孔明表紙絵12回目。やはりトップですねえ。二位はなぜか張飛の9回なのですが。(ふたりの時は0・5回という計算です)3位は玄徳の6・5回w主人公ではなかったのか。
それにしてもこの表紙の孔明は神格化されているように思えます。
ネタバレしますのでご注意を。
両軍は再びにらみ合ったままとなった。
蜀陣では魏延が葫蘆谷の出来事に対して怒声を放っていた。このことが孔明に知らされ魏延は孔明に呼ばれることとなった。
孔明は魏延に司馬懿を葫蘆谷へおびき出すよう命じた。魏延は孔明の計画を遂行した。司馬懿は葫蘆谷に閉じ込められ仕掛けられた爆薬で焼き殺される予定であった。
がこの時魏延もまた司馬懿と共にその場所にいて逃げ出す前に爆発が起こり突然の豪雨がなければ魏延も共に焼き殺されていたのである。
「思うに丞相はそれがしを憎み司馬懿とともに殺そうと計られたのでございましょう」これに対して孔明が放った言葉は「怪しからん」であった。
「それがしが怪しからんと」
「いや馬岱のことを申しているのだ。馬岱には手違いのないように合図をなすにも火をかけるにも充分注意せよと申し付けてあった」
いきなり怒鳴りつける「馬岱、そちはなぜ余の命を守らなかった」
「はっ?」と怪訝な顔の馬岱に孔明はなおも「魏延将軍がまだ谷の中にいるのに火を放ったその落ち度、許しがたい」として「そちの階級をはぎ五十杖の刑を与える」
馬岱は反論することも抵抗することもなく引き立てられ五十回棒で打ちのめされた。
刑が終わると孔明は「連れて行け」と命じ魏延に対し「こういうことでござった。怒りは静められい」と告げた。
夜、馬岱は「なぜじゃ。わしは丞相の命じるまま忠実に守った。それが階級を剥奪され五十杖の刑まで受けるとは」と嘆いた。側にいた将も「この度の丞相の仕打ちには納得できませぬ。これではついていけませぬ」と憤慨した。それでも馬岱は「うかつなことを申すな」と制した。
そこへ丞相の使いで樊建が馬岱のもとへ訪れてきた。
馬岱は「一兵卒に落とし五十杖の刑では飽き足らず首でも取れと申してきたか」というと樊建は「お人払いをお願いしとうございます」と言い馬岱は側近たちにそう命じた。
樊建は「おいたわしい姿にございます」と言って「実は丞相はこの度の合戦で魏延将軍を除こうと考えておられました」
驚く馬岱に「魏延将軍は近頃丞相の作戦をことごとく批判し陣中を扇動してございました」
「それはわしも苦々しく思っておった」
「といって実力者魏延将軍をここで処罪しますと魏延将軍と長年生死を共にしてきた兵が反乱を起こす恐れがございます。といってそれが失敗に終わった今魏延将軍に叛かれては蜀軍は崩壊いたします。何の咎もない馬岱様に恥と汚名を着せたはただただ魏延将軍の謀反を防ぐため。丞相はそれがしによく説明しこれも蜀のためとめをふさいでくれるよう申されてございます。どうかこらえてくだされ。その代り他日この功を第一諸人に向かって必ずこれに百倍する叙勲をもって馬岱様の恥をそそぐと約束なされてございます」
これに馬岱は「そうか。丞相もつらい立場であられたのだな」と目を伏せた。そして「いや今の言葉で悔しさが消えましたわい。蜀のために耐えましょう」と答えたのだった。
樊建は「丞相もそのお言葉を聞いて安心なされます」と礼をした。
後日魏延は孔明に向かい「一兵卒になった馬岱をそれがしの家来にしとうござる」と言ってきた。孔明が「それはならぬ」と答えると「どうしてでございます。馬岱は一兵卒にするにはあまりにも惜しい男。それがしの家来にくださりませ」
「その通りだ。だから馬岱にも汚名をそそぐ機会を与えたい」「ほう。すると馬岱を一兵卒にしたは何か理由があって一時的なものと」「罪は罪だ。だがその才を惜しむのだ。それに馬岱にも自尊心があろう。馬岱の気持ちもくんでやらねばならぬ」
