ガエル記

散策

『如懿伝〜紫禁城に散る宿命の王妃〜』4



私の周迅歴は結構長いのです。後追いではあるのでしょうが映画なら『ふたりの人魚』TVドラマでは『橘子紅了』を夢中で観ていました。『橘子紅了』は日本語版は出てないのですが『如懿伝』似通う面白さがある作品で今からでも出して欲しいものです。

少女期の周迅ちゃん。可愛いです。

検索したら自分のブログが出てきましたwそりゃそうですね。日本人ではそんなに観ていないでしょうから。

feiyui.seesaa.net

2005年となっていますからそのくらいからは見てきたということですね。中国語を勉強したわけでもないのに辞書を引きながら鑑賞していました。

この頃のブログ記事を見ると今よりはるかに体力も集中力もあるのがわかります。

今はもうこんなに書けません。

 

さて本作の記事です。ネタバレしますのでご注意を。

 

 

11話途中まで鑑賞。

 

 

如懿への寵愛を隠さないと誓った皇帝はしかも如懿の誕生日に「なんでも願いをかなえよう」と言いながらその願いを聞いた途端激しい怒りを表して出て行ってしまう。

如懿の願いというのは皇帝の今は亡き生母への孝行だった。

太后ニオフルは皇帝の育ての親であり実際の生母はたった一夜だけ前皇帝と同衾した女官にしか過ぎなかった。何の位も持たないまま亡くなった生母を母とは認めることができない皇帝はしかし心の奥に親不孝の棘となって彼を苦しめていたのだ。その棘を抜いて差し上げたいと願う如懿の思いやりは逆に皇帝を苛立たせ怒らせたのだ。

一変して寵愛を失った如懿に対して周囲は冷酷になる。

後宮の世話を賄う宦官たちは手のひらを返して如懿の住む延喜宮への食べ物・着物などの届け物を格下げし滞らせる。

如懿の侍女の中でも気の強い阿箬は不満をぶつけるが如懿は仕方ないこととして受け入れる。

一方皇帝は密かに如懿の思いやりを考えていた。忠実な宦官・李玉の助言もあって皇帝はついに自分の親不孝を認め今は亡き生母への追贈を決定する。出自を疑われないために前皇帝に関わったすべての女性たちへの追贈としての配慮ではあったが。

皇帝の思惑を見通している皇太后はそれを受け入れながらもその行為が如懿の立場をますます追い詰めていくことを予感する。

 

この頃、慧貴妃はまだ子供ができないことを悲嘆し侍女の助言を受けて母親を亡くした長子の養母になりたいと願い出る。

皇帝は軽薄な慧貴妃が養母には向かないと危ぶむ。

が、後継者の筆頭である長子・永璜の腕に傷を見つけた皇帝は養母を皇后から移す決意をする。

永璜が求めた養母は如懿であった。

 

『如懿伝〜紫禁城に散る宿命の王妃〜』3

中国の歴史ドラマは数あれ本作ほど格調高いクオリティのものはそんなにはないでしょう。

最初は私が周迅好きだからと思っていましたがそれだけではないはずです。

歴史ドラマといっても戦争などのアクションパートは(たぶん)一切ない後宮のおどろおどろしい出来事のみを描いた物語です。

時代はまったく違いますが日本平安時代の『源氏物語』に重なるものがあります。

とはいえ『源氏物語』はほとんど女性たち同士の闘いはあまり描かれていません。しいて言えば六條御息所が生霊となって葵上を襲うくらいでしょうか。

その点で言えば江戸時代の「大奥」を引き合いに出すべきでしょうけど「大奥」になると華やかさが足りない気がします。やはり日本の「大奥」ものは華美さが無くて物足りない。

腐敗しきった究極の華美と権力争いと男女の愛憎劇の極みを観たければどうしても「紫禁城」となるわけです。

 

8話まで。

如懿=青桜を皇后にできないばかりか格下の側室に据えながらも愛情を示す皇帝ですが一方で琵琶奏者の娘に心惹かれていくという・・・。

皇后をはじめ側室たちは結局たった一人の皇帝の愛情だけが自分の拠り所であるわけでただでさえその愛情を分割するしかないところへ未熟な芸妓が答応として入り込んでくるのはとても辛いことに違いない。

 

そうしたイライラの時期、寒い冬に配分される木炭も足りず冷え性の慧貴妃・高晞月は軽蔑している海蘭の炭を横取りしたうえに無実の罪を着せようとする顛末となる。

ここでまた如懿の才能が展開される。ここら辺はもうミステリーのカテゴリです。

だから好きなのかもしれない。

海蘭を救いに走った如懿を慧貴妃はやりこめようとして逆に皇帝に見とがめられ結果惨敗してしまう。

 

ここらへん、現在日本の経済状況のようでいたたまれない。世界戦略が苦手で日本の中だけで経済を回したい我が国にとって出てくる利益はもうすでに決まっている。その決まった利益をなんとか分配したい私たちは誰かがズルをしないかと互いを監視しあっている。そこへ変な若造(ホリエモン)なんかが入り込んできたら頭にきて罪をかぶせムショ送りにしたっていう話。

