ガエル記

散策

『三国志』横山光輝 第五十七巻 その2ー読み比べー

ネタバレしますのでご注意を。

 

ますます辛い状況へ突入というかもう幸福など望みえないとしかいえません。

 

魏帝・曹叡孔明が三十万の兵を引き連れ祁山に現れたという報を受ける。すぐに司馬懿を呼んだ。

司馬懿もまた天文を観て魏の方に有利蜀の不利と読んでいた。

このような時に兵を起こす孔明は自分の才智に溺れ天に逆らおうとするもの、この戦必ず勝てます、と申し上げた。

そして司馬懿夏侯淵のせがれ覇・威・恵・和の四人を取り立てたいと願い出、魏帝は承認した。

司馬懿は直ちに長安に向かい兵を召集した。馳せ参じた魏の精鋭四十五万。

 

両軍は再び渭水をはさんで対峙した。

「そうか。孔明は祁山に五つの陣を構えさらに斜谷から剣閣までに十四か所の陣屋を築いているのか」と司馬懿は報告を受けた。

「ということは魏を討つまでは蜀には帰らぬという孔明の覚悟の現れじゃのう」

よしこれは長期戦になる。本陣の後ろに城を築かせ五万の工作隊をつかって渭水の上流に浮き橋を作る。

夏侯覇・夏侯威を呼び河を渡って河の西に陣を張れと命じた。

 

郭淮・孫礼は司馬懿に「蜀軍は殆ど祁山に集結しています。もし敵が渭水を渡り丘に登り北の山まで押し寄せますれば我らは隴西への道を断たれます」

これに対して司馬懿は「よしそち達は隴西の兵全員を引き連れ北原に砦を築け。堀を深くして守りを固め兵を決して動かすな。敵の兵糧が尽きた時が勝負じゃ」

郭淮・孫礼は直ちに渭水の上流の北原の陣に向かった。

これは今までの司馬懿には見られない積極さであった。

 

この報は孔明の元に届けられた。

孔明司馬懿が以前に懲りて隴西の道を断たれるのを恐れたとみた。もし蜀軍が隴西を衝くと見せかかれば司馬懿は驚いて主力を応援に差し向けるであろうな。

「よし。大量の筏を渭水の上流で急いで作れ。そして松柴、草束を集めて待機しろ」

まず筏に乗って北原を攻めると見せかける。司馬懿は必ずや北原の救援に向かうであろう。敵の主力が北原の救援に向かうと見たら後詰めの軍が手薄になった敵の本陣を攻める、と孔明は計画した。

 

蜀軍は急いで渭水の上流で百余隻の筏を作った。

 

しかし孔明のこの計画は司馬懿に見破られてしまう。

渭水上流で大量の筏を作っているという報告に司馬懿の息子は「北原を襲うつもりでは」と父に進言するが司馬懿孔明がそう簡単な行動をすると思えず他には何かしていないかと問うと「松柴と草束を用意している」という答えに「読めた」となったのだ。

孔明はおそらく我らが作った浮き橋を焼き我が後方をかき乱す腹と見た。

「するとあちこちを分断しておいてそれからここへ総攻撃をかけるということでございますか」

司馬懿は間違いないと確信し伝令を出した。

「まず夏侯覇・夏侯威には北原でときの声が聞こえたらすぐに渭水の南の山中に潜み蜀の兵を待ち伏せて討てと」

「張虎・楽綝には射手二千を率いて渭水の浮き橋の北に潜みもし蜀軍が筏に乗って川を下ってくれば一斉に討って橋を守れ」

「そして郭淮・孫礼には北原の砦はまだ作ったばかりで人馬も少ない。それゆえ路上に伏せて蜀軍を待ち伏せよ。わしも一隊を率いて水陸より駆け付けると伝えい」

息子たちには「そち達は前方の陣へ救援に駆け付けよ」

伝令は各陣へ飛び各将は仲達の指示通りに動いた。

まさに作戦の読み比べであった。

 

孔明魏延馬岱渭水を渡って北原を攻めよと命じた。

呉班呉懿には筏隊を率いて浮き橋を焼き払え、王平張嶷は先手として進み姜維馬忠は中ぞなえ、廖化張翼は後ぞなえとして本陣へ向かえ。浮き橋は火の手が上がったら攻撃を開始するのじゃ。

 

これは司馬懿に完全に読み取られている。

渭水を渡った魏延馬岱軍は孫礼・郭淮司馬懿軍から攻め込まれ次々と河に追い落され溺死する者が続出した。

 

筏隊で行動していた呉懿軍が魏延馬岱軍の苦戦を見て加勢した。

そのためにやっと魏軍を撃退したものの惨憺たるありさまで魏延馬岱軍は半分の兵を失っていたのだ。

残った者たちは呉懿の筏で命からがら引き揚げるしかなかった。

 

