ガエル記

散策

『三国志』再び 横山光輝 二十八巻

趙雲の(だけじゃないけど)いつもは目をつぶっているのに何かの時には片目だけ開ける(?)というのはどういう意味なんだろう。表現としてむしろ好きなんだけど謎ではある。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

「玄徳軍」というだけで人々が恐れおののくようになっている。

玄徳かっこいい。

 

まさかりを担いだ邢道栄の前に現れたのは四輪車に乗った孔明である。

孔明、言う時は言う。そして邢道栄が襲ってくると

不思議すぎる四輪車。

直後、邢道栄は張飛趙雲と戦う羽目になりあっという間にお縄を頂戴することとなる。

「今の世有能な者はつとめてこれを生かす」と孔明は言う。「今の世って」w

なにしろ西暦208年頃、この年代を見るといつもわけわからなくなる。なにしろ日本は卑弥呼の頃なんだものな。魏志倭人伝だものな。

ともかく孔明の策略にすっかりはまった劉延は父が降伏することによって助かるが零陵城は玄徳の手に落ちた。気の毒なのは殺される羽目になるまさかりの邢道栄である。

 

次は桂陽。くじ引きで先陣は趙雲となる。趙雲の槍の前で勝負はあっけなくついてしまう。

桂陽の太守は趙範と言った。これを機会に同姓のよしみで義兄弟の約束をしてくださいませぬかと趙雲に願った。趙雲は快く承諾する。

ところが趙範から酒席に招かれた趙雲はそこで趙範の兄嫁に引き合わせられる。彼女は夫と死に別れた未亡人であった。まだ若く美しい女性である。

趙範は是非将軍の妻としてくださいませぬか、と言うと趙雲は「この愚か者」と趙範を殴りつける。

趙範は屈辱に怒りこれを見ていた陳応・鮑隆は報復せんと趙雲の陣へ降ると見せかけ赴くがすっかり見通され首を刎ねられてしまう。

趙範もまた捕らえられ玄徳の前に引き出される。趙範はことの次第を述べ玄徳に逆らう気はまったくなかったと言い訳する。

 

玄徳は「今の話はまことか」と趙雲に問う。趙雲は「もし私がその兄嫁を妻としたら世間は力づくで兄嫁を奪い取ったとみるでしょう。そうなれば我が君にも偏見を持たれてしまう。民衆の心を逆なでするようなことは避けるべきでございましょう」

玄徳は「今は桂陽も余の支配下だ。余が仲人となってその美女を娶らせようか」と勧めた。

だが趙雲はこれも断る。「妻なくとも武士の務めは行えます。拙者は武士として名分の立たぬことのほううを怖れます」

満足そうなふたりの表情が良い。

 

お次は武陵。

張飛は苛立っていた。後輩の趙雲が先に桂陽城を奪うと言う手柄を立てているのに自分はおとなしく城で酒を飲むだけだ。

抗議する張飛孔明は武陵城攻撃を任せた。

武陵の太守金旋はこれを迎え撃とうとするが鞏志は「民を戦火にまきこみたくない」と反対をする。

金旋は怒るが周囲の者が鞏志をかばったため自宅謹慎となる。

が、これまでの退屈を吹き飛ばしに来た張飛の前に金旋軍は叩きのめされ城へ逃げ戻ったがそこには鞏志が立てこもっていた。

鞏志は金旋の首を討ちとり張飛の前に出して降伏した。

 

これで三郡が落ち残りは長沙ひとつとなった。

玄徳は荊州を守っている関羽にもこのことを知らせてやろうと手紙を書く(やっぱりアニキは優しいなあ)

荊州でお留守番の関羽は玄徳からの手紙をしみじみと読んだ。傍らに立つ周倉が問うと「我が君はとうとう三郡を手に入れられたそうじゃ」

(´;ω;`)ウッ…

「しかし私情でもって曹操を見逃した拙者だ。そのようなことは許してくださるまい」

と嘆く関羽周倉は「戦いに参加できるようお願いなさいませ」と語りかける。(やさしい)

