ガエル記

散策

『三国志』横山光輝 第五十八巻 その2ー作戦露見ー

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

魏軍兵士に呼び止められた男の襟から出てきた密書は呉の陸遜孫権にあてたものだった。

密書は戦場にいる魏帝・曹叡のもとに届けられた。

そこには新城を包囲している孫権に兵を後退させ魏軍の退路を断つようにと記されていた。そして前と後ろから一気に攻めれば魏軍を一撃で倒せるということであった。

曹叡は「呉に陸遜あり」と聞いていたがなるほどと確信する思いだった。すぐに伝令を飛ばし孫権の後方部隊の動きに注意せよ、陸遜の動きにも目を離すなと命じた。

 

呉の陸遜のもとへ諸葛瑾将軍が訪ねてきた。

諸葛瑾は先だっての大敗で負傷者も多くさらにこの暑さで病人が続出しているという。それに引き換え魏軍は兵を増強しているようで守ることすらおぼつかないという相談だった。

これに陸遜は「ご心配あるな。手は打ってある」と答える。「実はこちらも一気に魏軍を叩き潰すつもりでいたが間者が敵の手にかかり作戦は筒抜けとなってしまった。これでは簡単に決着はつかぬ。もともとこの出陣は蜀の頼みで行ったもの。それゆえ陛下にもゆるゆるとお退きなさるように伝えた」そして諸葛瑾に「そなたも船を調え応戦するように見せかけておかれるがよかろう。わしは兵を襄陽へ進ませ敵を惑わせる。その間に呉へ退かれるがよろしかろう」というのであった。

 

この報は魏軍に届いた。

「陛下、ただちに出陣を」という声が上がったが曹叡は「これは陸遜のおびき寄せの作戦ではないか」と言い「守りを固め決して呉の挑発に乗るな」と命じた。

数日後、呉軍は全軍引き揚げてしまったと報じられた。

曹叡陸遜の駆け引きに感心し「ともかく呉が兵を退いたとあらばここに長居は無用だ」としながらも「油断はできぬ」として曹叡自身大軍を率いて合肥に駐屯し呉の様子を伺った。

 

一方、祁山の孔明渭水をはさんで仲達とにらみ合っていた。

呉にとって魏と蜀が戦い続け国力が弱まることは望ましいことである。

そのためさっさと引き揚げたが蜀はそういかなかった。

座して滅ぶを待つより出でて蜀の活路を求めん。ここを退いて蜀の生きる道はないというのが孔明の考えであった。

孔明は兵士達にも田を作らせ長期戦に備えさせていた。

 

さらに司馬懿仲達のもとへは息子の司馬師が訪ねていた。

師は二三日土地の者に変装して敵地を探ってきたという。

蜀軍は兵士まで田を作り長久の策をたてております、というと「そのようじゃのう」という答え。

師は「父上、ここに魏兵は蜀軍の三倍百万がいます。これだけの兵がいながらなぜ戦わないのですか」

司馬懿は「陛下が守りを固めよと言われわしもそれが良いと考えているからじゃ」

しかし師は「父上自身が孔明に圧倒され手も足を出なくなったと諸将は思っているようです」という。

司馬懿は「それも真実じゃろう」と答える。師は「これだけの兵力と装備があるのです。火を決めて決戦すべきではありませんか」

「わしには勝算がない」と司馬懿は言った「正直なところ、わしはただ負けぬためにはどうすればよいか。それに気を配るのが精一杯じゃ」

「ただ、百万の兵が毎日何もせず苛立ちはじめていることもご承知ください」

司馬懿は「うむ」と答えるのみだった。

 

ある日、司馬懿が読書中外で大声が聞こえてきた。

問うと「蜀兵がまたからかいに来ているのです」という。

蜀兵は棒の先に司馬懿の冠を乗せ「これはお前らの都督の冠だ。先頃敗北の時落としていったものだ」「あのブザマな姿をお前らに見せたかったぞ」と喚いている。「どうした。悔しくば取返しに来い」「それもできまい。腰抜け大都督の手下ではな」と騒ぎ立てる。

魏将たちは「ぬうう」と呻き司馬懿に出陣を願ったが「ならぬ」と阻止される。

「我らをおびき寄せんとしているのがわからぬか。無視するのじゃ」と立ち去った。

 

