ガエル記

散策

『三国志』横山光輝 第五十六巻

孔明表紙絵10・5回目。ちょっともう泣きそうな気持ちになっています。巻数もあるし物語の内容もいよいよ追い詰められてきた感が大きい。

煌めく星の如き英雄たちは次々と消え去っていく。

その中で孔明だけが必死で火が消えぬようにと働き続けているのが辛い。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

曹真の陣に仲達の使者が様子を伺いにとやってきて箕谷では予想通り蜀軍が現れ先鋒の陳式軍四千を討ち取ったと報告した。

曹真はその使者に「ここには蜀軍は一兵も現れん。仲達に伝えい。賭けは余の勝ちじゃと」

曹真は箕谷に蜀軍が来たという報告も怪しいものだと笑った。

そこへ秦良軍が引き揚げてきた。「ご苦労であった」と迎え出た曹真に向かい「敵の総帥曹真はあそこだ」といきなりとびかかってきた。

曹真は家来に守られ馬に乗り逃げ出す。

と前方から突撃してきたのは馬岱軍だった。

さらに王平馬忠と曹真陣は阿鼻叫喚となる。

備えも指揮もなく魏軍はただ逃げ惑い討たれていくだけであった。

曹真もどこをどうにげているかわからなかった。どこを走っても蜀軍の姿があり曹真を守っていた兵も次々と討たれていきついに曹真一騎となってしまった。

曹真は蜀軍の矢を背中に受け「これでわしも最期か」と思うに至る。

そこへ駆け込んできたのは魏軍だった。

目の前に司馬懿がいた。

司馬懿はまず曹真の傷の手当てをさせ休ませた。

 

横になったまま曹真は司馬懿に問うた。「どうしてあそこに現れたのだ」

司馬懿が出した使者から「斜谷には蜀軍は現れぬ」と聞いたので怪しいと思ってここに駆け付けたのでございます、と答えた。

曹真は「賭けは余の負けじゃ」と司馬懿に告げた。

 

孔明は悩み苦しんでいた。

魏延と陳式が孔明の命令を無視して進撃したことは軍律に照らし合わせ打ち首にせねばならない。しかしここでふたりを打ち首にして喜ぶのは魏だけだ。

魏延はまだまだ蜀のために必要な男。軍律を守るべきか。敵を喜ばせるべきか。

 

孔明は陳式打ち首に魏延も罪は重いがその後の働きを見て忠告だけにしておく、とした。

 

その後孔明のもとに「曹真が病気で伏せっている」という報告がなされる。

曹真が陣中に留まっていると知って孔明はよほどの重傷だと見た。

そのうえで曹真に手紙を出すことにした。曹真が怒り狂うような挑発的な手紙を書いたのだ。

斜谷で投降した魏の兵士たちにその手紙を持たせ解き放してやる。

魏兵たちは孔明からの手紙を司馬懿に渡した。

司馬懿はその手紙を曹真に渡す。

そこには「そもそも将たるものは天の時、地の利、人の和の三つをもってことを成さねばならぬ。しかし曹真殿はそのどれ一つとしてわからず無能ぶりを天下に示した」とあった。

「無礼な」

曹真は「うぐぐ」と倒れてしまった。

 

孔明は曹真の動きがまったくないのでこれはよほどの重体であろう、十日ともたないのではあるまいかと予測した。

 

一週間後報告がはいる。

ふふふ姜維くん一番そばにいるねえ。

「ただ今黒布に包まれた柩車と悲しみに満ちた騎馬隊が長安に向かいました」

「その柩車には曹真が乗っているに違いない。魏は今までにない軍容で曹真の仇を討たんと向かってくる。油断めさるな」と孔明は皆に告げる。

「書をもって筆殺」って初めて聞いた。あるのか。「ひっさつ」って読むのだろうか。

 

洛陽では曹真の死を聞き魏帝曹叡を始め曹一族が激昂し一日も早く孔明を討てとの命が司馬懿に下った。

孔明を討てってそれが一番難しいのによ)

 

