ガエル記

散策

『三国志』横山光輝 第三十四巻 その2ー落鳳坡ー

馬良(白眉)が孔明の手紙を玄徳に渡す図

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

激しい風雨の中、蜀軍の鋤鍬隊が堤防を決潰し始める。

しかし永年の忠告を聞いていた荊州魏延は冷苞を捕え玄徳に引き渡した。

玄徳は一度恩義をかけたのに反逆した彼に対して処刑の命令を下した。

 

その時荊州から孔明の使者として馬良が到着した。白眉の馬良である。

それが上の図であるがこの様子を見て龐統は玄徳が孔明を心の底から信頼していなさる、と感じた。そしてこの私はこれほど信頼されているのであろうか、と考えたのだ。

この図からそれほどぴんとこないのだけど手紙を早く見せて欲しいという気持ちが物凄く伝わるしぐさだったのだろうか。

そして次の玄徳の表情。

これは確かに嬉しそう。

というか、内容は芳しいものではないので孔明の言葉を読むこと自体が嬉しいのだろうな。めちゃ可愛い顔して読んでる。

この顔もなんだかいつもより若返ってる気がするwしかし内容は「凶事の兆しすらあり。くれぐれも身命を慎みたまえ」だから不安です。

この顔である。

これは確かに龐統には辛い一言だったかもしれない。

目の前に稀代の軍師がいるというのに玄徳は遥か遠い荊州に戻ってまで孔明と協議したいというのだ。

あの忠義者の関羽張飛が「まるで恋人同士だ」とやっかんだほど玄徳と孔明は波長が合うのだろうか。親子ほど年齢が離れているのに不思議でもある。何しろ孔明が水で玄徳は魚なのだから離れてしまっては辛いだろう。というか死んじゃう~

 

 

自分が嫉妬してるのに孔明が妬んでいるのではないかと思うというねじれた感情の龐統である。

ふたりが出会ってからこれまで玄徳の側にはいつも孔明がいた。そもそもこの旅路も孔明が同行していても良かったはずなのになぜ龐統だったのか。不思議でもある。それも運命だったのか。

そして極めてハードボイルドな横山『三国志』においてここまで心理を描いているのも珍しい。

言葉に棘がある龐統である。

そして龐統は自分も天文を心得ておりますが軍師とは読み方が違いますと述べたのだ。

「読み方が違う?」と懸念する玄徳に

この表情は良くない感じがしますね。

なんだか騙そうとしている顔です。

が玄徳は「ふむう」と言って考え込む。

玄徳も龐統の言葉を信じたい気持ちもあるのだろうか。荊州まで帰るのは遠かろうし。

それにしても、と玄徳は速やかに兵を進めよと申しても雒城の要害は蜀第一の険だと言うと法正が「私が秘密路の地図を持って参ります」

その地図を見て玄徳と龐統はふたつに分かれて雒城に進む計略をとった。

つまり玄徳は孔明の忠告を置いて龐統の意見をとったわけである。描かれてはないが龐統は嬉しかったに違いない。しかしまさにこれが運命の分かれ道だったのだろう。

 

出立の時龐統の馬が急に暴れだし龐統は投げ出されてしまう。玄徳は自分の馬を使わせた。これも龐統喜んだだろう。

こうして龐統魏延を先鋒に北の路を進み玄徳は黄忠を先鋒に南の路を進んだ。

雒城の蜀軍将軍は玄徳軍が二手に分かれて進んできているとの報を受け待ち伏せをしていた。玄徳が差し掛かった時に弓矢隊にいっせいに射かける策略である。

そして劉の旗印を持った先鋒隊が険しい山道にあえぎながらさしかかった。しかし将軍はそれを見送る。狙いは玄徳だった。

(これが後に横山氏が感嘆する四川の大自然ですね)

続いて見事な白馬にまたがった将が現れた。「それこそ玄徳」と蜀将軍は「わしが合図したらその将を狙い撃て」

が、その姿は龐統であった。見事な白馬は出がけに玄徳から与えられたものなのだ。

龐統は険しい山道に蜀の脅威を感じて「なんという地名のところか」と聞く。

側にいた将が「落鳳坡といいます」と答えた。

落鳳坡!

龐統道号鳳雛。落鳳坡とはなんといやな名。嫌な予感が襲い龐統は皆を止まらせた。

その時蜀軍弓矢隊がいっせいに龐統を狙い撃ちにした。矢衾となった龐統は死んだ。36歳だった。

蜀軍はそれを機に襲い掛かってきた山岳戦となれば蜀の兵はお手のものだった。それにひきかえ軍師を討たれた荊州軍は大混乱となり山道で押し合い崖から落ちていった。

先鋒を行く魏延もこれに気づき戻ったが蜀軍の岩落としでなすすべもなく雒城まで突っ込むことにした。

ううむ。魏延がいたのに龐統をまったく守っていないんだよな。この道を進むことになった運命もまたそもそも龐統孔明の忠告に嫉妬して自らが選んだのだのではあるが。

 