このからかい作戦は孔明の指示であった。しかし魏軍が乗ってこなかったという報告にこうめいは次の策を考えようと伝える。

「さてどうして仲達をうごかすものやら」と外へ出た孔明はある陣幕から「孔明はのう本当は臆病なんじゃ」という声が漏れ聞こえた。

「我らは戦うために国を出てきているのだ。それを兵士にまで田を作らせるとは何事だ」

声の主は魏延であった。「いったい何年ここでにらみ合っているつもりだ。長安に向かうのはこの道だけではあるまい。それをなぜ丞相がやらぬか。丞相は恐ろしいのじゃ。今になってやっとわかった。丞相は臆病者なのじゃ。こんなことではとても魏など討てんわ」

近頃の魏延の態度はますますひどくなってきた。

戦いに明け暮れ花をめでる気持ちのゆとりもなくなった生活が魏延の叛骨を大きく育てたか。

このまま放置していれば遠からず蜀軍は分裂する。

といってここで魏延を所在すれば今まで魏延と生死を共にしてきた兵士たちはわしの命は聞くまい。聞かぬだけならまだよい。魏と手を組み内応するであろう。

(うう。孔明のこのような表情は今までなかった・・・悪いことを考えてる)

 

孔明馬岱に設計図を渡し葫蘆谷に陣を作ってくれ、と頼む。

(なにかおそろしいことが起きる予感)

孔明馬岱に「ここを我が本陣とするならば仲達はここを狙うであろう。仲達との決戦はここで行う。司馬懿全軍を地底に埋めるための手配じゃ」馬岱はまだ「はあ?」と答えるが孔明は「そちを信じこの秘密の設計を任せる」と言った。馬岱は「それがしをそこまで」と勇んで葫蘆谷へ向かった。

 

そして設計図通り谷を削り塹壕を掘り地中には地雷を埋め、火を導く薬戦は目に見えぬよう四山の上まで張り巡らした。

 

それから数か月後設計図通りの仕掛けが葫蘆谷に出来上がった。

孔明馬岱を労い行動を開始した。

まず魏延を呼び「五百の兵をもって魏の陣に向かい合戦を挑め。これはあくまでも司馬懿をおびきよせるため。勝とうとするな。わざと負けて七星の旗を目印に逃げよ。七つの燈火を目印にせよ。司馬懿を葫蘆谷へ誘い込めば我が軍の勝利じゃ」

これに魏延は「たしかに勝算はござりまするのですな」と念を押した。孔明はむっとしながらも「ある」とだけ答えた。

「わかりました。ならば見事おびき寄せましょう」

魏延の態度には孔明の作戦に不信を持つのがありありと出ていた。

次に高翔を呼び「お主は木牛で食糧を積んで山道を往来しろ。木牛は二、三十一組とせい。そして見事それを魏兵に奪われたらそれがそちの手柄だ」とした。

孔明は他の者たちに向かい「さて余は葫蘆谷に入るがそのほう達はこの祁山に残り田作りにはげめ」と命じた。「もし魏軍の司馬懿以外の部隊が攻めてきたらいつもわざと負けよ。ただし司馬懿自身が出てきたらその時は渭水の南岸に回って司馬懿の退路を断て」

孔明の指令を受けた諸将はそれぞれ行動を開始した。

 

そして孔明も葫蘆谷へ向かった。この時孔明は五十四歳であった。

当時の寿命をすでに過ぎている。さらに長年の戦いで兵士は疲れ魏延のような不平分子も出始めた。

孔明がやや焦りを感じ始めたのは否めなかった。

 

司馬懿もまた部下たちから避難を浴びつつあった。夏侯兄弟が司馬懿に向かった。

司馬懿はあくまでも孔明に対し動かぬことが最善の守りと言い続けていたが「なぜそのように孔明を恐れまする」と謗られた。孔明は今や葫蘆谷に大基地を作り食糧も田を耕すことで自給自足しているとなれば孔明を討とうとしてもうてなくなる、と主張した。

