ガエル記

散策

『三国志』横山光輝 第五十九巻 その2

ネタバレしますのでご注意を。

 

孔明は遺書を書き楊儀に「陛下にお届けしてくれ」と頼む。

「それからわしの死後、喪を発してはならぬ。わしが死んだと知ったら仲達は総力をあげて押し寄せるであろう。こんな時のためにわしはふたりの匠にわしの木造を作らせておいた。これを用いて敵味方に孔明なお在りと思わせておくがよい」

「もし仲達が押し寄せて参ったらその木像を陣の前に押し出せ。仲達は驚いて逃げるであろう。それから後陣より一陣ごとゆるゆると退け。おそらく大きな犠牲を出さずに国に帰れるであろう。これでもう何も言い置くことはない。あとはみな心を一つにして国に報じ職分を尽くしてくれい」

そして孔明は四輪車を用意させそれに乗ると「外に出してくれ」と言った。

「見よ。あの煌々と輝いているのがわしの宿星じゃ。いま滅亡前の最後の輝きを見せている」

小梅が指したその星は長い光の尾を引いて流れ落ちた。

「ああっ」と皆が声をあげる。はっと孔明を見て「丞相」と声をかけるが孔明は答えなかった。

 

人々は孔明の偉大な足跡を思い浮かべその死を惜しんで号泣した。時に蜀の建興十二年八月二十三日。寿命五十四歳。

 

漢朝の再興をはかり戦い続けた英雄たち.玄徳、関羽張飛趙雲馬超、その他もろもろの勇者たち。その最後の巨星がついに落ちた。

姜維楊儀達は孔明の遺命に従い喪を伏せ、後陣から静かに退かせ始めた。

 

だがこの巨星の落ちるのを見逃さなかった男がひとりいた。司馬懿仲達である。

 

星が落ちるのを見て司馬懿は叫んだ。「死んだ。孔明が死んだぞ」

だが皆は冷静に「どうしておわかりになりました」と問う。

「星が落ちたのじゃ。孔明の宿星が落ちたのじゃ」

「父上、お言葉を返すようですが星が落ちただけで孔明が死んだとは早計ではございませぬか」

「なにっ、わしの天文を観る目を疑うのか」

「疑うわけではありませんがもし生きていたらどのような罠をめぐらすか」

孔明が死んだのならいつでも蜀は討てるのだからまずは確認をした方が良い、という進言に司馬懿も確かにと肯き生死を確かめさせた。

 

こちらは蜀軍先鋒魏延の陣である。

魏延は浮かぬ顔をしていた。そこへ趙直が現れた。

魏延は昨夜変な夢を見て気になっているという。それは魏延の頭に角が生える夢だった。

「これが悪い夢なのか、良い夢なのか、気になってのう」というのだ。

趙直は「ははは、それは吉夢ですよ」と答えた。「麒麟や蒼龍の頭にも角がござる。凡人が見るには凶になるが将軍のような勇者が見た場合は大吉夢でござる。思うに将軍は必ず大飛躍をなされるでしょう」

これに魏延は大いに喜んだ。

 

次に趙直は費褘に会い「どこへ参った」と聞かれ「魏延のところですがふさぎ込んでおりました。昨夜頭に角が生える夢を見たそうで悪夢か吉夢が考え込んでおりました。それでそれがしが将軍のような勇者が見れば吉夢となると申し上げたのです」

費褘は「その夢判断はほんとなのか」と聞くと趙直は「いや実際は凶夢です。角という字は刀を用いると書く。頭に刀を用いる時はその首が落ちるに決まっているではござらぬか」これに費褘はぎょっとし「今の話、誰にもなされるな」と趙直に釘を刺したのだった。

 

