ネタバレしますのでご注意を。
司馬懿軍は引き揚げていく蜀軍の後を追いかけた。
しばらく行くと多数の竈跡があるのを見つける。
しかし「我らの追撃に備えているはずだがさしたる数ではない」と司馬懿は思う。
「このくらいならひともみでございます」とひとりの将が言う。
「それゆえ少し気になるのじゃ。相手は神業のような采配をふるう孔明だからのう」
ともかく様子を見ながら前進じゃと司馬懿は軍を進めた。
斥候がその先にも野営の跡があるのを発見し戻ってきた。
その場に到着した司馬懿は疑問の声を出す。
「最初の野営の跡より竈の数が増えているように思わんか」「そういえば?」
司馬懿は竈の数をかぞえさせた。
二千あまりだった。
「まだひともみにもみつぶせる数だのう」
司馬懿は斥候の数を増やし探らせた。
「わしが心配なのは孔明が追撃を受けるのを承知でこの程度の人数に絞っている。何か裏があるのではないかということだ」
またも斥候が戻ってきた「この先に野営の跡があり、竈の跡は倍近くに増えています」
司馬懿もそれを確かめた。
「これはどういうことでございましょう」
「わからぬがしんがりをどんどん増やしているということだ」
司馬懿はここで野営した。
次の日またも斥候が戻ってくる「この先に野営の跡があり竈の数は万をかぞえます」
司馬懿はそれを見て「追撃は中止じゃ」と命じた。
部下たちは口々に反対を言いつのったが。司馬懿は「しんがりは数万に達している。これらと戦えば一大決戦となる。我らは先ほどの戦いで六、七割の兵力を失った。これ以上失えば長安の守りまで危うくなる。
それよりもこれで孔明が勝ち戦を捨てて成都へ退いたことは確かだ。おそらくわしが苟安に命じた内部攪乱の策が成功したものであろう。それだけでも充分だ」
こうして仲達は追撃を諦めた。
司馬懿仲達が物をよく識っているゆえに孔明のこの策は通じた。孔明は一騎も失うことなく漢中への総引き揚げに成功したのである。
「勅命により全員無事に漢中に引き揚げましてございます」
「おお孔明ご苦労であった」
という劉禅は屈託ない。
しかし孔明は陛下に一つお訊ねしたきことがありますと申し上げる。
「戦は我らに有利に展開し長安から洛陽を落とすのも時間の問題でございました。このような時にいかなる大事ができて臣をお召し返しあそばされましたか」
劉禅は言葉に詰まり「わしは久しく丞相の顔も見ていないので慕わしさのあまり呼び戻した」と答える。
「それは陛下のご本心ではございますまい。誰かが私に二心ありと讒言したのではございませぬか」
これに劉禅は何も言えなくなる。
「やはりそうでございましたか。それがしは先帝の大恩を受け死をもってその恩にお報いせんものと働いて参りました。さりながら宮中によこしまな者がおりましては逆賊討伐もできなくなりまする」
「すまぬ丞相。実は宦官のすすめるままに不覚にも丞相を呼び戻してしもうた。今の丞相の言葉を聞き取返しのつかぬことをしてしもうたと思っている」
「やはりそうでございましたか」と孔明「陛下これをこのままに放置しておいては国の乱れとなりまする。裁くことをお許しください」
劉禅は「おお、丞相にまかせた」とうなだれた。
孔明は帰路につきながら劉禅が「すっかり肥満し顔が酒で脂ぎっている。側近は遊びしか教えておらぬとみえる」と案じた。
孔明に謀叛の心ありと噂しあった者たちが連れてこられた。
孔明が誰から噂を聞いたかと問うと「苟安という者から直に聞きました」と答えた者がいた。
この名に孔明は思い当たる。軍務を怠り斬首すべきところを八十杖の打ちすえの刑にした男だ。孔明はただちに捕らえるよう命じた。
だが苟安はすでに魏に逃げ込んでいたのであった。
そして「漢中に戻り再び祁山に出る」と告げた。「天下統一の野望を持つ魏を叩かねばいずれ蜀は滅ぼされる。さらにわれらには漢朝の再興という大事がある。先帝について魏と戦い続けたはその大目的に志を同じゅうしたからであろう」
「魏の国力は我が国の三倍はある。苦しい戦いが続くことはわかっている。だが歯を食いしばって戦わねばならぬのだ。漢朝の復興のためにも」