その頃呉班軍は大量の筏を流し始めた。

だがここには張虎・楽綝が射手二千を伏せていた。

蜀軍が来たのを目撃し筏をせき止めた。

呉班軍の筏の前に多数の丸太を浮かべて遮ったのだ。

「これでは進めませぬ」と立ち往生してしまう呉班軍に張虎・楽綝の二千の射手が一斉に矢を射ち込んできた。

まさに標的であった。ここもまた惨憺たるありさまとなったのだ。

 

一方魏の本陣を伺う王平張嶷の先手軍は浮き橋に火の手が上がるのを待っていた。

しかし火の手があがるわけがない。

「見たところ本陣は手薄のようだ。突っ込もうか」と言う張嶷王平は「待てここだけの判断で作戦を変えるわけにはいくまい」と押し留めた。

そこへ伝令が駆け付けた。

「北原の味方は破れ浮き橋を焼く計画もつぶれ大敗しました。ここも早々に引き揚げよとのことにございます」

王平たちは驚いた。「わかった。すぐに引き揚げよう」と号令をかけたが、その時銅鑼の音が鳴り響き伏兵が襲い掛かってきた。

「ええい、斬り抜けて引き揚げよ」と王平は叫ぶがこれは難しいことであった。

しかも魏軍は完全に王平張嶷軍を包囲していた。

王平張嶷軍も散々に討たれて逃げくずれた。

上流下流にわたっての蜀軍の死者は一万を越えた。

孔明は敗軍の兵をまとめて祁山に引き返した。孔明がこうまで見事に計を読み取られたのは初めてのことであった。

 

蜀陣にて。

魏延は今回の敗戦でこれまでの鬱憤を吐き散らしていた。

「なんたるざまだ。丞相は祁山は有利な土地だとこだわり続けてこのざまだ。六たび祁山に立って一度でも長安に迫ることができたのか。いつも兵をくたくたにさせて引き揚げるだけではないか。わしは常に子午谷を通って長安に攻め込むべきだと進言しているが危険だと受け入れられぬ。ほんとうは丞相自身が他の道を進むのが恐ろしいのではないか」

この魏延の陰口を楊儀孔明に伝えた。孔明は知っている。

が蜀軍にはあまりにも人材が不足していた。その中で魏延の勇猛さは飛び抜けている。

その魏延処罰することは困難だったのだ。

 

こんな時、成都から費褘が用命を帯びて訪れてきた。

その費褘に孔明は「呉に行ってもらいたい」と要請した。

孔明はすでに書簡を用意しており「この書簡を呉の孫権に捧げそなたの才能で呉を動かしてもらいたい」と言ったのだった。

「今、魏軍の全力はここにある。もし呉が動いて魏の一面を撃つならば魏はたちまち全面的な崩壊をきたす。孫権に蜀呉同盟条約を発動してもらうのじゃ」

 

大役を背負い費褘は呉の建業へ向かった。

 

孔明からの書簡を呼んだ孫権は「ふむなるほど」と答えた。

「朕とて蜀魏の戦に冷淡なものではない。今まで機を見ながら充分に戦力を養っていたのじゃ」

孫権は「日を定めて朕自ら水軍を率いて長江をのぼり魏を討とう」

費褘は喜び「それではどのような進路をとられますか」と伺う。

「まず総勢三十万を発し朕は居巣門から魏の合肥の新城をとる。また陸遜諸葛瑾に江夏から襄陽へ突入させる。また孫韶・張承などは広陵地方から淮陽へ進ませるであろう」

費褘は「それでは我らが司馬懿の主力を引き受けておりますゆえ魏の滅亡に百日もかかりますまい」と言い「魏を滅亡した暁には呉蜀で天下を二分し理想的な平和国家を築くことができるでしょう」

孫権は費褘に対し酒宴を開き礼厚くもてなした。

そこで孫権は費褘に尋ねた「ところでいま孔明の側にいて功労を記し兵糧その他の軍勢を助けている者は誰かな」

費褘は答え「長史の楊儀でございます」

「常に先鋒にあたる勇将は」

魏延でございます」

「ハハハ内は楊儀外は魏延か」と孫権は笑い費褘はひやりとする。「余はまだ楊儀魏延なる人物は見ておらぬが多年の行状を聞いておる。いずれも蜀を背負うほどの人物ではない。孔明ほどの人がなぜそんな小人輩を用いているのか」

これに費褘は「しかし魏延も連戦の強者にございます」

孫権は「たしかに魏延の武勇は充分じゃ。だが色々耳にするに叛骨の士じゃ。孔明殿が亡くなられた時、彼は必ず災いをなすであろう・孔明はそれを気付いておらぬか」

費褘は「いえそれは・・・」と答えるのみ。

孫権は「ははは、それは蜀で解決すること。余が口を出すことではなかったのう」

 