夜になって費褘は魏延を訪れた。

「実は悲しい話を持って参りました。丞相が亡くなられました」

魏延は「そうか」と言い「それで喪はいつ発する」と問う。

費褘は「喪はしばらく発するなという遺言でございます」と答える。

「それで丞相に変わって軍権をとるのは誰だ」と聞くので「楊儀が命ぜられました」と答えた。

これに魏延は不満であった。楊儀は文官であり戦の駆け引きができるのか、という魏延の問いに費褘は「丞相の遺言でござりますれば」と答える。魏延は「丞相亡き後、蜀軍を動かせるのはわしだけじゃ」「丞相は姜維兵法書を授けあとのことを頼まれたそうです」「あんな小僧に何ができる。魏を討ち国家の大事をなすはわしをおいておらぬはずじゃ」ここで魏延はまたも孔明への確執を繰り返し訴えた。さらに自分は大将軍であり楊儀の指図など受けられないと言い張るばかり。わしが全軍を指揮して魏と戦うわ、とごねまくった。

費褘は「では後刻首尾をお知らせに参ります」と言って去った。

「丞相が亡くなられた途端にこれでは」とつぶやきながら。

 

費褘は楊儀に経緯を伝えた。

楊儀殿の下では働けぬと」

楊儀は仲達が我が軍の三倍もの兵力を持ちながら出てこないのは丞相の策を恐れてのこと。魏延の今日までの手柄は情緒の作戦があったればこそ。それも解らず勝手に戦うというなら戦えばよい。命に従わねば反逆罪だ。我らは遺言どおり引き揚げる」

そして姜維に「そなたにしんがりを頼む。魏延の追撃を抑えてほしい」

姜維は「丞相の遺言どおりにいたします」と答えた。

 

魏延はいらいらと歩き回っていた。

費褘の返事を待っているのだ。

その様子を見た馬岱が問いかけ魏延は「費褘からの連絡がない」と答えると馬岱は「後陣は引き揚げており我らがしんがりを命じられたと聞いております」というのを「馬鹿な」と言った後費褘が裏切り楊儀はわしを置き去りにしたな、と怒った。

馬岱我らもすぐに引き揚げるのじゃ。魏軍を我らだけで防げるわけがなかろう」と叫び「費褘も楊儀も許せん」と罵りながら慌てて本軍のあとを追った。

 

蜀軍引き揚げは司馬懿にも封じられた。

「見よ、やはり孔明は死んでいたのだ」

司馬懿は命じた「よし追撃じゃ。この機を逃さず蜀軍を全滅させるのじゃ」

今までどんなに挑発されても歯ぎしりして我慢していた魏軍は堰を切って流れ出す奔流のように五丈原へ殺到した。司馬懿はその先頭に立って馬を走らせた。

その速さはついていく者が諫めるほどであった。司馬懿軍は魏延の陣に入ったが中はもぬけの空である。司馬懿は自ら蜀軍の退路を断つとそのまま馬を駆った。

 

しばらく行くと銅鑼の音が響き司馬懿は馬の脚を止めた。

司馬懿は慌てた「しまった。孔明め。我らを陣より出すためにまた芝居をうったか」そして「退けっそこらじゅうに罠があるぞ。葫蘆谷の二の舞を演ずるな」と逃げ出した。

これを姜維軍が襲い掛かった。

魏軍は大混乱であった。

逃げようとする者、後から押し寄せてくる者がぶつかり合い踏みつぶしあい、想像を絶する混乱を起こした。

この混乱は姜維軍のかっこうの餌食となった。

「待てっ司馬懿その命姜維がもらった」

「ひーっ」司馬懿は無我夢中で逃げ出す。

今まで何度となく痛い目にあわされた仲達は心の底から孔明を恐れていた。

それだけに生きた心地がしなかった。天冥の加護を念じながら逃げまくった。

その時夏侯覇・威が追いついてきた「もう大丈夫です。蜀軍は急速に退きました」

「おお引き揚げたか」

「この際、お味方を立て直し更に追撃をなされてはいかがでしょう」

「追撃じゃと」司馬懿にはその気はさらさらない「馬鹿な。孔明は退く時も手は打ってある。これ以上被害をだすわけにはいかぬ」

こうして司馬懿渭水の陣へ引き揚げたのだ。

 