こう言って孔明は祁山に戻ると宣言した。劉禅は「苦労をかけるのう」と言った。
孔明は蒋琬・費褘に「二度と敵の謀略に落ちぬよう気を配ってもらわねば困る」と告げる。「それと、陛下は酒と女の日々なそうだの。漢朝再興のあかつきには人民から尊敬され親しまれる陛下になるようよく教育してくだされ」
かくして孔明は決意を新たに漢中へ引き返した。
(大変すぎる)
漢中にて。孔明は楊儀に「李厳には食糧の都合をつけ今まで通り前線に運ぶよう伝えたか」と問う。
楊儀は「はい」と答えさらに進言した。「これまでの出兵で兵士たちは疲れています。されば今回は兵を二つに分け三月がわりとなされてはいかがでしょうか。二十万の兵ならば十万を祁山に向け残りは休養させる。そして三か月で交代させることにする」
孔明は「もっともである」として同意した。
こうして孔明は総兵力の半分を率いて再び祁山へと向かった。建興九年春二月のことである。
魏・洛陽、曹叡のもとに孔明がまたも祁山に進出したという報がなされた。
ただちに仲達が呼ばれ大都督として全軍の指揮をとることになった。左将軍張郃を先鋒とし急いで長安へ向かう。
そして渭水の前に大軍を敷いた。
司馬懿は張郃を呼び蜀軍の動きを問う。蜀軍は陣を構えたまま動こうともしないという。「今度は持久戦か」と言いながらも司馬懿は「しかし食糧補給の悩みはさらに増すはず」として「隴西地方の麦はようやく実ってきた頃だ」と気づく。張郃も「隴西地方の青麦は莫大な量です。あれを刈れば蜀軍の食糧は充分すぎるほど」と言い添える。司馬懿は「孔明がそれを見逃すわけはない」とこぶしを握った。
「そうしなければ持久戦は不可能じゃ」
司馬懿は張郃に四万の兵をあずけその場を守らせ自ら残りの大軍を率いて隴西へ向かった。
司馬懿第六感は当たっていた。
孔明は隴西の麦を押さえるため鹵城を包囲。太守は孔明の名を聞いただけで戦意を失いすぐに降伏した。
しかしそこにはすでに司馬懿軍が占拠しており入ることができない。孔明は姜維・馬岱・魏延を呼び用意していた四輪車も並べて策略を講じた。
そして天候を見た。
黒雲がたちこめている。
魏の斥候が見張りをしていると奇妙な一軍がやってきた。黒衣に素足で髪を振り乱し剣を捧げて左右より車を押し先頭には北斗七星を染めた旗を持っている。
その前を行く騎馬の将の姿も鬼神のように思われ恐ろしいのだ。
(もう不思議がすぎてなにがなんだか。司馬懿が変になるのも当然よ)
これを見た斥候は報告へ走った。
司馬懿は「鬼神の兵が来る」と聞き孔明がまたも何か企んでいると読んだ。
出陣すると風が強くなってきた。その先に斥候の言った通りの怪しげな様子の一軍がいた。
「孔明のこけおどしじゃ。かかれ」と司馬懿が号令をかけ突撃していく。
「逃げだしたぞ。逃がすな」
スススススス~~~~としない音がしそう。
「変だぞいくら追っても追いつけぬ」
(ええそんなことってある?)
「どういうことだ。向こうはあれほどしずしずと逃げておるに」「これでは馬がばててしまうぞ」(幻術だ、孔明の幻術だ~~~)
しかし孔明の列はぴたりと止まる。
「ぬうう。今度こそは」と駆け寄る魏軍。
「ぬうっ待てっ」
だがどうしたことか騎馬隊は追っても追っても追いつけなかった。
「いかん、これでは馬が倒れてしまう」
「それにしても薄気味悪いのう」
そこへ司馬懿軍が追いついてきた。「どうした孔明を捕えられなかったか」
「それが閣下。孔明を追っても追っても追いつきませぬ」
司馬懿は「ふむう。妖術に縮地の法があると聞いているが孔明はそれも会得しているのか。そうだとすれば我らは必殺の危地へ引き込まれる」として引き上げを命じた。
すると銅鑼の音が鳴り響きまたもや鬼神の兵が現れたのだ。
「こ、ここにも孔明が現れたぞ」「よし捕えよ」「我らを愚弄するか」
孔明が扇を振るとまたもガラガラと四輪車が去っていく。
だがどうしたわけか。仲達が必死に馬に鞭打っても孔明に追いつけなかった。司馬懿の兵士たちはハアハアと息も絶え絶えに倒れてしまった。
「奇怪じゃまさに不思議じゃ」司馬懿は上邽へ引き揚げを命じる。
