ガエル記

散策

『三国志』横山光輝 第五十巻

姜維!!!!表紙絵一回目。

一番の悲劇のヒーローはこの人ではないかと思う。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

魏では孔明が三十万の大軍を率いて漢中より攻め入らんとしている、との報が入る。

曹叡は怯えながら「誰か防ぐ者はおらぬか」と問う。

「それがしが」と声をあげたのは夏侯楙だった。夏侯淵の子である。(史実は夏侯惇の子。ややこしや)曹叡は関西の兵二十万を授けようと喜んだ。

が、これに待ったをかける重臣がいた。夏侯楙は豪族ですが実戦経験がない、と。

夏侯楙はこの言葉に怒り自分は父に軍学を治め兵法に通じている、あなどると許さぬぞと言い返し「陛下、諸葛亮を生け捕るまでは御前に出ませぬ」と誓った。

夏侯楙はすぐさま長安へ向かった。

 

その報は孔明の耳に入った。

夏侯楙は夏侯淵の息子であり黄忠将軍に討ちとられたのを曹操が同情し自分の娘婿に迎えたという関係であった。

それを聞いた魏延はそのような貴族に戦と言うものがどういうものか見せてやりますると進み出た。

しかし孔明は「ここは正攻法でゆっくりと攻めてみるといたそう」と答えたのであった。

 

 夏侯楙には韓徳が加勢を申し出る。四人の息子と兵八万を従えて出陣したのであった。

そして蜀の先鋒趙雲鳳鳴山のふもとで出くわす。

 

趙雲はお手並み拝見とばかり前に出た。まずは韓徳の長男が名乗り出たが趙雲の一突きで一騎打ちは終了する。二番手三番手と趙雲に相対するがいずれもあっさり槍の餌食となり残る一人も物の数ではなかった。

趙雲の副将鄧芝は目を見張り後に続いた。

韓徳は引き揚げの号令をかけるしかなかった。

あっという間に四人の子どもを失った韓徳、趙雲相手に仕方ないとはいえあまりに酷い酷すぎる。しかしこれは史実ではなく三国志演義の架空の人物だった。よかった。

蜀の陣で鄧芝は趙雲の武勇を讃えた。趙雲は「この程度の功で満足はしておらん。わしの手で夏侯楙をひっ捕らえてくれるわ」と笑った。

 

一方長安では夏侯楙が韓徳の惨敗の報告を受け自ら陣頭指揮を執る決意をする。

それを聞いた趙雲は実戦の経験もない貴族の出陣を嘲笑った。

 

夏侯楙と趙雲が対峙する。

が相手となったのは昨日趙雲ひとりにやられてしまった四人の父親・韓徳だった。が韓徳もまた一突きで趙雲の槍に倒れてしまう(ほんと悲惨な父子だよ)

趙雲は夏侯楙へと突進していく。

鄧芝もこれに続いた。

次々と魏兵を倒していく趙雲を見て夏侯楙は「ひーっ」と悲鳴を上げ将に守られながら逃走した。

それを追う趙雲。続く鄧芝。

槍を風車のように回す趙雲に魏軍は震えあがり撤退した。

 

陣に戻った夏侯楙は趙雲を討ちとれる者はおらぬかと問うが誰しもが口ごもる。

しかし一人の将が「趙雲を討ちとれる者はいませんが奴は猪武者。左右に兵を伏せおびき寄せてじっくり攻めれば捕らえられると思います」と進言する。

夏侯楙はこれに同意した。

 

翌日夏侯楙軍は再び趙雲と対峙する。今日もまた趙雲は次々と魏兵を槍で突きまくっていく。「おう夏侯楙はそこか。命はもらったぞ」という掛け声にたまらず夏侯楙は「引け」の号令をかけた。「逃げるくらいなら出てくるな」と追いかけてくる趙雲

邪魔をする魏兵を突きながら「わしの狙うは夏侯楙ひとり」と突き進む。

副将鄧芝は「また出てきたは何か罠があるかもしれません。深追いはおやめください」と忠告する。しかし趙雲は「あんな青二才に何ができる」と進み続けた。

 

夏侯楙は予定の場所まで逃げ込み合図を送った。伏兵がどっと出た。「やはり」

趙雲は蹴散らせと走りこむ。が逆方向からも伏兵が飛び出し趙雲軍は魏軍に取り囲まれる。

「駄目です。敵がイナゴのように現れます」という鄧芝に「弱音を吐くな」と趙雲。「囲みを突破するのじゃ」と魏の大軍と戦い続けた。

 

夜になった。

趙雲は肩で大きく息をついている。「若い者に負けるかと気が勝ちすぎたわ」

(いやいや生きているのが不思議よ)

