ガエル記

散策

『三国志』横山光輝 第五十二巻

孔明表紙絵6・5回目。これから孔明の苦悩が始まるのか。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

孟達関羽が呉軍に囲まれ孤立した時援軍を出さずに見殺しにしその責任を問われるのを恐れて魏に逃げ込み今は魏にあって新城太守となり上庸・金城など魏国西南の兵権を任されている身であった。

 

孟達、てめえは許さねえ)

 

孟達は申耽・申儀を呼び出して胸の内を打ち明けた。この度の蜀の快進撃を見、魏の将来に不安を感じている。もともと我らは蜀の人間なのに関羽のことで魏に来てしまった。しかし現在の魏王は我らを軽く扱われている。よってもう一度蜀の人間に戻ろうと決心した、と。

従って我らは兵を挙げて洛陽を落とすのじゃ。

諸葛丞相が外から攻め我らが内から攻めれば魏は崩壊する。蜀に復帰するにあたってこれほどの手柄はあるまい。

「どうじゃやるか」と問われふたりは「はい」と返事をした。

が、心の内では謀反はしたくなかった。冷遇されているとはいえそれぞれ太守を任されている身である。彼らは孟達ほど不満を感じていなかったのだろう。

これは司馬懿様に知らせた方が良い、というのが二人の合致した意見だった。

 

祁山では孔明趙雲魏延と話し合っていた。

「機は熟した。連戦連勝で士気も高い。この上は長安を乗っ取りその勢いで洛陽に入るぞ」

とその時「白帝城より李豊様が参られました」との報が入る。

李豊は李厳の息子だった。

彼は孟達が蜀へ戻りたいために洛陽を攻撃し魏国全土を崩壊させて見せると申している旨を伝えに来たのだ。

この知らせは孔明には朗報だった。確かに孟達がその働きをしてくれれば天下が変わる。孔明は嬉しさに酒宴の用意をさせた。

 

(むむむ。これ複雑な思い。確かに孟達が内側から洛陽を攻めてくれるのが蜀軍と孔明にとってとんでもなく良い作戦というよりあり得ない吉報なのだけど、私にとっては孟達関羽を殺したにも等しい存在で許せない。それを許せるのは孔明関羽をそこまで親しみがなかったのか、というよりは願いようもないチャンスと思うべきなんだろうけどやはり奴は許せない。玄徳がいたなら絶対嫌がったはず。またも孔明が説得したろうけど。私なら利用した後殺すレベル)

 

がことは急展開する。

天下泰平が来る前祝をしていた蜀軍に一つの報がもたらされる。

「宛上に隠居していた司馬懿仲達が元の官職に戻りさらに平西都督に任じられ長安に向かいました。魏王と日を決めて長安で落ち合う様子です」

これを聞くや

孔明の血の気が引く。

曹叡など恐れるに足らずという趙雲

「わしが恐れるは司馬懿仲達ひとり」と答える。「司馬懿が出てくるとなれば孟達の内応は覆されるかもしれぬ」

これに趙雲「ではすぐ急使を出して孟達に注意をうながしては」

孔明はすぐ宴席から立ち上がり手紙をしたため孟達に届けさせた。

 

孟達司馬懿仲達が動き出したという報を知って「丞相は思ったより気の小さなお方じゃのう」と笑った。(そういうやつよ所詮)(☜とことん気に入らぬわ)

なんなのこの男、関羽の時は物凄く怯えて兵を出さなかったくせにここでは大威張り。ことごとく腹が立つ。

司馬懿仲達が総指令を命じられたとしても正式に任命さてる手続きや往復で一か月はかかる。その間にそれがしは準備をしておく。丞相にはご安心あれと伝えてきた。

 

この返事を受け取った孔明孟達の読みの浅さに呆れるが周囲の者たちもそのくらいかかるだろうと答える。孔明は「司馬懿仲達の恐ろしさをわかっておらぬのか」

「しかし魏王の許可なくして兵を動かすでしょうか」

「孫氏の兵法に〝その備えなきを攻めその不意に出ず”という。司馬懿孟達の謀反を知ったら許可など得ず一気に襲い掛かる。直線的に進めば十日もかからぬ」

孔明孟達に再度手紙を書く「まだことを起こしておらねば同僚にも知らさぬよう。知らせたら必ず命を落とす」

これはすでに孟達がしてしまったことでありすでに謀反の謀反が起きてしまった。

孟達の浅はかさは孔明にはもうどうしようもない。

しかし仲達が出てきたことですべてがご破算になってしまったとはいえるから仕方ないのかもしれない。

孟達は再び届けられた孔明の手紙にも笑いで返した。結局役に立つ男ではなかったのだろう。

 