司馬懿は手紙を書き使者によって孔明に届けさせる。

明日決戦。孔明は承知したと答える。

 

孔明は諸将に決戦にあたっての注意を説いた。

 

時は秋八月。両軍は出陣した。孔明渭水の岸まで進出した。一方は川一方は山に挟まれた広野でこの上ない戦場であった。

戦の儀式にのっとり三百の太鼓が打ち鳴らされた。

司馬懿孔明に対し「王命もわきまえぬ身でありながら我が領土を犯そうとする我らがはらい清めるは当然の理」と言い孔明は「わしは先帝より蜀(漢)の将来を任された大任ある身。全力を尽くして賊を討たねばならぬ」と言い返した。「きさまら先祖もすべて漢に仕え代々その禄を食みながらご恩に報いようとせずかえって謀反を助け恥と思わぬか」と続けた。

これには司馬懿も言葉を詰まらせた。

この言葉にはかつて曹操も詰まっていた。やはり謀反と言われると忠義を尊ぶ民族としては痛い。

なので司馬懿、この言葉は無視スルーして「引き揚げれば命まで獲ろうとは思わなかったがこうなれば決戦じゃ」

「望む所では大将同士に戦わせるか。それとも陣立ての勝負をするか」

「よしまず陣立てを争おう」

「ではまずきさまが陣を敷いてみよ」

 

司馬懿が合図を送り兵士たちを動かす「孔明この陣立てを知っているか」

孔明答えて「混元一騎の陣」

「ならばきさまが陣を敷いてみよ」

孔明が扇を振る「この陣立てを知っておるか」

八卦の陣、じゃそのようなことを知らずして将と言えるか」

「ではこの陣が破れるか」

「知っておる以上敗れぬわけはなかろう」

「では破ってみせい。楽しみにしてるぞ」

こうして司馬懿孔明も本陣へ引き返して総帥同士の知恵比べがはじまったのである。

 

(へええこういう風にするのか決戦って)

 

陣に戻った司馬懿は戴陵・張虎・楽綝を呼び孔明の敷いた八卦の陣について説いた。「真東が生門、西南が休門、真北が開門でいずれも打ち破れる」

三将は司馬懿の言いつけ通り開・休・生の三門から斬りこんだ。ところが攻めても攻めても城壁が連なっているようで突き破ることができなかった。そのうちあちこちにある門で方角がわからなくなってしまい魏軍は迷子のように分裂してしまった。

気が付いてみると三将の周りにはわずかの兵士か残っておらず完全に包囲され捕獲されてしまった。

孔明は三将とわずかの魏兵に「みすみす破られる八陣は敷かぬ」と言って彼らを裸にして放してやった。

「そち達仲達に伝えよ。あのような愚かな戦法で我が八陣を破れると思うな。もう少し兵書を読み学問を身につけよと」

 

裸になった姿を笑われる屈辱の中で魏の将兵たちは戻っていった。

このことを聞いた司馬懿もまた屈辱に震えた。

「許せん。こうなればわしが先頭に立ってあの八卦の陣を打ち破ってくれる」

 

出陣太鼓じゃという掛け声をあげ司馬懿孔明に向かう。

孔明もまた扇を振って応戦した。

「ええい突っ込め」と叫ぶ司馬懿に西南より関興が攻め込んできた。

司馬懿は後詰めに防がせる。

しかしそこへ姜維軍も突入してきて後方は乱れていった。

三方から攻められていると気づいた司馬懿孔明の侮辱はここにおびき寄せるためだったとあわてて引き揚げを命じた。

しかし退却するところに矢を射かけられ仲達は七割近い兵を失うという大打撃をこうむった。

仲達は陣を守るだけで手いっぱいとなりいまや蜀軍の前に風前の灯であった。

 

さて蜀軍の食糧輸送を担当している苟安は無類の酒好きですでに期限を過ぎているのに飲酒のために出発を遅らせていた。それを注意され渋々出立するというていたらくであった。

