて」という文左衛門に師範もあきれ顔。(いやほんとにあきれるよ。今までなにしていたのだろうか)腕前を見たいと言われ稽古用の槍で突きを見せるがはらわれた衝撃で倒れてしまう。もう一度と試したら壁にあたってひっくり返る。

(ううう。これが激烈な関羽張飛の戦いを描いた横山光輝が描いたキャラとは)

しかし文左衛門の偉いところはこれですっかりやめるどころか弓矢も柔術もと頑張ることろです。そしてそれを日記に書いたのです。(もしや書くために頑張ったのでしょうか。それもまた良しですね)

その後文左衛門は漢詩を褒められ漢詩の勉強も始めます。このあたりは裕福だからこそできることですね。親としては今までゴロゴロしていた息子が文武両道学びだしたのですから嬉しい限りでしょう。

次は浄瑠璃。友人に誘われて浄瑠璃鑑賞に行った文左衛門はこれにも夢中になります。とにかく好奇心が旺盛なのですな。

さらに「果たし合い」や「心中」

心中に夢中になる、というのは変ですがこれも現代でも殺人事件や自殺の報道などを聞いてはあれこれと考察するのが皆の楽しみの一つではあるでしょう。

文左衛門はこれらの様子も詳細に日記に書き留めているのでした。

次は賭け事、と言っても仲間内でサイコロを振っての賭け事であのヤクザがやってる「チョウかハンか」という凄みのあるものではないのんびりした感じなのだが負けが込んでくさくさした文左衛門は母上相手に宝引という単純な当たり紐を引く賭け事を持ちかけ大勝ちして喜ぶという他愛ない遊びをしている。ほんとうにあまりにものんびりした文左衛門であります。

 

さておっとりした文左衛門ですがおっとりしすぎで芝居に夢中になっている間に腰に差していたはずの刀を盗まれるという武士にとってとんでもない事態になってしまいます。(いったいどんくらい夢中になってんだか)

こんな情けない文左衛門も弓の道場でいつも応援してくれる〝けい”という女性と昵懇になり結婚の運びになります。文左衛門は連日の酒宴とあいさつに疲れ果ててしまいますがそんな時も日記は欠かさずつけているのですがなぜか嫁のけいについては一行も書かず延々とご馳走の品を記しているそうです。

 

そんな文左衛門、とにかく「心中事件」が大好きで新妻との床入り中であっても「心中事件だ」の声を聞くと飛び出していくのでした。

女性の方はまだ息があるのだがそれにはまったく介さずふたりの名前と年齢どういう経緯だったのかを周囲に集まった者たちに念入りに聞いていく。まさにルポライターというか三文記者といった類か。

しかし文左衛門はこの心中事件にいたく感動し息があった女性が医者の薬も拒否して死んでいった様子を「あわれ」と感じふたりの遺書辞世の句まであげて熱っぽく筆を走らせているのだそう。

 

まだまだ途中でもう少し書きたいエピソードもあるのですが今日はここまでにしておきます。

正直言ってしょうもない文左衛門ではありますが横山氏が描くとなかなか愛嬌のある憎めないお武家様といった風情になってしまうのです。

ここまで他人の情事はいろいろあれど本人の色事は結婚話だけなのでよけいにそう思えてしまいます。

これも横山氏の選択ゆえかそれとも原本もその位なのでしょうか。

現代ならばXやらフェイスブックやらであれこれ情報を飛ばしまくるインフルエンサーになっているかもしれません。

 

ともあれこの表紙絵の文左衛門の描写に読まずにはおれませんでしたし読み始めると止まらなくなってしまいました。

横山マンガとしても貴重な一作だと思います。

昨日までの『バビル2世』『101』との違いよ、ああ。