ガエル記

散策

『三国志』再び 横山光輝 二十巻

20巻目突入です。表紙がすでにわくわくです。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

以前も書きましたが横山『三国志』(だけじゃないだろうけど)は三幕になっていて19巻までの「玄徳青春期」20巻からの「玄徳熟成期」そして「玄徳亡後」と続きます。

「玄徳青春期」はただがむしゃらに玄徳が己の信念を貫く正義の時代を突き進む時期でもあり身の置き場がなく彷徨い続ける時期でもあった。

おおよそ40歳手前までのかなり長い迷走の青春期である。

ただただ帝を敬い漢の復興を望んでいたのだけど力のない玄徳はあちこちの権力者に頼っていくしかなかった。宿敵ともいえる曹操とも親しく交わらねばならない時期があったが曹操を騙して逃走する。思えばとんでもない奴である。

逆に関羽曹操の元に身を置く運命となるが玄徳への忠義を貫き通し彼もまた曹操の元から去る。

そして合流し玄徳の遠い親戚でもある劉表のもとへ身を寄せる。この時期までを「玄徳(迷走の)青春期」と呼びたい。

この時期の終りの明確な線は引きにくいだろうが横山『三国志』作品でははっきりと19巻までであり20巻からが「玄徳(腹をくくった)熟成期」とわかる。

なぜならここから玄徳に髭が描かれるからだ。

ふざけて言ってるわけじゃなく玄徳の若々しい青年像がここから壮年男性として形作られていくのだ。

横山『三国志』では

時が流れた

というフレーズでこの切り替えが行われている。

時は移り若き曹操も玄徳もここから姿を変える。

愛憎ともども激しくぶつかりあった青春期は終わりここから新しい転換を迎える。

 

曹操官渡の戦いで北方の雄袁紹を打ち破りその力を一層堅固なものとしたがそれでもなお南方に厄介と思われる人物がふたりいた。

そのひとりが呉の若き王孫権でありもうひとりが今は劉表のもとに身を寄せている劉備玄徳である。

横山氏は「官渡の戦い」をこの一コマで終わらせてしまっているのだけどこの場面はうまい。見惚れてしまう場面だ。

しかも玄徳のお尻がとてもセクシーでもある。(なぜ)

遠縁とはいえ劉表は突然やってきた劉備玄徳を非常に気に入って過ごしてきたのもわかる。

しかしお気に入りの度が過ぎて玄徳は逆に身の危険を感じる羽目になってしまう。

 

江夏の地に反乱が起こり玄徳は関羽張飛趙雲を伴い鎮圧へと向かう。

三人も居心地よい生活をしているようだ。

玄徳の出陣命令で三人は暴れまわりあっという間に反乱を収めてしまった。
劉表はますます玄徳一行に好意と信頼を持つようになる。これに危機を感じたのが蔡瑁である。

蔡瑁劉表の妻の兄ということで権力を持っていたが玄徳の出現は彼にとって脅威であった。蔡瑁は玄徳の失墜を計っていく。

が、劉表の玄徳への信頼は思った以上に強かった。

蔡瑁は玄徳が壁に謀叛の詩を書いていたと劉表に偽りの報告をする。

これで劉表が玄徳への不信を起こすと考えた。

一旦は怒った劉表だが「長い間一緒にいたが玄徳が詩を書いたのを見たことがない」と言い出した。

まあ謀叛を壁に書くというのも変な話だが劉表が頭良い人でほんとうによかった。

一方の蔡瑁・・・なんなのこいつ。

考えが足りなくて気持ち悪い。

しかし蔡瑁はしつこく玄徳を除こうとし偽の催しをして玄徳を招き暗殺しようと企てる。ここでも劉表の人の好さがあって笑える。

そういうとこだぞ、ってやつだ。

まず考えろよ。

 

しかし考えようによっては蔡瑁のこの浅はかな行動が後に玄徳を高みに昇らせていくのだから運命というのはわからない。

 

この招待が蔡瑁の企みと知りながら玄徳は出席する。趙雲がその警護をしたのだが蔡瑁は彼の警護を外すため酒を勧める。そんなことで警護を外す趙雲ではないのだが玄徳がたしなめたためしばらく玄徳から離れてしまう。

