ガエル記

散策

『三国志』横山光輝 第五十五巻

孔明表紙絵9・5回目。これまで単独トップだった張飛を抜きました。なにしろ主人公のはずの劉備玄徳は6・5回でしたのでぶっちぎりトップです。とはいえ仕方ないっていうのもあるのでちょっと泣きそう。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

司馬懿仲達は即戦即決を願っているはずの孔明が何故動かないかを探っていた。

すると雍城・郿城からは連絡があったが陰平・武都に向かった使者からは何の連絡もないと伝えられ孔明の意思が読めた。

孔明は我らの目をここに引き付けておいて陰平・武都の両郡を攻めようとしているのだ。

司馬懿郭淮・孫礼に五千の兵を引き連れて陰平・武都に向かえと命じた。そして蜀軍が両郡に攻め入ったら背後から襲い掛かるのだ。

 

道中郭淮と孫礼は司馬懿孔明についてどちらが優れているかと話し合う。孫礼は「さあどちらとも言えぬがやはり孔明のほうが少し優れているかもしれぬな「確かに。だがこの作戦は孔明より仲達の報が鋭いぞ。背後を襲われたら蜀軍も総崩れとなるだろう」「たしかに」

その時怪しい狼煙が上がったのに気づきふたりは「皆の者油断するな」と叫ぶ。

とどこからか笑い声が聞こえてきた。「郭淮、孫礼昼夜の行軍ご苦労であった。

孔明である。

「だが司馬懿の計など見通せぬ孔明ではない。司馬懿は我が軍が武都・陰平になだれこんだらそち達に背後をつかせる考えであったろう」

隴西の二郡はすでにわが手に落ちた。そち達もおとなしく降伏せよ、と孔明は告げる。

郭淮孫礼のふたりは「敵の総帥を目の前にして引き下がれるか」「かかれ」と突撃してきた。

孔明は「やむをえんな」と張苞関興に号令をかけた。

魏軍蜀軍入り乱れての戦いとなる。

しかしそこへまたも銅鑼の音が響き背後から姜維王平の軍勢が加わってきた。郭淮はたまらず引き揚げを命じる。「山を伝って逃げよ」

これを見た張苞は「ぬうう、逃がさんぞ」と追いかけた。その勢いに魏軍は逃げ惑う。

と、張苞の乗る馬が岩場で足を滑らせた。

張苞は馬ごと岩場から落ちてしまう。

酷い傷を負っていた。兵士たちが静かに運び上げる。

 

張苞はすぐに陣へと運ばれた。孔明は「おお張苞、大丈夫か」と声をかける。

「なにも気に病むことはない。都に帰り養生せい。元気になったら再び国のために尽くしてくれ」

孔明張苞を名医に見せるよう命じた。

張苞が去るのを見送り「思ったより重傷じゃ」とつぶやいた。

 

一方、司馬懿は自分の予測より早く孔明がすでに二郡を落としあべこべに郭淮たちが挟み撃ちにされたと報告を受けふたりを労いながらもまたもや孔明の恐ろしさを知らされた。

 

次に司馬懿張郃・戴陵を呼んだ。「わしの見る所孔明は武都・陰平を攻め取った今人民たちをいたわって安堵させるため本陣には戻るまい」として「そこでそなたたちは各々一万の兵を率いて今夜発ち敵の後ろに回り込んで一斉に斬りこんでもらいたい」と言った。司馬懿自身も敵の正面に陣を張り敵が混乱したところをどっと攻めかかる。

ふたりは了解し出陣した。

夜道を張郃・戴陵が行軍すると前方に車を使った防壁を目撃する。「ここに防壁がある以上敵に構えがあると見ねばなるまい」「これでは奇襲は不可能だ。引き揚げよう」と言った時、張郃は「うっ」と灯の中の人影を目にした。

またもや司馬懿のセリフをそのまま再現する孔明

(思うにジョセフ・ジョースターのあの技は孔明からキャラ付けされたのではあるまいか)

張郃らは「ぬぬぬ」と怒り「その首討ちとってくれん」と号令をかけ突撃してきた。

孔明は「それっ」と岩木を崖から投げ込ませる。

張郃は驚き「引けっ」と合図し逃走した。

その中で張郃は戴陵の姿が見えないのに気づく。問うと「戴陵様は敵軍に取り囲まれてございました」と答える者がいる。「なにい、見殺しにはできぬ」と張郃は引き返し兵士らもこれに続いた。

