ガエル記

散策

『三国志』再び 横山光輝 二十五巻

諸葛亮魯粛そして霧深し。ステキな表紙だ。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

前にも書いたかもしれないが周瑜のモデルはクラーク・ゲーブルだと思う。

 

蒋幹は周瑜の床に供に入るが眠れず起き出し側の卓に手紙が置かれているのを見つける。それには蔡瑁と記されており周瑜からの返事がくれば内乱を起こして曹操の首を討つ所存であるという内容だった。

蒋幹は周瑜の陣を抜け出し曹操の元へと急ぐ。

蒋幹がもたらした手紙を見た曹操は激怒し直ちに蔡瑁の首を討ちとってしまった。

 

これぞ周瑜が望んでいた計略結果だった。水軍の将たる周瑜にとって曹操の巨大な水軍は脅威だった。

だがその曹操水軍も蔡瑁さえ取り除けば恐るるに足らぬものとなる。

しかし周瑜が気がかりなのは今度の謀を孔明がどう批判するかだったのだ。

周瑜魯粛を使い孔明の心を計る。

孔明周瑜の計の大成功を祝した。孔明周瑜の計略も彼が魯粛を使って孔明の評価を聞きに来ることもすべて見通していたのだ。

さらに孔明は「孔明がこの度の計を知っていたということは周瑜提督に言わないでください。それと聞けば提督はまた孔明を害そうとなさるに違いありませぬ」と魯粛に釘を刺した。

 

周瑜孔明の恐ろしさをいっそう感じて絶対に殺さねばならないと決心を強めていく。

 

ここから有名な「十万本の矢」エピソードとなる。

軍議の中で孔明の口から「今必要なのは矢」という言を引き出し周瑜はそれを受けて「では十日の間に十万本の矢を作ってくださらぬか」と頼む。

孔明は「十日ではなく三日の間に作り上げましょう」と言って周瑜を驚かせて去っていった。

周瑜は約束が守れぬ時は死んでもらおう、と企む。

 

孔明魯粛に頼んで兵と船を用意させるが何もせぬままに三日目になる。その間に船にはぎっしりと藁人形が並べられ青い布で船を覆わせた。

夜、孔明魯粛を連れて曹操の陣へと近づく。折しも深い霧が立ち込め見通しが悪い夜だった。

曹操の陣では呉軍の夜襲だという報が成され曹操は矢による攻撃を命じる。

孔明らが乗る船はあっという間に矢衾となった。

孔明は「よしこれくらいでよいだろう」と引き揚げる。

船に並べた藁人形には数えきれないほどの矢が突き刺さっていた。その数は十万本を越えていた。

さらに孔明は濃霧の日を予測していたのだった。

 

孔明周瑜に「十万本の矢、しかとお渡しいたしましたぞ」と言い周瑜もこれには「恐れ入りました」と答えるのみだった。「この知恵、とても拙者の及ぶところではござらぬ」

そして周瑜孔明を天幕内に呼び曹操軍を打ち破る計を授けて欲しいと言い出した。

孔明は「計がないわけではない」と言い「だが提督にもまったくないわけではございますまい」として「ではそれぞれ自分の手にその計を描いて見せあおうではありませんか」と提案する。

ふたりはそれぞれ自分の手に字を書いた。「では一緒に開きましょう」

そこにはどちらにも「火」の一文字が書かれていたのであった。

 

曹陣では「十万本の矢」を孔明の策によって奪われたとわかり落胆する曹操に「埋伏の毒」なる計略が進言された。

蔡瑁の甥である蔡和・蔡仲を呉軍に降らせ内部を攪乱させるのだ。

 

周瑜は呉軍に降ったふたりを信じ受け入れることとした。

これを聞いた魯粛は心配で孔明の考えを聞きに行く(魯粛、すぐ孔明に聞きに行く)

孔明は周提督は絶好の囮と考えて利用するつもりなのですよと答える。

以前ここで魯粛さんにきゅんとなった。かわいい。孔明の笑顔も良い。

 

