名台詞「そんなものはない」に続く「そんな気はない」です。しかもなんか眩しい。
関羽かなり年を取ってるはずなのに髭は以前より真っ黒で艶々で長くなった気がする。しかもこんな被り物をしているとなんだかロングヘアーの女性のように見える、と思うのは私の目がおかしいのか。
いっそう美形になったような(完全におかしくなってるのは私ですねはい)
もうなんか久しぶりでそれだけで嬉しく泣いてしまいそう。
しかしひとりぼっちで寂しいよな。
といっても養子の関平君がすごく可愛くて良い子で父親思いなのでちょっとほっとしましたが。
ネタバレしますのでご注意を。
魏と呉が手を取り蜀を滅ぼそうという曹操の手紙は呉を騒然とさせた。
曹操は天下を取りたいだけで蜀が邪魔になるからと呉に肩代わりさせようという魂胆が見え見えである。かといって曹操の申し出を断れば魏の重圧は呉が被る。となれば喜ぶのは蜀だけだ。
ここはひとまず関羽に使者を出し呉に協力させれば曹操と戦っても負けることはありますまい。そのためには孫権の息子と関羽の娘の結婚を考えましょう、となりその使者を諸葛瑾が担った。
関羽、いつの間にか娘が出来てた。誰と結婚したのか、それともシングルファーザーなのか。
がわ”い”い”。めっちゃ可愛い女の子に見えるw☜やはりおかしい
大喜びするだろうと予想で孫権の世子に関羽の娘を嫁がせないかと申し出たのだが。
(つまり王妃になるわけですからね)
と関羽は答えたのである。
しかも「わしは呉の世子など犬ころ程度にしか見ておらん犬ころに虎の娘をやれるか」さらに「そんなくだらん用に時間をさいてるひまはない」と背中を向けてしまったのだ。
さすがに諸葛瑾「犬ころ」発言は伝えきれなかったようで孫権は「関羽が断った」とだけ言っている。(言えるわけないよな)
「これで早まって荊州侵攻をやれば我が方だけが消耗します。まずは曹操に魏の方から攻めるよう使者を出すのがよろしかろうと」
この頃玄徳は蜀をより充実しようと働いていた。交通の便をはかり兵糧武器を蓄え曹操との対決に備えていた。
そんな時間諜が飛んできた。
「呉と魏が組み荊州を攻めようとしている」荊州が落ちれば漢川が危うくなりやがて蜀が危険になるのだ。玄徳は孔明に問うた。
孔明はそうなるだろうと予測していたが「だが呉と魏は共同作戦はとりますまい」という。
「まずは関羽に樊城の曹仁を攻めさせれば彼らの企みも崩れまする」
もちろん関羽は承諾した。使者は続けて関羽に官爵が与えられたと告げる。
「このたび五虎大将軍という名誉の官爵がくわえられました。将軍はその筆頭でございまする」
後は誰じゃと問う関羽に「はい、張飛、趙雲、馬超、黄忠殿でございます」
これに関羽は「なにっ」と怒りの表情を見せた。
「張飛は義弟、趙雲も久しく義兄のために戦っておるゆえそれは認めよう。しかし馬超は亡命の客将、黄忠は年老いた老将、それとわしが同列というのか」
この話は関羽が黄忠を見くびった無礼な態度とされているが横山先生は少し違った解釈をされているのではないでしょうか。
関羽の表情は侮辱というより駄々っ子のように見えます。
使者は落ち着いて「将軍そのお言葉は誤りでございましょう」という。
「なにっわしが間違っていると!」
今度の官爵は国を造る上に必要上もうけられた職制でございまする。漢中王とあなたの情義や信任の度を表したものではございませぬ。
なにこの子供みたいな顔w
この使者関羽の心を見透かしとる!(楊修か)
関羽が怒ったのは玄徳アニキに自分だけ特別扱いしてほしかったのに五人まとめてだったので玄徳アニキにとって自分への愛情は黄忠・馬超と同程度かと悔しくて拗ねたのだ。そんなのならいらん!となったわけですな。自分だけの称号が欲しかったのだ。