まもなく敗走した諸将も引き揚げてきた。

そこに孔明の棺を見たという男が連れてこられた。

司馬懿はなおも確かめる。

「はい。五丈原の西方の谷間で見ましてございます。白い弔旗と黒い喪旗が並び立ち人々の嘆き悲しむ声が夜明けまで絶えませんでした」

「するときのう現れた孔明は」という司馬懿の問いに男は「遠くから見ましたが身動き一つせずどうも人形のようでございました」

「なにっ人形だと」司馬懿はやっと「やはり天文の教える通り孔明は死んでいたか」と思うのだった。

「よしすぐに追撃だ」と仲達は再び追撃を開始した。

だがそれは無駄な追撃であった。「もう追っても無駄じゃ」司馬懿は指差して言った「それより孔明の布陣のあとを見てみよ。見事なものじゃ。みな法にかなっている」

「おそらくこの地上に再び孔明のごとき人物を見ることはあるまい」

それからしばらくして仲達も長安に引き揚げた。

 

蜀軍が引き揚げる帰途で桟道が何者かによって焼き払われている、という事件が起きた。

これでは馬が通れない。

すぐ斥候を出して調べるとなんと桟道を焼いたのは魏延軍だとわかった。やはり謀反を起こし蜀軍を待ち伏せしていたのだ。

楊儀は驚くとともに「これでは成都に帰れぬ」と困惑する。がここで姜維が落ち着いて別の間道を教えた。安堵する楊儀に費褘は進言した。「魏延が謀反を起こし待ち伏せしている以上前もって天子に奏上しているはず。自分の行為を正当化するため作り事を書いているのでは。我らとてすぐに魏延に二心ありと奏上したほうがようございます」

「たしかにそうだ」と楊儀はすぐに奏上文を書き急いで都に走らせた。

 

成都ではまずは魏延からの奏上文が届いていた。

劉禅は読むなり「大変じゃ。楊儀が丞相の棺を奪い謀反を起こしたそうじゃ」と言って困り果てた。臣下がすぐさまその奏上文を読み文章に疑問があると申し上げる。しかも生前丞相が魏延に謀叛の相があるがその武勇の惜しさに使っていると漏らしたことがございます、とも言いよくよく事情を見定めるまでは軽はずみはなりませぬと蜀帝に申し上げた。

今度は楊儀からの奏上文が届く。そこには魏延が謀反を企んでいることと丞相が楊儀に国家の大事を委ねられたことが書かれていた。劉禅は臣下の意見を求める。

臣下は楊儀は欠点もありながら長年丞相のもとで働いていた。しかし魏延は丞相にも反抗的な態度を取り続けていたことから楊儀には二心なしと請け合いますが魏延は請け合いかねまする、としこれに同意する者が続いた。

劉禅魏延に魏に走られては蜀にとって大きな脅威。ここはなんとか言葉柔らかに和解をはからせようと使者に董允が選ばれた。

 

劉禅は物凄く頼りないけど和解をさせよというような気づかいはあるのだ。読者的には和解こそが無用だけど)

 

桟道を焼かれた楊儀姜維は間道を通って漢中へ向かった。道は険しく行軍は容易ではなかった。

だが魏延に漢中を奪われてはならじと昼夜兼行で行軍した。

 

王平に「楊儀様がお呼びです」という伝令が来た。

楊儀王平に命じた。「南谷に控え魏延軍に向かってくれ。我らはその間に漢中に入り要所の守りを固めておく。よいか。今まで魏延の下で働いていたと申しても味方であった。郷里には父母や妻子のいる兵士もいよう。その者たちを魏延軍にとどまらぬよう説くのじゃ」

王平は「魏延軍の指揮を鈍らせてやりましょう」と向かった。

 

魏延のもとに「王平軍来る」の報がはいる。魏延王平ごときがと立ち向かった。

魏延軍と王平軍が対峙するなかで魏延は「楊儀は丞相に後を任されたと偽り謀反を企んでおるのじゃ」とうそぶく。

これに王平は「だまれ」と一喝した。「魏延の兵士よ。よく聞け。お前達には父母妻子がいるはず。ここで謀反人に従って反逆者となるか、それとも丞相在世のみぎり、お前たちが受けた恩を思い出し各々帰郷して恩賞にあずかるか、どちらかを選べ」

王平のこの言葉に魏延の兵士たちはざわめいた。魏延将軍の謀反と聞きぐらついたのだ。おとなしく郷里に戻りたかった。

逃げ出そうとする兵士たちに魏延は怒鳴りつけ斬りつけたのだ。「止まれ。逃げる奴は許さん」兵士たちは怯え「逃げません」と言いながら王平軍に立ち向かったがすでに士気を失っていた。