戴陵を見つけると張郃はこれに血路を開いて逃げるのだ、と励ました。「戴陵行くぞ」「おう」と二将は走り去っていく。

「その昔張飛張郃がいずれ劣らぬ働きをし魏に張郃ありと聞こえたものだがこの目で見てなるほどと思い当たる。折あらば討ちとっておかねば蜀にとって油断のならない存在となろう」

そして「よし今宵はこれで充分だ引き揚げい」

 

この報告を受けた司馬懿は「負けたまたしてもわしの考えの先を越された。孔明の用兵まさに神通ものだ」そして背後から攻められぬと解ればここに長居は無用だ、と引き揚げたのだった。

それ以降司馬懿もまた守りを固め陣から出ようとはしなくなった。

魏延がたびたび挑発したがそれにも応えず半月が流れた。これには孔明も手の打ちようがなかった。

 

両軍がにらみ合いを続けている時成都より勅使が到着した。

それは蜀帝劉禅からの御下命で「もう一度丞相に戻るように」というものであった。

孔明は辞退するが「将兵の心が振るいませぬ」という言葉で受けることとなった。

だが戦局は一向に進展しなかった。

 

孔明は陣払いをすると決意した。

魏延はじめ反論されたがこれは陣払いをすることで魏軍の追撃開始を予測してのものだった。

「わしはここで魏軍との決戦を考えている」

用心深い孔明のイチかバチかという賭けに出たのかと諸将たちは話し合った。

しかし追撃を受けながらの決戦となればこちらも相当の覚悟をしておかねばなるまい。

 

蜀軍の陣払いの報はすぐに司馬懿に届いた。

張郃は追撃をするのは今です、と司馬懿に詰めかける。しかし司馬懿

なおもせっつく張郃に「わしが考えるに孔明は我らをおびきよせんためにわざと陣払いという手で誘っていると見た。追わば必ず孔明の計にかかる」

司馬懿はあくまで「よいな、守って動くな」と言い間者の数を増やして「このまま監視を続けよ」と命じた。

 

間者の報告により「孔明の大軍は三十里退いて留まってございます」

それから十日ばかりたってまた三十里退いたという。

司馬懿は「見よ三十里ごとに計を伺いひたすら我らの追撃を誘っておる。危なし危なし。孔明の罠などにかからぬぞ」

張郃たちはしかし司馬懿があまりに心配しすぎではと案じていた。このままでは無傷で漢中に引き揚げられてしまう。

それから二日後またも間者は「蜀軍はまたも三十里退きました」「そうか」

その翌日も「またも三十里退き留まってございます」「ほう」

張郃たちはたまらず進言した。「このままでは無傷のまま漢中に引き揚げられてしまいます」「これでは我らは魏の物笑いです」

孔明の手口は緩歩大軍の策。一面退却一面対峙のきわめて損害の少ない正退法をとっています。これを見逃す手はありませぬ」「それがしに兵をおあずけくだされ」

しかしこれでも司馬懿は何か気になる、とうなだれた。

「そのように心配ばかりなされていては勝てる戦も勝てませぬ」

ようやく司馬懿は「よしわかった」としながらも「やみくもに追うな。一夜野営し兵馬を休ませた後蜀軍へつっこめ。わしも第二陣を従えて後を追う」とした。

張郃率いる精鋭三万は弦を放れた矢の如く急追を開始した。

司馬懿は五千の兵を引き連れ中軍として続き残りの兵は各砦を守らせた。

 

蜀の間者によってこの報がなされた。孔明は「諸将よ。この一戦は蜀の運命を決する一戦じゃ。一人で十人を引き受けて当たる覚悟を持ってもらいたい」

そこでまず張郃の背後に回る将を求めるとこれに王平が手をあげた。孔明は「前軍張郃、後軍司馬懿、その間に飛び込むは死地に入って戦えという無理な兵法それでも行くか」と問う。王平が承知するとこれに張翼が付けられた。

「魏の前軍をやり過ごし第二軍が続く前に討って出よ。張郃の背後を襲い司馬懿の中軍が現れたら張翼司馬懿の軍勢を足止めせよ。後は孔明の別の計があるゆえそこを死に場所と思って戦え」という激しい言葉をふたりに送った。

王平張翼は「ではこれでお別れいたします」と礼をした。

続いて姜維廖化王平張翼の後を追いその戦場となるべき付近の場所に待機せよ、として「この袋を持っていけ。そして戦機の大事を見極めたらこの袋を開け。とるべき行動を記してある」

(出てきた袋!気になる)

馬忠呉懿呉班張嶷には張郃の正面からぶつかれ。ただ敵は必殺必勝の気構えで突っ込んでくるであろう。一進一退を呼吸をはかって続けよ。そして関興の一軍が討ってでたならばその時一斉に死ぬ覚悟でかかれ」