しかもこの使者まだ続ける。
うわあ、関羽、この言葉こそ玄徳に言ってほしかったんだよなあ。
関羽と玄徳は義兄弟となってから一心同体(いやらしすぎる)
将軍すなわち漢中王
漢中王はそのまま将軍(はああ、すごいことおっしゃる)
おふたりの間で官位の高下などございますまい。
これを聞いてる関羽、なんだか嬉しそうな顔になってる。
が自分を取り戻し
恥じ入る関羽、ものすごく乙女でかわいいんだよな。広い肩をすくめて小さくなってるし。
とはいえ横山先生、関羽は爵位を求めていたのではなく玄徳に特別に目をかけてほしかった、と描いておられると思う。そういうとこほんとに関羽らしい心の揺れである。
関羽軍の廖化・関平が逃げるそぶりで曹仁軍を引き寄せ関羽自身が退路に立ちはだかる計略はまんまと功を奏した。
魏軍は退路を断たれ四方に潰乱した。曹仁はやむなく襄陽を捨て樊城へ逃げた。
関羽は堂々と襄陽に入った。
ここで配下が進言した。
この勝利に酔って樊城まで攻め入るのは危険。呉の呂蒙が陸口に一軍団をたむろさせています。
「要所要所に烽火台を築き異変があれば知らせられるように備えておくにかぎります」
王甫は築工を命じられた。
関羽は呉軍への備えを固めてから樊城へ向かった。関羽の名は天下に響いている。魏軍は城の中で息をひそめた。
関羽は敵の攻撃をうけることなく樊城を取り囲んでしまった。もはや樊城は落城寸前であった。
この知らせは曹操に届いた。曹操は于禁と龐徳に関羽討伐を命じ親衛隊七軍(八万七千五百人)をつけた。
于禁が出陣支度をしていると七軍の将校が進言に来た。
「龐徳は元来馬超の副将。やむなく魏軍に降伏した武将。そして馬超は今や漢中王の五虎大将軍の位についている。龐徳の兄・龐柔も蜀にいる。そのような人物が先陣とは疑念がわきます。もし龐徳が馬超の元へ走ったら」
これには于禁も「むむむ」と唸った。
この疑念は曹操に届けられる。
龐徳はわけを問うた。
こういう時の曹操は良い人なんだよな。
わけを聞いた龐徳は「大王の心を煩わしていたとはなんたる不忠」と頭を垂れる。(前もだったけど龐徳忠義者なんだよ)
この顔wそもそも曹操が気に入って無理やり引き込んだんだものなあ。
曹操はついにたまらず汝の忠義は誰よりもこの曹操が知っている、と言い出して
「誰が何と言おうと余はお前を信じよう。先頭に立って手柄を立てて参れ」と龐徳を送り出した。
報徳は部下に棺を買いに行かせこれを戦の前の酒席に持ち込み自らの心意気を話した。
「関羽を討つか、わしが死ぬか」よって棺を担いで戦場へ行くと。
曹操にもこのことは知らされた。その覚悟を見れば他の将も疑念を解くだろうと曹操は満足したが配下はこれに進言した。
「関羽はその名を聞いて三十年一度も不覚を取った話を聞いておりませぬ。武勇においては関羽と龐徳は互角でしょうが知略となると関羽には歯が立つまいと。龐徳が死を覚悟するのは無謀。龐徳もまた魏にとって大切な武将。むざむざ死なせてはなりませぬ」
この言葉に曹操も同意し「敵を甘く見て仕損じるな」と使者に伝えさせた。
これが嫌な方向へと向かわせることになる。
フラグ立つ。
魏軍の援軍の報は関羽にもたらされた。
間諜は龐徳は白き旗に「必殺関羽」と書いて棺を担がせてきましたと報告する。
これを聞いた関羽は「望み通り棺に収めてやろう」と馬にまたがった。
関平は馬の手綱を握り引き留める。「龐徳ごときはこの関平で充分です」
ほんとに必殺書いてる~
龐徳は関平を「こわっぱわしは魏王の命で貴様のオヤジの首を奪りに来たのじゃ。命は助けてやるからオヤジに伝えい」と言い放つ。
