ガエル記

散策

『三国志』横山光輝 第五十二巻 その2ー断たれた水ー

跳び起きた馬謖です。

いったい馬謖はどうしようと思っていたのでしょうか。

それとも人間は焦るとこうなってしまうのでしょうか。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

魏の大軍は馬謖が陣取る街亭山麓を十重二十重に取り囲み馬謖軍を完全に包囲した。

馬謖陣内の兵士たちは水なしで過ごすことになってしまった。支給される食べ物も水がないために生のままで出される。

水が欲しいと大将の飲み水に手を出した兵士は斬り殺された。

耐え切れず決死隊を組んで水を汲みに行った兵士たちはあっけなく魏軍に見つかり降伏してしまった。

馬謖はその報告を聞いても「必ず救援が駆け付けてくれるはずじゃ」というばかりであった。

再び決死隊が編成され水くみに向かったが誰ひとり帰ってはこなかった。

意気消沈した兵士たちに馬謖は励ましの言葉をかけたが何の意味もなかった。

夜になると一万の兵士たちがこっそりと山を下り魏軍に降伏してしまったのである。

 

翌朝馬謖は兵士の半分が逃げ出したことを知る。

今のままでは明日にはもっと兵がいなくなると言われ馬謖は山を駆け下り突破するしかないと決意する。

 

仲達は馬謖が山をおりるは今日か明日、と予測した。あえて一か所道をあけておき馬謖軍を通す。そして山を降りきったら周りから袋包みとして殲滅する。

 

そして馬謖は仲達が予測したとおりに山を降りてきた。

「蜀軍は完全に包囲網の中に入りました」の声に仲達は合図を送り攻めさせた。

水も飲めず半病人の馬謖の兵はひとたまりもなかった。

だがこの時魏延軍が駆け付けてきたのである。魏延軍の出現で馬謖軍はかろうじて全滅をまぬがれた。

が、仲達は魏延の援軍にも備えていた。

三方から仲達と息子昭・張郃が襲い掛かった。

がこの魏延を救ったのが王平軍だった。さらに列柳城から高翔も駆け付けた。

ここに蜀魏入り乱れての大混乱となる。

 

激戦は三日三晩にわたって続けられた。魏延軍も大損害を受け、王平軍も無傷の者はいないというありさまであった。

このままでは蜀軍はじわじわと包囲されいずれ全滅の憂き目にあうだろうと魏延は考えた。

 

魏延たちが列柳城へ向かっていると意外な敵と出会ってしまう。

曹真の副将で今曹真と共に祁山で孔明の本陣と対峙しているはずの郭淮軍だった。

これは曹真が手柄が司馬懿一人のものになるのを恐れ慌ててよこした軍勢なのである。

突破するのか。しかし蜀軍はすでに負傷者が多く新しい敵と戦うのは自殺行為だった。

魏延は戦いを避け陽平関を守る道を選んだ。

 

馬謖の才能を買い重要地点を任せた孔明であったが馬謖が才に溺れ功を焦り勝手に街亭山に陣取ったことが孔明万全の布陣を完全に狂わせてしまったのである。

 

逃げていく蜀軍を見て郭淮は放っておけと命じた。「司馬懿が街亭を奪ったとあらば我らとてどこか奪っておかなければ手柄はすべて司馬懿のもの。だがこれで列柳城に蜀軍は残っていまい。簡単に手に入れられるというものよ」と郭淮は列柳城へと向かった。

しかしそこにはすでに「司馬」の旗がおびただしく翻っていたのだ。

到着した郭淮司馬懿が呼びかける「何しにみえられた。そなたは蜀本陣と対峙しているはず」「それがその」としどろもどろになる郭淮司馬懿は「さあそなたはすみやかに孔明を追撃なされい」

郭淮は恥ずかしさに真っ赤になりながら引き返していった。

 

仲達は張郃に問いかけていた。

「蜀の魏延王平らは敗軍を率いて陽平関を守るであろう」

張郃は「はい。しかし負傷兵も多く落とすは簡単と思われまする」

「それがいかんのじゃ」と仲達。

「我らが簡単に落ちるとみて陽平関に向かえば孔明は必ず我らの後ろを取る」

「だが蜀軍が崩れたっていてもこれを全滅しようなどと急に追うな。武器兵糧馬など収めながら斜谷に向かい西城を占領してから次の作戦に移る」

「西城といえば山間の小さな県でございますが」

「その通り。だがあそこにも蜀の兵糧が蓄えてある。そして南安、天水、安定三郡に至る通路の要じゃ。西城を奪えば三郡は再び我らの手に返るであろう。すべての食糧補給所を失ったとあれば総退却しかあるまい」

