ガエル記

散策

『三国志』横山光輝 第四十巻

曹操孟徳様。お久しぶりです。前回は二十六巻でした。これで五回目の表紙絵です。やはり愛されてますね横光先生に。

お年は召されたけどやっぱり美形と思ってしまう。美しいヨミ様でもある。

横山光輝氏マンガまだそれほど知ったわけじゃないけどヨミ様的男性がバビル二世的主人公に恋い焦がれるけどバビル二世から物凄く冷たくあしらわれてしまう、という構造がお好きなような。

本作でも明らかに曹操が玄徳を追いかけてるものね。

対して玄徳の曹操嫌いの物凄さよ。

かわいそうなんだなあ曹操が。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

食糧隊隊長となった許褚が食糧を奪われて帰ってきたという報は曹操を驚かせた。

そこに蜀軍が押し寄せてきたという報も入る。

食糧がなければ飢え死にを待つしかない。曹操は出撃を命じた。

 

蜀軍からは劉邦が出る。

曹操徐晃に突撃を命じる。徐晃が敵の先鋒隊を崩したのを見るや曹操はかかれの号令を出した。

「玄徳を捕えた者は西川の太守とするぞ」この言葉は魏軍を奮い立たせた。

が、その時「洋平関から火の手が上がっています」の声が。

東西南北すべての門から蜀軍に攻め寄せられたという報が入る。

たまらず曹操は斜谷まで引けと命じる。

それを趙雲が追う。逃げる曹操の目前に張飛が現れた。

素直に恐怖を感じるのが横山曹操の良さ。

部下に誘導され逃げ延びるとそこには黄忠がいた。

逃げても逃げても伏兵がいる。

曹操孔明を呪った。

そしてまたもや前方に軍勢が

しかしそれは曹操の次男曹彰だった。

表情豊かでチャーミングな曹操曹彰は烏丸の乱を平定し五万の兵を引き連れ駆け付けてきたのだった。

思いがけない次男曹彰の登場に曹操は元気を取り戻し軍を立て直して敗辱をそそぐ決意をする。

 

この曹彰は予想外に強く劉邦を軽くいなし呉蘭将軍を討ち取るという働きを見せた。

これに蜀軍は却って勢いをつけた。

張飛魏延馬超黄忠趙雲などの活躍によって魏軍は全面的には刻々と憂うべき戦況にあった。

 

ここから曹操に関する奇妙なエピソードが投入される。

と思ったのは本作の主人公は玄徳なのに玄徳のエピソードより曹操の小話のほうが多いのではないか?なぜなんだろう。

ある晩の曹操の夕食は鶏料理だった。

そして曹操はしみじみと思う。

今の余の心境じゃ。鶏肋は食べようとしても肉はない。

しかし捨てるには味がある。

今の戦い進んでも勝ち目はなく引けば他人が笑うであろう。

進むか退くか早く決断をせねばなるまいと。

曹操の思案顔がすごいいいなあ。あばらを取る手つきも良い。

どうしたらよいかと考えている時に夏侯惇が入ってきて「今夜の警備の合言葉はなんといたしましょう」と曹操に問う。

そんなことある???

まあ曹操のことだからこれまでにも奇妙な合言葉を選ぶこともあったのかもしれない。

とここで検索してみたらこの「鶏肋エピソード」はみんなの心をとらえているひとつだたのね。確かに奇妙だものなあ。さすが曹操。並みじゃない。

 

しかしこのエピソードはここからさらにとんでもないことになっていく。

 

夏侯惇は兵に「今夜の合言葉は鶏肋」を布令せよと命じる。

兵らはすぐこれを伝えて回った。聞くものは皆「鶏肋???」という感じだったがひとり「よくわかりました。すぐ準備を整えましょう」と答える者がいた。

楊修である。楊修はすぐに都に引き揚げの支度をさせた。

魏王の命令だと言って。

これを夏侯惇が耳にする。

夏侯惇かっこいいね。

これ女言葉にして読むと笑うから気を付けて。

夏侯惇は楊修になぜ貴公の陣だけ引き揚げの準備をしているのかと問う。

「されば〝鶏肋”というご命令を考えてのことでござる」

楊修は魏王にとってこの戦はまさに肉なき鶏肋をねぶるに似たりというお考えと推察いたしました。益なき苦戦は無意味と考え〝鶏肋”という言葉を使われたのでございましょう、と説明した。

夏侯惇もこれには納得して

 