費褘は孔明のもとへ戻り孫権の出撃の約束を伝えた。孔明は「他に何か申さなかったか」と問う。

費褘は「それが」と口ごもった後「魏延は叛骨の士で丞相がお亡くなりになった後必ず災いをなすであろうと」

孔明孫権を恐ろしいほど大きな人物になっていると見た。

そして「費褘よ。ここだけの話だがわしもそれを感じている」と告げた。

「ならば今のうちにご処分なされますほうがようございます」

しかし孔明は「わしはあの武勇が惜しさに用いているまでじゃ。心配いたすな。わしに考えはある」とした。

 

蜀陣に魏の鄭文という部将が降伏してきた。

孔明が会って理由を問うと「司馬懿の扱いが許せぬ」と答える。

「それがしは元から魏の偏将軍です。ところが今回司馬懿は自分より後輩の秦郎と申す者を重用して前将軍に任じそれがしを軽んじ始めたのです。それを愚痴ったところそれがしを殺さんとする気配が出て参りました」というのだった。

その時外から大声が聞こえ孔明は「何事か」と外へ出た。

鄭文は「秦郎が司馬懿に命じられ自分を追ってきたに違いありません」という。孔明は「ふむう。そちと秦郎はいずれが武勇が上か。司馬懿が秦郎を重用するのはそちが劣るからではないのか」と問う。

そこで鄭文に秦郎と戦わせその首をもって来れたら降伏を認めようとした。

 

鄭文は秦郎と一騎打ちをしあっという間にその首を打ち落とした。鄭文はその首を持って孔明の前に差し出した。

孔明は首を見るなり「無礼者、この鄭文の首をはねい」と命じる。

「それでは約束が違いまする」という鄭文に「黙れ余が秦郎を知らぬと思うておったのか」

鄭文は「えっ秦郎をご存じ」と問い返す。

司馬懿はきさまに偽りの降伏をさせ内応させようとしたのであろう。正直に申せば命だけは助けよう」と孔明は言明した。

鄭文は「その通りにございます。あれは秦郎の弟秦明にございます」

 

孔明は鄭文を檻に入れさせた。

「丞相、どこで秦郎をご存じでしたか」と問う部下に「秦郎など知らぬ」と答える孔明。「だがこの首が秦郎ではないことはすぐにわかった。司馬懿が鄭文を差し置いて前将軍を授けたとあればよほど武芸に優れた男に違いない。。それがたった一合で鄭文に殺されたのは秦郎でない証拠じゃ」

 

ふふふ、これでこちらも動きやすくなったわ、と孔明陣幕の中に入っていった。

 

孔明は鄭文に指示をして手紙を書かせた。

さらに兵士に付近の住民の姿をさせて手紙を司馬懿に届けさせた。

手紙を受け取った司馬懿はたしかに鄭文の文字だとしてその男に褒美を与えた。

司馬懿への手紙には「孔明に信用され先鋒に取り立てられた」と書かれていた。

「明晩火をあげて合図する故夜討ちをかけよ、内から応ずる」と。

 

孔明司馬懿が手紙を信じたという報告を受けて諸将たちに計画を話す。

孔明自身も山の高みから全軍の指揮をとることにした。

 

司馬懿のほうでは夜襲の先鋒を秦郎が任じられた。司馬懿は後詰めとして蜀軍へ向かう。

火の合図で魏軍はいっせいに蜀陣へと突撃する。

しかし蜀陣は空で秦郎は「罠だ引き返せ」と気づく。

そこへ射手が矢を射ち込み左より王平張嶷、右寄り馬岱馬忠が討って出た。

秦郎は死に物狂いで戦ったが矢がいなごのように飛ぶ中で討死したのである。

そこへ司馬懿軍が追いかけてきた。すでに戦闘がはじまっている。

加勢だと急ぐ司馬懿軍に向かって矢が射かけられ魏延姜維軍が突撃してきた。この時秦郎討死の報が入る。

司馬懿孔明の戦略にかかったことを無念と思いながら退却を命じた。

こうして司馬懿は再び陣に閉じこもりただひたすら守りを固める作戦に切り替えた。

 

まさに泥沼。

やってやられて将兵たちの命を削っていくばかり。

司馬懿の降伏作戦で打ち首にした将は果たして納得の上で来たのか?だとしたら司馬懿鬼畜すぎるが。

 

魏延の不満、解る部分もあるはある。しかしたぶん魏延の計画を実行したら絶対魏軍からやられてしまう未来が見えるのだよなあ。

孫権魏延の人柄を見破る話、案外外から見ている方がわかりやすいっていうのもあるのだろうけど。

 

とにかくこの巻ずぶずぶすぎてしんどい。孔明ほどの才能と人格者でもここまで人間関係で苦しみ悩まなければならないんだよ。普通の人間が辛いのは当たり前だよねえ。