王平は「仕方ない」と魏延軍に立ち向かう。

魏延王平に「我が軍につけ」と誘うが王平は「お前のようなやつが兵権を握ったら蜀の国が乗っ取られるわ」と言い返す。

王平魏延の一騎打ちとなったがさすがに魏延には押され王平は「引けっ」と号令した。

王平を追いかける魏延に崖上から矢が射こまれた。

矢を払う間に王平軍は逃げ延びてしまった。

そこへ馬岱が問いかけた「王平はどうしました」

「ふん、口ほどにもなく逃げていきおった。それにしても王平が背後から来たということは楊儀もその道を通ってくるのであろうな」

「おそらくその道を通って漢中へ入ったと思われまする」

「よしそうならばここにいるのも無用だ。わしらも明朝漢中へ向かおう」

そして魏延は兵士たちに説いた「皆の者、見たであろう。みな安心してわしについてこい。陛下は必ずわしに兵権をゆだねられる」

 

夜、馬岱魏延に申し上げた。「兵の半数が逃げ出しました」魏延が確かめると陣中の兵士の姿がない。

「ぬうう、なんたる奴らだ。日頃目をかけてやった恩を忘れたか」魏延は「悔しいがこれでは漢中に乗り込めぬ」と言い「馬岱いったん魏に降ろうか」と言い出した。

馬岱は「将軍ほどのお方が魏に跪き魏の先鋒を命じられ蜀の国を奪ったとてしょせん待遇は魏の一部将。それでご満足ですか」と説く。

魏延は「たしかに敵に跪くのは面白うない。だが楊儀の下で働くのはもっと面白くないわ」

馬岱はなおも「ならば漢中に乗り込み楊儀を討てばようございましょう。楊儀を討てば将軍に降る兵士も多く出ましょう。それに漢中には兵糧も多うございます。蜀を手に入れることも可能です」

魏延馬岱の弁説に押された。

むむ。たしあに漢中の要害を奪えば成都を攻めることもたやすい。楊儀の下で甘んじるよりはこの際蜀をこの手で取るか。それも男の生甲斐。

馬岱、そちはわしに力を貸してくれるか」

「それがしも丞相に地位を剥奪された男、将軍に協力したします」

「よしやろう。わしに勝てる将など蜀にはおらぬ」

「では漢中へ進みますか」

「おう馬岱よ。わしが蜀を手に入れたら富貴をそなたにも分け与える。共に生活を楽しもうぞ」

 

翌日魏延馬岱は残った兵をひきつれ漢中へ向かった。

兵は少なくとも歴戦の猛者である。

 

漢中にて。

魏延馬岱軍が現れました」との報が入る。

楊儀姜維が城壁から確かめると確かに城の前に魏延馬岱軍が迫っていた。

姜維は「打って出ますか」と問うと楊儀は「勇猛な魏延馬岱までついている。敵は少数と言えどもそう簡単に追い払える相手ではない」と答えた。

魏延は「どうした楊儀、城の奥で震えているのか」と叫んでいる。

この時楊儀は思い出した。「丞相は魏延が謀反を起こした時この袋を開けて指図に従えとおっしゃられた」すぐさま楊儀は袋を取り出し中にあった手紙を読み「おおっ」と声をあげた。

 

魏延はなおも叫んでいる「きさまは丞相の側近だったことを利用して勝手に話をでっち上げたのであろう」

これに楊儀は言い返した「黙れ。丞相はお亡くなりになる間際、一兵卒も損なわず無事漢中に引き揚げよとそれがしに命じられたのだ。自分の謀反を正当化しようとしても誰も認めぬぞ」

姜維楊儀に「丞相は楊儀様になんとお指図なされているのですか」

「おう。丞相は魏延と退陣の場に臨み馬上にて聞くこと。魏延に〝わしを殺せる者があるか”と三度叫ばせよと記してある」

姜維は「どういうことでございます」と聞き返した。

「わしにもわからぬ。なにかお考えあってのことだろう」

「ではそれがしがまず城を出て魏延に備えましょう」

「うむそうしてくれ」

姜維は馬に乗り城外に出る。

姜維は馬上にて魏延の前に立った。

魏延、謀反するとは何事だ」

姜維、これは謀反ではない。楊儀とわしの問題だ。そちは知らぬであろうが楊儀は丞相にわしのあることないことを告げ口し続けた。そればかりかこのわしを前線に置き去りにしおった」

