ガエル記

散策

『三国志』再び 横山光輝 二十三巻

張飛が物語を面白くしてくれる。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

読書目的である許褚の活躍もむなしく曹仁軍はまたも大きな犠牲を出してしまう。(この人これでいいのだろうか)

張飛は深追いすることなく皆が待つ船へ向かう。

もうすっかり昔から軍師であるかのような孔明。素直に返事する張飛もかっこいいね。

 

こうして玄徳は大戦果をあげたのち農民とともに樊城にむかったのである。

 

宛城では曹操が第一軍の大敗北の報を受け全軍出陣を命じた。が、部下は直ちにこれに反対し玄徳に対して降伏を求める使者を出すべきと講じた。

その使者には徐庶をという。

徐庶は玄徳の元に仕えていた。だからこそこの使者の任につき戻らなければ物笑いになるとこの部下も言い曹操も納得し本人もそういうのだが私にはよくわからない。

そうかな????

まあそれが義理堅いということなのか。

 

徐庶は玄徳と再会し和睦の使者として来たと言いながら曹操の本心を玄徳に伝える。玄徳は徐庶に戻ってこないかと誘うのだが徐庶は「曹操に世話になりすぎました」と答えてこれを辞した。

 

曹操との和睦などありえず玄徳らは襄陽城へと逃げ延びようとする。

だがここでは蔡瑁の命令で玄徳と付き従った農民は攻撃を受け孔明の考えで江陵城へと進んだ。

がこれを見ていた襄陽城の兵の中には玄徳一行を追いかけた者もいた。

 

農民の移動は遅々として進まない。関羽は玄徳に「民百姓はここに置き我々だけで江陵に向かい守りを固めたらいかがでしょう」と問うが玄徳は「あたかも子が親を慕うようなものだ。なんで捨てていかれる。民と共に死ぬならそれもまた本望」と答える。

孔明の提案で関羽は江夏の劉琦の元へ急ぎ援軍を頼むこととなる。

 

襄陽城の蔡瑁曹操軍を丁重に出迎えた。

曹操蔡瑁を水軍の大都督とし劉琮には青州に移るよう伝える。

蔡瑁を水軍の大都督としたのは曹操軍は野兵山兵で水軍の法は誰も知らない。蔡瑁から水軍の法を学ぶまでは祭り上げておく考えだった。

そして劉琮の方は何の使い道もないとして于禁にその始末を命じた。

 

曹操荊州を治める業務に追われていたが部下の提言もあり玄徳追撃の命令を出す。

相変わらず遅々とした行進を続けていた玄徳は曹軍に追いつかれた。張飛は玄徳を逃げさせ敵を追い払う。

逃げ惑う農民の群れの中で玄徳は「趙雲が曹軍の軍門に降りました」という報を受ける。

趙雲には玄徳の妻子を守らせていた。玄徳には信じられなかった。

張飛は長坂橋の上に立ち曹軍の攻撃を待ち受けていた。

 

その頃趙雲は夜襲で玄徳の妻子の行方を見失い探し回っていたのだった。

途中曹軍の夏侯恩に出会い討ちとり名剣「青釭の剣」を手に入れる。

その後趙雲は玄徳妻子を見つける。が、傷を受けて立ち上がれなくなっていた奥方は我が子を趙雲に託して井戸に身を投げた。

趙雲は珠玉の珠である若君を胸に縛り付けると馬を駆って曹軍の中を突き進んだ。

高みからこの様子を見た曹操趙雲の雄姿に惚れ込み「あの者を生け捕りにせよ」と命じる。部下らは慄きながらも趙雲を取り囲むが生け捕りにするのは無理難題であった。

 

趙雲はそのまま駆け抜け張飛の待つ長坂橋にたどり着く。

趙雲の謀叛を怒っていた張飛はその胸に若君が抱かれていると知り誤解をといた。

張飛趙雲を逃すと再び長坂の橋の上で曹軍を待ち構える。

 

趙雲は玄徳の手に若君を渡す。玄徳は無造作にその子を傍らの者に預けると趙雲に対し「子どもはまた生めば得られるが良き将はまたとは得られぬ」と謝った。趙雲はその言葉に涙した。

 

本来は玄徳が我が子を放り投げてしまう、となっているらしいですがさすがに横山光輝氏はそれをそのまま絵にするのはためらわれ、ぱっと横の人に渡して「我が子がかわいいのは当然だがお前を戦死させてしまったかもしれないと思うと心が痛むのだ」的なことをごにょごにょ言う場面に描き替えておられる。

正しい判断だったと思えるwww

 

さて長坂橋で張飛は単騎、曹操軍を迎える。曹操すらもその名前に怯えを見せた。

さらに張飛が部下に命じて林の中で物音を起こさせたため曹操孔明の罠があると考えて逃げ出したのだ。

張飛は長坂橋を焼き落とした。

 

その報を受けた曹操は罠ではなかったと気づき急ぎ橋を作らせ追撃を再開した。

ところが曹操軍を待ち受けていたのは劉琦からの援軍を従えた関羽だった。曹操は再び「孔明の罠」と感じて退却を命じたのだ。

 

関羽は玄徳一行に合流し用意した船に乗り込んだ。

そこへ別の船から劉琦が「叔父上」と声をあげて乗り込み「私の城で態勢を立て直してくだされ」と申し上げる。

さらには孔明が夏口からの兵を連れて合流した。

孔明は兵をまとめてしまうのは危険として関羽を夏口へ玄徳孔明劉琦は江夏へと向かった。

 

曹操はすでに荊州は手に入れた、後は呉一国を討てば全国統一という気概である。

その打倒方法として呉に降伏を勧め「玄徳を討てばその土地は与える」とする、応じなければ武力で呉を奪い取るまで、とした。

 

呉では若き国王・孫権魯粛と話し合っていた。

魯粛さんも大好きなんだけど、この時は悪い顔してるwww

孫権さんの帽子いつ見ても気になる。

魯粛劉表の喪を弔うという名目で荊州へ行き玄徳と手を組むというアイディアを提言する。

 

その頃江夏では孔明が玄徳に「まもなく呉からの使いが来るでしょう。その時私も一緒に呉に渡り孫権曹操が戦うように働きかけます。戦わずして勝つ。これも兵法」と説いていた。

張飛も玄徳もそんなにうまくいくわけがないと訝しんでいた。

ところがそこへ「孫権の名代として魯粛と言われるかたが到着しました」という報告がされる。

張飛はなぜわかったのかと問う。

説明難しいし皆ぽかんである。

 

孔明は玄徳に「なにを聞かれても知らぬわからぬで通してください」と注意する。これは簡単だな。

そして満を持して孔明登場。

おお。孔明ファッション。

孔明はもちろん魯粛に対し

と話を進めていく。

魯粛は「ひとつ先生ご自身呉においでになられてはいかがです」となり孔明は目論み通り呉へと渡ることとなった。

 

あの映画『レッドクリフ』を思い出しますなあ。

これからさらにさらに面白くなっていきますぞ。