ガエル記

散策

『瓔珞<エイラク>~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~』その5

これを観ていたら誰しも皇后を好きになってしまうでしょう。しかしどうしてもあまりに良い人だと不安になってきます。

18話まで鑑賞。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

(というかすでに運命は知っていますが)

『如懿伝』でも出産にまつわる話は数々ありました。

愉貴人が妊娠した時には彼女にしてはあり得ないほど食べ過ぎてお腹に醜い跡が残ってしまう話は本作でも「甘いものを食べ続ける」話と重なりました。史実として愉貴人が妊娠中に食べ過ぎた、のでしょうか。

『如懿伝』で最も恐ろしい話は玫貴人が妊娠中に水銀の入った魚を食べるように仕向けられ水銀中毒となった子供を出産してしまう話です。

本作ではこれが愉貴人の「甘い物食べ過ぎで黄疸の子を出産してしまう」話になっています。しかしその機を逃さす高貴妃が黄疸の皇子を人前で殺害しようとする。

これも瓔珞が明断で阻止するのですがあまりにも恐ろしい。

 

そして高貴妃もまた毒親問題で苦しむ女性だった、と。

高貴妃そもそも手段を間違えていたのでは。

こうなったら頑張ってほしいです☜ちょろい

 

 

『瓔珞<エイラク>~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~』その4

向かって右が瓔珞です。この顔を観てもよく描かれる絵画のよう、と思ってしまいます。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

母親に酷く罵られる嫻妃。昔の物語は毒親が当然のように出てきます。そのために人格が歪み人生が狂っていくのです。逆に言えば毒親がいるからこそ物語が面白くなっていくともいえるのですが現実にこんな親がいたら子どもはあまりにも悲惨です。

一方親に溺愛されていた弟は長男ということでこれも歪み切った人格だったのでしょう。

 

ところで『如懿伝』と『瓔珞』は同じ皇帝と後宮を題材にした、ということだけでなくエピソードも基本同じなのが面白い。

本作での最大の悪役・高妃がいない『如懿伝』では嘉妃が犬を飼うことになっていましたが本作でも高妃の代わりに犬を世話している設定になっています。この辺りは史実として存在するということなのでしょうか。

ただ『如懿伝』の嘉妃の犬が猛々しい痩せ犬だったのでそれだけで怖かったのが本作ではおっとりとしたペキニーズ(字幕は狆となっていましたが)でかわいい。これを怖がるのは難しい気がしますw

生まれが貧しいために後に令妃となる瓔珞が懸命に研鑽するという話も同じですが本作では皇后自ら教え導く形になっています。

どちらの皇后も一番の美女を選んだ感じがしますが『如懿伝』の皇后は皇帝の愛情を嫻妃に奪われているために可哀そうでもありました。本作の皇后は皇帝の愛情を一身に浴びていてより神々しさが際立ちます。皇帝が皇后を一番に愛している様もなかなかよろしいのですがこれも含め『瓔珞』は「こうありたい」という道徳的物語に感じられます。

 

『瓔珞<エイラク>~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~』その3

次々と問題が起きるのを次々と瓔珞が解決していきます。日本でこれができるのはコナン君か安室透くらいでありましょうか。

第10話まで鑑賞しました。

 

 

というわけでネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

どうしても『如懿伝』と重ねて観ていってしまいます。

今のところ大きな違いは後宮内での皇帝の存在ですね。

『如懿伝』では皇帝と如懿の愛情が主軸になっていたせいもあって皇帝の存在が大きかった。皇帝と如懿の両主役だと書かれてもいます。なので皇帝と妃嬪たちとの交わりが濃密に描かれていて私は『源氏物語』と重ねました。あの物語も政治はほとんど描かれず光源氏と女性たちの愛憎物語の形式になっています。

 

