ガエル記

散策

『父系の指』松本清張/『或る「小倉日記」伝』より

ネタバレします。

 

 

 

『父系の指』1955年9月号「新潮」

本作は松本清張の小説の中で最も自伝的要素の濃い作品であるという。

とはいえ、ここまで読んできた感じでは松本清張小説はかなりの部分で実体験が基になっているように思える。

「自分自身をなまなましく描く私小説は私にとって不適当である」と氏は語っているが松本清張の場合はさまざまなところに事実を落とし込むことでリアリティを感じさせる巧さになっているはずだ。

 

松本清張は母よりも父と深い関係性を持っている。

父親とはあまり話もせず母親と密接な関係になりがちな日本の小説家の中で稀有なのではなかろうか。

それはひとつに貧しさゆえに父親との生活が濃厚にならざるを得なかったのかもしれない。

そのつながりは映画(この場合は小説でなく)のほうの『砂の器』を思い出させる。

他人が介在する余地のない中で病んだ父と他に頼る者の無い子は互いだけに寄り添い旅をしたあの父子は清張の小説の中ではあまり描かれてはいなかったのだがそういう関係性だったのではないだろうか。

 

『父系の指』に登場する父親のイメージは松本清張の多くの小説の中にその影を見る。

頭が良くそれを自慢している。どこか放埓でいい加減でそれゆえに嘘をつき貧しさから逃れられないでいる。女好きで妻子を犠牲にする。

仕事がうまく行っている時は横柄で金を使い果たしツキが落ちるととことんまで落ちてしまう。どの仕事も長続きしない。

清張作品にはそういう男の姿が絶えず描かれる。

だが一人息子には優しく語りかける。

「今にのう、金を儲けたら矢戸に連れて行ってやるぞい」

矢戸は父の故郷でありそこへ帰る金もなくその人は一生を終えるのだ。

 

そこは良い場所で川が流れ高い山がぐるりにある。二千年からの古い樹が立ち冬は雪が深い。川上からは砂鉄が出る。

父は何度もその話を繰り返し息子に語り母はそれを冷笑した。

母は父が貧乏性であることを見抜き諦めていた。

この場合の貧乏性は決して豊かにはなれないという意味だ。

男振りはいいが耳が小さい、というのである。

そしてもうひとつの特徴がタイトルにある「父系の指」である。

美化して書かれていないのではあるがつまり松本清張は「指が長い」のである。

伸ばすと反るくらいに長い指なのだ。

これが父とそっくりだと嘲られたというのだ。

「指が長い」というのは羨ましい美的特徴だと思うのだがここでは「指もそっくりだからおまえはつまらん男になるぞ」という意味として使われる。

 

父は貧しさから抜け出せない男であったが本当の「家族」は裕福な家柄であった。

なにかの理由があって父は貧しい夫婦の養子として引き取られる。

後で生まれた弟は裕福な家で育ち学歴を持ちそのまま大きな屋敷に住む身分になる。

父親は自分の弟がたいそう出世していることを息子に自慢するが自身は人生で一度きり弟に会っただけで二度と出会うことはなかったのだ。

 

本作の中で「私」はそれなりに落ち着いた職を得る。

ある会社の主任という役職になり平凡な結婚をし二人の子に恵まれた。

母は死んだが父は七十を超して生きていた。

食欲は旺盛だが足元はおぼつかなかった。それでも耳は確かで新聞が何より好きだった。

「私」は大阪に出張し仕事を終えてふと「父の故郷に行ってみよう」と思い立つ。

鳥取県の矢戸へと向かうのだ。

ここで清張は中年の夫婦に出会い「出雲は東北弁のような訛りがある」と感じている。

『砂の器』の萌芽ではないか。

「私」は父の故郷をその目で見るがかつて子供の時に父が繰り返し話したイメージとはおよそかけ離れた貧相なものだったと描かれる。

父は十代でその土地を離れたのだ。

子供時代の思い出は偉大なものとして記憶されてしまうのだろう。

「私」は父の実家を訪ねるが当主は医者のため往診して留守で家内である女性に応対を受ける。

が、ついに当主には会えず虚しさだけを抱えて帰る。

父は意気込んで故郷の話を聞きたがったが「私」は残酷に「つまらんところだった」と答えるのだった。

この場面の父の様子はあまりにも憐れで読むのが辛い。

その生まれは決して悪いものではなかったのになぜか貧しい家に里子に出されてしまったのだ。

一族は皆それなりに良い暮らしをしているのに自分だけがその輪から外されてしまった。これまでの描写を思い返すとこの父親がそのまま育っていてもあまり良い方向へ行かなかったのではないか、という気もするがそれはそうであってみなければわかるものではない。

父親は実家に書留で手紙を出しその返事が来ることはなかった。

酷い。

 

 

二年後、「私」は東京へ出張することになりついに父の弟の豪邸へ行くことになる。

が、当人は一年前に死亡していた。

家族は温かく「私」を迎え入れ「私」は仏壇の上の写真を見て驚く。それは父の顔そのままだったのだ。

が、その容貌とは違い「父とはなにもかも異なっている」と「私」は考える。

いつも他人から甘く見られ貧乏で一生を過ごした父と同じ顔でありながらその弟は少しの手落ちもなく世の中を渡ってきたのだ。

裕福な家族は「私」に「これからは親戚同士のつきあいを復活したいものです」と告げる。

「私」はそう話す従弟の指を見た。自分にそっくりの長い指だった。

 

「私」は九州に帰ったらこの親切な叔父の家族にはがき一枚出すことはないだろうと考える。

 

最後の一文に笑ってしまった。

それで良いと思う。