これに魏延は「ほう、ずいぶん馬岱には優しい気持ちをお持ちでござるな」(なんやこいつ)「ともかくその話、馬岱の気持ちを問うてみねばならぬ」「よい返事をお待ちしておりまする」
(嫌味なヤツやなあ。とはいえ確かに殺されかけというかたまたま助かっただけで殺意はあったのだからなあ・・・確かに孔明、これはまずい策だった、確実に殺す方法でなければいけなかった・・・とはいえ豪雨になるとは思わないものね)
孔明は馬岱に事情を話すと馬岱も戸惑いはしたがここでも孔明の立場を察したのだろう「丞相、この馬岱喜んで魏延に家来になりましょう」と答えた。「なにっ」という孔明に「それがしが耐えることが蜀のためになるならばもうひとつ耐えることも苦痛ではございませぬ。魏延の家来となり魏延が謀反を起こさぬかどうか監視いたしましょう」
ううう。馬岱、ありがとう。将軍が一兵卒に落とされ別の(威張った)将軍の家来になるなんて辛いことのはずなのに・・・真の男だな。
建興十一年、春二月。渭水の氷も解け始めた。
両軍は依然として睨み合ったままだが魏軍の陣も穏やかならぬ空気が漂っていた。はやり立つ将兵がカラの中に閉じこもっているだけの戦に不平を言い始めたのである。司馬懿を臆病者呼ばわりする者まで現れ始めた。
その時郭淮から司馬懿へ報告がされた。「蜀軍が五丈原に出るようです」
これを聞いて司馬懿は安心した「武功に出て東進するようだとうかうかしておれなかった」と言う。これを聞いた郭淮は「西へ出れば安心だ。東に出れば一大事とはどういうことですか」と問う。
「東に出るということは玉砕か一挙大勝かのどちらかを選んだということ。五丈原ならば今の守りで充分だ。思うに孔明は持久戦に便利な五丈原を選んだと見える」
それでも長安はかなり近くなった。
そこへ司馬懿にお目通りしたいという孔明の使者が現れたのだった。
使者は手紙と品物を持って参上した。司馬懿は孔明からの贈り物を受け取り中を見る。そこには女ものの服と飾りが入っていた。
手紙には「司馬懿仲達は大将軍として大軍を率いながら土の穴に身をひそめ刀を恐れること婦女子のごとし。ゆえにここに飾りと女服をお贈りいたす。もし男子の心あるならば決戦の火を答えたもうべし」とあった。
司馬懿は「ぬぬぬ」と怒ったが「孔明殿もなかなかいたずら好きなお方と見えまするな」とだけ答えた。
そして孔明からの使者をもてなすよう命じた。
酒を勧めながら司馬懿は訊ねた。
「ところで我らは毎日睨み合っているだけですることがござらぬ。孔明殿はどのようにお過ごしかな」「はい丞相は朝は早起き夜は人より遅くおやすみにございます」「ほう。することもないと思っていたが」「いえ、二十杖以上の刑罰を加えるべきものは必ず自分でご裁断なされます」「なにそのような小さな罪まで孔明殿が裁くのか」「はい。それゆえ早く起き夜遅くまで事務をなされます」
使者から孔明は仕事に追われ食事も満足にできない日もございます、と聞き司馬懿は感心した。
そして孔明の使者が帰っていくのを見送りながら司馬懿は思った。そのような生活をしていたのでは孔明の体はいつまでももたぬ。これはますます持久戦にもっていくべきだ。
孔明の元に戻った使者から経緯を聞く。怒るどころか「いたずらが好きなようだと笑っていた」ということ、孔明が毎日どのように暮らしているかを聞かれたとのこと、毎日食事もとれぬほどお忙しいと申し上げるとそれで体が続くものだと感心なされておりました、と使者は答える。
孔明は「仲達め、わしを見抜きおった。わしの命数まで量っておる」と考える。
