ガエル記

散策

『三国志』再び 横山光輝 十八巻

はい、関羽が愛しい人の元へと一散に駆けていく巻です。幸せいっぱい。

表紙も笑みが我慢できないという感じだ。

 

ネタバレしますのでご注意を。

昨夜とうって変わってかっこいい関羽です。やはり赤兎馬にまたがる関羽は決まってるね。横山先生の描く馬はほんとうに美しい。

 

まずは「まき餌の策」により曹操文醜を計略によって倒すのだがもしかして顔良の時と一緒で関羽がやっつけたら終わりだったのでは、という気もするがそれでは曹操が活躍できないからかもしれない。曹操関羽にカッコいいとこ見せたいだろうし。

どっちにしても関羽の「ドバッ」という一撃で終わるのだけど。そして関羽の活躍で玄徳自身もその姿を確認する。そのまま再会できなかったのか、とも思ったけどこれ案外距離があるのかな。それに曹操側に奥方がまだいるからそういうわけにはいかないのか。うむ浅慮であった。

 

こうして玄徳は再び袁紹に疑いを持たれるがここでも玄徳は「お互いにどこにいるのかを知らなかったのです。知っていれば何をさしおいても飛んでくる男です」と答える。ふーこの玄徳の関羽への絶対的な信頼が胸を打つ。

さらに玄徳は袁紹を説得し「私がここにいることを知らせれば」関羽はすぐに呼び寄せられると言い袁紹は再びこれを信じた。袁紹もなかなかわかる男である。

しかしこの大戦は長引き曹操はひとまず都へと引き上げていく。

 

都へ戻ると曹操は玄徳が袁紹のもとで生きていることを知る。

それは関羽が去ってしまうことであった。

しかも関羽はこの大戦で顔良文醜を討ち曹操への恩返しも果たしてしまった。もう関羽を引き留めることはできない。

それでもまだ関羽への未練が残る曹操張良は秘策を講じた。

 

そして関羽もまた密使によって玄徳の生存を知る。関羽曹操に挨拶をして去ることに決め曹操の屋敷を訪れるが幾度行っても避客牌(訪問客を断る札)がかかっていて中へ入れない。

関羽は決意し与えられていた屋敷を使用人たちに命じて掃除させ賜った贈り物を全て並べてお返しするとした。

そして玄徳夫人に次第を話し曹操の屋敷をもう一度訪れるがやはり会えず手紙を残していく。

 

関羽は玄徳夫人とひとり息子を丁重に車に乗せて出発した。

 

ここで余談。

横山『三国志』再読と共に吉川英治三国志』も読んでいるのだけどここで吉川版では玄徳夫人ふたりいる。

横山先生は「日本で妻が何人もいるのは馴染みがないから」と理由付けされてどの男にも奥さんひとりにしていたそうだけど実際は面倒だからだろう。

ただでさえ女性を描かない先生が奥さん何人も描くのはうんざりだったに違いない。

それに日本だって昔側室いるのは当然だ。小学生だって歴史ドラマを見てたら昔は妻が何人もいるのは知ってるはずでその理由はちとおかしい。

とはいえ玄徳の場合「ふたりしかいない」という。こちらもあんまり女性に興味ない男性だw

そして吉川版であの玄徳の初恋の芙蓉姫が第一夫人だったと知る。なんですとー。なぜ横山先生描いてないのか。興味ないのにもほどがある。良い話なのにい。

吉川版では第二夫人は若いけど芙蓉姫ほどの美人ではないらしい。玄徳らしい話である。

まあこれも吉川版では、ということなので実際はどうなのかはすみませんまだ知らないのですが。

 

さてこうしてついに関羽は玄徳の元へと千里の道をひた走る。

以前ここを書いた時は「千里の道=4000キロを走ったのかすごい」と驚いたのだがその後色々情報得るとまず漢の時代の一里は約300メートルでそもそもまったく長さが違う。

さらに関羽は方向音痴なのか玄徳のいる袁紹の国への道が解らなかったのか、曹操の領地をぐるぐる迷走して千里以上走っていることになってるらしいwww

これは明らかに『三国志演義』というフィクションで関羽の強さと玄徳への思慕を表現するためあえて多くの関門をくぐらせ武将たちを殺させたのだろう。気の毒なのはそのために首をふっとばされる将たちである。

そもそも最初から曹操(かその部下が)通行証を渡してくれてたら誰も死なずにすんだのだ。とりあえず散々殺してから「忘れておった」ということで通行証と張遼が届くのだが遅すぎる。

 

というところでまた戻るが関羽の置き手紙を読んだ曹操は「来る時も潔くまた去る時も見事なものよ」と感心する。

そして「会って気持ちよく立ち去らせてやればよかった」と思い張遼に路銀と着物を持って余に続けと命じた。

こ、この歩き方何度も言うけどなんと呼べばいいの。

曹操関羽に悪く思われたくないので必死で追いかけ追いついて言葉をかける。

「良い人だった」と記憶して欲しい乙女心の曹操様だ。

しかし関羽曹操に心を許してはいない。

最後まで油断せず小さな橋の上で曹操を迎える。

曹操は「奥方のために」と言って路銀を渡す。そして「君のために」と言って着物を贈った。

関羽はその着物を槍先で受け取る。

曹操の部下はこれを無礼なと怒るが

めっちゃすっきりした顔の関羽。「おさらば」はおもろい。

以前も書いたかもしれないが「着物」は身の上につけるもの。金と違って愛情をそのまま感じてしまうのだ。

関羽自身も玄徳からいただいた着物を脱ぎ着するたびに殿を思い出すのです、というほどだ。それならば曹操からもらった着物を関羽が着ることはないのだ。

玄徳の生存を知った今愛情のこもる曹操の着物を手で受け取ることさえ関羽は拒んだ。それは他の主君の愛情を受け取ることになる、と忠義に人関羽は判断したのだ。

曹操は無論それを理解したはず。関羽の心はすでに玄徳のもとに飛んでいるのだ。

 

さてここから先に書いた関羽の迷走殺人行が始まる。

通行証を求められ

の名文句も生まれる。

最後には夏侯惇まで登場する。夏侯惇は関門を突破するたびにそこに従事した者たちを斬り殺してきた関羽を責めたてる。そこへ張遼まで現れ関羽の命乞いをする。

曹操様は関羽の忠義な心を愛されているのだ。もしこれ以上戦えば曹操様に逆らうことになるぞ」と夏侯惇に迫る。

このカットもよく見る図

 

関羽の迷走はこうして終わり曹操の権力の及ばぬ地帯へと入る。

そこで関羽は関西の周倉という人物と出会う。

周倉は山賊の首領だったが関羽将軍を敬いその配下になりたいと願い出るのだ。

関羽は玄徳夫人の許可も得て周倉を部下とした。

そして山賊たちにも後で迎えを寄こすと言って立ち去ったのだった。