が本作では今のところ妃嬪たちと皇帝との交流は逆にほとんど描かれず正義とは何か悪行とは何かというような教則本を映像化しているかの如くです。

『宮廷の諍い女』も『如懿伝』に比べヒロインの生き方、というのが主題となっていましたが本作はさらに強烈なものになっています。

そして『宮廷の諍い女』と本作の共通点は皇后と同列ともいえる強敵が存在することですね。

といっても『如懿伝』では如懿自身が皇后と同列の強敵だったわけですが。

 

皇帝の描き方は今のところ『如懿伝』よりの彼よりも本作のほうが面白いように思えます。出番が少ないからかもですが。

 

あとオープニングは本作が美しい。

ドラマの映像のショッキングな場面を切り張りしていくのは同じですがコントラストを強調してちょっとオカルト的な絵画に見えるのがとても印象的です。

これは良い。

 

 

 

『瓔珞<エイラク>~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~』その2

瓔珞の途方もない行動力に呆れながらも観ています。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

この感じ新しい、というより昔観た気がします。

昔の日本の少年マンガ?的な気もします。豪放磊落な主人公が口八丁手八丁で運命を乗り越えていく。たぶん日本的なものというよりもまさに中国の物語からアイディアを得たものでしょうけど。

 

瓔珞の豪胆さには感心します。

勧善懲悪の極みともいえる展開になっていますがさてどうなっていくのでしょうか。

『瓔珞<エイラク>~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~』その1

『如懿伝』を観てそれ以前の話『宮廷の諍い女』を観ているうちに本作『瓔珞』が『如懿伝』のもう一つの視点の話だと知って観たくなりました。

とはいえそうたやすく観ることができず悶々としていたのですがついに欲望に勝てずUNEXTでまたもや鑑賞することにしました。

以前にも一話だけ無料で観ていたのですが本当に登場人物が同じなのに(若干違いが)演じている人物が違う、じゃなくて違った人物になっているのがおかしくも面白いです。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

『如懿伝』の皇帝はまさに美丈夫といった風格でしたが本作の皇帝はなんというのか不思議な面白みがあります。(少し爆笑太田に似てるし)

『如懿伝』で特別な美貌を見せてくれる周迅の如懿はここではちょっとなんというかw(失礼しましたまだ慣れてなくて)

巴林氏が最初から出ているのも驚きでしたがそれが脚本というものですね。

いやそんなことよりなんといっても主人公瓔珞こそが驚きです。

『如懿伝』では衛嬿婉なのですから。思いきりのネタバレですが稀代の悪女、凄まじい悪行の数々を成し遂げる女です。

第一話ですでに瓔珞がいかに気が強く容赦しない女であるかは描かれました。これは『宮廷の諍い女』でのヒロインの気の強さの描き方とは全く違いますね。

激しい女性です。

これからじっくり楽しみます。

『PERFECT BLUE』今敏


日本以上に海外で高評価されている、というのを読み概略を見るとB級アイドルと変態ファンを描く作品と知って躊躇してしまいました。

今敏監督作品は『パプリカ』はまだしも(それでも大絶賛という気にはなれず)『東京ゴッドファーザーズ』を観た時はかなり時期が経っていたせいもあっていわゆる「おかまキャラ」に違和感を感じてしまいました。

ご本人は意識されていたのかわかりませんがそうした時代性の「アイドル」や「おかまキャラ」をメインに使用することそしてその描写のいかにもありふれた演出にまず疑問を感じられてしまう恐れはなかったのでしょうか。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

 

とりあえず今回は嫌な気持ちになろうとも見通そうと決心はしたのですがそれがなければ冒頭すぐで観るのを止めていたと思います。

 

つまり今敏監督が優れたアニメ技術を持たれているのは観ていて解るのですが選択する題材があまりにも俗っぽく観たい気持ちを起こせないのです。

それは主人公の売れないアイドルが非常に可愛らしく描かれていること、一方変態的オタク的ファンが異様なほど醜く描かれていることにも感じてしまうのです。

 

