ガエル記

散策

『三国志』再び 横山光輝 五十一巻

 

 

 

ネタバレします。

 

 

孔明姜維そっくりの兵士を使って天水城に潜む夏侯楙はじめ太守たちをも信じさせ姜維が蜀軍に降り自分たちを攻撃してきた、と思い込ませてしまう。

そして本当の姜維が立てこもっている冀城を取り囲む。

突然籠城した姜維軍は食糧が乏しい。

そこへ食糧部隊をこれ見よがしに移動させれば姜維は襲わずにはいられないだろう。

簡単に食糧を奪わせてその間に魏延が冀城を乗っ取ってしまう。

姜維軍は激しい攻撃を受けてちりぢりばらばらに逃げ惑った。

 

ひとりきりになった姜維はやむなく天水城へと戻る決意をするが太守や夏侯楙らは姜維が寝返ったと思い込んでいる。激しく矢を射かけられた姜維は弁明する間もない。

逃げ出した姜維の前に現れるのが蜀軍であった。

しかもそこに母上の姿があるではないか。

驚く姜維孔明が語りかける。「姜維。そこまで誠を尽くせば武門にも恥はあるまい。なぜ潔く降参いたさぬ。ご母堂もそちが早死にするよりその才能を世の中のために役立ててくれることをお望みであろう」

姜維は考え込んだ後下馬し「これが天意ならば天意に従いましょう」と平伏した。

これに孔明も近寄り膝を折り話しかける。「平素学びおいた兵法の道を誰かに伝えたいと思うていたがそなたに出会うて願いがかのうた。そなたにすべてを伝えたい」

孔明!いきなりとんでもないことを言い出す。

まだ姜維に出会ったばかりなのになぜここまで心服してしまったのか。

ううむ。孔明ほどの人物は人の奥底まで見通してしまうのか。

しかし馬謖関平張苞たちの立場はないよなあ。

 

蜀軍に帰順した姜維は早速孔明のために働く。

天水にいる親友らに一本の矢に密書をしたため矢文として城中に射ち込めばおのずと浮足立つでしょうと進言し孔明もこれに同意した。

姜維の作戦はすんなりと運ぶ。

姜維からの手紙はあいさつ程度の内容だった。

それを先に呼んだ太守と夏侯楙はそれが姜維とふたりの親友との暗号文だと考えすぐにふたりを呼び出し詰問しようとした。

が、ふたりの親友も事態を察して行動した。このままでは疑われ殺害されるだけだ。

ふたりはそれよりも、と城門を開け姜維に旗を振って知らせた。

姜維の作戦通りだった。

太守と夏侯楙は逃げ出してしまったが孔明は「放っておけ」と言うのみだった。

それよりも姜維を得たことを「鳳凰を得たも同然じゃ」と喜んだのである。

その言葉を聞いたのは関興張苞だけど二人はあまり気にしてないのかねえ。

そして姜維の作戦にのっかった天水城の親友二人。後で姜維とどんな会話をしたのか。気になってしかたない。(描かないからなあ横山先生はそういうの)

 

夏侯楙が敗北し孔明の軍は祁山に進出した。

報を受けた魏帝・曹叡は曹真に二十万の軍勢を授け孔明との戦いを命じた。

さすがに曹真は夏侯楙とは違い見事な陣形を作っていた。

が、孔明はすぐに策略を講じた夜襲をかける。

魏軍同士がつぶし合うように仕組んだのだ。

夜明けには戦場は魏兵の死体で埋まり血の海と化していた。

初戦に敗北した曹真は郭淮の助言で西羌の軍を動かすことにした。

曹真はおびただしい重宝珍器の手土産と共に使者を送った。

西羌王国の王はそれを受け二十五万の兵で蜀軍の背後をつかせる。

 

孔明はこれを聞き西羌に詳しい馬岱関興張苞を向けた。

西羌軍は二頭立ての鉄車を使う。それに御者とふたりの兵が乗り槍と弓矢で攻撃してくるのだ。

蜀軍は手も足も出ず潰走状態となった。

馬岱関興張苞が軍師を呼んでくる間鉄車が入り込めない山中に陣を構えて持ちこたえるとした。

孔明は三万の兵と姜維張翼を加え西平関に向かう。

 

孔明はここでも策を講じる。

姜維に攻めさせ合図とともに引き西羌軍の鉄車を落とし穴に誘い込む。

鉄車を失った西羌軍はもろかった。

関興張苞馬岱軍に攻め込まれことごとく降伏した。

 

孔明は捕らえた雅丹丞相に「末永くよしみを持ちたいと思っている」と伝える。

そして鉄車隊を元通りに戻して返した。雅丹丞相は平伏し帰国した。

 

一方曹真軍は孔明軍が西羌軍に背後を突かれて慌てて逃げ出した、と誤解する。

追撃を開始した曹真軍は魏延趙雲の伏兵によって逆に追われた。

曹真は血路を開きかろうじて逃げおおせた。そしてそのまま総退却せざるを得なかったのである。

 

この西部戦線の戦況は早馬によって刻々洛陽の曹叡のもとに報告された。

曹真の総退却を聞き曹叡は慌てふためく。

このままでは長安・関中も危い。

ここでひとりの重臣が進言する。

「いま諸葛亮と互角に渡り合える人物は一人しかおりませぬ」

「なにそれは誰じゃ」という曹叡に「司馬懿仲達でございまする」

これには皆驚いた。

曹叡も「謀反の疑いで・・・」と言いかけたのを「あの仲達謀叛は流言飛語。蜀の企みであったと思われまする」と答える。

司馬懿仲達が追放されてから孔明はひた押しに攻め込んで参りました」

これに曹叡も同意した。

 

こうして魏は国家の危機を仲達にかけたのである。

 

司馬懿家では仲達が曹真大敗北の報を聞きいらいらと歩き回っていた。それを見た息子たちは笑いながら問う。

怒りを見せる父に息子たちは「父上がお立ちになればその心配もございますまい」と答える。

すねる父親に「なあに、そのうちお召しがきますよ」と息子たち。

 

数日後、息子たちの予言どおり勅使が訪れ司馬懿の官職を戻し平西都督にも封じられたと告げる。

「すぐに兵を集めよ」という父親に息子たちは「すでに出兵の準備を整え待ってございます」と答える。

司馬懿仲達の出兵は電光石火の速さであったがそれは父に劣らぬ息子たち司馬師司馬昭の力もあったのだ。

 

今ここに孔明が恐れていた人物司馬懿仲達が立ち上がったのである。

 

やはり孔明司馬懿が見たいよねえ。