側近はここに進言する「丞相はあまりにもひとりでなされます。これでは体は疲れ気根は衰えていきます。小さなことは部下にまかせ丞相はもっと自分をいたわってくださりますようお願いいたします」
孔明は「それは私にもわかっているが先帝の重恩を思い、蜀中にある陛下の御行末を思うと眠りについても眠れぬのだ。人間には天寿がある。その間にと思う心があせりを生んだのじゃ。これからは少し休養するようにしよう」
一方魏陣では孔明からの贈られた女服の恥辱に耐えられぬとした武将たちが司馬懿に出陣の許可を求め集まっていた。
司馬懿は武将たちを押し留め陛下のお許しが出るまで待てと合肥にいる陛下宛に手紙をしたため使者を出した。
合肥で司馬懿の手紙を受け取った曹叡は「戦いたい」という内容の理由を側近に問う。
側近は孔明からの贈り物の件を知っておりそれゆえ収まりがつかなくなったための出陣願いの手紙であり陛下よりお留めなされますように、と願っているのではと申し上げた。
勅命には「陛下は陣を固く守り出てはならぬとおおせられた。勝手な行動を取るものには勅命違反の科とする」とあった。
諸将は渋々ながらも引き下がるしかなかった。
蜀陣では孔明が司馬懿の行動を気にかけている。司馬懿が動かねば手の施しようがないのだ。
その時成都より費褘が訪ねてきた。
費褘は「魏の国境に攻め入った呉が引き揚げました」と報告した。
詳しい経緯を問う孔明に費褘は説明したがあまりにも簡単に引き揚げてしまった呉に孔明は失望した。
呉が引き揚げてしまったことで孔明は再び作戦を立て直さねばならなくなった。
と、思案するうちに孔明は「うっ」とうずくまってしまった。
「いかがなされましたか」と慌てる側近に孔明は「心配いたすな」と答えるものの立つこともできない。「すぐに医者を」
医者は過労で病気が進んでいると診断した。できるだけ休養をとるようにお勧めくださいと申し上げた。
しばらくして孔明は気分がよくなり散歩をしたいと外へ出た。
驚く姜維に孔明は「見よ、三台の星座に客星の光り強く主星はかすかにてその補佐の星々も色が変わった。我が寿命が尽きんとする証だ」
姜維は「丞相、なぜそのような弱気なことを申されまする」と問う。
孔明は「弱気で申すのではない。これは天意なのだ。生あるものは必ず滅ぶ。悲しむことではない。また死を恐れるものでもない。自然に帰っていくのだからのう」
「丞相、そのような話は聞きとうございませぬ。いま丞相の身になにかありましたら蜀はどうなりまする」
「それゆえそなたを呼んで話しておきたいことがあってな」
「そんなお話より何ゆえはらいをなさらないのでございます」と姜維は言う。「古くからそういう時には星を祭り天に祈るはらいの法があると聞いています」
これを聞いて孔明は「そうであった。その方法はわしも習うていたが我が身のためになすことを忘れていた」と言った。
そして姜維に「よしお主は鎧武者七々四十九人を選び皆黒旗を持ち黒き上衣を着せて幕の外を守れ。わしは七日の間北斗七星に祈ろう。七日の間に燈明が消えねば我が命を十二年延ばせるであろう。燈明が消えたならばわしの死はまぬがれぬ」
姜維は直ちに祭壇の準備にかかった。
幕外には姜維と四十九人の強者がこれも食を断って守りを固めた。
だが朝が来ると孔明は疲れた体で軍務を処理し昼は魏を討つ軍議を重ねた。
一夜、二夜三夜、孔明は法にのっとり祈り続けた。
その頃魏陣では番兵が流星雨を見て驚き司馬懿に報告した。司馬懿が夜空を見上げるとそこに異変を感じた。
「将星がその座を失っている。これは孔明が病気か死を意味するものだ」
司馬懿は夏侯覇を呼び「ただちに五丈原に向かえ、蜀が応戦してこなければ孔明は病気か死んでいる。もし怒って出てくれば孔明は無事であろう」
孔明の星に祈る行はすでに六日目に入っていた。