曹操は眠れなかった。こうしているうちにも蜀軍はひたひたと押し寄せてくるわ。

と外へ出ると夏侯惇が命じて帰り支度をしているではないか。

曹操は「誰が引き揚げの支度をしろと命じた」と聞く。

夏侯惇は楊修が我が君のお心を察して一同引き揚げの支度にかかりました、と答える。

楊修はすぐに曹操の前に現れ「大王のお言葉のご意中を説きました」とすらりと答える。

楊修がこのような曹操の心を読んだのはこれが初めてではなかった。これまで何度もこのようなことがあったのだ。

かつて曹操が庭園を造らせた時、出来上がった庭園を良いとも悪いとも言わず門に「活」という字を書いて去っていった。造園した者たちはそれがどういう意味か解らず通りかかった楊修に聞いたのだ。すると楊修はその字を見るなり「魏王はこの庭は広すぎる。もっとちんまりと作り直せと言われているのだ」と答えた。

そして造りなおされた庭を曹操は気に入り誰が余の心をくんだか?と問うと「楊修様に教わりました」という答えであった。

と言いつつも曹操は心の中を見透かされたようで嫌な気持ちとなったのだ。

さらに次の逸話はもっと重要である。

世継ぎ問題を考えた曹操は長男の曹丕と三男の曹植を城へ招いた。

「だが二人とも城門に来ても決して通すな」と命令を出したのだ。

まず長男の曹丕が訪れたが門で兵士に拒まれ仕方なく帰ってしまった。

次に三男曹植が来て同じように拒まれたが「王に召された以上何を置いても会わねばならぬ」と言って門番の兵を斬り捨てたのだ。

中へ入ってきた曹植曹操は「門番に止められなかったのか」と問う。

曹植は「はい止められましたので斬り捨てました」と答えた。驚く曹操に「召された以上はなにがあっても参上せねばならないと考えました」と答える。

この答えに曹操は非常に満足し三男曹植の手を取って褒めたのだ。

しかし後日曹植の対応は学問の師である楊修が教えたものだと人づてに聞いたのだ。

曹操は気分が悪くなった。

楊修は曹植のために「答教」という十数か条の問答集を作っていた。

曹操の問いにその通りに答えるよう作られたものである。それがため曹植曹操の質問にいつもすらすらと答え長男曹丕はそれがおもしろくなかった。

曹丕はひそかにその問答書を盗み出させ曹操に見せたのだ。曹操曹植があまり見事に答えるのに疑念を抱いていたのだ。

これはいかん。父子世継ぎの問題まで才気をさしはさむは行き過ぎ。お家騒動の元になる。

そうした積み重ねがついに曹操の心を爆発させた。

鶏肋とはその意味でもうしたのではない。それを勝手に解釈しおって。軍紀を乱すとは許せぬ。こやつの首を打て」

楊修は「ではどういう意味で」と問うたが曹操は「黙れ。今まで少々の行き過ぎは黙っていたがもう許せぬ即刻首を打て」と夏侯惇に命じたのだ。

 

かくて楊修の首は落とされ見せしめにさらし首となった。

「才は才に亡ぶ」

 

翌朝曹操は斜谷の城を出た。

昨夜の「鶏肋」という言葉が引き揚げの意味ではないということを示すためでもある。

すぐさま魏延の軍が目の前に現れ祖周防は龐徳に一騎打ちを命じた。

そこへ今出てきた斜谷の城が馬超の襲撃を受けたとの報が入る。周囲のものは曹操に「急いで城に引き返さねば」

しかし曹操は「ならぬ。前面の敵魏延を片付けるのじゃ」とこだわった。

「しかし」という徐晃曹操は「ええい臆したか。後へ引くものは余が斬る」と剣を抜く。

「さあ、魏延にかかれ」と叫んだ。

徐晃らはやむなく魏延軍に突撃した。

魏延は「いかん。引け」と退却を命じた。

これを見た曹操は「よし全軍呼び集めい」と命じる。

徐晃らは戻ってきた。

曹操は「よくやった。その勢いで斜谷に引き返し今度は馬超を撃退するのだ」と命令する。

徐晃たちは今度は斜谷の城へと戻っていく。

曹操は「余はその丘に上がって戦況を見る」と丘の上から軍の動きを眺めはじめた。

 

その曹操のほうへ近づいてきた一軍がいた。

魏延だった。あっと叫ぶ曹操魏延は矢を放った。

ええっ

こ、こんなことってある???????

