ガエル記

散策

「銀のボンボニエール」秩父宮妃勢津子

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なぜか秩父宮妃が授かったボンボニエールはこの形ではなく



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こちらが秩父宮妃に贈られたボンボニエール

とても面白く興味深い一冊です。1909年明治42年生まれで裕福な家庭で育った女性の世界観が詳しく描かれている貴重な資料でもあります。それが今は絶版になっているようで残念なことです。印刷ものはなくなってもいいのでこういうものこそ電子書籍として欲しいと思うのですが。

 

旧姓・松平節子である彼女は、後に昭和天皇の弟・秩父宮の妃となります。父・松平 恆雄が当時駐英日本大使館三等書記官だったために彼女はロンドン郊外で生まれますが、その後、北京天津ワシントンなどで少女期を過ごします。

節子(のちの勢津子)の父・松平 恆雄はあの松平容保の六男であり、つまり秩父宮妃勢津子は朝敵の孫であるわけです。彼女の母親・信子は鍋島侯爵の娘です。

父母の仲人をしたのが時の駐英大使・小村寿太郎、とまさに歴史書を読んでいるかのごときです。

勢津子妃は会津魂を強く持って生涯を過ごしたという感があり、そうしたことも当時の状況や心理状態を詳しく読んでいけるのではないでしょうか。

秩父宮との結婚の際には「世紀の大恋愛」と新聞は書き立てたらしいのですが実際は樺山伯爵を仲介しての婚儀であり、当人たちはまったく互いをしらないままだったという、思うにそうした会津藩への計らいという意味も含まれていたのではないのでしょうか。

そして樺山伯爵というのは有名な白洲正子氏の父親であります。勢津子妃は白洲正子とは幼馴染でずっと親友だったという間柄なのですが、ここでも彼女は会津藩の敵である鹿児島の生まれなのにもかかわらず、という表現が出て来てなかなか面白いのでした。

勢津子妃の父は華族ではなく平民になっているのですが(その為娘・節子は皇族との結婚の期にはいったん華族である叔父の養子となる経緯を踏む)外交官であり裕福で幸福な少女期を送っていて子供たちの世話や教育を受け持つイギリスのナニーのような存在の女性が出てくるのも面白いです。会津魂にあふれた強気な女性で自身にも子供がいるのですね。

その女性というのは高橋たか、というのですが「高橋ムツ」と本名なので明治天皇が「睦仁」なので「むつ、むつ」と呼び捨てにするのが畏れ多いために「たか」という呼び名に変えたということです。

その「たか」の描写はとても愉快で魅力的です。もしこの本をドラマ化するのならこの「たか」を中心に描いていくととても楽しいものになるのではないでしょうか。

子供たちに深い愛情を持ちとても厳しいのですが関東大震災の時に「節子様は是非この惨状を見ておくべき」と進言して14歳だった勢津子妃に伴って遺体の残された焼け野が原を見学しに行く、というくだりはちょっと不思議なしかし印象的なエピソードでありました。

 

この著書を読むと裕福で身分の違うお姫様、といえど時代のせいもあり波乱に満ち苦悩も多い生涯であり勢津子妃の人柄にも魅力を感じてしまうと思います。

とはいえ、これはこの著書に書かれたことではないのですが、全くの平民であった美智子皇后今上天皇と結婚される際に反対をした一人が勢津子妃であることは公然と記されているようです。(反対した人々は香淳皇后、白蓮、勢津子妃の母親松平信子氏など)私は美智子様大好き、で育った世代でもありますし、こうした本を読んで興味を抱いた女性が「貴賤結婚」と呼ばわって右翼を動かして正田家に辞退を求めた、というような記事を読むと人格というのは一面だけではわからないものだと思わされます。

そのことを知ってもこの著書の内容は内容として大変面白いことは変わりませんし、確かに本著には平民と親しく交わっている様子は皆無なのでむしろ筋は通っているように思えます。

貴族階級がたとえ身を落としても貴族階級としての特別な意識を持ち続けた終焉の書、としての意味もこの著には有るのかもしれません。

現在でも同じような人物であるのは奇異としか思えませんが。

 

そうした意味合いも含めて本著は貴重であると思います。