そしてアイドルの不幸の描き方がまさに今話題ともなっている

「女性タレントは性を売り物にしないと食べていけない」

をそのまま踏襲していて辟易としてしまいます。

もちろん現実にそうした問題が浮上しているのですからその通りなのです。そしてそのことは昔から誰もが知っている醜い実状でもあるわけですがそれは「リアルを暴く」というより作者の浅はかさを表現してしまっているのではないのでしょうか。

 

むろんこの作品は「サイコホラーを描きたいのであえて通俗的な設定にした」という言い訳もできるでしょう。とはいえ私にはやはりそうした選択感覚が自分とはまったく相いれないのだと実感しました。

『東京ファーザーズ』の「おかまキャラ」でがっかりした感覚は今監督の根幹であって一作だけのものではなかったのです。

しかしその技術は確かに見ごたえのあるものです。

アニメに関係したい人は一度は鑑賞する価値があるでしょう。

製作されてからかなりの時間が経った今でもここまで凄い技術で作られたアニメ作品はそうそうないと思えるからです。

 

にもかかわらずこの嫌悪感。

本作を私がアニメの教則作品に選ぶことはあっても好きな作品には絶対に入れない。逆に「嫌いなアニメ作品」には選びます。

高等な技術と低俗な精神を併せ持ったのが今敏監督作品なのではないでしょうか。それはあまりにも勿体なく悲しいコンビネーションでもあります。そして時にその逆の場合もあるわけですが。(それも悲しい)

 

アイドルタレントのキャラ描写そして生活描写も当然ながらあまりにも通俗で観ていて楽しくなるものではありません。

ごみごみとした部屋アイドルならこんなものだろうと描かれた知性の無さ精神の虚弱さアイドルに憧れながらかなわなかった女性マネージャーが堕ちていくアイドルに自分を重ねて涙し狂っていく様子も直接に過ぎ太った体を見せつけるのも作者の意地悪さを感じさせます。

 

今敏監督作品が海外で高評価されるのになぜ日本では受けないのか、は当然だったのです。

この作品のどこにも愛情がない。

今監督はそもそもアイドルには興味がなかったらしい。アイドルそのものが嫌いだからこのヒロインが過酷な性被害にあう場面にも「かわいそうに」と思う心がない。

そりゃそうです。かわいそうと思うのなら描くわけがないからです。

「サイコホラーを描くためだよ」という大義名分でひとりの少女に(たとえ絵であっても)性加害をしてもそれは技巧だからと描けてしまうのです。

 

本編後に監督自身のコメントがありました。

「これまでのアニメを壊したい。なぜロボットSFや美少女キャラばかりなんだと」

って美少女出してるではないですか。そこですでに壊してないし。ロボットSFではないけどアイドルものって今となれば逆にありふれてしまったわけですがそもそもアイドルってみんなが嫌っているもの、ではないという。

 

劇中劇、夢と現実が交錯していくという構成は私も嫌いじゃないしもしかしたらこの作品が他に大きく影響しているのかもとは思えます。

こうした技術的な部分は優れています。それは確か。

 

なので今敏監督の日本でのあいまいな評価は妥当なものである、と認識しました。

アニメオタクやアニメーター志願者は技術を知るために観るべきだけどその精神性はよくよく考えて欲しい。

描写される見えている暴力だけではないのです。それ自体おぞましいですが。

女性アイドルを追い詰めていく物語に「これまでのアニメを越える作品」を見出すという気持ち悪さを今監督は自認していたのかどうか。

「他の奴はロボットSFが好きなだけだろ」というのなら今監督は「女性を追い詰めていく物語」が好きなだけ、なのです。私はそれを気持ち悪いと思います。なぜ自分自身と同じ性別の男性アイドルにしなかったのでしょうか。

それは同性である男が追いつめられていても「楽しくない」からでしょう。しかしご本人が言う通りの「これまでのアニメを壊す」のなら男性アイドルが追いつめられていく物語にしてもよかったはずです。