すかさず魏延は突撃してきた。

これを龐徳が防ぐあいだに

かわいそうだ

しかし前歯が二本折れて矢を防いでくれたおかげで命には別条なかったのだ。

なんという曹操の命運の強さよ。

ほんの少しずれていれば死んでいたかもしれない。

しかし前歯が。色男が~~~

しっかし曹操ミイラ男になったり前歯欠けたり物凄い男である。

孔明は容赦なかった。

あちこちから一斉に火があがり

蜀軍はなだれを打って

もう魏軍はすっかり戦意を失い曹操も死を覚悟した。

曹操は顔中血みどろにして火の中を逃げまくった。

この時将兵の間に楊修の顔が浮かんだ。

あの時楊修の言葉通り益なき戦いを避けて引き揚げていればこれほどの目に遭わなかった。

 

だが曹操にはまだ命運があった。

命からがら京兆府に逃げ込んだのである。

 

魏軍が全面撤退した後当然玄徳がこの地に乗り込んだ。

こうなると今まで魏のために戦っていた漢中の将はことごとく玄徳のもとに降ってきた。

これで玄徳の領有は四川漢川の広大な地域をみるにいたり蜀は一大峡谷にのしあがったのである。

 

ここで黄忠はじめ将軍たちが勢ぞろいで孔明に会いにきた。

「我らは殿に皇帝を名乗ってもらいたい」

孔明はこれに同意した。

 

軍師の同意に将軍たちは喜び去っていった。

それを見送る孔明は一番難しい仕事が待っている。

あの頑なな玄徳を説得する仕事だ。

(私心としましてはここに関羽がいないのがなんとも哀れに存じます。

関羽、ここにいたかっただろうに。泣きそう私)

 

きたきたあ一番の大仕事。

孔明はまず玄徳にただいま皇帝は曹操に操られ天下の人民に主なきありさまだと説明し玄徳が逆賊(曹操)と戦いついに一大強国を作られたのは天命だと申し上げる。

玄徳も流浪の将であったことを思えば天命かもしれぬと答える。

そこで孔明は天命に従いここで皇帝の位におつきくだされまして名実ともに国賊をお討ちになるのが天理にかなうものと申し出たのだ。

喜ぶ張飛。対照的に怖気を振るう玄徳よ。

玄徳はそのような考えは筋違い。自分は漢の一族とはいえ臣下の身分、と言い張る。

孔明は「いえ我が君のお考えに間違いがございまする」と言い放つ。

「同じ気持ちの者たちが主君に仕えておりますのはすぐれた主君に仕えて功名を立てんがため」

「主君が人目を気にして義を守っておられましては家来たちは望みを失い離れていくのも現実です」と説き伏せる。

しかし玄徳はやはり「わしにはできぬ」と目を伏せる。

孔明は「それではなりませぬだからご決心をと申し上げたのです」

ここで孔明は「直ちに帝位につかれるのは気が引けましょう」といい「ではまず漢中王の位におつきくださいませ」というのだった。

なおも「むむむ」と悩む玄徳に

ここで張飛つい昔に戻って「アニキ」呼ばわりしているのが泣ける。ずっと劉皇叔とか張飛にとって舌噛みそうな呼び方を守っていたのに。ああ、張飛にとって玄徳はずっと「アニキ」だったんだなとまたも泣けてきた。

関羽~~~(´;ω;`)ここにいれたら・・・うう

玄徳もつい昔口調になってる。

孔明頭良い、知ってたけど

物凄く言い難そうに言う

苦虫噛みつぶしていうことかな~

張飛~「うほっ」ってそれ

いやあお疲れ様です。どんな戦より難しいですよね玄徳攻略。

こうして建安二十四年七月玄徳は漢中王を名乗ったのである。

 

玄徳が正式に漢中王を天子に奏上し認められたことを曹操は知り「昔むしろを織っていた男がついに漢中王を名乗ったか」と唸る。

玄徳めあくまでも互角に余と戦う気じゃと激怒する。直ちに奴を滅ぼさねば。

これを制したのが司馬仲達であった。

仲達は犬死は無用、それより呉に蜀と戦わせるのです、と説いた。

孫権と玄徳は因縁があります。

呉に荊州を攻めるならば魏はそれを助けると利害を説いておすすめあらば孫権のうごくこと間違いない。

曹操は表情筋強い。見ててあきないね。

荊州が危うくなれば玄徳はまず荊州を救おうとするでしょう。これを見計らって大軍を出すのです。勝べくして勝つ。それが最上かと。

曹操は名案じゃと満足した。

 

ただちに魏から呉へ使者が行った。

これまでの魏と呉の戦いは孔明の策謀で惑わされたものだった。その結果利を得たのは漢中王である。

これからは魏と呉は不可侵の条約を結び共に玄徳を討たんとの気持ちでございまする。

もちろん玄徳を討ちとったあとの領土は分け合う所存であると曹操直筆の書簡を提出した。

孫権重臣会議を開くこととした。

 

さてこうして三国がもつれ合うことになっていく。

ついに玄徳が漢中王となったのはうれしいがなんといっても関羽だけが蚊帳の外なのだ。

それを命じたのも孔明だった。

留守を守れるのは関羽だからこそだとは言え悲しい。