そして魏延もまた蜀軍に前後から阻まれ全滅やむなしを決意した。そこへまたも近づいてきた一軍があった。

魏延がんばれ。黄忠じゃ」

「おお老将軍待ってましたぞ」(これは心底本音)

こうして双方の大激戦となった。見守る玄徳に「こうなると山岳に慣れた蜀の有利。いったん引き上げては」と進言され玄徳は涪城まで退った。大きな痛手だった。

涪城に戻った玄徳は龐統の姿が見えないと問うた。

「それが」と言葉を濁す将たち。

言い難い表情で「落鳳坡で全身に矢を浴び無残なご最期」と告げた。「なんと軍師が死んだと」

玄徳・・・うう・・辛い・・・

周囲の将たちは弔い合戦で一気に雒城を踏みつぶしましょうと声をあげる。

しかし玄徳はこれを制した。

「蜀に入る前蜀は弱しと聞いていた。だがそうではなかった。兵は強く人材も多い。孔明がくれぐれも身を慎むようにと手紙を寄こしたのに聞かなかった」

玄徳は関平荊州へ戻り孔明に来るよう伝えてくれと言い渡したのだった。

 

その日は七夕で荊州の城内もにぎやかに飾られ酒宴が催されていた。

ごめん関羽貼りたくて貼ったのは事実。

この言葉もかっこいい。

しかし孔明の心は重い。

孔明は諸公に遠出を禁じた。数日のうちに必ず凶報が来るであろうと。

七日後関平が到着し龐統の戦死と進退きわまった玄徳軍の現状を知らせた。

孔明龐統の死を悼んだ。しかし悲しんではおられぬと顔をあげ我が君の窮地を救わねば。

孔明は直ちに命令を下していく。

我が君の元へ急ぎたい関羽関平と留守の守りを命じた。渋る関羽孔明は「桃園の誓い」を持ち出してあえて頼むと言い渡す。

いいねえ関羽いいねえ。

さらに呉の孫権と北の曹操が同時に攻めてきたらどうすると問う。

「兵を二分して死ぬまで戦い抜きましょう」と答える関羽孔明は眉をあげる。

「軽々しく死ぬなど申してはならぬ」と言い「八字の戒め」を伝えた。

「北曹操拒 東孫権和」これをやり遂げよ。

そして蜀に向かうのは張飛に一万の兵を引き連れ陸路から巴郡を通り雒城の西に向かえ。趙雲は私の先鋒となって長江を遡り雒城へ向かえ。

孔明張飛に蜀の民衆に恨まれるような行為をしてはならぬ、民を憐み衆に徳を持って臨めと強く言い渡した。

 

張飛孔明の言いつけを守りながら巴郡(重慶)に迫ったがここで巴城を守る蜀の名将厳顔と相まみえる。

横山『三国志』は可愛い爺様の宝庫。

可愛いけど気は強い。

張飛が開城を求める使者を出すが厳顔は棒叩きで追い出す。

怒った張飛は巴城に襲い掛かるが守りは固くしかも厳顔が射た矢は張飛をかすめた。

あっぶねえ。これは緊箍児に救われた。

張飛は珍しくも力技ではなく計略で巴城を落とす。

どうしても城からでてこない厳顔をおびき寄せるために草刈りをして道づくりをするふりをする。

巴城からは密偵たちが紛れ込み厳顔に張飛の行動を密告しており厳顔は張飛隊の軍需物資を狙う計略を立てる。

夜道先陣の張飛をやり過ごして軍需物資を奪おうとしたが現れたのは張飛自身だった。先陣にいたのは別の者だったのだ。

厳顔は張飛に向かっていったがさすがに一騎打ちは荷が重かった。

厳顔はあっという間にとらえられ張飛は巴城へとはいった。張飛は厳顔に降参を求める。

良い顔。

張飛は厳顔に無礼を謝り真の武将と称えた。

そして我々が動くのは野望のためではなく漢朝のため大義のためだと伝えた。

そして大義のためにと桃園の誓いをしたのをご存じないかと問うと厳顔も耳にしたと答える。

(桃園の誓いの件、みんな知ってるどういうこと?きっとゴシップ週刊誌みたいなのがあるのだろうな)

じっちゃまかわいすぎる。

これが本当に落ちたやつ。

 

さて玄徳は涪城に立てこもって百日となっていた。

そこへ黄忠老将軍が耳打ちをする。

敵陣を調べたところ長陣に退屈しだらけきっている今不意を突けば大勝間違いなし、と。

玄徳は夜襲を決行する。

まず涪城を取り巻く蜀軍への攻撃は上手くいき逃げのびる蜀軍を追って雒城まで攻め立てた。

が四日四晩攻め続けても要害雒城はびくともしない。

攻め疲れた玄徳軍を見て蜀の将軍たちは戦略を練っていた。そもそもこの籠城は彼らの作戦だったのだ。

玄徳軍は背後から攻められ黄忠魏延らも激戦を強いられ玄徳は孤立させられた。

玄徳軍の兵たちは追い詰められ崖から落ちていく。

「いたぞあれが玄徳だ」

どうなる玄徳。

我が君の運命やいかに。