 

とはいえもう今はもう亡き方です。ご冥福をお祈りするしかありません。

後に続く方にはよくよく考えて欲しいとだけ願います。

 

 

 

 

 

『静かな生活』伊丹十三

ちょっと興奮しています。日本にこんな素晴らしい良い映画があったとはそしてその作り手がずっと好きだった伊丹十三監督だったとは、二重の意味でショックです。

 

この数日伊丹監督作品を観続けていてほとんどが以前観ていたか少なくとも話題になったのを史っていたものでしたが本作品は存在すらまったく知りませんでした。今は悔しい。この映画の存在を知っていたかったしできるなら早く観たかった。残念です。

 

とはいえ当時観ていて自分が理解できたのかは解らないし今観ることが絶好のタイミングなのかもしれません。

とにかく今観て素晴らしいと思いました。

少しでも多くの人に観て欲しい映画です。

 

しかし本作品『静かな生活』は人気のあった伊丹映画の中で最も不人気で低評価の作品だと書かれています。いったいどういう理由なのでしょうか。

製作時は1995年。バブルがはじけ人々が落ち込み始めた時期ということでしょうか。ちょうど『エヴァンゲリオン』がテレビ放送を始めた時期でもあります。

もちろん『エヴァ』も放送当初は評価されたわけではなかったのですがそれまでの少年向けアニメと違う自分自身を見つめていく物語はその後人々特に若い世代を強く惹きつけていきます。

本作は自分自身、ではなく他人を見つめていく物語、ではないでしょうか。

語り手の少女は障碍者である兄を生活の中でずっと見つめ支え続けていきます。

この姿勢は今問題ともなっているヤングケアラーと言えます。若い人が自分の人生・青春を犠牲にして家族のケアを押し付けられてしまう状態はあってはならない、という問題です。勿論私自身もそれは優先して改善されるべきだと思います。

が、そう思ってもいる上でも本作は優れた作品であり心が慰められる作品でもありました。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

本作は大江健三郎氏原作で障碍者であるイーヨーは実際に大江氏の長男であります。彼は知能の問題を抱えながらも音楽の天才でもありこの映画の音楽担当でもあるのでした。

語り手である妹・マーちゃんは嫋やかな少女で細くて力がなさそうに見えますが(ほんとに弱そう)芯がしっかりした娘さんでもあります。

確かに「自分の青春を犠牲にしている」と見えてしまうのですがそれは他人の目線であり本人はそこに幸福を見出しています。

それは背景が裕福な作家の家庭であり優雅とも言える暮らしをしているからだ、という反発を生んでしまうのでしょうか。

この映画が伊丹監督の失敗作であると評され長い間顧みられなかったのは何故なのか、同時に私自身がこの作品に今とても慰められているのは何故なのでしょうか。

 

日本映画では「障碍者」を描くことが大きなタブーになっているように思えます。映画だけではなく日本の大きなメディアであるマンガやアニメでも主役級で活躍することは稀です。さらに知的障害者をメインに持ってくることはほとんどないのではないでしょうか。

しかし本作でイーヨーはごくあたりまえにメインキャラとして活躍し当然のように魅力を見せてくれます。

しっかり者だけど力のなさそうなマーちゃんと知的には危なっかしいけど力強い感じのするイーヨーは互いに補っている関係とも見えます。

生まれた時に頭に傷を負っていたイーヨーの経験を踏まえて次に生まれたマーちゃんは小さく丸い頭で生まれたのだ、と語られます。

その次の弟はふたりを併せ持ったような人物に見えるのでそうした関係性を持たなくてもいいのでしょう。

 

本作は他の伊丹作品のとんでもないほどの大きな笑いは潜めていますがそれでも日本映画にはあまりない豊かなユーモアは健在です。

山崎努演じる(大江さんである)パパは一家の災難である「下水の詰まり」に対し皆が見守る中で意気揚々と立ち向かいます。「これで解決だ」とばかりに下水管の蓋を開けクリーナーワイヤーと薬剤を施します。

