ガエル記

散策

『三国志』横山光輝 第三十三巻-掌中の珠ー」

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

その頃呉では孫権が軍議を開き荊州討伐を考えていた。

しかし問題はその荊州に妹が玄徳の妻として暮らしていることだった。母君はむろん孫権荊州討伐を激しく諫めた。母の前ではおとなしくなってしまう孫権だがこの機を失うわけにはいかないのだった。

部下は荊州に誰かを遣わし妹君に「母君が危篤」と伝えて連れ出すことを提案する。

できればその時に玄徳の一子である阿斗も連れ出し人質にする。できなくとも妹君が帰れば母君もそう反対はなさいますまい。

孫権はこれに賛同し妹も顔見知りの周善に密命を下した。

 

周善は五百の兵に商人の身なりをさせ武器を隠し五隻の商船で荊州に向かった。そしてひとりで妹君である孫夫人を訪ねた。

孫夫人は周善と聞いてすぐに会い「母が重病である」と書いた嘘の手紙を渡す。驚く孫夫人に周善は直ちに若君を連れてご帰国なされますようと告げる。

孔明に申し出てくるという孫夫人を押し留め周善は帰国を急がせた。孫夫人は可愛がっている阿斗を連れて周善が用意していた船に乗り込んだ。

 

この様子を見つけたのが馬上の趙雲だった。

趙雲は奥方と若君が船に乗り込むのを見て(目が良いなあ。よくわかったものだ)馬を走らせ小舟を見つけ部下に漕がせ追いかけた。

射かけてくる矢を払いのけ周善の船に追いつくや乗り込み居並ぶ兵に怒鳴りつける。身動きもできない兵を前にして趙雲は孫夫人と阿斗の部屋に入り事の顛末を敬意を示しながらも責めたてた。

「奥方が帰国されるのはお止めいたしませぬ。だが若君は我が君がもうけられたただ一人の男子。我が国にとっても大事な珠玉でありお渡しできない」と言い立てたのだ。

かつて趙雲が百万の曹軍の中を決死の覚悟で阿斗を救い出したのも失ってはならぬ珠玉だったからなのだ。

阿斗を抱えて連れ出そうとする趙雲を周善と兵が阻んだ。いつの間にか小舟が無くなっている。

趙雲は阿斗を抱え今もまた決死の覚悟で守ろうとしていた。

その時ジャーンジャーンという銅鑼の音が響いてきた。

張飛が船の舳先に立ち呉の船を止めたのだ。

声をかける趙雲張飛も答え若君の無事を聞いた。

張飛はたちまち周善の船に乗り込み周善の首を打ち落としてしまう。

こ、このカットすばらしい。

横山先生の絵はあっと声を上げるほど或いは唸ってしまうほどの場面が多々ありますがこれもその一つではないでしょうか。

張飛が重い(だろう)首を片手でつかみ上げる瞬間を切り取ったものです。このまま色付けして一枚の絵画として飾りたいと思わせますね。

ああ惚れ惚れ。そしてこの絵が趙雲ではなく張飛だというのも横山先生の張飛愛を感じますw

 

こうして呉に戻った孫夫人はむろん母君は健在であるのを聞く。孫権は忙しい。

妹は戻り呉と荊州に縁故は無くなった。

そこへ曹操が四十万の大軍で南下を始めたと報が入る。同時に重臣張紘が亡くなり遺書に「呉の都府を中央にある末陵に移すべき」と最期まで国を案じて亡くなったと知る。

孫権は忠告に従って都を末陵(南京)に移す命令を出した。

同時に曹軍からの攻撃を守るため土城を築かせた。

 

南下してきた曹操は呉軍の万全の備えを見て唸った。

その時轟音が轟く。呉の攻撃の合図だった。偵察をしていた曹操は襲われ許褚に守られ逃げ延びた。

しかし呉軍の第一撃で曹軍は手痛い打撃を受けていた。

さらに夜襲をかけられ曹軍は大きな被害を受け五十里ほど後退するしかなかったのである。

 

