ネタバレしますのでご注意を。
曹真は魏帝・曹叡に謁見し体調が良くなったことを伝えた。そして孔明が病に倒れ養生していると話し出し「孔明の動けぬ蜀など恐るるに足りません。今こそ仲達殿と共に漢中に攻め入りとうございます、と申し上げる。
曹叡はなるほどと言いながらも呉の動きが気になるため荊州に行って探っている司馬懿が戻ってから答えようと曹真に伝えた。
「蜀を討つか、それともやめた方がよいか」
劉曄は「蜀を討たずして魏の安泰はありませぬ」と答える。
「するとそなたも曹真と同じ考えか」「はい蜀を射たざれば百年の悔いを残します。今まさにその好機」
さらに司馬懿にすぐ帰るよう使者を出した。
その後、劉曄の屋敷に大勢の大臣が訪問して質問をした。
「この秋に大兵を起こして蜀を討つというのは本当でございますか」
劉曄は「君たちはそんな簡単に蜀が討てると思ってるのか」と聞き返す。「蜀の山川がどんなに険阻か知らないと見える。その大自然が蜀を守っているのじゃ。そんな簡単に攻め取れるわけがなかろう」
「しかし宮中では蜀討伐の話でもちきりです」
「それぞれ重要な役目についてる君たちがそんな噂に振り回されていてなんとする」
「では蜀討伐はありえぬと」「今日劉曄様が陛下に召されたのはそのためではございませぬか」
劉曄は「今日召されたのはそんなことではない」と言い「さあさあわかったらお引き取りなされ」と追い返した。
大臣たちはこれはいったいどういうことかと話し合った。いや私ははっきりと劉曄様が蜀征伐をおすすめになったと陛下から聞いてございます。
ふむどういうことかのう。
それでは明日それがしが陛下にお尋ねしてみます。
次の日曹叡はこの話を聞き劉曄を呼び出して本心を問いただした。
「果て何のことにございましょう」
横にいた側近が「それでは蜀征伐は陛下の聞き間違いだと」
劉曄は語気荒く「その通りじゃ、そなたのような書生が口を出すべきではない。下がっていなされ」
その者が退出した後劉曄は「陛下はお気づきなされませんでしたか。昨日私が蜀征伐をお勧め申しましたは国にとっての一大事の機密。それがこう簡単に洩れるようでは困るのでございます。戦は偽りの路でございます。ことを起こすまでひたすらにかくして置くものにございます。陛下も宮人に尋ねられてもひたすら隠すことをお願い申し上げます」
曹叡は良い勉強になったと礼を言った。
やはり呉は条約に対する表情だけで本気ではないというのが司馬懿の見立てである。曹叡は曹真はじめ劉曄も孔明が病に倒れ動けぬ間に漢中を手に収めよという意志を持っていると伝えると司馬懿もこれに同意した。
「我らは蜀など恐れもしませぬ。恐れるは孔明の神業に近い兵法。その孔明が指揮をとれぬとあらばこれこそ好機!」
「よし決まった。そちは曹真とともに漢中を取れ」
魏はたちまち四十万の大軍を整えた。曹真を征西大都督に司馬懿を副都督に劉曄を軍師に任命し漢中を奪わんものとまっすぐに剣閣をさして兵を進めた。
だがこの頃孔明は病気も回復し毎日兵馬の訓練をしていた。
(wwwwwおかしすぎる)
ここへ漢中より早馬が駆け付け四十万の魏軍の進撃を伝える。
孔明は王平・張嶷に「一足先に千名の兵を引き連れ陳倉の旧街道で魏軍を食い止めよ。わしは後から大軍を引き連れ助けに行こう」と命じた。
ふたりはこの無理な命令に驚きこの場で殺してくださいと言い出す。四十万の大軍に千名で何ができますか、と。
孔明は「昨夜天文を見ていると畢星が太陰の軌道にかかっていた。おそらくここ十年来の大雨が降る。よって魏軍が何十万押し寄せようとも陳倉道は険しい上に大雨が降れば軍馬など進められるものではない」
「ほんとうに雨が降るのでしょうか」と問い返す王平らに「降る」と孔明は言明した。
王平・張嶷は疑問に思いながらも「丞相の天文は外れたことはない」と互いに言い聞かせた。
孔明もまた大軍を率いて漢中へ向かい各要害に食料を蓄えさせ長雨に備えた。
