女子がちょっぴりだけとはいえ描かれている珍しい横山『三国志』表紙絵。
呂布とその娘だけど。呂布の危機を描いた名場面(?)とも言える。
ネタバレしますのでご注意を。
呂布軍に襲われ玄徳は逃げ延びたが行方知れず、小沛城は奪われてしまった。
ひとり逃走し彷徨う玄徳は近くの村の男から「小沛の玄徳様ではございませぬか」と問われる。男は続けて「玄徳様は民百姓にとても思いやりがございました。こんな時こそふだんの御恩返しがしたいと村の者も語っております」というのだ。
しかし玄徳は自分はそうではないと否定した。
男は自分の持つ食べ物を玄徳に渡す。玄徳はありがたく受け取り立ち去った。
それからも玄徳が行く先々に食糧の入った包みが置かれる。それに玄徳は勇気づけられるのだった。
そしてついに玄徳は曹操軍の旗を見つける。曹操だと知って喜んで駆け付けるという珍しい場面だな。
キャンドルもあってロマンチックな場面なのに曹操の思いやりでこの後すぐに別室に行くのが残念なり。
この横山先生独特の走りかた名前あるのだろうか。横走り?
やはり曹操は頼もしいや。
この後曹操軍は呂布に味方する山賊三万が立てこもる泰山を越えねばならない。そこで曹操は許褚に山賊討伐を命じる。
左下のコマ、こ、これはさすがに台詞書き忘れでは??せめて描き文字で「進めーっ」とかも少し「山賊どもなどひとひねりだーっ」とか言ってそうなんだけど。
なにせ次のコマは
ってめっちゃ盛り上がってるんだし。
横山許褚、小柄すぎなんだけど私は凄く好きで前にも書いたけど許褚見たくて再読してる。
なのでここは重要。
しかし許褚の戦い方は両側が崖になっている細い山道は全速で駆け抜ける、という極めてシンプルなものだった。
しかし山賊の仕掛けた岩落とし通り過ぎてから落ちて来るんだもんなあ。
山賊が守る泰山が突破されたと聞き呂布はついに自ら小沛へ討って出る決意をする。
徐州城の留守居は陳珪老人に託した。
これで陳父子の計画は着実に進むことになる。
陳登はさらに呂布に妻子と金銀兵糧を下邳城へと移すように提言し呂布はこれに賛同した。
蕭関へ急ごうとする呂布に再び陳登は進言をする。「まず私が様子を調べてきます」
陳登は蕭関へ走り「曹操様はあなた方を疑っているので救援にはこない」という嘘をつく。驚いた陳宮らは陳登に曹操様を説得して欲しいと願った。
陳登はさらに呂布に「やはり彼らは謀叛者でした」と虚偽を伝え呂布の怒りを掻き立てる。
さあ呂布の地獄の時間が始まる。ていうか呂布ってずっと地獄にいる気がする。
最強の男であり女性を大切にする思いやりがあり和睦をさせる機智もある長所を持ちながらなぜこんな惨めな道を歩むのだろう。
呂布は陳登の策略にまんまとはまり蕭関の城を曹操軍をして奪い取られてしまう。やむなく徐州城へ戻った呂布は今度は陳珪老人によって門を閉ざされる。
陳珪は「この城の主は前城主陶謙様が譲られた玄徳殿だ」と明言した。
呂布は怒るが陳宮たちは呂布を抑え小沛に行くことを勧めた。呂布もそうするしかなかった。
しかし陳登はそこへも先回りし小沛城を守る張遼・高順を騙して出陣させこれもまんまと奪い取ってしまったのだ。
呂布は怒り狂う
張飛は呂布の首を取らんと息巻く。呂布もこれを受けて立ったが関羽までが現れたのを見て赤兎馬の足に任せて逃走した。
さすがのふたりも赤兎馬には追い付けなかった。
曹操は夜酒宴を設けて皆を労った。
いいねえ。
翌日から曹操は呂布のいる下邳城を完全に取り囲んで孤立させる。さらに自ら戦争を中止しないかと説得に行く。
曹操軍も決して安穏とできる状態ではなかったのだ。
呂布は曹操の和睦交渉に気が移るが側近の陳宮はこれを固辞し曹操に向かって矢を射った。
怒って総攻撃を号令する曹操に呂布は慌てた。曹操の前で内輪もめを始めたのだ。
呂布軍はこれ以降ますます内部分裂していく。
それもこれも呂布という男の気の弱さから生じたものだ。呂布はやむなく愛娘を袁術に届けようと自ら娘を背負って曹操・玄徳軍の中を突破しようとするが果たせず戻る。そしてじれったさに酔いつぶれ酔った自分の哀れさに今度は禁酒を命じる。疲れ切った兵たちと呂布を励まそうとして猪肉と酒を用意した武将に呂布は激怒し鞭打ちに処する。
心遣いを無下にされ鞭打たれた武将は涙し曹操軍に寝返る。
これですべてが終わった。
アイパッチ夏侯惇、かっこいー。
疲れ切った呂布は眠っている間に捕縛され曹操の前に引き出された。
呂布はこの場に及んでも「このわしを自分の部下として使ってみる気はないか」と問う。
こうして呂布は最期を迎えた。
裏切りの人生を送った呂布は家来の裏切りによってその幕を閉じたのである。
しかし呂布物語が面白いのは確か。
赤兎馬という名馬に乗るのも圧倒的な英雄を感じさせる。
貂蝉との物語、玄徳の好意を無下にする物語など話題の多い男であった。