そして関興に「そちは一軍をもってこの付近の山に潜み明日わしが山上にあって赤い旗を振ったら一気に突っ込め」

 

諸将は一斉に行動を開始した。

 

張郃軍はついに蜀軍の陣前に到着した。

と同時に突っ込んできた。

決戦の火ぶたはきられた。

時は六月。炎天下のもとで両軍の死闘は繰り広げられた。人馬は汗にまみれ草は血に燃えた。

正午近くになるとさすがに両軍に疲れが見え始めた。

この時山頂より赤い旗が振られた。関興は「敵の横っ腹に突っ込め」と進撃した。

これを合図にじりじりと後退していた呉班呉懿馬忠張嶷軍が一斉に反撃を開始した。

再び阿鼻叫喚の世界が展開された。

さらに背後に回っていた王平張翼の軍が討って出た。

張郃は「蜀兵どもめ。張郃の死に際をよく見ておけ」と反撃する。だが三方から攻められては張郃軍もたまったものではない。張郃軍全滅かと思われた時、司馬懿率いる中軍が現れた。

王平司馬懿が来た」「おう、これで今度は我らが挟み撃ちとなる。まさに死に場所」「だがすべて丞相のお見通しどおり。これにかまえての妙計もあると信じ命をかける」

「それっ死を恐れるな」と進撃する。

張翼軍は司馬懿軍に突入した。屍は累々と山を成す。

 

一方姜維廖化はこの頃孔明に渡された袋を開け指示を読んだ。

「汝らはここを捨て司馬懿が後ろにせる渭水の陣を奪れ」とあった。

廖化はこの言葉を聞き驚愕した。

「本陣を奪れば勝負は決まる」

 

司馬懿の間者がこの様子を目撃し急ぎご注進に走った。

「蜀軍の伏兵本陣に向かって進んでいきました。旗印は姜維廖化です」

司馬懿は本陣を奪られたら長安が危ない、と「全軍引いて本陣を守るのじゃ」と引き上げの号令をかけた。一気に魏軍が引き揚げの体制に入る。これを見た蜀軍は「おお丞相の妙策だ」と魏軍に追い打ちをかけた。

なりふり構わぬ総退却で魏軍は目に余る大きな被害をこうむったのだ。

だがかろうじて本陣を守り切った。

孔明の一気に敵の本陣奪取の計はならなかった。

あとには両軍合わせて万余の死体が取り残された。

 

司馬懿は怒号した。「皆の者孔明の恐ろしさがよくわかったであろう」

蜀軍に多大の被害を与えたといっても我が軍の被害はそれ以上だった。もしこの本陣を奪われていたら各陣地は簡単に次々と落とされ長安もあやうくなっていた。

これ以後決して動くな。軍法に背くものは処刑する。

 

一方孔明たちはすごい戦利品を手にすることになりこれで長安まで進められると士気高まっていた。

そこに成都より使者が来た。

張苞将軍が破傷風で亡くなったという知らせだった。

これを聞いた孔明は「張苞おまえもか」と泣き崩れた。そして激しく咳きこみ血を吐いたのだ。

南征から北伐へと休む間もない合戦の連続が孔明の体を弱らせ病魔が蝕み始めていたのである。

それから十日孔明は病床に伏したままであった。

起き上がった孔明は仲達がこのことを知ったら大挙して現れるはずと気づかれぬうちに漢中への引き揚げを決意した。その夜、蜀軍は密かに陣払いをし漢中に引き揚げたのである。

 

司馬懿に蜀軍陣払いの報が届いたのは五日後であった。

司馬懿孔明が勢いに乗って攻めに来ると見て守りを固めていたのだ。

「それが住民の話では孔明は病に倒れたそうにございます」

これを聞いて司馬懿は「千載一遇の機会を逃したことになる」と青ざめた。

「まさに変化自在の神業としかいえぬわ」

孔明がすでに漢中へ引き返したと知ると司馬懿もまた諸将に各所の要害を守らせ自分は洛陽に引き返したのだった。

 

張苞の死を聞いて悲しむ孔明に打たれました。

ほんとうに孔明という人は心優しいのに無理して戦っていたと思います。

史実的にも戦争より政治の方が得意だったと記されているそうだし殺戮などは好まない人だったのに仕方なく戦争をすることで心が傷ついていたのだろうなあと。

 

それにしても孔明の行動がいちいち司馬懿の裏をかくことになってしまうのがおかしくもあります。ベクトルの方向性が違うのでしょうね。