曹操は調べれば調べるほど呉の陣が堅固な構えをしているとわかりうかつに手出しができないと思い知らされる。

程昱の進言も合わせ今回の曹操の出兵が手間取ったことに敗因を感じた。

兵法に「兵は神速をたっとぶ」とある。この曹操としたことが、と曹操は考えあぐね眠ってしまい夢を見た。なんと長江の中から日輪が昇り驚く曹操の前で曹軍の陣中に落ちてきたのだ。悲鳴を上げて目を覚ますと急ぎかけつけた許褚が不思議そうな顔をした。

「この夢は吉夢なのか凶夢なのか」

曹操は許褚に供をさせ長江を眺めた。

そこに孫権が現れたのだ。孫権は「曹操。お主は中原を押さえ富貴も思いのままであろうに我が江南まで獲ろうとするのか」と静かに言う。

これに曹操は罵声で「黙れ。お前は漢朝の臣下でありながら王室を気にかけぬ振る舞いをするによって余が成敗に来たのじゃ」と叫ぶ。

これにも孫権は落ち着いて「この孫権がお主を討ち取り国の政道を正しくしてやり」と答えた。

これに曹操は怒り配下に攻撃を命じる。孫権は無謀な曹操に老いを感じた。曹操の供はわずかであり孫権率いる軍勢に及ぶものではない。

曹操は部下の提言で引き上げるしかなかった。その背後を孫権の笑い声がこだました。

 

それからの曹軍は連戦連敗を重ねた。

部下も曹操の冴えのなさを感じていた。

年が明け戦況は振るわず二月に入ると大雨となり長江のかさは増し陣中にまで水が押し寄せ次には食糧難となった。兵たちにはもう戦意はなかった。

曹操はあの夢を思い出し孫権が帝王となる前兆だったのかと苦悩する。

そこへ呉の使者が訪れ手紙を渡した。

「天は君の帰りを促している。すみやかに立ち帰られるならば余も軍を引こう」

曹操は引き上げを命じた。

呉軍もまた末陵へと引き返したのだった。

 

疲れ切った曹軍とは違い余裕のある孫権はこのまま荊州への攻撃を考えた。

だが重臣がアイディアを出してきた。

二通の密書を書いていただく。一通は蜀の劉璋へ。劉備は呉とよしみを結び蜀を奪おうとしていると書いて互いが疑いを持つように仕向ける。

もう一通は漢中の張魯に送り荊州へ兵を進めるよう提言する。

となると劉備は両方より挟み撃ちとなりどちらも助けることができない。

そうなってから呉が荊州に攻め入れば間違いなく獲れましょう。

 

玄徳もまた蜀を守るため漢中の張魯とにらみ合いながらも進展はなかった。

玄徳は龐統に相談する。

曹操が呉に入った報を受けさらに曹操荊州を攻めるのではと思案したのだ。

しかし龐統荊州には孔明がおり心配はご無用と答える。それよりその知らせを利用して劉璋の本心を探られてはと提言する。

「呉の孫権から荊州に救いを求めてきている。が、我が兵力は少ない。精鋭三、四万に兵糧十万石を貸していただきたいと手紙を書くのです」

果たして劉璋はまたも臣たちの抵抗にあい仕方なく老人兵四千と食料一万石が届けられた。

これ最初観た時大笑いしてしまった。

いくら何でもお爺ちゃん兵四千ってw

よく兵になるお爺ちゃん四千人もいたねwww

さすがの玄徳もこれには大いに怒った。

これを見た我が兵士たちにどういう言葉で命を懸けて蜀を守れというのか。

 

龐統は玄徳に「荊州に帰ると伝えれば玄徳嫌いの楊懐・高沛などが喜んで別れを言いに来るでしょう。この蜀の将を殺して涪水関を占領してしまうのです」と進言する。

これに玄徳も賛同した。

劉璋はこれを聞いて慌てるが臣下たちはむしろ喜びだす。

張松だけがこれを聞き慌てて玄徳宛に引き留める手紙を書いた。そこへ張松の兄張粛が訪ねてきて酒盛りとなってしまう。

酔いつぶれた張松を寝所に運ばせるとそこに先ほど彼が書いた玄徳への手紙があった。

兄・張粛はこれに気づき読んだ。

兄はその手紙を持ち出したのだった。

 

恐ろしや。

張松さん、お酒に弱かった。

頭の良い人なんだけど人も良すぎる。

この後どうなるのか。