 

とはいえ、本作では如懿の機転で解決されました。

 

さらに今回はミステリー三昧。

今度は如懿に玫答応の傷を悪化させる毒を薬に入れたのではないか疑惑が降りかかる。

いつも無口でおとなしい海蘭がこの時は必死で如懿の潔白を証明する。

この展開も見事でした。

 

結果如懿を陥れようとした皇后までが皇帝に見透かされ品位を落としてしまう。皇后の如懿への恨みが増していく。

 

8話、処罰を受けた宦官・李玉の手当てをする場面が美しい。ひとりになった如懿の物思いにふける様は印象的です。

『如懿伝〜紫禁城に散る宿命の王妃〜』2

本作は配信とテレビ放送で何度か観ていますので、ここに書く感想はそれを踏まえてのネタバレにもなってしまいますのでご注意を。

 

さて第五話の途中まで鑑賞しました。

1735年から即位した乾隆帝と後に皇后ともなる嫻妃(ウラナラ氏)の情愛の物語です。乾隆帝の時期は清時代でも華麗ながら衰退の様相もあったと記されています。本作は後宮の物語に焦点を置かれていて外界の歴史は省略されていますがその艶やかさで表現されています。そして同時に乾隆帝の心の移り変わりに時代も反映されているようです。

 

本作では乾隆帝になる以前の弘暦が幼馴染として親しかった青桜を皇后に望むも当時の皇帝(つまり父親)から反逆者の娘を皇后にすることは認められないと拒絶されてしまうところから始まります。

それでも広暦は青桜への好意を断ち切れず側福晋(側室)とするも嫡福晋となったフチャ氏はじめ他の女性たちをさしおいて青桜への熱愛を露わにしています。

先の皇帝が崩御し25歳の若さで広暦は乾隆帝となります。

太后であるニオフル氏は絶大な権力を持っていますが乾隆帝の実の母親ではなく育ての母であるために乾隆帝との軋轢が重なります(実の母でも同じだとは思うのですが)しかも青桜の伯母と激しく対立していたことで彼女は青桜に過酷な処罰を課すのでした。

 

ここから青桜の利発さが描かれていきます。

青桜はウラナラ氏の立場の無さを恨むことなく皇太后から信任を得ることに成功するだけでなく新しい名前を皇太后から賜りたいと願い出ます。

その名前こそが如懿(ルーイー)なのでした。この名前の意味は「静かに美しい」とのこと。ニオフルは「それ以上望むな。静かな幸福を求めよ」とも言っています。新しい名前を賜った青桜は「心に刻みます」と答えます。

 

如懿の役を周迅が演じているのはこれ以上ない適役、と私は思っています。

彼女の持つ不思議な魅力をなんと表現したらいいのでしょうか。

例えば皇太后フチャ氏(ドン・ジエ)は正統派美女と称えるのならどことなく風変わりでもあります。いつまでたっても少女のようなそれでいて毅然とした強さを感じる女性なのです。

反面声が低くて落ち着いた風情なのがより不思議さを増します。

女っぽさを強調してはいないのにコケットリーでもある謎の魅力です。

『如懿伝~紫禁城に散る宿命の王妃~』周迅

U-NEXTにて鑑賞中。

テレビ放送、今回も途中で気づいてしまったのとやはりCM(それもBSの強烈なヤツ)を観るのが辛いのでさんざん悩んだあげくついに登録してしまいました。

これからしばらく周迅の可愛い顔を見て過ごします。

 

テレビ放送で観てはいるのですけどねw

 

紫禁城後宮の物語、おどろおどろしく救いのないのがわかっていながらついつい観たくなるのはどういうわけなのでしょうか。

先日観た『背徳と貴婦人』は本作と同一人物ウラナラの如懿を描いたものでした。

逃れようのない掟の中で生きる男女を観たくなってしまうのはおかしいことではあるのですが。

 

この奇怪な思いと寄り添いながらしばらくの間華麗な苦悩の時間を過ごします。

『背徳と貴婦人』シャルル・ド・モー

以前一度観た時は入り込めなかったのですが今回観ていてふと良さを感じてしまいました。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

フランス人画家アティレは清の皇后ウラナラを描くことを任じられる。

ウラナラは皇后でありながら皇帝の寵愛を受けることのない生活を送っていた。とはいえ彼女には皇后である以外の自由はない。

そしてアティレは禁欲を課される修道士であるのだが類まれな美貌の皇后を描くうちに心惹かれていく。夫である皇帝から向けられることのない情愛の眼差しを受け止めるウラナラはアティレから描かれることが唯一の楽しみとなっていた。

 