その頃司馬懿仲達の元に金城よりの使者が参っていた。

申儀の家来だった。彼は主人申儀と申耽が新城の孟達から謀反を持ちかけられたことを知らせに来たのだった。

その場で申儀は同意したふりをして司馬懿様に伝えよと家来に命じたのである。

さらに孟達の腹心と甥も謀反に参加したくないという訴状を預かってきたと司馬懿に渡した。

(腹心と甥にも嫌われている孟達よ)

仲達は訴状を見て「よくぞ知らせてくれた。申家の忠誠心はわかったと伝えてくれ」と家来に言い渡す。

 

仲達の息子は「すぐに天子に奏上しなければ」というが仲達は「そんなことをしていては一か月かかる。一刻を争う。すぐに進撃命令を出せ」と息子たちに命じたのである。

仲達は孟達謀反の知らせを聞くや急ぎ進撃した。二日の道を一日で進む速さであった。

 

仲達は途中で右将軍徐晃に出会う。彼もまた曹叡に会うため長安に向かっていたのだ。

仲達は孟達の謀反を聞き捕えにいくところと答える。

徐晃は「やはり」といい先鋒を望んだ。仲達は快諾した。力強い味方である。

(私心中複雑ですわ。仲達の進撃は恐ろしいがそれより今は孟達成敗の気持ちが強い。応援してしまうううう)

ここで仲達は孔明から孟達への手紙を持っていた男を捕まえる。その男によると「孔明司馬懿仲達は一か月ではなく十日で到着するだろうと何度も孟達に注意を促していた」というのである。

しかしその手紙はもう孟達には届けられない。仲達は安堵するとともに自分を見透かした孔明の推察に恐れをなした。

 

孟達は申兄弟の戦準備が整わないのに焦りを感じていた。

その時新城を襲ってきたのが徐晃軍だった。

事が露見したことを知った孟達徐晃に矢を放った。その矢は徐晃の額を撃ち抜いたのである。

孟達は指揮官のいなくなった軍勢を蹴散らそうと城外へ出た。そこで司馬懿軍がすでに到着していたことを知る。

「やはり孔明の見通したとおりだった」

 

やがて援軍到着の報が入る。申耽・申儀の二人が兵を引き連れてきたのだ。

孟達は喜び開門し二人を招き入れた。

申兄弟は逆賊覚悟と孟達に討ちかかる。孟達は急ぎ城に戻ろうとしたが吊り橋は上げられ矢を射こまれた。

腹心や甥が謀反反対ですでに司馬懿の兵を城に入れていたのだ。城にはすでに司馬の旗が翻っていた。

孟達の周囲はすべて敵だった。

孟達は申耽に討ちとられた。

(あっけない最期。しかし徐晃は巻き添えを食ってしまったね)

仲達は「これで洛陽は安泰じゃ。すぐに長安に向かうぞ」

 

長安にて仲達は曹叡に謁見した。

曹叡司馬懿を退けたことを詫び司馬懿は勅命を受けずに陛下の兵を動かした罪を詫びた。

曹叡孟達の謀反を抑えてくれなければ危いところであった。なんで朕が罪を問おうや、と答え「疾風の計まさにいにしえの孫呉に勝るもの。兵は神速を尊ぶ。以後はことの急なる時は朕に告ぐるまでもないぞ」と破格の特権を得たのである。

 

魏の大陣容は整った。

魏王は曹真のもとへ五万の精鋭を送り、司馬懿仲達は張郃を先手として二十万の兵を進発させた。

仲達は張郃諸葛亮の用兵は神業であると忠告した。

今までの孔明の戦いぶりをみるといかなる場合も絶対負けない不敗の地をとっている。

「察するに孔明は斜谷へ出て郿城を奪いそれより長安へ攻め入るつもりだろう。そこでまず曹真に郿城の守りを固めさせさらに箕谷に伏兵を置いて孔明の進路を防ぐよう命じた」

そして仲達自身は「街亭という一高地がある。そのそばに列柳城という城がある。二か所は漢中の喉元にあたる要害じゃ。我らはそこを突く。街亭を奪えば兵糧運送の道はここで途絶える」というのだった。

張郃は「英雄は英雄を知る」との思いである。

 