「きさまが丞相の作戦にいつも不平を言っていたのを知らぬものはない。箕谷で命令に背き大敗もした。街亭では馬謖殿はその責任を問われ斬首された。それに比べきさまには何のお咎めもなかった。その温情を忘れたのか」

「それは丞相がわしの力を惜しまれたからだ。姜維考えてもみよ。丞相亡きあとこの蜀を誰が守れる。このわししかおらぬ」

「黙れ、それはきさまの決めることではなく陛下のおきめになることだ。魏延ここで蜀軍が分裂するは魏を利するだけだ。兵を収めよ」

「そうはいかん。わしを置き去りにして引き揚げるなど楊儀の仕打ちは許せん。楊儀出てこい」と呼ばわった。

「おう。わしは逃げも隠れもせん」と楊儀も馬上で城から出てきた。「たしかにわしはお前のことを丞相に報告した。それは丞相がゆくゆくは必ずお前が謀反を起こすと見ておられたからじゃ。見よ、丞相が亡くなられた途端牙をむきだしたではないか」

楊儀、その首をはねねばもうこの気持ちは治まらぬぞ」

「待て」と楊儀はとどめた「きさまがこの軍勢の前で〝わしを殺せる者があるか”と三度叫ぶことができたら直ちに漢中の城を渡してやる。だがその自信はあるまい」

これに魏延は大笑した。「楊儀よ。丞相がこの世にあればわしも遠慮はしょうがもはやこの世にはない。いま天下にこのわしと太刀打ちできる者があるか。そのようなことは何万遍でも叫んでやるわ」

「なにっ」と魏延が帰す間もなく馬岱の槍が魏延の首を落とした。

「よく聞けっ。謀叛に加担する者はこの馬岱が相手する」

これまで魏延に付き従ってきた猛者たちも馬岱の言葉に次々と武器を投げ出した。

馬岱は「よし」と下馬し楊儀の前に跪いた。

「この馬岱、丞相の命により魏延についておりました。そしてもし謀反の態度をはっきりさせたならばその首を討てとお命じなされました」

楊儀は「おお、階級を剥奪されてもその変わらぬ忠誠、陛下もお喜びなされるであろう」

 

その直後両者を和解させようと成都を立った董允が到着した。師かすでに魏延将軍は討ちとられていた。

こうしてひと騒動のあと、孔明の棺は成都に向かった。

 

成都では劉禅をはじめ文武百官下は山野の人民までが孔明の棺を迎えた。

劉禅は棺にすがり「天はわしを滅ぼしたもうた」と声をあげて泣き出した。

 

劉禅孔明の遺言を読んだ。

「将琬を丞相・大将軍・録尚書事、費褘を尚書令、呉懿を車騎将軍として漢中を総督させ、姜維を輔漢将軍とし諸方の軍勢を総督させよ。さらに馬岱は忠義の士であること、そして自分の墓は定軍山に北方を向けて建てるようにと記してある。墓には敷瓦を使わず供物も一切供えないようにと」

劉禅は「孔明は死後も魏を睨みつけている気なのじゃ」と目を伏せた。

劉禅孔明の遺言通りにすることを命じ、楊儀に中軍師の職を加えた。さらに馬岱には魏延爵位をすべてそなたに与えるとした。

 

孔明の墓は遺言通り南鄭の要害定軍山に運ばれ埋葬された。

ここはかつて法正と黄忠が魏の夏侯淵から奪い取った要害である。

北方を睨んで建てよ。それは孔明が玄徳の遺志を自分の力で果たせず無念の涙をのんだ気持ちの表れであった。

 

泣いてしまう。

孔明の思いに。

そして馬岱の名場面、すばらしかったなあ。

「ここにいるぞ」の短い言葉がこんなに強い意志を持っているとは。

三国志』ここで完結だと思います。

この後はエピローグということでしょう。