 

仲達は申耽・申儀に列柳城を守らせ張郃を前進させ司馬懿自身が前進した。彼の戦法は勝てば勝つほど堅実さを加えた。

 

その頃孔明のもとに王平の描いた街亭の布陣の絵図が届いた。

それを見るなり孔明は「うっ」と呻いた。

馬謖は街亭山頂に陣を取っているではないか。

張苞たちが理由を問う。

「戦には地の利が必要。街亭の狭い山道に柵を築き砦を築けば魏軍がいかに大軍で押し寄せようとも簡単には落とせない。ところが馬謖は要路を押さえず山頂に陣取った。これでは魏軍がふもとを取り巻き水を断てばそれまでなのだ」

孔明馬謖が若くして学問に秀でていたことでその将来を買っていたのだが生半可な兵法しか身についていなかったことに絶望した。この街亭が落ちれば蜀軍は兵糧攻めにあいこの山野に骸をさらすことになる。

「それならば私が参って布陣を変えさせましょう」とひとりの将が伝令として向かったが孔明は「司馬懿はおそらく」と予測していた。

そしてその予測通り「街亭・列柳城が魏軍に奪われていた」との報告が入ったのだった。

ここで孔明は総退却を計画する。(退却も難しいのだね)

「もはや進撃など思いもよらぬ。このままでは兵糧攻めにあう。ここは味方の被害をいかにすくなくしながら総退却するかじゃ」

孔明張苞関興に各々三千騎を率いて武功山を固めさせる。魏軍を観ても討つな。兵力の数を見せるな。ただ鼓を轟かせ歓声をあげよ。敵は不安に駆られ必ず逃げだす。逃げるを見届けてから陽平関へ入れ、と命じた。

張翼には剣閣山の道を修理し我が軍の退路に備えよ。馬岱姜維には後詰めとなって谷あいに潜み味方全軍が陣払いした上で引き揚げよ。

馬忠には曹真に戦いを挑め。その間に天水・南安・安定三郡の軍官民も漢中に逃がすことができる。

孔明自身は五千騎士を引き連れ真っ先に西城へむかった。到着すると孔明は蓄えていた食糧をどしどし漢中に移送させた。

がその途中で司馬懿が十五万の大軍を率いて西城へ迫っていることが報じられた。

孔明は城の壁上からその様子を見やった。

「むむむ。さすが魏だ。寄せも寄せたり」と孔明は旗指し物はすべてかくさせ、将には各部署を守らせと命じた。

さらに四門は開け放て、門々に水を打ち貴人を迎えるが如く掃き清めよ。みだりに持ち場を離れる者、また声を出す者はその場で斬れ、と命じた。

この様子は斥候によって到着前に司馬懿に報告された。

「西城の四門は掃き清められて開かれ、城兵の姿も旗指し物もなくやぐらでは孔明がことを弾いてございます」

司馬懿は「そのようなこと信じられぬ」とまず自分で確かめに馬を進めた。

「うっ」となる司馬懿の前に確かに報告通りの西城が現れやぐらで孔明が琴を弾きその音色が流れてくる。

なんでもできるんだなあ。ミュージシャンでもある孔明、かっこいい。後ろの子たちがかわいい。

これを見た司馬懿は「諸葛亮」とつぶやき「引けっ引けっ」と命じた。

「これは罠じゃ孔明めまたしても何か企んでおるのじゃ」

司馬師司馬昭は反論するが

汗だらだら。司馬懿これまでの記憶がどっと押し寄せているようです。用心深いからねえ。馬鹿だったらみんな忘れて簡単に入ったのだが。

「わかったら引くのじゃ」と司馬懿は厳命した。

 

十五万の魏軍はみるみる引き揚げていった。

 

孔明を見るや逃げて行った司馬懿に皆驚いた。司馬懿が魏の名将であるのは誰も知るところだからだ。

孔明は味方は二千五百。城を捨て逃げ出しても遠くは逃げられぬ。それゆえ危険を承知で是非なく用いた計略じゃ。

彼は山の北側の間道に向かう。そこには関興張苞が伏せている。これで引き揚げる時を充分稼げる。

 