いつ見ても半信半疑になってしまう四輪車です。もしかしたらモーターがついていたのではないかと思わずにいられない。奴ならやりおる。
魏の大軍は陳倉城に到着した。堅固なその城が今は見事に破壊され使い物にならなくなっていた。
曹真・司馬懿らはもっと先へ進んで野営した。
が、ここで司馬懿も天文を観て孔明と同じように大雨が降ると予想した。「ここはひとまずこのあたりに陣を敷き仮小屋を建てて様子を見た方がよいと思われまする」
突然の進撃中止の発言に曹真・劉曄は戸惑うがここは司馬懿の言葉を取り入れることとした。
明るい陽射しの中司馬懿は大都督のための小屋を用意させる。
曹真・劉曄はまだ半信半疑であった。
が孔明と司馬懿の予言通り十日後に雨が降り始めた。連日のその雨量は凄まじく絶壁は滝となり道は濁流となった。平地には一メートル以上の水がたまり軍器も食糧も水につかってしまった。兵士は高所へ高所へと逃げた。だが雨の降りやむ気配はなかった。
谷は湖と化し四十万兵士はここに孤立してしまった。
まぐさのなくなった馬がバタバタと死に始め乾いた柴や薪もなくなり兵士たちは米・麦を生で食べ始めた。当然病気が流行り次々と病死する者が現れだした。
この報は洛陽の魏帝にも届いた。
曹叡は援助物資を輸送せよと言ったが道が濁流となって輸送はできない。
ここは被害を食い止めるためにも引き揚げを命じるべきですという進言に曹叡は同意した。
長雨は一か月にわたって続いた。
そしてやっと晴れ間が見え水が引いた頃洛陽より勅使が到着した。
勅使は「兵をいったん引き揚げ軍を立て直すように」との勅命を伝える。
曹真はこれを受け漢中進攻を諦め引き揚げを開始した。もちろん蜀軍追撃を備えてあちこちに伏兵を置いたことは言うまでもない。
魏軍の撤退は孔明に報じられた。
孔明は王平・張嶷に追撃をしてはならぬと伝えさせる。司馬懿が要所要所に伏兵を置いているのは必定。追撃すればまんまと罠にかかる、と。
しかしこれに魏延が反論した「しかし少々の伏兵を恐れていては勝機はつかめませぬ」
孔明は司馬懿は追撃に耐えうるだけの伏兵を置いていると考えていた。しかも大雨が原因で何の成果もないままの退却ゆえに戦果の一つも上げたいと願い必死で戦ってくるはず。
「それよりも我々は斜谷と箕谷の二道を進み祁山をとったほうがよい」と孔明は発言した。
「祁山」
将たちは孔明がいつも祁山ばかり奪おうとするのかと問う。他にも長安への道はあるのだ。
隴西の諸部より魏の軍勢が都に上るにはこの地を通らねばならぬ。さらに前には渭水、後には斜谷と自然の要害。これほど兵を動かすに便利な地形はない。それゆえ長安を望むにはまず祁山の地の利をえるのじゃ」
退却する魏軍は孔明がまったく追撃してこないのを疑問視していた。
はじめは孔明が伏兵の数がわからず恐れているのでしょうと言っていた司馬懿もすべての伏兵が追撃の気配がないと言うのを聞きついに思い当たった。
「孔明は祁山の守備が整わぬうちに祁山を狙ったのでございましょう」
これを聞いた曹真は大笑して「まさか」と答える。
「どうもその話は信じられんのう」という曹真に司馬懿は賭けをもちかける。
「ではこうしましょう。大都督とそれがしが斜谷と箕谷に分かれて進み蜀軍の通過を待ち受けます。もし十日後までに蜀軍が現れなかったらそれがしは紅粉を塗り女の衣装を着て大都督の前にひれ伏します」
この条件に曹真は大笑い。しかし司馬懿は「では大都督が間違いであればどうなされますか」と聞き返した。
曹真は「よし。そなたの説が的中したらわしは魏帝から拝領した玉帯と名馬一頭を贈ろう」
仲達は箕谷へ曹真は斜谷へと急いだ。
敵が来るかどうかもわからないのに夜中に火も使わず見張りをさせられ虫に刺されてくたびれ果ててしまったのだ。
「だいたい主将が手柄争いに意地を張って賭け事に多くの兵士を動かすなどけしからん」
その兵士の後ろに人影があった。
司馬懿だった。
「みだりに上将の言行を批判し先頃の長雨で衰えている士気をさらに弱まらせるとは言語道断。その罪おおきく見逃せずよって死罪とする」