とまたもや魏軍の襲撃の声に「いよいよわしも最期かもしれん」と馬にまたがった。

最後の力を振り絞る趙雲の前に現れたのは張苞であった。

趙雲将軍」

「おお張苞。どうしてここへ」

孔明趙雲将軍に過ちがあってはいけないと後詰めを命じられ将軍危うしの知らせに敵の囲みを突破してきたと言うのだ。

張苞は馬に魏の大将の首をぶら下げていた。

そこへまた一軍が駆け込んできた。

「魏軍か」と趙雲

「いや関興でしょう」と張苞。「おい関興趙雲将軍はここだ」

関興もまた趙雲将軍危うしの報に駆け付けたのだった。

関興もまた敵将の首をぶら下げている。

趙雲は「わしにかまわず魏軍を追って夏侯楙の首をあげるがよい」と二人に言う。

若き張苞関興は「それっ」と駆け去っていった。

しみじみと感じている趙雲の前に鄧芝が駆け込んできた。彼も無事だったのだ。鄧芝は最近まで事務職だったのに生き延びたの趙雲以上に凄くないか。

趙雲はすなおに「張苞関興の若大将の働きで命が助かった」と告げた。

そして「夏侯楙を討ち取るは今だ。我らも若者たちに負けずにがんばらねば」と追撃を開始した。

 

こうなると実戦経験のない夏侯楙は手の打ちようがなかった。

敗走に敗走を続け南安郡の城へ駆け込んだ。

追撃してきた趙雲・鄧芝・張苞関興の兵は四方から南安城を取り囲んだ。

この城はなかなかの堅城で何度攻撃してもびくともせずただいたずらに日を過ごしていった。

こんな時に孔明率いる中軍が到着した。

戦況は困難と聞き孔明は「ここで長引かせるのはまずいな」と言う。

鄧芝は「しかし夏侯楙は魏の駙馬(天子の娘婿の官名)彼を捕えますれば大将百人を切るに勝ります」と進言。

孔明は「よろしい。地の利を見てよく考えてみよう」

うわー頼もしい。孔明が来ると空気が変わるねー惚れ惚れ。

 

南安は西は天水都に連なり北は安定郡に通じていた。西の天水の太守は馬遵。北の安定の太守は崔諒であった。ふたりは蜀軍が南安城を取り囲んだと聞き慌てて城の守りを固めた。

 

孔明は「諸将よ。南安攻略の策は立った」と告げる。

魏延張苞関興に他の将たち(趙雲含むw)にそれぞれ命がくだされた。

さて堅固な南安城の周りに柴束が集められていく。

その様子を見て夏侯楙は大笑した。

 

その頃安定城に「開門開門」の声が上がっていた。

門番が問うと「それがしは夏侯駙馬の腹心でござる。至急崔諒太守にお会いしたい」と呼ばわった。駙馬の御家来と聞いて門番たちは恐れ入り開門した。

使者は太守に「夏侯楙様が南安城で蜀軍に取り囲まれ救援を待っておられる」と告げ汗でぐしょぐしょになった文書を渡した。

 

崔諒太守はどうしたものかと思案したが夏侯駙馬を見殺しにしては罪を問われますという部下の言葉にやむなく出陣した。

 

その様子を伺っていた間者は孔明に報告する。孔明は城の周囲に置いた柴草に火をつけさせる。

城内の者たちはその様子を見て呆れていた。

が、南安城へ駆けつけていた崔諒軍はその煙を見て驚き慌てる。「遅れては大変だ急げ」

が前方で待ち構えていたのは関興軍だった。

対戦しようとした崔諒軍は背後から張苞軍に攻められる。罠と気づいた崔諒は慌て安定城へと引き返そうとした。

 

ところが安定城はすでに蜀軍に乗っ取られていた。崔諒は仕方なく天水城へ逃げろと命じた。

が、前方には

「崔諒よ。四方すべて我が兵だ」と孔明「降伏か死か」

と問われ崔諒は平伏するしかなかった。孔明は南安城よりまず北の安定城を落とした。

 

安定城内で孔明は崔諒太守に南安の太守楊陵に利害を説き夏侯楙を生け捕るよう要求した。

崔諒は南安城の囲みを説いてくださいと言って孔明の要求に「やってみましょう」と答えた。

安城から蜀軍が退き安定の太守崔諒が南安太守楊陵と会いたいと城前に現れた。

楊陵は招き入れ崔諒の話を聞いた。

孔明の謀の裏をかいてやろうと思ってやってきたのよ」と言い出した。

ふたりは夏侯楙に会い謀略を伝えた。

一度崔諒が戻って孔明に会い夏侯楙の警護が厳しく生け捕りは困難でした。ひそかに城門を開かせるので孔明自ら出向いて夏侯楙を生け捕りにしては、と提案するという。

夏侯楙は面白がりこの謀略を決行させた。

 

さてこの謀略どうなりますか。

 

というところで続く、です。