主燈は煌々と輝き続けていた。孔明の顔に生気が蘇った。あと一日この主燈が輝き続ければ十二年寿命が延びるという。
その時蜀陣内で騒ぎがあった。
「一大事だ」と魏延が走りこんでくる。
「丞相は今、行の最中、この膜内に入ってはなりませぬ」という鎧武者を突き飛ばし魏延は幕内に入り込んだ。
「丞相一大事。魏軍が攻めてまいりました」黙して祈り続ける孔明の前に魏延は回りこんだ。「丞相」
「一大事にございます」
魏延の体が祭壇に強く当たり燈明がぐらついた。
それを支えようとした魏延の足が主燈を蹴りつける。
「ああっ魏延」と姜維は幕内に入り剣を抜いた。「祈祷の邪魔をしおって許せん」
姜維の剣をかわしながら魏延は「待てっ謝っているではないか」と叫ぶ。
「謝ってすむことか」
これに孔明は「よせっ」と声をあげた。「主燈が消えたのは人為ではない。これすべて天意じゃ」
そして魏延に「こよいの敵の奇襲はおそらく仲達がわしの病を察して探りをいれにきたものであろう。魏延そちが蹴散らして参れ」と命じた。
魏延はただちに出陣し、あっというまに魏軍を蹴散らしてしまった。
姜維は孔明の前に伏し「丞相、あと一夜というに残念でござります」
「もう何も申すな」
そして姜維に「ついて参れ」と命じた。
孔明は書物を取り出した。
「これはわしが今まで学びえたものを記したものだがいつの間にか二十四篇になった。我が兵法、わしの言、わしの発明したものこれから作らせようと思っているものすべてを記してある。これを授けるはそなた以外にない。これを役立てて蜀のために働いてくれい」
姜維はこれを受け取った。
「では馬岱を人目につかぬよう呼んでくれ」と命じた。
姜維は書物を押し頂きながら出ていった。
こうめいはつぶやいた。
「先帝、草盧より三顧の礼をもってお迎えくだされた御恩に報いようと孔明全知全能を使って今まで働いて参りましたが天意には逆らえませぬ」
馬岱が入ってきた。
孔明は馬岱に「もし魏延が謀反の心を起こしても魏にだけは走らせてくれるな。魏に走れば魏にとって大きな戦力となりあの勇猛さは蜀にとって脅威となる。そして・・・」と馬岱の耳元でささやいた。
「では楊儀を呼んでくれ」
楊儀が来た。
「もし魏延が謀反を起こしたらこの袋を開け。魏延を討つ方法を記してある」
そう告げると激しく咳きこみ卓に伏してしまった。
楊儀は医者を呼んだ。
その日から孔明の容態は悪化した。意識不明の状態が続いた。
成都から勅使がお見舞いに訪れた。
孔明は失礼になると言って衣服を整え李福を迎えた。
挨拶をした後孔明は李福に余の遺言であると前置きして伝えた。「それがしが任用した者はやめさせてはならぬ。我が兵法の奥義は姜維に授けた。他日彼は蜀を守ってくれるであろう。馬岱・王平・張嶷・張翼・呉懿などは蜀のためを思う忠義の士じゃ。とくに馬岱は大切に扱うがよい。わしが死んだ後は蔣琬に丞相を任せるがよい。蔣琬が断れば費褘に任せよ」そう言うと孔明はまたも血を吐き横になった。
なおも孔明は「李福、皆で力を合わせて劉禅の君を守ってくれ」と伝えた。
李福は孔明がそう長く持たないことを覚り急いで成都に引き返した。
後日孔明は楊儀を呼び劉禅の君を心配した。「劉禅の君は先帝のようなご苦難を味わっておられぬ。そのため政治も人民のこころをつかむこともまだご存じない。そち達は先帝のご遺志を常に鑑として政治をなさるようお勧めするのじゃ。軽率に旧きを破るでない」
こう伝えて安心すると孔明は「余を四輪車に乗せい」と命じた。
陣中を巡見したい。将兵たちにまだ余が元気である姿を見せておきたい」
「旗にはまだ生気がある。わしがいなくとも蜀はにわかに潰えることはあるまい」
志半ばにして病に倒れた孔明、その心中を察して供の者はそっと目頭を押さえた。