期限より十日も遅れて到着した兵糧部隊に孔明は怒り責任者の苟安を呼び理由を問うた。

苟安は戦中のため大事な兵糧を奪われてはならないと山中にひそんでいたと嘘をつく。

孔明はその姿は山野に伏していた姿ではない。酒の脂でゆるんでいると叱咤し規則通り断罪とせよ、と命じた。

苟安はひきたてられていった。

これに口をはさんだのが楊儀であった。苟安は李厳が重用している者であり丞相と李厳の間が上手くいかなくなるのは問題である上食糧を運んでくる者がいなくなるのも困るという。

孔明は逡巡しながらも仕方なく死罪はやめ八十杖の打ち据えの刑とした。

苟安は死罪は免れたものの打ち据えられた痛みと屈辱に怒りその夜蜀陣を抜けて魏軍に投降してしまったのである。

司馬懿はわかったとしながらも孔明の企みかもしれないとして手柄を立ててくれるなら大将に取り立てるとした。

そして司馬懿は苟安に成都に帰れと命じる。「そして言いふらすのじゃ。孔明は蜀の帝位につこうと謀反をたくらんでいると。それを聞いて劉禅孔明を呼び戻すようであればそちの手柄と認めよう」

苟安は成都に引き返した。

 

司馬懿はこれで孔明が失脚すれば蜀などひともみに消せる、とほくそ笑む。

 

成都では「孔明が謀反を企んでいる」という噂が流れた。

劉禅は食事を中断させられ不服だったが「丞相が謀反を企み自分が帝位につこうとしているとのことでございます」と聞き震えあがり「どうすればよいのじゃ」と怯えた。

重臣たちは「孔明にあれだけ強力な権を与えているのは危険すぎます。呼び戻し丞相の位を解任せねば大事となりましょう」と進言し劉禅はこれに同意した。

 

戦場の孔明のもとに勅使が訪れた。丁重に招き入れた孔明だったが「陛下が即時兵を成都に引き揚げよ」との御命と聞き驚く。

「先ほどの戦いで大勝し長安まであと一歩という今になって総引き揚げでございますか」

勅使は「勅命でございます」と書状を渡す。

孔明は打ち震えながらも「わかりました。陛下の申される通りいたします」と答えた。

 

突然の引き揚げに諸将は無念を言い募らせる。

孔明自身今推し進めていけば長安から洛陽と落としていけよう。しかしここで引き揚げれば魏軍は体制を立て直し長安洛陽は不落のものとなる、と考えていた。

しかし一将が成都での「孔明謀反」の噂があると聞いたのを伝えると孔明も引き揚げねば疑いをまそう、と決意する。

姜維も無念を伝えた。

姜維はさらに追撃をどのように防がれますか、と問う。

孔明は「兵を五つにわけそれぞれに道を変えて退かせる」とした。

「陣に千の兵がいたら二千の竈をつくらせ次の日退陣して寝る所には四千の竈を掘り三日目には六、七千の竈を掘り日々竈を増やしていくのだ」

姜維は「昔孫臏は兵力を加えるたびに竈の数を減らしたと聞きますが丞相の策はその逆でございます。いかなるお考えで」と問う。

孔明は「姜維、よく覚えておくがいい。よく物を識っている人間を計るにはその人間の知識の裏をゆくのも策となる。司馬懿は追撃しながら伏兵はあろうかと必ず我が陣地跡の竈を数えるであろう。竈が増えていけば疑念が起り深く追撃できなくなる」

 

蜀軍は無念の涙をのんで総引き揚げを始めた。

 

司馬懿はこれを聞きあの苟安の噂が上手くいったと喜び魏軍一丸となって陣より打って出た。

 

あああああ。こんな展開ひどすぎる。

とはいえ孔明と正攻法では絶対勝てないのなら搦手から攻撃するしかない、のだ。

司馬懿側で考えればどうやって勝つか勝利を手にするかというならこうやって勝てるならやるべきなのだろうとも言える。

成都に戻ってからの展開を知ってるとここで引き揚げてしまうことの無念さはあまりに辛い。