司馬懿は夏侯兄弟のふたりを側におれと命じ兄たちに攻撃を任せようと言い出したのである。

夏侯覇・威はそれぞれ五千の兵を引き連れ蜀軍へ向かうこととなった。

ふたりが蜀陣へ向かっていると高翔軍が木牛にて食糧を運んでいた。「まずはあれを血祭だ」と夏侯兄弟が突っ込んでいくと高翔は一度「食糧を奪われるなかかれ」と挑みながら「とても太刀打ちできない」と引き揚げていった。

夏侯兄弟は喜び「幸先よし」と進んだ。

 

翌日夏侯兄弟の前に小部隊の蜀陣があり「蹴散らせ」と襲い掛かる。

蜀兵らは「魏軍だ」と逃げ出す。

夏侯兄弟が「武器を捨てい。命は助けてやる」というとあっという間に武器を投げ出した。「ふふふまったくはりあいがない」と蜀兵たちを捕虜にして司馬懿に届けた。

司馬懿は「そんな僅かの兵で祁山を守っているのか」と問うと「はい。丞相は当分戦はないと申されまして。兵は長期戦に備え田を作れと分散されました」と答える。司馬懿はなるほどと言って捕虜たちを放ってやれと命じた。

「その昔呉の呂蒙関羽の隙を見て荊州を取った時、この方法で民を手なずけた。それを見習おう」

蜀兵たちは帰ってよいとされ「司馬懿様がお情け深いと仲間たちに伝えよ」と言い渡した。

 

司馬懿はさらに他の武将たちからも不満をぶつけられる。

夏侯兄弟にだけ出陣をお命じになるのは不公平。我らにも出陣の許可を与えてください」と。

司馬懿は「よし分かった。許可しよう」と告げる。

今まで我慢をしてきた部将たちは先を競って出陣した。

そして小部隊と遭遇するとたちまちそれを捕虜とした。

こんなことが半月を続いた。

ともかく出て戦えば勝つのである。魏兵は蜀軍は弱いとなめてかかった。

 

司馬懿は蜀軍の弱体をどう思うかと問う。

一将が「孔明の読み間違いである」と答える。「我らが陣を出ぬものときめてかかったこと、長期戦に備え分散して田を造らせたこと」

「今総攻撃をかければ祁山の蜀兵は一掃できましょう」と進言する。

司馬懿は「うむ確かに。だが問題は孔明じゃ。蜀軍すなわち孔明と言ってよい。その孔明が今どこにいるのか?」

 

数日後、またも数十人の捕虜が連れてこられた。

司馬懿は隊長に対し「正直に質問に答えれば帥も部下も祁山に帰そう」と言い「孔明はいったいどこにいるのじゃ」と問うた。

隊長は怯え躊躇いながらも「丞相は葫蘆谷の西方十里の地点におりまする」と答える。更なる司馬懿の問いに「そこに城塞を作り数年間戦えるだけの食糧を運び込んでいるのでございます」

司馬懿は答えに満足しその者たちを放免した。

 

またも息子たち部下たちが司馬懿に進言する。

「その大城塞が完成する前に蜀軍をたたくべきです」

ここに司馬懿も「よし総攻撃の命令を全軍に伝えよ」と命じた。

 

司馬懿軍は祁山に向けて出陣した。

しかし司馬懿自身は後軍にいてふいをついて葫蘆谷を急襲するつもりであった。

 

葫蘆谷では孔明司馬懿出陣の報を聞いた。

「そうか、とうとう動いた。待ちに待った時がきた」

孔明はただちに各将に伝令を飛ばした。祁山の兵にはわざと負け逃げるふりをして渭水の南岸の陣を奪い司馬懿の退路を断て、とした。

 

司馬懿は号令をかける。「よいか。今日こそ蜀軍を徹底的にたたくのじゃ。二度と魏をうかがわせるな」

「かかれ」出陣太鼓を鳴らし各将が突撃していく。

蜀軍もまたこの決戦に運命をかけていた。

天地を揺るがす喚声とともに両軍は激突した。

 

屍は累々と転がり血は河となった。時が経つにつれ蜀軍はじりじりと押され始めた。

 

司馬懿は蜀軍のほとんどがここに集結したようだ。葫蘆谷にはあまり兵はおるまい、として「よし我が軍は葫蘆谷へ進路をとる」と命じた。

 