三国志』で一番良い場面。周倉奥さんのよう。

涙溢れるよお

 

この手紙を読んだ玄徳は「関羽にもお何か機会を与えてやりたい」と孔明に問いかける。「我が君がそうお思いならそうなさいませ」

孔明優しいけどいじわるwww)

「よし、では長沙攻めは関羽にやらせよう」

玄徳は張飛を呼び荊州関羽と交代してくれと頼む。張飛は喜んでこれを承知した。

 

関羽は長沙攻めに自分の配下五百貴で充分と答える。

孔明はこれを心配し「我が君みずからひそかに力をそえてやる必要があります」と言い玄徳もすぐに支度した。

ああこのあたりの玄徳軍のつながりよ。ほんとうに強い連携があって唸ってしまうよ。

孔明の言った通り長沙の太守韓玄は良い人間ではなく語ることもないが関羽はここで黄忠と相まみえるのだ。

黄忠は六十近い老人と説明されている。なんと五十代だった。そういう関羽は何歳なのだよ。よくわからないなあ。

どっちにしても黄忠、いいよねえかわいいよね。

額の逆♡もいいね。

しかし関羽をして「これは油断はならん」といわしめる。

おお。赤兎馬にまたがる関羽の絵、すばらしい。

しかし一騎打ちは翌日へと持ち越される。

が、翌日の戦いで黄忠の乗る馬がつまずき黄忠は振り落とされる。

地面に倒れた黄忠関羽は討ちとれなかった。

(おいおいまただよ関羽

「馬を乗り替えられい。改めて勝負いたそう」と去る。

太守韓玄黄忠を罵る。「お前の得意は弓だ。なぜ弓を使わぬ」黄忠は謝罪した。

(ほんとに嫌な太守だこいつ)

しかし黄忠の思いは関羽に占められていた。

ここでも「今どき」発言。

それにしても漢は悩むねえ。

 

翌日黄忠は弓を使うがまずは何もつがえず弓を弾いた。

関羽は身をよけるが何も飛んでこないことを不思議がる。

が三度目黄忠は矢をつがえたがその矢は関羽の頭巾、頭すれすれに深く刺さった。

関羽黄忠の意を察し「それにしても恐れ入った」と馬を返した。

 

これを見ていた太守韓玄黄忠がわざと関羽を助けるとは敵と内通しているなと叫び黄忠を打ち首にしろと命じる。

 

部下たちはやむなく黄忠を刑場へと連行した。

ここで登場するのがあの魏延なのだ。

魏延黄忠がどれほど長沙のために尽くされたかと言い述べ逆に太守韓玄がどんな仕打ちをしてきたかを並べた。

我々の敵は玄徳軍ではなく太守韓玄だと言い先頭に立って韓玄を討ちとった。

長沙城の様子に気づき近づいた関羽に差し出されたのは韓玄の首だった。

魏延はその首を持って玄徳様に城を明け渡すとした。

 

老将軍黄忠は屋敷にこもり誰にも会おうとしなかった。

玄徳は自ら赴き黄忠に力を貸してほしいと頼み込む。黄忠は「もったいない」とひれ伏しこの老骨役に立つなら使ってくだされ、と答えたのだ。

 

さらに玄徳は魏延とも会う。

しかし孔明はここで「私はこの男を召し抱えるのは反対でございます。いやむしろ処刑すべきでございいます」と言うのだ。

これに反対した玄徳に孔明は「我が君がそうお考えあそばすなら逆らいませぬが」と言いながらも魏延に一言釘を刺したのである。

 

うーむ、この場面、孔明の芝居だったのかどうか。

後々の顛末を思うと孔明はこの魏延に嫌な何かを感じていたのか。

他の人物が寝返るのはむしろ喜んでいたのになぜ魏延だけ?

ここだけ読んでいる分には奇妙に思える孔明の言葉なんだよな。黄忠を助けた良い人にしか思えないのだが。

孔明には未来が見えていた、としか言いようがない。