ここで周瑜は老将軍黄蓋から火計を進言される。

周瑜はそのためには「苦肉の策」が必要となると言う。黄蓋は老体ながらその役を引き受けたのだ。

 

公衆の面前で黄蓋周瑜の命令に反抗しその罰として百叩きの刑を受ける。

ここで魯粛は初めて孔明周瑜の策を見破っていると周瑜に告げずにおく。

周瑜孔明をもあざむけたと自信をつけこの計略の成功を信じた。

 

黄蓋の体を張った「苦肉の策」は進行する。黄蓋は闞沢に計略を打ち明け曹操の陣に降るために手紙を渡した。

闞沢もまた命懸けで曹操陣へと向かい黄蓋の手紙に疑心を持った曹操大芝居を打ったのだ。

そこへスパイ蔡和からの手紙が届き黄蓋が受けた百叩きは真実だったとわかる。

曹操はついに黄蓋の言葉を信じると闞沢に言い渡したのだ。

 

闞沢は呉軍に戻り黄蓋に琴を知らせる。そしてスパイである蔡和・蔡仲のふたりと結託し計画を進めていった。

裏を持って謀ればまたその裏をもって謀る。兵法の玄妙はここにある。

 

曹操には闞沢からと蔡和からと同じような計画の手紙が届くがあまりにも話がうますぎると曹操は疑念を抱く。

そこで再び蒋幹が呉に参って前の罪を償いたいと言い出す。

 

周瑜龐統を招き曹操軍討伐の策を問う。龐統の答えもまた火計であった。

龐統はさらに「連環の計」を提案した。

そこへまんまと入ってきた蒋幹をも周瑜は利用していく。

今度はわざと蒋幹を叱責し逃げ出した蒋幹は龐統の家へ逃げ込むこととなる。

蒋幹は有名な龐統先生がこんな山奥にお住まいとはと驚き志あれば自分が曹操に紹介したいと言い出す。

 

曹操は有名な龐統先生が来られたと聞き大喜びで歓迎する。

さらに曹操龐統を連れて陣地を見学してもらうのだ。おいおい、敵に陣地見学とは。

龐統は体調を崩したと申し出て曹操軍内部でも病人が続出していると聞きだす。

龐統は北国の人が他国の水に慣れずさらに慣れぬ水上生活、それがために食も進まなくなるのが原因だとし「大小の船を組み合わせて鎖をもって固くつなぎ合わせれば平地にいるがごとく揺れずに苦痛を取り除けます」と説く。

曹操はことを急ぐと考え「連環の鎖」を造らせた。さらに龐統は呉の諸将を口説いて曹軍に降らせましょうと約束して去った。

 

ここでとんでもない一幕が

これは徐庶のおふざけだった。

徐庶龐統はかつての学友だった。

おもしろいなあ。本作に出てくる学者青年たちがぞろぞろご学友なんだよな。

こうしたネットワークもあるんだなあ。

ここで徐庶は自分の悩みを打ち明け龐統に知恵を授けてもらう。

火計が行われてしまえば共に焼かれる不安があった徐庶龐統の発案で「西涼馬超が反旗を翻し都へ進撃している」と噂を流して都府を守るための将となって戻ることとなった。どの将も今回の戦いで褒美を得たいと考え誰も離れたくなかったのだ。

これに徐庶は手を上げ戦いから離れたのだが誰も引き留める者などなかった。

 

こうして曹操率いる百万の水軍が呉へと攻め入ることとなった。

折しも強風が出てきた。

が、龐統発案の連環のおかげで船の揺れは少ない。

とはいえ将の中には火計を心配する者もいた。

だが曹操は「時はいま十一月。西北の風が吹くが東南の風は吹くことがない。我が軍は北にある。今敵が火攻めをすれば火は己の船を焼き払う」ときっぱりと言い切った。

 

もういろんな状況人物が入り乱れて簡単には説明できない。

こんな複雑な物語をマンガで描いた横山光輝の力量に今更ながら慄いてしまう。