ガエル記

散策

『三国志』横山光輝 第二十七巻 その2-静寂の陣ー

病人がするこの斜め鉢巻き、よく時代劇で見るわけですが中国から渡ってきたものだったか、と今はっとしてるんですがちらりと検索した限りでは日本独自のようでもあり横山先生のお遊びだったのか?とも考えたり今のところよくわかっていません。

マンガだとわかりませんが紫であるのが(少なくとも日本では)肝要みたいですが。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

周瑜の肩に刺さった毒矢。下手な抜き方をされたものだから矢の根元が折れメジリが骨の中に残っている、として医師は木槌とノミで骨を削り取った。周瑜は叫び声をあげる。

(まだだけど関羽と名医・華佗のエピソード思い出す。子供の頃簡単三国志を読んでそこが衝撃で忘れられなかった)

確かに周瑜の肩に毒矢は当たったと見た曹仁軍は周瑜は死んだのではないかと考え、呉軍を散々にからかい挑発し続ける。(このからかい挑発ってたびたび出てくるけどいいのかこれでw)

が、周瑜が感情を高ぶらせてしまうと骨の傷と肉の間から高熱が出てしまうために敵に挑まれても静かにしておくのだ、と命令された以上どうすることもできなかった。

ならば一旦国に引き上げ提督の病が治ってから攻撃しようと提案が出るが魯粛はここで提督と玄徳の約束を皆に伝えた。

「南郡の城とりが呉軍の手に余るなら劉備玄徳に好きなようにしていい」と。

それを聞いた将軍たちは「それではすべての苦労が水の泡になる」と言い進むも戻るもできない状態に立ちすくんだ。

 

が、何もできず静まり返った呉軍に曹仁軍はやはり周瑜は死んだのだ、と総攻撃をかけることにした。

曹仁軍の攻撃でやむを得ず応戦する呉軍。

ただならぬ騒ぎに周瑜は気付き身支度をして戦の先頭に立った。

周瑜の生存を見て怯える兵士たちを曹仁は抑え「金瘡の病は気を高ぶらせると再発する」として全員で周瑜を罵らせた。(どういう戦なのw)(しかしこれぞ舌戦。すべての戦争もこれでいいんじゃ)

悪口と言っても横山先生やさしい。

「やーいやーい」「あの矢の味はどうだ」「もうお前など怖くもないぞ」くらいだ。子供じゃないんだからもうちょっと悪い語彙増やそう。

しかし気位高い周瑜は怒り

派手に倒れ落ちる。

美男子は落ち方も華やか。

曹仁軍はここぞと襲い掛かり呉軍はみじめに敗北した。

 

しかしこれは周瑜の計略だった。(ほんとに?)

周瑜は自分が死んだといううわさを流し曹軍を逆に挑発した。

曹仁軍は城を出て総攻撃をかけてきた。が今度は呉軍がわなを仕掛ける番だった。

身を隠して曹仁軍を取り囲み大半を討ち果たした。

生き残った者は城を捨てて逃げたという。

周瑜は威風堂々南城へと進んだ。

 

ところが南城の砦の上に立つ男がいた。

趙雲子竜だったのだ。

なんと城はすでに占領され劉と趙の旗が翻っているではないか。

周瑜軍と曹仁軍が死闘を繰り広げている間に趙雲は空の城を奪い取ったのだ。

再び怒る周瑜を部下が抑える。

周瑜軍は陣に戻るしかなかった。

 

陣に戻った周瑜甘寧凌統にそれぞれ荊州・襄陽を奪い取れと命じた。

 

がしかし荊州の城はすでに張飛の手に落ち、襄陽は関羽に占領されていたのだ。

あっという間に城を奪い取った玄徳と孔明周瑜は怒る。

 

調査したところ孔明曹仁の割符(印章)を手に入れそれぞれの城へ向かって偽の出撃命令を出して追い出し城を奪い取ったという経緯だとわかった。

すべては孔明が巧妙に仕組んだ計略での落城だったのだ。

周瑜は激怒し再び血を吐いて倒れる。

 

医師の薬で気を持ち直した周瑜はすぐさま玄徳と一戦を交える決意を示した。これに魯粛は反対する。赤壁の大勝とはいえ曹操は生きていて呉君孫権合肥方面を攻めている態勢。そのうえで周瑜が玄徳と戦えば曹操が喜ぶだけだと。

焦れる周瑜魯粛は自分が玄徳に道理を説いて参りましょうというのだった。

 

いやいや魯粛さん。これまでさんざん孔明の先見の妙に驚いていたのに無理じゃない?

そしてこういう体制を作るのが孔明の三国の計ってこと?

 

果たして魯粛は玄徳ではなく孔明との会談になっている。玄徳は横にいますが。

魯粛は「そもそも曹操の狙いはあなたのご主君・玄徳様を捕えることだったのを我が呉軍が莫大な戦費と犠牲でお互いに事なきを得たのです。戦果として荊州九郡は呉に属していいのではないか」と説く。

これに孔明は「荊州九郡は荊州のものです。荊州王の長男劉琦は我が君のもとに養われてござる。我が君と劉琦は同宗の家系で叔父甥の間柄、それを助けてこの国を立て直すに何の不道徳がござる」

だがなお魯粛は劉琦の不在を突こうとしたが劉琦を病身ながら玄徳の側にいたのであった。

魯粛周瑜のもとへもどり顛末を話す。そして再び現在玄徳と戦うことは不利と説いた。

そこへ孫権からの使者が到着した。合肥の戦が捗らず提督に戻ってほしいという軍命であった。

周瑜軍は多大な犠牲を払いながら荊州を得ないまま引き上げることになったのだ。

 

玄徳は三か所の城がやすやすと手に入ったのを心配していた(ってあなたはそうかもだけど孔明は頑張ったんじゃない)(しかし孔明はそうは言わずw)

「これも我が君の今までの苦労が実ったものでございます」と答える。さすがそつがないね。

「ではこれから先どうすればよい」と問う玄徳に「人ですすべて人です」と答える。

襄陽・宜城の馬良とその兄弟たちを勧める。この中に孔明のお気に入りとなる馬謖がいるね。

玄徳は伊籍を通じて馬良兄弟を召し抱える。

馬良は評判通り優れた才覚の人物で玄徳の質問に次々と鮮やかに返答する。

玄徳が攻略していく道筋を明確に提示してくれたのだった。

この人が「白眉=最も優れた者」の語源となったのねー

しかし白眉だったってすごいな。

 

こうして玄徳軍は四都攻略の南征軍が準備された。

関羽荊州を守らせ、麋竺劉封に江陵を任せた。

南征軍の先手は張飛、玄徳・孔明は中軍となり趙雲は後陣を固めた。その総勢一万五千。

時は建安十四年であった。

 

一気に力を付けましたな玄徳。こうなるまで長かったー。

すべて孔明の計略ですが玄徳が我が君だと大変そうです。

そこが孔明面白いのかもしれませんが。