肖像画が描かれる間だけがふたりの愛の交流でした。

ウラナラは夫の愛を得られぬまま皇后として生きねばならず皇帝は新しい妃を迎え寵愛しています。

アティレの描いた皇后の肖像画を観た皇帝は彼を戦地へと送ります。皇帝は絵の中の皇后の眼差しに自分には向けられなかった心を感じたのです。

三年後アティレは戻ってきます。彼は今でもウラナラを思っていました。しかしもう皇后に近づくことはできず遠く見守るだけ。

ウラナラは自ら髪を切り落としてしまいます。それは皇帝の死後にしか許されない行為でした。

それだけが彼女にできる反逆だったのです。

 

敬虔なキリスト教徒だったアティレが「だがもはや神の存在も信じがたい」とつぶやく。

 

悲しい物語でした。

 

 

『オールド』M・ナイト・シャマラン

wowowでは明日(6月5日)初放送かな。一日早くアマゾンプライムにて鑑賞しました。

ちょい前にシャマラン監督作品を続けて観ていました。

どれもよくある題材のようでいて何故か惹きこまれて観てしまうという魔法使いのような演出法を持つシャマラン監督とは思いつつもとある不思議なビーチに訪れた人々がどうしてもそこからもどることができなくなりそしてどんどん年老いていくという設定がすでに提示されてしまっても尚且つ面白い展開になるのだろうかと疑問でした。

 

しかしやはりシャマランマジックはここでも作動していました。

なんでしょうか。

わかっているはずなのに退屈するどころか惹きこまれてしまうのです。

ちょうど先日観た『パリピ孔明』の「石兵八陣」でしょうか。

いやこのビーチがというわけではなくwちょうどそんな具合に映画に入り込んでしまうわけです。

いやシャマラン監督はインド系なのでやはり孔明ではなくインド数学的迷路というべきですね。作中にもパズルが登場しますがそんな感じで謎がカチカチとはまっていくようです。

 

そして主人公(かな?)がガエル・ガルシア・ベルナルでしたねw知りませんでした。

勘のいい方はお気づきでしょうか?このブログの名前はこのガエルさんから頂いたりしています。なのに知らなかったというw

 

シャマラン監督作品はほんとうに不思議な味わいがあります。

案外賛否両論になりがちなのかもしれません。

ワンアイディアだけを映画化しているように見えて実は複雑な仕掛けがあるのが見えにくい、わかりにくいのではないでしょうか。

家族ものが少なくなっていくなかでシャマラン作品は家族や兄弟を描いたものが多いのも特徴です。まだまだシャマラン監督作品の面白さは続きそうな気がします。

 

『パリピ孔明』四葉夕卜/小川亮 &アニメ

今頃になってはまっています。ちょろちょろアニメは観ていた?流していたのですがここにきてちゃんと観たくなり運よくコミック1・2巻が無料で読めたので(無料大切)目を通したところ一気に好きになってしまいました。どうやら私にはマンガのほうがわかりやすかったようです。そしてたしかにまんがのほうが絵の細かい魅力があるのは確か。とはいえこれはアニメでは難しいところです。

逆にアニメの強みはなんといっても歌やラップをそのまま聞かせて魅了できる点ですがこれは上手くなければ逆にがっかりともなってしまいます。

しかし本作はそこをクリアできたのがなんといってもよかった。

特にOP「チキチキバンバン」がよすぎるくらい良いのは最高の味方ですよこれ。

 

しかししかし音楽とアニメーションを合わせるのは素晴らしいけどそのぶん高等技術ゆえに資金がたっぷり要るわけで。

どうしても止め絵での歌、もしくは歌の部分飛ばし、という省略になってしまいますな。

しかたない。

 

孔明という軍師をなぜか「歌手を目指す女の子」と組み合わせる不思議、と笑っていましたが原作マンガで孔明の主君である劉備が手を差し伸べて「孔明、天下泰平。戦の無い世を共に作ろう」という場面で泣きそうに。

何故このマンガで泣かせるの?

そうか。そういう高い意志があってのことだったのか。

 

そして読み進め観進めるうちに別のことで泣きそうになってきました。

歌手、ではなく俳優の世界の話ですがエンタメ界で最近とみに夢に向かって目指す若者たちがその夢を無残に散らせてしまう報道ばかりが目につきます。

夢をかなえてくれる、と信じたマネージャー、監督、先輩などからのセクハラ性虐待暴行などの話が続きます。

現在日本ではそうした映画・ドラマ・音楽などとても繁栄しているとは言い難い状況であるのは誰もが感じています。そのなかでそうした腐った事象だけが起きている・・・。

大人たちが先達が夢をかなえたい若者を支え導くどころか傷つけ踏みつぶしてしまうのが現実だと嘯くのか。

 

本作に登場する孔明は英子の歌に聞きほれその才能を認め彼女の夢をかなえたいと軍師の知恵を授けていきます。

かつての劉備を支え導いたのと同じように。

これは夢であり理想であり結局はファンタジーにすぎません。

実際にはその実力も劉備ではなく知恵は孔明には遠く及ばないはずですがその夢をマンガアニメの中でかなえたいと。

 

そうは思いながらも今孔明がいないことがあまりにも足りないことがエンタメ界の悲劇なのです。

孔明・・・出現してくれ。