しかし翌朝詰まりは逆に最悪となり庭は水浸し。そこへ業者氏が「困るなあ、素人考えは」と登場しあっという間に勘所の下水蓋を見つけて見る間に詰まりを治してしまうのでした。家族は大喜びです。

パパはこの事態に酷く落ち込みます。

「自分は何の役にも立たない。このまま死んでしまった方がいい」

このエピソードは深刻ですが同時に心の中で大笑いしてしまいました。

自殺したい理由はおおよそこのようなものなのかもしれません。

自殺の原因が「下水の詰まり」なんて記されたら恥ずかしいですが本人は真剣なのです。

しかし実際「下水の詰まり」にはほんとう自殺したいほど悩まされます。あれはいったい何なのですか。詰まってしまった時はどうしようもない無力感に襲われます。この映画でパパに一番共感しました。

 

マーちゃんはある時「イーヨーがもしかしたら幼女性虐待の犯人なのではないか」という疑惑を持ちます。茂みに隠れて下校時の小学生を狙っているのを目撃してしまったのです。

その運びで別の男が幼女を襲っている場面に遭遇してしまうのですがその対決方法が乗っていた自転車のベルをチンチン鳴らし続ける、です。

あまりの無力感にここも笑ってしまいましたが(状況的には笑えない)しかし考えてみたら無力なのに立ち向かうマーちゃんはやはり偉いと思います。

その後「イーヨーの幼女性虐待疑惑」は勘違いで実はモーツァルトピアノ曲を聞くために茂みに隠れていただけだったと解ります。マーちゃんは安堵します。

 

そして物語の山場へと向かいます。

イーヨーの体調を改善するため二人はスイミングを始めます。

イーヨーには専属のコーチ「新井君」がつきます。男らしく人情味のある男性でイーヨーもめきめき上達して二人は彼に好意を持つのですが、この男が実は以前作家であるパパと因縁があったのです。

彼はある殺人事件に絡んでいて犯人かとの疑惑があったのですがその後無罪となります。彼はこの事件の詳細を恩師であったパパに打ち明けるのですがその記述を元に書いた小説でむしろ彼はいっそう人々から性犯罪者として認知されてしまった、というのです。

彼は恩師を恨み続けていたのでした。

 

一見善人に見えた「新井君」が次第におかしく思えてくる様子はぞっとします。実際はどうだったのか、はわかりません。

しかしここでもマーちゃんとイーヨーは二人一組で困難に立ち向かうのです。

 

様々な困難を乗り越えマーちゃんとイーヨーはやっと「静かな生活」を取り戻します。

その笑顔にほっとしました。

長らく日本は「自己」を見つめてきました。

とはいえその答えが出尽くすことはないでしょう。

その時期に製作された本作は「他」を見つめ「他」とつながる意味を問うた作品であったと思えます。

それは決して伊丹十三監督の失敗作なのではなく時期の問題だったのではないでしょうか。

今現在この映画『静かな生活』は人々が求めている作品なのではないかと私は感じています。

他でのレビューの低さもあってなかなか手に取る人が少ないのではないか、知的障碍者の話という題材で躊躇されてしまうのではないか、というのはあまりにも勿体なく悔しい。

これは当たり前に良い物語です。

知的で上品でユーモアがありささくれた心を慰めてくれます。

 

イーヨーを演じた渡部篤郎のかわいらしさはもちろん、他レビューで「ダイコンだ下手だ」と評されている佐伯日菜子のマーちゃんも私はとても良い演技演出だと感じてまったく嫌になりませんでした。むしろこれが良いのでは。普通こういうものです。

 

他作品とは全く違った味わいの本作を観て私は伊丹十三監督の実力を思い知らされました。

この人は桁違いに凄い人なのだ。

あまりにも早い最期でした。

今更ながら惜しまれます。