仲達の狙った通り蜀軍は祁山に集まり葫蘆谷までの警備兵は数百程度のものだった。

魏軍の大軍の前にはあっという間に蹴散らされた。

 

が、そこに魏延が現れた。

「ここから先は一歩も通さぬ」

「おお、魏延」と司馬懿「敵はわずかだ。蹴散らせ」

魏延の槍は次々と魏軍兵を襲った。

「ええい。魏延一人にこの大軍がくいとめられてなんとする。一度に襲え」と司馬懿

「ぬうっ」と戦う魏延も「多勢に無勢。無念だが引けっ」と

退却していく。

司馬懿は「魏延は蜀一の武将。首を取って手柄にせい」と叫んだ。

逃げていく魏延の前方に七星の旗が翻っていた。「あの七星旗に向かって走れ」

 

司馬懿は追いかけるうちに「この地形はおかしい」と言い斥候を見にやらせた。

そこには無人の陣がありおびただしい食糧や武器が放置されていた。

司馬懿は「よし蜀の生命は食糧じゃ。ことごとく焼き払え」と命じた。

 

がここで司馬懿魏延がひとりこちらを伺っている姿を見る。

「またしても魏延。あれだけの兵で本気で勝負になると思っているのか」とつぶやいた。

「むっ」と見ると食糧倉庫の周囲に柴が積み上げられている。

おかしいぞ。倉庫付近に柴、とは。本来ならば火の気は禁じられるはず・「そうか。しまった」と司馬懿。「引けっ引けっ」と叫んだ。

「父上どうなされました。相手は魏延と少数の兵だけです。魏延など放っておいて火を放ちましょう」

「馬鹿を申せ。あの谷の入り口を閉ざされたらなんとする。我らはここに閉じ込められることになる」と言い返し「退けっ退けっ、後ろに戻せ」と叫ぶも勢い込んでなだれ込んでくる魏兵に声は届かなかった。

「うっ」と見ると谷の壁を伝って火が伝ってくる。

「馬鹿者。誰が火を放った」

「誰もまだ火を放っておりませぬ」

とあちこちの谷壁に火のすじがシュルシュルと降りてきた。

激しい爆音と閃光が司馬懿らを襲う。

やはり谷の入り口が塞がれた。

「これでわしらはこの谷に閉じ込められた」

と見る間に火矢がひゅんひゅんと飛んできた。その火は地面をはうように伝わり積まれている箱へと向かっていく。

またも激しい爆発が起きた。

魏兵はたちまち火に包まれる。

魏延は「わしが逃げ出さぬうちに入口を塞ぐとは何事だ」とここで気づいた。「孔明め。司馬懿とともにわしを消そうとたくらんだな」

 

「父上。もはやこの火の中からは逃げられませぬ」

「わしら父子の運命もこれまでじゃな」

やはり出て戦うのではなかった。しょせんわしの歯のたつ相手ではなかったと司馬懿は思った。

 

そこに突然雨雲とともに雷鳴が近づいてきたのだ。

「父上、雨です」

「おおっ雨じゃ。もっと降れもっと降ってくれ」

激しい雨は谷の火を消していった。

「父上、今のうちにここを退き揚げましょう」「おう」

司馬懿たちは岩壁をよじ登って谷を抜け出した。

 

外には魏将たちがおり「おお、大都督ご無事でございましたか」と声をかけてきた。

司馬懿は「全軍に引き揚げの命令を出せ」

そこへ伝令が駆け付けてきた。「蜀軍はいつの間にか渭水南岸の陣を奪い我らの退路におりまする」

「なんと。南岸の陣が奪われたと」司馬懿はやはりそうかとつぶやき「よし浮橋を渡って北岸の陣へ退け」と命じた。

司馬懿軍は浮橋を渡り一部の橋を残してあとは焼却した。

この戦は魏にとって開戦以来最大の被害となった。

 

孔明のもとに「仲達は無事だった」との報がはいった。

「あと一歩というところで豪雨にございます」

「そうか。取り逃がしたか」

南蛮で孔明が涙を流した作戦をここで再び用いた。

あの時も追い詰められどうしようもなく行った虐殺だったがここで孔明はただ無念のみを感じている。

しかもその虐殺作戦をもっても司馬懿を取り逃がしてしまう。

 

そして魏延は。

恐ろしい。