関平は怒り龐徳へ突っ込むが龐徳の槍は重く鋭く関平が倒せる相手ではなかった。
関羽は関平に「龐徳はなかなか手ごわかったそうじゃな」と声をかける。
かつて常に一太刀で敵を真っ二つにするかの勢いだった関羽の槍だが龐徳はそうはいかなかった。
両雄は百余合打ち合っても勝負はいつつくか見えなかった。両軍はかたずを呑んでその勝負を見守った。
一刀両断の力が少しずつ弱くなってきたのを彼は感じていたんだろう。
そして魏軍もまた引き揚げの太鼓を鳴らさせた。
この関羽の表情が萌え萌えすぎる。
屈辱を感じているのがわかる。
ばっさり斬り捨てて関平に父の強さを見せたかったのに・・・うう
やせ我慢をする父に関平君よく効く言葉を使う。
「心配いたすなわしも天下の関羽じゃ。明日はたたき斬ってやる」
関平君の優しさよほろり
関羽にとっては辛い言葉だけども
一方龐徳もまた関羽が稀代の英雄だと褒めたたえ関羽と戦えるは武門の誉れと喜びをかみしめていた。
だがそこへ于禁が現れ「お主の腕は認めるからもう関羽とは戦うな」と伝えたのだ。
龐徳は「これほどの敵にあって決戦を避けるなら最初から武士にならないほうがまし」
例え敗けようと龐徳悔いはなしと答える。これを聞いた于禁は複雑な表情を見せた。
翌日再び両雄の一騎打ちがなされた。
前日と同じように勝負がつかない、と龐徳は突如背を向けて走り出した。
これを見た関平も父の危険を感じ後を追う。
「父上、龐徳は何か策を巡らしているのかも」
龐徳は「今だかかれ」と兵らに号令した。関羽軍の兵も飛び出す。
龐徳は兵に囲まれ身動きができなくなった。
于禁はこの騒ぎを聞く。部下は龐徳が関羽を矢で負傷させたと告げ「これで龐徳が敵を蹴散らせば手柄はすべて龐徳となります」と進言した。
于禁は「そうじゃ、魏王も龐徳に無理な戦いはやめよと言われた」として引き上げの合図を出させた。
関羽を追い込んでいた龐徳に引き揚げの合図が聞こえた。「もう一歩というところを」と言いながらもやむなく龐徳は引き揚げるしかない。
龐徳は于禁に引き揚げの理由を問うたが「深入りを止めただけじゃ」と答えられただけであった。
龐徳はやるせない。
酒を飲み憂さを晴らしているところへ部下が于禁の心情を伝えにきた。悔しがる龐徳に部下は関羽を挑発しましょうと言い龐徳もこれに賛同した。
連日の挑発は関羽を苛立たせたが関平は「智勇の将と言われる父上が一時の怒りにまかせるなど父上らしくもありませぬ」と言って諫める。(ほとんど妻の役)
龐徳は于禁の兵力を借りて強行突破する策略を申し出た。樊城の味方と連絡をとり勢いづかせるためだ。
これを聞いた于禁は龐徳の意見が上手くいけばやはり手柄は龐徳、と考え反対する。
そして于禁は自らの軍が正面の大路から進撃し七軍は樊城の北十里の地点に龐徳には山の後ろに陣を構えるのじゃと命令する。
それではいざという時動けませぬと言い返す龐徳に于禁は怒鳴りつけた。「魏王より援軍の指揮を任されたのはこの于禁だ」と。
この策略は関羽に知らされた。
関羽は七軍が陣を移したのはなんという場所かと聞きその付近に河があるかと問うた。
「はい蘘江・白江がありいずれも雨が降ると谷から落ちてくる水かさが増します」
「平地は?」
「ほとんどございません。谷は深く山は険しく人馬も容易に越えられませぬ。それがために樊城は無双の要害と言われまする」
関平よく覚えておくのじゃ。勇だけでは戦に勝てぬことを見せてやる
豪傑である関羽が智者でもあるとは恐ろしい。
対して龐徳の気の毒なこと・・・まじで馬超に走った方がいいんじゃ?
忠義者であるのも辛いことです。