がまたも銅鑼の音が響き鬼神の兵が現れたのだ。
「げっここにも孔明」
「ひーっこれは妖術だ」「妖術使いとまともに戦って勝ち目はない」
兵士たちが臆病風に吹かれているのを見た司馬懿は「ええい、見るな無視して退けっ」と怒鳴り逃げ始めた。
がまたまた銅鑼の音が響き鬼神の兵が現れたのだ。
とつぶやきながらも「かまうな退け退けっ」と号令をかけた。
魏軍は完全に戦意を喪失し我先にと逃げ出した。
正直仲達も背筋に寒さを覚えていた。
「はい、鹵城を出ようとはいたしませぬ」という。
司馬懿は「おかしいのう。また何か企んでいるのか」と訝しみ様子を探らせた。
偵察をした蒋は麦がみんな刈り取られていることに気づく。
すると岩陰に蜀兵が隠れているのを見つけた。
すぐに捕獲し司馬懿に会わせる。
司馬懿は「なにをしていたのか」と問うた。
「はい私は麦刈りにきましたが馬を見失い捕らえられました」
司馬懿は孔明が我らを驚かせて城に閉じ込めておきその間に麦刈りをしていたのかと気づく。
さらに司馬懿は気になっていた先日の神兵の幻術についても問うた。
蜀兵は「あれは影武者です」と答える。
「しかし追っても追っても追いつけなかったのはどういうわけか」
「それは第一の影武者は現れますと
魏軍はそれに気づかず追い続けたのでございます」
「すると我らは第二第三第四と目の前に現れる影武者を追い続けたのか」「はい」
「あの風が吹くのも計算のうえか」「はい天候の崩れるのを待ってなされました」
「そうか幻術でもなんでもなかったか」
と司馬懿は蜀兵を放ってやった。
そこへ郭淮が現れ「蜀は大軍のように見せかけて実は案外少数にございます」と告げる。「用兵のうまさで多く見せかけているが我が方の軍勢がはるかに上です」
鹵城は堀も浅く城壁も低い田舎城。味方の大軍で包囲すれば孔明をとりこにできまする、と進言した。
司馬懿もこれにはほくそ笑み今夜ひそかに出陣し夜明けに攻撃をかけようと命じた。
その日夕闇にまぎれ司馬懿と郭淮は出陣した。郭淮は別の道を行き背後へ回り司馬懿は正面を突く。
夜更け麦畑に蜀兵らが潜み魏軍の到来を待っていた。魏軍が来ると合図して孔明に知らせた。
孔明は城では守り切れないと姜維馬岱馬忠魏延など続々城外に出ていかせ麦野の中に身を伏せさせたのだ。
城前に到着した司馬懿は郭淮の合図を機にいっせいに鹵城に突撃した。
が無論壁上から矢を浴びせられる。
が司馬懿は「小城だ。よじ登れ」と号令し魏兵たちは壁を登ったがこれも上から岩を投げ込まれ苦戦した。
孔明から攻撃開始の旗が振らされた。
「大都督、敵は城外にも兵を伏せてございました」
「ぬうう、兵を立て直せ」と司馬懿は命じた。
がこの時鹵城の四方の城門が開かれ蜀軍が打ってでた。
前後左右から攻められ魏軍は大混乱を起こした。
「引けっ引けっこれでは戦にならぬ」と司馬懿。
「閣下もお早くこのままでは敵に包囲されまする」と言われ司馬懿は逃げ出した。
振り返ると魏兵たちが次々と蜀軍に斬り殺されていく姿が見えた。
「おお、なんたること。孔明目わしの打つ手の先々と手を打ってくる。曹真様が心労のあまり倒られたのがよくわかる」
それ以後仲達は上邽城にヤドカリのように閉じこもってしまった。
が郭淮は苛立っていた。兵の数は多いのにいつも孔明にしてやられる。なんとか孔明の鼻をあかせんものか。
「そうだ。雍・涼の兵を動員し蜀境の剣閣を襲い食糧道を断ち孔明を鹵城に孤立させるのだ。そして鹵城を襲えば勝てる」
司馬懿はこれに同意し檄を飛ばして雍・涼の兵を移動させることにした。
孔明にこの報が届く。
ただでさえ蜀軍より数が多いのにさらに二十万の兵が司馬懿のもとに集まってくることに孔明は疑問を持った。
孔明は「敵は剣閣を襲い我が退路を断ち我らをここに孤立させるつもりじゃ。その方たち直ちにそれぞれ一万の兵を連れ剣閣を守れ」
その頃孫礼の率いる二十万の大軍が上邽に到着した。
上邽は数十万の大軍で城外まで溢れ出す有様となった。
くうう。孔明、さんざんな目にあってもしぶとく戦っていく姿勢に頭が下がります。普通もう嫌になってしまいますよ。
将兵たちも粘り強く頑張るなあ。