その隙を蔡瑁は狙っていたがそこに伊籍という人物が玄徳の危険を知らせ玄徳はまっしぐらに馬にまたがり逃げ出すのだ。

玄徳の逃げ足の速さ

そ、そうでもないかな。

 

玄徳が乗る馬は「的盧」といって四つ足の額が白く凶馬と称されていたが玄徳は気にしていなかった。

玄徳の逃げる先には檀渓という激流の川が横たわっている。玄徳は凶馬的盧に「今日我に祟りをなすか。また我を救うや。情あらば助けよ」と呼びかけ激流に身を躍らせる。

後を追いかけてきた蔡瑁らから玄徳は逃げおおせたのだった。

 

しかしここで玄徳は深く己を恥じ入るのだ。

この数年間いったい何をしてきたのか。

玄徳はすでに四十歳を超えたが持つのは劉表から与えられた田舎の小城のみ。国家を憂い曹操を倒し平和な国を築くという大望にまったく彼は近づいていない。

それがまた蔡瑁という小者から暗殺を狙われおいかけられ命からがら逃げるという体たらくなのだ。

玄徳は今自分に何が足りないのかと恥じていた。

 

そこへ現れたのがひとりの童子だった。

童子は玄徳の名を知っていた。

そして司馬徽、皆が水鏡先生と呼ぶ人物のもとへ誘うのだった。

水鏡先生は玄徳の来訪を快く迎え入れふたりは深く話し合うことになる。

「時の運というものはいかんともしがたいものでして」とうなだれる玄徳に水鏡先生は「私は運命のせいだとは思っておりませんぞ」と返す。

そして

これは玄徳にとって青天の霹靂、人生の転機となる言葉だ。

私には関羽張飛趙雲がいます、と言い返す玄徳に「君臣の情は美しいが立派な君主というのはそれだけでは駄目でしょう」

「この激動する世の中に臨機応変に立ち向かえる男たちではない。あなたはそういう人物に欠けておられる」と言い放たれた。

話を聞き「その人物とは誰でございます」と詰め寄る玄徳に

ここでついに諸葛亮の別名が登場する。

玄徳が孔明に続く道にとうとう近づいたのだ。

といっても孔明は玄徳よりニ十歳以上も年下なのでこれ以上早く出会うことはできなかったとも言えるけど。出会ってたとしても子供だった。

孔明もう少し早く生まれてきてほしかったねえ。

 

こうして玄徳はその人物に会いたくて会いたくてたまらなくなっていく。

 

そうして出会うのが単福だった。

水鏡先生の言った伏龍鳳雛ではなかったが玄徳は喜んで彼を軍師として迎えいれる。

そして玄徳は兵法の力を思い知るのである。

 

この兵法による戦争の描写の面白さ。

ううむ。確かに人命にかかわることで「おもしろい」と言ってしまうのは不遜なのだけどそれこそが兵法の恐ろしさなのだろう。

ここで曹操軍が攻めて来る。

大将曹仁の軍勢は五千で玄徳軍の倍以上だったがあっという間に勝負はついた。単福の指揮によるものだ。

次に曹仁は全軍二万五千で向かってきた。玄徳たちはおののくが単福はむしろ「戦略の妙味、用兵のおもしろさは成らざるを成すところにあります」と説く。

さらに曹仁は「八荒の陣」を敷いてきたが単福はこれを簡単に見抜き趙雲に命じてこの陣を崩してしまう。

さらに曹仁は夜討をかけてきたがこれも単福は見抜いていた。「備えあれば憂いなし」

曹仁軍の行動を予見していた単福は次々と伏兵を置いていた。

たちまち曹仁軍は完膚なきまでに叩き伏せられたのである。

 

青春期の後に目覚めの期が来る。

玄徳が「自分に足りないもの」に気づくこの巻は読む者もはっとさせられる。

三国志』はここから始まると言っていいのだ。

(とはいえその前哨戦を根気よく描き続けた横山先生の粘り強さを思い知る)