孔明の心配通りに孟達は討たれた。問題はこれからの司馬懿の動きじゃ、と孔明は見据えた。

孔明司馬懿が街亭に目をつけると見た。そこを取られては我らの食糧は一か月持つまい。誰かにこれを守らせねば。

この孔明の要求に応えたのが馬謖だった。

馬謖の願い出に喜びながらもやや戸惑っている様子。

このきりりとした馬謖の風情に参ってしまったとしか思えない。

孔明馬謖の申し出を認めた。

副将は王平とした。孔明は魏軍が通り抜けられぬように道筋の要をしっかり押さえ陣をはったらその絵図を送ってよこすよう命じたのであった。

 

馬謖は喜び勇み二万五千の精兵を引き連れ街亭に向かった。

孔明は何か安心しきれないものがあり高翔に列柳城へ向かわせ街亭が危なき時は救援に向かえと命じたのだ。

 

さらに魏延に街亭の後詰めを命じ、趙雲鄧芝には箕谷に出る擬平の作戦を与えた。孔明は自ら大軍を率いて郿城を襲うとした。

 

司馬懿に対して孔明も万全の手を打ったのである。

 

街亭に到着した馬謖王平

要害になるような大きな山もなくやっと人の通れるほどの山道がいくつかあるだけ、と馬謖は見た。「丞相は少し心配しすぎじゃ。こんなところに魏軍が大軍など差し向けるものか」

王平はあくまでも孔明の指示通りに軍勢を配置するつもりであった。

馬謖は「そなたの考えはまるで女子のようじゃな」と嘲笑した。

この不敵さ、愛されてる感がやばすぎる。

というか私は姜維の出現が馬謖の焦りを引き出したと思ってるんだけど。

王平はまたもや孔明の指示通りしっかりと守りを固めるべきだと主張した。

どう言っても主張を曲げない馬謖に業を煮やし王平は五千の兵を要求した。

馬謖は山頂に陣取るべく山へ向かった。

そうなんよ。なぜこうも馬謖は焦りを感じていたのか。

やはり姜維のせいじゃないのかと。

 

王平はしかたなく五千の兵を引き連れ西十里の地点へ向かった(せめてこちら側にいたい)

司馬懿は息子司馬昭に街亭の偵察を命じた。

すでに蜀軍の姿を見た司馬昭は配置を調べた後父司馬懿に報告する。

司馬懿はすでに孔明が手を打っていたと聞き

なんか可愛い仲達であるw頭が良いから恐怖するのだろうなあ。

しかし司馬昭は「私の見たところ街亭はたやすく奪えます」と言い出した。

司馬昭は「蜀軍は道の側に一隊がいるだけで砦ひとつなく後は皆三兆に陣取っておりまする」と報告した。

「なに道筋を押さえておらぬと」

仲達は信じられず自ら出向くことにした。

馬謖のやったことは仲達にとって別の意味で信じられないことだったのだな)

 

街亭の細い道に砦を築かれ軍勢を置かれたらいかに大軍とて通れないものを、と仲達は確認して呆れる。そして山頂に馬謖が張った陣があるのを見る。

(うーんうーん孔明はどうして副将を王平にしてしまったのか。馬謖が悪いのは確かだけどせめて副将が趙雲だったら・・・趙雲が副将しないかトホホ・・・もっと強情な人だったら・・・タラれば禁止)

 

少し気が軽くなった様子の仲達はもう少し近づいての偵察をする。

蜀軍は山頂から降りてきて川から水をくみ上げて運んでいるのだった。

その様子に「山頂には水がないようだ」と仲達は気づく。

 

陣に戻った仲達は山頂の将の名を問う。

馬謖と申すものです」

馬謖、少々知恵が回ると聞いていたが大将の器ではない。孔明は才知にたけても人を見る目がないと見える」(言われてしまったよ)

仲達は申耽・申儀に水くみ場を押さえさせた。水がなければ死あるのみだ。

張郃には山より十里のところに陣を張る蜀軍を動けぬようにしろと命じた。

その夜のうちに魏軍は行動を起こしたのである。

 

次の朝水汲みの当番が魏軍に取り囲まれていることを知らせる・慌てて起きた馬謖は様子を見て怒り出撃を命じた。

仲達は「きたか愚か者」と言って火を放った。

矢を浴びせ兵は次々と倒れていった。

王平のもとに馬謖陣に火の手があがったと報が入る。すぐに救援に向かうがそこには張郃が待ち構えていた。

王平は救援に向かうことができなくなった。

 

魏軍に備えての孔明の万全の布陣も司馬懿を甘く見、功を焦った馬謖のためにいま大きく綻びようとしていた。