孔明の言葉通り魏軍が進む道中に伏せた蜀軍がいた。

山頂に旗指し物がならび銅鑼が響き歓声がこだまする。それに司馬懿自身も恐怖を感じた。

「山路は細く固まっては通れぬ、用心せい」と進むと別方向からも銅鑼や歓声が上がる。

これは関興張苞の兵が山を駆け回ってあちこちから声をあげたからである。

「ひいい。大軍のようだな」

一人が恐れだすとその恐怖は広まっていった。

ついに魏の兵士たちは不安にこらえかね武器食糧を放り出して逃げ始めたのである。

こうして関興張苞は多くの分捕り品を持って陽平関へ引き上げた。

 

祁山・曹真本陣では孔明が退却を始めたと聞き「今までの恨みをはらしてやる」と追撃を開始した。

陳造が先手を引き受け郭淮箕谷趙雲を叩けと命じられる。

が、陳造は馬岱にあっけなく討ちとられ蹴散らされた。曹真自身には姜維が襲い掛かり身の危険を感じてすぐさま逃げて行った。

馬岱姜維は魏の追撃を抑え漢中に向かった。

箕谷には趙雲・鄧芝がまだ潜んでいた。友軍をみな漢中に退かせる為がんばっていたのである。

孔明からも引き揚げるよう命令が届き趙雲も陣払いを決めた。

まず鄧芝に趙雲の旗を立てさせ引き揚げさせた。趙雲自身がしんがりをするというのだ。「勝ち戦の兵は勢いに乗る。追撃してくる者に一泡吹かせておかなければしつこく追ってくる」

こうして鄧芝が陣払いを始め、趙雲は谷のうちに潜んだのである。

それを聞いた郭淮軍は追撃を始める。

「ふふふ、さっそく現れおった」と趙雲は襲い掛かった。一突きで将を倒す。

「よし引き揚げる」と趙雲軍は進み始めたがまたもや追手が追いついてきた。

趙雲は兵たちを先に行かせひとり魏軍を待ち受けた。

狭い山道で迫ってくるひとりひとりを一突きにしていく。

襲った全員が皆殺しになる様を見てもう後に続く者はいなかった。

それを見て趙雲は「では引き揚げさせてもらうぞ」と走り出す。

「追え追え」と言われやむなく兵士たちは老い駆けだした。

と姿が見えない。

「うるさいハエどもだな」と趙雲は高みにいて「今度は弓の手並みを見せようか」と矢を射かけた。大将が落馬し兵たちは逃げ惑った。

趙雲は落馬した将の命はとらなかった。「早く郭淮にくるように言え」といって悠々と漢中を目指したのだ。

 

漢中には続々と将兵が引き揚げてきた。

負傷者も多くどの兵も疲れていた。

この街亭の戦いはたったひとり馬謖の布陣の誤りが今までの勝ち戦をすべてふいにし蜀大敗を引き起こしたのである。

曹真・郭淮は蜀軍追撃をあきらめ蜀の捨てた三郡を取り戻して手柄とした。

司馬懿仲達は蜀軍が漢中へ逃げこもったのを見届けてから西城へはいった。

 

ここで司馬懿は残っていた農民たちに「民あっての国じゃ。安心して暮らすが良い」と伝える。

農民たちは平伏して喜び合った。

「ところで」と司馬懿は農民たちに問うた。「孔明が城内で琴を弾いていた時どんな仕掛けがあったのか」

「いえあの時城内には二千五百の兵がいただけで何もございませぬ」

「では武功山にはどれほどの兵がいたのか」

「あれは関興張苞様がそれぞれ三千の兵を持っていただけで合戦をする気はなかったようです」「私どもはなぜ都督様がお引き揚げになったのか不思議に思っておりました」

これには司馬懿「そうかよくわかった。あれにはこちらも色々考えがあってのことだった」と答える。

司馬懿は農民たちに優しく声をかけ下がらせた。

息子たちも下がらせて司馬懿はひとり考え込んでいた。

司馬懿~~考えすぎですよ。

孔明司馬懿を評価しているけど司馬懿孔明評価はやや常軌を逸して高すぎるのかもしれない。気持ちはわかるけどねえ。あんな時にあんな場所で琴退く人っておかしいもんね。