ガエル記

散策

『三国志』再び 横山光輝 二十七巻

周瑜、優秀な人なのにほんとうに気の毒です。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

赤壁の大戦で大勝利を収めた呉軍の勢いはまさに天を突くばかりであった。

降伏する曹軍の残兵を自軍に組み入れその勢いで南郡攻略を開始した。

そこへ玄徳からの祝いの品が届きさらに居場所を移したことを聞いた周瑜はここで玄徳に釘を刺しておかねばと自ら返礼に向かう。

「この程度の儀式になぜ」と訝しむ玄徳に孔明周瑜への返答の方法を教えた。

 

「恩義あるゆえ荊州を奪うことはできぬ」とあれほど義侠心を固辞し続けていた玄徳がここにきて突然「よるべき土地を持たねばならぬ。事情は大きく変わったのだ」と言い出してる。何があったのか。

しかしここでの孔明

かっこいー。

痺れるではないか。

 

ここから周瑜の下り坂が始まっていく。

 

曹仁を将軍とする南城を先手を蒋欽として攻めさせた。

曹操に籠城を命じられていたが曹仁の部下牛金は出陣しての戦いを志願する。

牛金は五百の兵で戦い苦戦するが曹仁はこれを見捨てず自ら救援に出た。

曹仁将軍は強く呉軍は五千の兵を持ちながら逃げるしかなかった。

 

この報を受けた周瑜は怒る。甘寧が南城ばかりに気を取られず夷陵の城を取ることで南城を孤立させると言い出すのだ。

が、甘寧は逆に夷陵城に閉じ込められてしまい周瑜が救援に向かうことになる。

ここでは周泰の活躍もあって曹洪・曹純・牛金らは命からがら南城へと逃げ落ちることになる。曹仁は追い詰められるが曹操から授けられた秘伝の書を思い出して開いたのだ。

曹操の秘策は恐ろしいほど効果をもっていた。

 

周瑜は城兵が腰に兵糧袋を提げているのを見て「逃げ支度」をしていると判断し敵の士気の衰えを感じた。

出陣し戦うと圧倒的に呉の韓当周泰が勝り曹軍は逃げ出した。

この機を逃すなと周瑜は南城へと攻め込む。

がそこには落とし穴が仕掛けられており周瑜をはじめ駆け込んだ将たちは転がり落ちそこへ矢を射かけられた。

周瑜は馬と自分の胸を射られ倒れ落ちてしまう。

からくも助けられ馬によって運び出されたものの周軍は無残な敗退となってしまった。

曹操の秘計まさに神に通じるものだった。

 

 

逃げ延びた周瑜だったが矢じりが骨の中に残っているのを木槌とノミで削り出すしかなかった。しかもその矢じりには毒が塗られていた。

医者は「感情が高ぶると骨の傷と肉の間から高熱が出る」として安静を求めた。

 

呉陣は周瑜回復のため静寂を命じられる。

これに乗じて曹軍は悪口雑言で呉軍を挑発する。

やむなくここはいったん呉に戻って出直しをという将を魯粛が制する。周瑜は「南郡の城取が呉軍の手に余るなら劉備玄徳に好きなように城を取っていい」と約束してしまったのだと皆に話した。

呉軍はどうしようもない状態にあった。

 

しかし周瑜は立ち上がり戦場へと赴く。

曹軍は周瑜を罵り再び落馬させ勝利を収める。

が戻った周瑜はこれは「敵をあざむくためだった」と称して喪旗をあげさせ周瑜の死亡を噂させる。

勝利を確信した曹仁は夜襲をかけるがこれは罠だった。周瑜率いる呉軍は曹軍の大半を討ち果たした。

周瑜は堂々と南城に乗り込もうとしたがその城壁の上には趙雲が立ち「すでにこの城は占領した」と告げる。

周瑜たちが曹軍と死闘を繰り返している間に劉備軍はゆうゆうと何もせず南城を占拠したのだ。

周瑜はいったん陣地に戻り策を練った。

まずは荊州・襄陽の城を奪いそれから南城を取り返そう。甘寧凌統がこれを命じられたが両方ともすでに張飛・玄徳の旗が翻っていたという。

しかしなぜこうも簡単にふたつの城が落ちたのか。

孔明曹仁の割符を手に入れそれを持って荊州城へ向かい「南城危うし、すぐ救え」と言い送りそれを信じた荊州の将が開城して出陣したところを張飛が占領したのである。襄陽の城も同じであった。

これを聞いた周瑜はどっと血を吐き倒れ込んだ。

 

目覚めた周瑜は玄徳と一戦をと意気込むが魯粛がこれを制し「拙者が玄徳に会いに行きましょう」と言うのだった。

魯粛は怒りを持って孔明に抗議した。

しかし孔明はあくまでも沈着に「荊州劉表のご長男劉琦は我が君に養われてござる」とした。しかも劉備劉表の同宗の家系であり劉琦とは叔父甥の関係なのだ。

魯粛は何も言えなくなる。

 

さらに周瑜のもとに呉王孫権から急ぎ立ち戻れと言う軍命が下る。

こうして呉軍は多大の犠牲を払いながら荊州を手に入れることなく軍を引き揚げた。

 

玄徳は孔明と話し合う。

三か所の城がたやすく手に入ったことで玄徳は心配するのだった。

孔明は「これも我が君の今までの苦労が実ったもの」として慰める。

玄徳は「ではこれからどうすればよいか」と問う。

孔明は「すべて人です」と答える。襄陽に馬良をはじめ五人兄弟がいるという。特に弟の馬謖はすぐれた武人とか。

 

ほおお。ここで馬謖が出てきてたんだなあ。しかもすでに特に優れていると孔明は評価しているのだ。

玄徳は伊籍を通じて馬良を呼ぶ。

馬良荊州に詳しく玄徳に対しこれからどのようにして荊州を手に入れられるかを説いてみせた。

ただちに南征軍が準備され関羽には荊州を守らせた。南征軍の先手は張飛。玄徳・孔明が中軍となり後陣を趙雲が固める。総勢一万五千。

時は建安十四年であった。

 

尻込みしていた玄徳がいきなり意欲的になっているのは気になるが(何があったのかなあ)いよいよ進撃が始まるという興奮を覚える。

しかしやはり関羽曹操に目をかけられそのことに恩義を感じてしまったことが尾を引くなあ。それこそが関羽の人格なのだから仕方ないのだが。