その兵士は首をはねられ見せしめんためにさらされた。
多少同じような気持ちを抱いていた将兵たちはこれには肝を冷やし慌てて任務を忠実に守り始めた。
この頃蜀の魏延・張嶷・陳式・杜瓊の四将二万騎が箕谷に進んでいた。
がここに鄧芝が使者として追いついてきた。
「孔明は敵の伏兵に用心ししばらく進撃を見合わせるようにとのお言葉です」
これに魏延は「どういうことだ」と聞き返した。
「丞相の謀に誤ったものはない。ご命令通りなされませ」と答える。
これに陳式が大笑し「丞相の謀に誤りがないならなぜ街亭を仲達に奪われた」と発言。魏延もまた「わしは以前子午谷を通って長安を落とせばよいと進言したが受け入れられなかった。あの言葉が受け入れられていたなら今頃は長安どころか洛陽まで落とせていたわ」
孔明にも反感を持つ者たちがいたのだ。
魏延は「そのような頼りない采配には従いかねる。我らは一気に祁山に出て人より先に陣を構えて見せる」とそのまま進みだした。
鄧芝は「すぐにお知らせせねば」と馬を走らせた。
孔明は鄧芝の報告を受けた。孔明は目を落とし「魏と戦って幾度か利あらず引き揚げるを見て魏延はわしにあいそづかしを始めたのかもしれぬ」
鄧芝は「各将が勝手に行動を取れば作戦は立ちませぬ」
孔明・・・やさしすぎんよ。
「いまさら追って進撃を止めたとて伏兵がいたらもう間に合うまい。伏兵のいないことを願うだけじゃ」
この歩き回る図がいつ見てもうまい。
この頃孔明の心配をよそに蜀軍先鋒の陳式は五千の兵を引き連れ箕谷の道を急いでいた。
この様子はすぐさま魏軍司馬懿に報告された。
司馬懿は敵が現れた合図の狼煙をあげさせた。
陳式軍はいっせいに伏兵に襲われる。完全に包囲されて逃げ道はまったく閉ざされ陳式軍はもはや全滅かと思われた。
魏延の働きで司馬懿軍はやっと退却を始めた。だが陳式軍五千のうち四千は討死。魏延・陳式は孔明の命に逆らって進撃したことを公開したがあとの祭りであった。
わしの見たところ、司馬懿は箕谷の口に曹真は斜谷の口を固めている。
そこでそち達は斜谷の口に曹真軍がいると見たら昼は休み夜に山越えして祁山の左に出て合図の火の手をあげよ。
馬忠・張翼を呼び祁山の右に出てもらいたい。昼は潜み夜に進んで馬岱・王平と一つになり曹真の陣を襲え。本陣は正面より進む、とした。
曹真の陣では七日経つが蜀軍の姿が見えないと話し合っていた。後三日経てば仲達の女装が見られる。
しかしこの時報告がはいる「蜀軍の姿が見えます」
曹真は側にいた秦良に偵察を命じた。
秦良は少数の蜀兵を見つける。捕えて蜀軍の動きを吐かせようと「降伏すれば命までとらぬ」
「それはこちらの申すことだ」と岩陰から出てきたのは関興軍だった。
「降伏などせぬ」と突っ込んできた秦良の前に廖化・呉班・呉懿軍が現れる。
「ぬうう。引き揚げてお知らせするのじゃ」という秦良に斬りつけたのは廖化だった。
廖化は魏兵たちに「お前達の大将は討ち取った。降伏する者は武器を捨てよ」
さらに「鎧も脱ぐのじゃ」と命じた。
脱いだ鎧を今度は自分お兵たちにつけさせる。
何もわからずにいる魏兵たち。
そこへ孔明が登場する。
魏兵の鎧をつけた一人の蜀兵に孔明は命じる「その方は蜀兵は一兵も見ませなんだと曹真に報告するのだ。それから秦良様もまもなく引き揚げて参ります、とな」
その兵士はその通りに曹真に報告した。
「ふっふっふ。賭けの日まであと三日」と曹真はほくそ笑んだ。
いやそんなに司馬懿の女装見たいんか。
しかし曹真ものすごい噛ませ犬すぎて気の毒になる。
史実では優秀な武人であったということらしい。司馬懿よりも曹真のほうが活躍していたとか。
幾重にも気の毒である。
そして魏延もまた・・・と史実を持ち出すとごちゃごちゃになるからやめるけど演義では悪役として描かれる。
しかしこうして見てると確かに優秀な武人がただの駒になれというのは辛いかもなあ。
どちらにしても人間関係というのは最も難しいものなのだ。